「白いプラスティックのフォーク」-片岡義男-

-■戦後の幼年期に、ハワイに住む祖父から送られてきた缶詰やお菓子の話から大学時代、そして現在までの食体験をつづったエッセイ集。キャンベルのスープ缶、びん入りのマヨネーズ、ハーシーズのチョコレート、スニッカーズ、ジェロ‥‥など、戦後の日本の状況やアメリカとの関係などと絡めた幼年期のエピソード中心になっている。片岡義男の場合、日本とアメリカが自分のルーツとして並列で存在していて、どちらがどうということがなく、両方をわりと客観的にとらえているところが読んでいておもしろい。
たまたまこの後、田中小実昌のエッセイを読んでて、戦後に中国から戻ってきてストリップで働きはじめたり(まだストリップという言葉はなかった)、米軍将校のお店でバーテンをしたり、的屋を始めたりしたことが書かれてて、年齢も境遇もまったく違うのだけれど、同じ年代をつづったものとしてなんとなく比較してしまったりする。二人ともどんな境遇になっても悲壮感がないのが共通しているので、どんな時代の話でも重くならずに読むことができる。
これが山口瞳だったら悲壮感の塊みたいになるわけで‥‥(それはそれでおもしろいんですけどね)

-■年末からコーラスものを中心にイージリスニングばかり聴いている。ジョニー・マン・シンガーズ、レイ・チャールズ・シンガーズ、アニタ・カー・シンガーズ、フラバルー・シンガーズといった○○シンガーズというグループだったり、○○シスターズ、○○ファミリーだったり、インスト中心のレコードでも、クレジットにコーラスが入っているものをチェックしてしまう。クリスマスの時期など、冬の夜に小さめの音で流しているといい感じなのですが、各グループで大きな個性があるわけではないので、聴き続けているとちょっと飽きてきて、ハイローズやシンガーズ・アンリミテッドなど、もっとうまいコーラスや、アーバーズのようなソフトロックに近いテイストのものに変えてみたりしている。
でも、コーラスものを聴いていて結局思うのは、ジャズの色合いが近いものやイージーリスニング的なもの、そしてソフトロックぽいものなどその時の時代の音にあわせつつも常に最高のコーラスを聴かせてくれるフォー・フレッシュマンが一番、最高だなってことですね。ちなみにフォー・フレッシュマンは、1948年に大学の新入生だった4人で結成され、2年に進級することなく、大学ではフレッシュマンのままだったそうですが、メンバーチェンジを繰り返しながらいまだにグループとのしての活動が続いているようです(オリジナルメンバーは1993年まで在籍していたらしい)。在籍メンバーはのべ26人!そして今年は結成70周年!がっかりするかもしれないけど、いまのフォー・フレッシュマンの歌もちょっと聴きたくなりますね。

「藁屋根」-小沼丹-

-■電車の中や一人でごはんを食べる時はできるだけ本を読むようにしている。特に電車の中はちょっと混んでるとついスマホを見てしまいがちなので、そこは流されないようにしつつ、隣の人を少し押してでもカバンから本を出す。
とはいうものの、役に立つ本とか読んでいるわけではなく、基本的に暇つぶしの娯楽なので、実際、どちらを見ていても大きな差はない。選択の問題ですね。というわけで、今年に入ってからわりといいペースで本が読めているような気がします。この雑記のほうも、去年、書きそびれた本をさかのぼるのではなく、基本的には今読んだ本について書いていきつつ、過去の本も交えていくという形にしようと思います。で、今年一番初めに読んだ本ってなんだっけ?と思ってツイッターをさかのぼったら、小沼丹の「藁屋根」でした。期せずして小沼丹が続いてしまった。

■「木菟燈籠」の時も書いたけど、「藁屋根」も年末に講談社文芸文庫から文庫版が出たので、年末年始に読もうと思っていたら、文庫本よりも安い値段で単行本を発見。記憶が正しければ「木菟燈籠」を買った古本屋さんと同じところ。気が早い古本屋。
内容も大寺さんの若い頃の話、谷崎精二を中心とした作家たちとの交流を描いたもの、そしてチロルやミュンヘン、イギリスを訪れた際の紀行文が収録されている短篇・随筆集で、「木菟燈籠」と同じといえば同じ。そしてこの本でもやはり大寺さんものがおもしろい。
特に大きな出来事が起こるわけでもなく、大寺さんと奥さんの日常が描かれているだけなのですが、ちょっとした不思議な縁で繋がったり、大寺さんが見る光景が少し現実離れする瞬間があったり、登場人物たちの会話のあいだで「え?なんでその表情?」みたいな描写があったりしてひっかかってしまう。特に大寺さんの話に対する奥さんのリアクションが不思議。奥さんが変わった人というわけでもなく、9割は普通の夫婦のやり取りが描かれているし、不思議といっても目立ったリアクションが描かれているわけでもないので、うまく説明できない。気になったところを引用すればいいんだろうけど、面倒なのでやりません。引用しても伝わるかどうかもわからないし。
あと、昔、銀行だったお屋敷の2階や小学校の片隅などに住んでいるという設定が、日常を描いているのにどこか非日常ぽいという全体の雰囲気を方向づけていると思う。

■1月の初めにNHKのBSプレミアムで再放送されたスティーヴ・ライヒの80歳記念コンサートを録画して、週末にシャツにアイロンをかけたりしながら少しずつ見てる。反復されるフレーズを聴きながら演奏者の動きを見ていると、ついでテレビのほうに夢中になってしまうくらいおもしろい。実際にここの演奏者がどういう風に演奏しているのかはわからないけれど、手の動きが入るが音を補足してて、音だけを聴いているよりも曲の構造が分かるような気がする。いや、ほんとうは全然分かってないんだけど、そういう錯覚してしまう感じがいい。実際に演奏されている音を聴いたら、ホールでの響きも合わさってまた違ったように聴こえるんだろうな。一度でいいので聴いてみたい気もする。年齢的にスティーヴ・ライヒがまた来日することはないのかもしれないけど。でも、手の動きなしで遠くで大きなアクションなどもなく小さく演奏している人を見ながら、これらの音楽を薄暗い中で聴いていたら絶対寝ちゃうと思う。
そういえば、1990年にステファン・グラッペリが初来日した時に、80歳を超えてるので年齢的にこれが最初で最後の来日になるかも?という紹介がされてたのに、その後、亡くなる直前くらいまで何回か来日してて、ステファン・グラッペリすごい、と思ったことを思い出した。でも、来日するたびに行きたいと思いつつ、結局行けなかったんですけどね。

「木菟燈籠」-小沼丹-

-■去年の年明けくらいに神保町の古本屋を回っていたら、この本が安く売ってて、小沼丹の本も安くなったなぁなどと思いながら購入。あとで調べたら、講談社文芸文庫から文庫版が刊行されてたので、その影響なのかもしれない。でも講談社文芸文庫は、新刊の単行本と同じくらいの値段なので、それよりも安くする必要はないんじゃないかと思うので、関係ないかもしれない。ちなみに去年の年末には「藁屋根」が講談社文芸文庫から出て、買わなくちゃと思っていたところに、手ごろな値段の単行本を見つけたので、講談社文芸文庫からいろんな本をどんどん出してほしい。
逆に木山捷平の「酔いざめ日記」は、誕生日のプレゼントにミオ犬からもらった1週間後くらいに単行本を見つけて、失敗したと思った例。でもかなりボリュームのある本なので、文庫本のほうが持ち歩きやすいし、読みやすくてよかった、と、自分を納得させてる。まぁ文庫本をもってたって単行本も買っちゃえばいいじゃんという話ですが。CD持ってたってアナログが安く売ってたら買っちゃうわけで。

■さて、話を「木菟燈籠」に戻すと、表題は、教師を辞めて小鳥屋を始めた教師仲間のことを描いた作品。その小鳥屋の店先に置いてあった木菟燈籠の顛末が描かれている。そのほかに師匠の井伏鱒二のことや妻の入院について、そして小沼丹の作品に欠かせない大寺さんものなども収録されてる。収録されている作品に統一感はないけれど、どれも飄々とした文体で読んでいると落ち着きます。大寺さんものはいろいろな単行本にばらばらに収録されているので、大寺さんものだけをまとめた本を読んでみたいと前々から思ってるけど、実際、まとまった本を読んだらどんな感じなのだろうか。別々の本でときどき出会うことによって、気分的におもしろさが増しているという気もしないでもない。

-■先週の東京は雪。朝、駅に向かう時から雪が降り始めて、昼くらいには本格的になり、夕方にはかなり積もるという感じでした。こんなに雪が降るのは3年ぶりくらいかな。台風は特にテンション上がることはないけれど、雪が降っているのを見るとなんとなくテンションが上がるのは、雪の少ない神奈川~東京で育ったせいでしょうか。別に雪だるまやかまくらを作ったりするわけではなくて(むしろ生まれてから雪だるまやかまくらを作った経験なんてほとんどない)、普段見ている景色が変わるのを見てるだけで楽しい。さすがにいい大人なので、次の日に会社休んでどこかに出かけたりはしないけど、ほんとうは、裏道のたくさんある街に出かけて行ってうろうろしたいと思う。歩き回って体が冷えたら喫茶店でコーヒー飲んで暖まったりしてね。

-■そんな雪が降ったあとの週末に北海道から友だちが遊びに来て一緒にごはんを食べたり、伊千兵衛でやっていたサウンドマナーに行ったりしました。東京が寒いと言っても札幌に比べれば寒くないよと言っていたけど、7年くらい前かな、その友だちが東京に来てうちに泊まった時も、たしか雪が降ってた。
その友だちは、90年代の終わりころに、Club Heavenで知り合ったんだけど、20年近く経って、Dropから変わった伊千兵衛でのイベントに行くというのもなんだか不思議なタイムスリップ感がありました。ただ残念なことにイベントにはその人を知っている人は来てなかったんですけどね。伊千兵衛は、一時期イベントをやってなかったのですが、最近ギターポップなど、昔のClub Heavenからつながっているようなイベントが多くなってきてるのに、サウンドマナーという不思議な曲ばかりかかるイベントだったので、楽しんでもらえたかどうかはわかりません。やなぎはらさんがかけるアジアの曲にかなり反応してて、「今東京ってこういうのがはやってるの?」って言ってましたが、まぁ流行ってません。やなぎはらさんだけです(笑)。

「彼とぼくと彼女たち」-片岡義男-

-■エッセイとショートストーリーが交ざっているのだけれど、エッセイのほうもどこかフィクションの部分があるような気がしてその境界線はあいまい。もちろんフィクションの中にも片岡義男の実体験が混ざっているのだろう。不思議な雰囲気を持っている本。1983年に晶文社から出ているのですが、1983年と言えば、角川から次々と作品が発表され、そして映画化された時期で、そのイメージを保ちつつ、ある意味、実験的なことをしてみたともいえるんじゃないかな(そんな大げさでもないか)。そもそも角川から出た作品も、コミックのような世界を小説で描いたらどうなるのかという試みだったと、どこかで書いていた記憶があるので、本人としては常に新しいことに取り組んでいる認識なんだと思う。でも描かれている内容がライトなせいでそういうイメージはないのがもったいない。といっても、わたしも片岡義男はエッセイばかり読んでいて、小説はまったく読んでません。

■でも昔の中間小説とか読んでると、けっこうたあいもない話でストーリーもご都合主義だったりするわけです。所詮、小説なんて娯楽の一つなのでそういうものでいいんじゃないかと思います。なんかみんな本を読むということに対して、リターンを求めすぎなんだと思う。読んでいる時間を楽しめて、その後、ちょっと余韻があればそれだけでいいんじゃないかと。この間、本屋に行ったら人生が変わった本のコーナーがあったけど、本を読んで人生が変わるとかまぁどうでもいい。もしかしたら変わるかもしれないけど、それは単なる結果だし、実際、そんな本は、何百冊読んで1冊出会えるかどうかなので、それをその確率に期待するよりも、単にその時に自分が楽しめるかどうかで本を選んで読めばいいんじゃないですかねぇ。
それにしても片岡義男の本に出てくる女性は自立していてきれいな人ばかりだな。

-■年末に紅白歌合戦を見ていたらABK48が「11月のアンクレット」という曲を歌ってて、「めちゃくちゃナイアガラサウンドじゃん!」と一人盛り上がってしまったのですが、はじめてAKB48のCDまで買ってしまいました。この間、ネットのニュースで、やっぱりまだまだテレビの影響力は大きいという見出して、紅白後に出演者のCDの売上げが上がったという記事が出てましたが、中高年の典型ですね。といってもブックオフで280円。まぁもう少し待てば100円になりそうなので、高い気もするけど、まぁいいかな、と。あとAKBっていまだに収録曲が違うやつが何種類も出てるみたいですけど、ほかの曲はどうでもいいので適当。実際、「11月のアンクレット」は一回聴いてみたけど、もう聴かないと思う。

■で、買ってよかったと思うのは、ヴォーカルオフのバージョンが入ってること。こればっかり聴いてる。いや、「幸せな結末」と交互に聴き続けてる。ストリングスもそうなんだけど、ピアノやギターの音色やフレーズが完全にナイアガラ。で、カスタネットも入ってきちゃうし、途中ではいる手拍子も山下達郎の「ヘロン」にしか聴こえないです。ヴォーカルオフばかり聴いてるのは、ヴォーカルが大勢なのでバックの音が隠れちゃうんですよね。おまけにコーラスも入ってるわけで、ヴォーカルは一人じゃないと、バックの音との相乗効果が出ないんだな。あと、仕方ないのかもしれないけどドラムが軽い。流行のアイドルなんでいろいろ注文つけてもしょうがないですけど。これのヴォーカルあり、なしで7インチが欲しい。
これを買ったのが金曜だったんですけど、もう少し早く買っていたら、土曜のDDCFの新年会パーティの選曲がナイアガラ~アメリカンポップスになってましたね。実際にかけた曲とどちらが盛り上がったかはわかりませんが。

「冬の本」-夏葉社-

-■青山南、天野祐吉、武田花、北澤夏音、高山なおみ、堀込高樹、小西康陽、山田太一、又吉直樹など82名による冬に読んだ本。冬になると思い出す本など、冬にまつわる話を集めたエッセイ集。見開き2ページずつで、執筆者が幅広く、収録順も五十音順になっているので、雑誌の小さなコーナーを読んでる感じでサクサク読めます。一冊の本としてもコンパクトにまとまっていると思う。でもあっという間に終わってしまうので、もう少し読み続けたいと思うものもあったり、1000文字ではどこかまとまりきれてなくて、もう少し文字数があったら面白くなったのにと思うものがあったりして、ちょっと物足りない部分もあるかな。
しかし「春の本」でも「夏の本」でも「秋の本」でもなく「冬の本」で、見開き2ページというのがいい。書かれている内容とは関係なく、その体裁だけで気持ちがピンとする気がします。

■去年はあまりギャラリーや美術館に行けなかったし、写真集などもほとんど買えなかったので、今年はできるだけ足を運びたいなと思って、金曜、定時にあがって恵比寿のpostでやっているホンマタカシの写真展に行ってみました(ほんとうは写真美術館でやっているユージン・スミスの写真展に行こうと思っていたのだけれど、時間的に無理だったのです)。
今回展示されているエド・ルシェへのオマージュシリーズは、エド・ルシェの写真の構図そのままに写真を撮るという試みとのこと。シリーズ自体は2014年にスタートし、すでに5回目になるそうです。今回は、アメリカのガススタンドを撮影した「TWENTYSIX GASOLINE STATIONS 」、タイプライターを車から投げ落とし、その破損状況を記録した「ROYAL ROAD TEST」、洋菓子とその重量を淡々と記録した「BABYCAKES」の3冊が刊行され、それらに収録された写真が展示されています。エド・ルシェの写真集も置いてあり、展示されている写真の元になった写真がどれなのか分かるので、エド・ルシェを知らなくても楽しめました。

■これってホンマタカシの「たのしい写真―よい子のための写真教室」に書かれていたことの実践になると思うのですが、本のほうもエド・ルシェの写真集と同じ綴じ方、装丁になっていたりして、どちらかというと見るというより、たとえ実際にやってる人たちのほうがおもしろがってるのではないんでしょうか。プロによる真剣な遊び、ですね。
ホンマタカシって「東京郊外 TOKYO SUBURBIA」のイメージが強いけど、波やきのこを被写体にしたり、まるで自分の子どもの記録のような写真なのに実は友人の子どもという、見る人を混乱させるような作品があったり、街の一角にあるホテルや高層建築物などの一室をピンホールカメラ化したり、カメラ、そして写真で遊んでて、イメージが固まらない。いや固まろうとするのを常に交わしていておもしろい。これほど活動内容が一貫していない写真家もめずらしいんじゃないかな。その辺で評価がかなり分かれそうだけど、わたしはけっこう好きです。

■ちなみに「冬の本」でホンマタカシが取り上げているのはマーリオ・リゴーニ・ステルンの「雷鳥の森」で、猟解禁前夜の猟師についてつづっている。ホンマカタシの写真を見ている人がこれを読んだら、あの写真や映像が頭に浮かんできますよね。

「ダグウッドの芝刈機」-清水哲男-

-■1978年に刊行されたエッセイ集で、晶文社ではないけれど、どこかヴァラエティブックぽい雰囲気を持った本です。内容も美空ひばり、ビートルズ、アンディ・ウォーホール、下着の広告、現代の世相といったカルチャー的なことを中心に、自身の娘の子育てなどについてもつづられていて幅広い。ただ武市好古の「ぼくの遊びはヒップ・ステップ・キャンプ」を読んだ時も、こういう本は50近いおじさんが読む本ではなく、若い頃に読んでおくべき本だよなと、思ったけれど、この本もそんなイメージ。でも子育てのところとか今だから分かったり、共感できたりするするんだろうなぁと思う部分もありますけどね。
清水哲男は詩人で、詩のほうは読んだことがないのですが、タイトルがすべて「チャーリー・ブラウン」、「ミッキー・マウス」などマンガのキャラクターという詩集もあるよう。この本のタイトルの「ダグウッドの芝刈機」も、コミック作品「ブロンディ」に登場するダグウッドが操る芝刈機から取られたものらしいし、どんな詩を書くのかちょっと気になります。

■毎年のことですが、年が明けてぼんやりしてるとすぐに1月も半分過ぎちゃいますね。今年の年末年始は11連休だったので、家でのんびりしつつ二宮に2泊したり、勝浦の保養所に行ったりといろいろできた気がします。
6日はちょっと一人で出かけて千歳烏山にあるCafe Lofahの新年会に行ってきました。Cafe Lofahに行くのは開店の時のパーティ以来。家からの距離は近いのですが、電車とバスを乗り継ぐ形になるので、こういうイベントがないと、行く機会がないんですよね。すみません。今回はClub Heavenのスズキさんやメキシコさんをはじめとした、9人のDJが選曲する曲をBGMにいろいろな人と話したり、最近ソロアルバムを出したLinustateのSWALLOWのライブを見たりと、居心地の良い時間でした。次の日に朝から出かけるので、開始の4時にお店に行って早めに帰ろうと思ったのですが、気がつけば8時というね。伊千兵衛の榎本さんが、ここに来ればだいたいの人にあいさつできると言っていましたが、まさにそんな感じ。店内は大賑わいで、トヨシマくんが一人、料理を作ったり飲みものを出したりしてて忙しそうでした。おつかれさまでした!また何かイベントやってね。

-■SWALLOWは、ライブのあとにCDも買って、通勤の行き帰りに毎日聴いてる。数曲バンド編成の曲もあるのですが、基本的には弾き語りの曲が中心。でもどの曲もメロディはいいしギターが単調じゃないので飽きない。単調じゃない、と言っても曲によってスタイルがぜんぜん違うとか、すごいテクニックで弾きまくってるとかではなくて、たいだいは歌に寄り添ってる感じなんだけど、気持ちがいいところでアクセントとなるようなフレーズが出てきたり、弾き方がちょっと変わったりしてつい聴き入ってしまいます。ヴォーカルもライブを聴いた後で聴いたので、最初はちょっとナイーブに聴こえてしまったけれど、ギターとのバランスがちょうどよくて聴きやすいし、ヴォーカルが強くない分、ときおり入るコーラスが気持ちいい。しばらくの間、愛聴盤になりそうです。ライブもまたどこかで機会があると思うので楽しみにしてます。

■ついでにいうと、歌詞とかちゃんと聴いてないし、見てもいないんだけど、聴いてると何だか「今じゃもうできないけどああいうことがあったなぁ」という昔の忘れてたことを思い出したりする。もちろん今それをやりたいわけではないです。なんかね、20代の頃、夜中にレコード聴いたり本を読んだりフリーペーパー作ったりしてて、窓の外が明るくなってきた頃に、近くの川まで散歩して、たばこ吸いながらぼおとしてたこととか、冬に友だちの女の子とランチバイキングに行ってから会社に行ったら、2時くらいになっちゃって、渋谷の坂を上がっているときの陽差しがもう傾きかけてて、社会人としてこういうことをしちゃダメだなと思ったこととかね(ちなみにその日は仕事が終わるはずもなく会社に泊まりました)。
結婚して子どもも生まれて歳もとったけど、気分的にはどこかそういったモラトリアムの時期と変わらないものが残ってて、ときどき顔を出す。そしてその心地よさも怖さも身に染みてる。

「お山の大将」-外山滋比古-

-■教育について、男と女について(特に男)、雑記的なもの、知の創造についてと4つカテゴリのエッセイを収録。正直に言うと前半(教育について、男と女について)は、ちょっと飽きる箇所もあります。特に教育については、さまざまな大学の教授を務めてきただけに、エッセイとしてはかなりまじめで、のんびり読むという内容ではないかもしれません。かといってずごい教育論が展開されるわけではないし、語り口が軽妙なので、エッセイとして成立しているとは思いますが。後半の雑記的なものがおもしろかったので、次回、外山滋比古の本を読むとしたら、この辺のものかな、と思ってます。

■明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。カヌー犬ブックスを始めたのが2003年の6月なので、なんと今年の6月で15周年になるのですよ。気がつけばけっこう長くなってて自分でもびっくりです。と言ってもすごく気を入れてやっていたのは2009年くらいまでで、この時期までは毎日新着本をアップしてたし、雑記も週に3回くらい更新してたし、SEO対策とか検索連動広告に出したりとかいろいろしてました。その頃って、会社の人と週に2、3回は飲みに行っていたし、ときどきだけど週末にオールナイトのイベントに行ったりしていたのに、よくやっていたと思う。ちゃんと仕事してたんですかねぇ。
その後、子どもが生まれてからは、優先順位も落ちちゃって、のんびり行こうと割り切ってやってます。でも、それももう8年以上経ってるので、古本屋を始めてから半分以上はのんびりやってる感じになってしまってますね。こわい。店舗を持っていたら完全に閉店してます。もっとも店舗があったら今みたいに会社員をしながらの副業じゃなくて、本業になると思うので優先順位は下げられませんが。でもこの時期は、東京蚤の市やはけのおいしい朝市、家族の文化祭など、近くでやっているイベントに誘ってもらう機会があって、ネットの古本屋そのものよりも、イベントに出ることの楽しさや、イベントを通していろいろな人と知り合ったりすることで得るものが大きかったような気がします。
今年は、もっとネットもちゃんとしつつ、イベントにもきちんと参加していけるようになっていきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

「ぼくの遊びはヒップ・ステップ・キャンプ」-武市好古-

-■武市好古は、1950年代後半から1960年代初めに劇団四季演出部に在籍し、その後、アメリカに渡りラスベガスでショービジネスの演出などをして、帰国後は、ステージの演出家、映画監督、ジャズや映画の評論家として活動した人。といってもわたしはそのステージも映画も見たことはないです。本もそれほど多く出ているというわけでもないですしね。これは、劇団四季に在籍した頃かラスベガスでショーの演出をしていた頃のことをつづった本で、基本的には楽しければ、おもしろければいい!仕事はそれにともなってやってくるし、生きてく、そして遊ぶためのお金もついてくるって感じが1960年代から1970年代ぽい。

■イメージでしかないけれど、1970年代までって「何しているのかよく分からないしどうやって食べてるのか分からないけど、おもしろい人」という人がたくさんいたような気がする。1980年代になると、いろいろなことがもっと細分化して、専門的になってきて、いろいろなことをしている人でも、主となるものがはっきりしてきて、1990年代以降になると、「何しているのかよく分からないしどうやって食べてるのか分からないけど、おもしろい人」という人はいなくなって、「何しているのかよく分からないけど、お金を儲けてる人」になっちゃう感じですね。適当ですが‥‥

■多分、これを読んで感化されたとしても、こんな風に生きるのはもう無理だけど、若いときに、いいと思うか、こいつなんだよと思うかは別として、ちょっと読んでみて、こういう世界もあったんだなというのを知るのはいいかもしれません。少なくとも、50歳近いオッサンが読んでもね、という内容。まぁ勢いあるし、引き込まれて一気に読んじゃったけどね。そういえば、10代の終わりから20代の初めにかけて、晶文社から出てた「就職しないで生きるには」シリーズ読んだなぁ。レイモンド・マンゴーや早川義夫の「ぼくは本屋のおやじさん」とかね。だからといって早川義夫の本を読んで古本屋(ネットだけど)を始めたわけでもないですけどね。

■ふと気がついたのですが、本が好きで本屋でバイトしたり、音楽が好きでレコード(CD)屋さんで働き始めたりするのが、なんとなく普通の感覚になっていたけど、今って本屋さんもレコード屋さんももう少なくなっちゃってるから、簡単にそういう感じで働き始めて、またそこで働くことによって知識や経験を積むってことがなくなってるんでしょうね。で、小さい頃から電子書籍で本を読んで、ダウンロードで音楽を聴いたりしている人たちが増えてくると、そもそも本(?)や音楽は好きだけど、実際にお店で買ったことがないって人も出てくるのかもしれないと思うと、不思議な気分になります。昭和の人からするともう全然感覚が変わっちゃう。いや、もうすぐ平成も終わっちゃうんで、平成生まれでさえ古い人になっていくんだろうなぁ~

■というわけで、2017年ももうおしまい。特に一年を総括するような出来事があったわけでもなく、(まぁまぁ仕事に追われつつ)過ぎていった一年でしたが、皆さまありがとうございました。来年は今年よりももうちょっと動きますので、よろしくお願いします。

「別れの手続き」-山田稔-

-■4月からなんとなく仕事が忙しくなって、家に帰るのが遅くなったせいで、帰ったら発送とかやらなくちゃいけないことだけやって、レコードを聴いたりしながらビールを一本飲んでおしまい。という日々が続いてまして。もうぜんぜん雑記を更新する気も起きず。特に書くこともない、というか書くことなんて考えないと出てこないわけで、考える気分にもならず、気がついたら半年以上経ってしまいました。このままなしにしちゃってもいいかなとも思っていたのですが、自分の備忘録的な意味もあるし、のんびりでも書いておこうかなと思って再開することにします。

■一応、読んだ本をきっかけにして書いているので、どこから再開すればいいのかちょっと迷いましたが、思い切って中断する前からさかのぼります。本の内容は、もう記憶も薄れてるのもあるし、読み返すのもなんなので、本についてはツイッターとかにちょこっと書いたことだけという感じが続くのだろうと思います。いつになったら追いつくのだろうか?来年の今ごろか。

■いや、何年か前にもすごく忙しいときがあったのですが、その時はまぁまぁ新着本も雑記も更新できてたんですよね。それができなくなったというのは歳のせいで体力や気力がなくなってきてるんでしょうか。単に家で飲むビールの量が増えたせいとも言えますが‥‥雑記だけでなく新着本の更新頻度も落ちてるので、気がついたら在庫のほうもけっこう減っちゃってるし、来年に向けて少しずつ作業量を増やしていきますよ。

■「マビヨン通りの店」や「八十二歳のガールフレンド」など、過去に山田稔が出した随筆集から13編を収録した本。タイトルになっている「別れの手続き」は亡くなった母親のことをつづったもので、このほかにも山田稔が若い頃に出会った人たちとの、ときには何十年もの年月にわかる出来事が、短い文章の中で行き来しながらつづられています。とはいうものの、全体的に重い雰囲気や過ぎ去ってしまったものへの哀しみが漂うことはなく、軽やかなユーモアがあって心にすっと入ってくる感じが読んでで心地よいです。
特に文体が似ているというわけではないけれど、堀江敏幸の解説を先に読んだせいで、ときどき堀江敏幸の文章を読んでいるような気持になり、「1966年にパリにいたころ‥‥」みたいな文章を読んで「あれ?1966年?」という気持ちになってしましましたが。

■しかし、去年のクリスマスの時に、ミオ犬から、「欲しい本があったら教えて」と言われて、ついこの本を指定してしまったのですが、本をもらってから奥さんからクリスマスプレゼントとしてもらう題名の本ではないな、ということに気がつきましたヨ。あ~あ~

「ミニマル・ミュージック」-小沼純一-

-■年末くらいからソウル・ミュージックを聴き続けていたので、年が明けたらこの本を読みながら、またミニマルミュージックとかエレクトロニカとかを聴いてみようと思って読んでみたものの、実際にはほとんど聴かないままで読み終わってしまった。
ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラスという4人の代表的音楽家の活動を詳細に解説しつつ、ミニマル・ミュージックがその後どのように展開していったか、そして、音楽だけでなくミニマル・アートや、レイモンド・カーヴァーといった文学とのかかわりが語られている。

■小沼純一は、前に坂本龍一の「スコラ 音楽の学校」という番組の電子音楽の回に出ているのを見たくらいなので、どんな経歴なのかまったくわかってないんですが、通りいっぺんに経歴を解説するだけではなく、楽曲の細かい解説なども適度にあるところがいい。本当は取り上げられている曲を聴きながら読んだほうが楽しめるとのだと思う。でも、対象がミニマル・ミュージックなわけで、採譜されていたり解説されている箇所がどの部分なのかとか、反復される中で音色やリズムがどう変化したのかなどを聞き分けるのがわたしの耳では難しい‥‥
ぜんぜん話が変わるけど、この間聴いていたラジオで、小沼純一は大学時代にシュガーベイブとYESのコピーバンドをやっていたって、誰かが言っていたような気がしたけど、聞き間違えかもしれない。

■ところで、スティーヴ・ライヒは、3月1日に来日して80歳記念のコンサートをしてましたね。録音されたCDではなく、実際に人が演奏している音を聴いたら、ホールのエコーなども重なったりして、迫力あるんだろうな、と思うとちょっと見てみたい。でも単に寝ちゃうだけかもしれません。とりあえずエコーは体感できないけど、4月14日にNHK BSプレミアムの「クラシック倶楽部」で、3月2日の公演が放送されるようなので見てみます。