「藁屋根」-小沼丹-

-■電車の中や一人でごはんを食べる時はできるだけ本を読むようにしている。特に電車の中はちょっと混んでるとついスマホを見てしまいがちなので、そこは流されないようにしつつ、隣の人を少し押してでもカバンから本を出す。
とはいうものの、役に立つ本とか読んでいるわけではなく、基本的に暇つぶしの娯楽なので、実際、どちらを見ていても大きな差はない。選択の問題ですね。というわけで、今年に入ってからわりといいペースで本が読めているような気がします。この雑記のほうも、去年、書きそびれた本をさかのぼるのではなく、基本的には今読んだ本について書いていきつつ、過去の本も交えていくという形にしようと思います。で、今年一番初めに読んだ本ってなんだっけ?と思ってツイッターをさかのぼったら、小沼丹の「藁屋根」でした。期せずして小沼丹が続いてしまった。

■「木菟燈籠」の時も書いたけど、「藁屋根」も年末に講談社文芸文庫から文庫版が出たので、年末年始に読もうと思っていたら、文庫本よりも安い値段で単行本を発見。記憶が正しければ「木菟燈籠」を買った古本屋さんと同じところ。気が早い古本屋。
内容も大寺さんの若い頃の話、谷崎精二を中心とした作家たちとの交流を描いたもの、そしてチロルやミュンヘン、イギリスを訪れた際の紀行文が収録されている短篇・随筆集で、「木菟燈籠」と同じといえば同じ。そしてこの本でもやはり大寺さんものがおもしろい。
特に大きな出来事が起こるわけでもなく、大寺さんと奥さんの日常が描かれているだけなのですが、ちょっとした不思議な縁で繋がったり、大寺さんが見る光景が少し現実離れする瞬間があったり、登場人物たちの会話のあいだで「え?なんでその表情?」みたいな描写があったりしてひっかかってしまう。特に大寺さんの話に対する奥さんのリアクションが不思議。奥さんが変わった人というわけでもなく、9割は普通の夫婦のやり取りが描かれているし、不思議といっても目立ったリアクションが描かれているわけでもないので、うまく説明できない。気になったところを引用すればいいんだろうけど、面倒なのでやりません。引用しても伝わるかどうかもわからないし。
あと、昔、銀行だったお屋敷の2階や小学校の片隅などに住んでいるという設定が、日常を描いているのにどこか非日常ぽいという全体の雰囲気を方向づけていると思う。

■1月の初めにNHKのBSプレミアムで再放送されたスティーヴ・ライヒの80歳記念コンサートを録画して、週末にシャツにアイロンをかけたりしながら少しずつ見てる。反復されるフレーズを聴きながら演奏者の動きを見ていると、ついでテレビのほうに夢中になってしまうくらいおもしろい。実際にここの演奏者がどういう風に演奏しているのかはわからないけれど、手の動きが入るが音を補足してて、音だけを聴いているよりも曲の構造が分かるような気がする。いや、ほんとうは全然分かってないんだけど、そういう錯覚してしまう感じがいい。実際に演奏されている音を聴いたら、ホールでの響きも合わさってまた違ったように聴こえるんだろうな。一度でいいので聴いてみたい気もする。年齢的にスティーヴ・ライヒがまた来日することはないのかもしれないけど。でも、手の動きなしで遠くで大きなアクションなどもなく小さく演奏している人を見ながら、これらの音楽を薄暗い中で聴いていたら絶対寝ちゃうと思う。
そういえば、1990年にステファン・グラッペリが初来日した時に、80歳を超えてるので年齢的にこれが最初で最後の来日になるかも?という紹介がされてたのに、その後、亡くなる直前くらいまで何回か来日してて、ステファン・グラッペリすごい、と思ったことを思い出した。でも、来日するたびに行きたいと思いつつ、結局行けなかったんですけどね。