「呑めば都―居酒屋の東京」-マイク・モラスキー-

-■著者のマイク・モラスキーは、アメリカのセントルイス市生まれで、大学を卒業後、日本に留学しそのまま日本で暮らし、一橋大学で社会学の教鞭をとったり、ジャズ・ピアニストとしてライブハウスで演奏したりしているとのこと。そんなアメリカ人の著者が、普段飲み歩いている東京の赤提灯について書いた本。登場するのは溝口や府中、立川、洲崎、赤羽、立石、西荻‥‥といった東京の周辺の路地にある居酒屋で、そのお店や周辺の地域の成り立ちや店主や常連客とのやり取りがつづられている。銀座とか六本木、新宿といったところは出てこないところがおもしろい。
社会学の教授らしく、戦後から今にいたるまでの町の変遷などを、古くから住む人からヒアリングしたり、図書館などの文献を調べたりしているし、文章もかなりしっかりしているので、読んでいると、これを書いたのがアメリカ人であるということを忘れてしまう。日本酒についての知識も深いし、居酒屋に対する基準も厳しい。本屋さんでこの本を初めてみたときは、居酒屋についてアメリカ人が書いているのはめずらしいし、どういう印象を持っているのだろうか?アメリカとどう違うのだろうか?などと思って手にとってみたのですが、そういう意味では、こういう居酒屋について語っている本を出している日本人と感覚的にはそれほど変わらないかもしれない。ただ日本人が書くとどうしても子どもの頃の町の記憶などと結びついて、どこかノスタルジックな感情が出てきてしまったりするけれど、この本では、開発によって自分の好きな居酒屋や町の横丁が消えていくことに対する焦燥感はあるにせよ、そういうノスタルジックなところは希薄なところがいい。

-■個人的には、ここに取り上げられているような飲み屋は好きだけど、わざわざ行くのもなんだよなぁと思ってる。自分の生活圏の中で、チェーンではなくて個人でやっているところで、そこそこおいしくて、一人で居ても居心地が悪くなければ、わたしはいいです。それほどたくさん飲めるわけでもないので、どこかにいって飲み屋をはしごするということもできないしね。
あと、たいてい一人で飲みに行くときは、平日休日かかわらず、古本屋やレコード屋に行った後が多いので、立ち飲みはきつい。まぁいろんなところに行って飲んで楽しそうなので、ときどきどこかに行ってみたくはなりますが。

「魔法の夜」-スティーヴン・ミルハウザー-

-■夏の夜更け満月の下、眠らずに町をさまよう人々を描いた作品。何年もひとつの小説を書き続けている39歳の独身男性やマネキン人形に恋する酔っ払い、仮面を着けて家屋に忍び込む少女たちの一団、屋根裏部屋の人形、14歳の少女‥‥といった登場人物たちの、ひと夜におきるそれぞれの物語が、短いセンテンスで同時並行的に語られいき、ときに交差しながら全体の物語が進んでいきます。
一つ一つの文章が短いので、状況をつかみ取れないまま次の登場人物が出てくるし、気がつくと前に出た人物がまた出てきたりするので、最初はちょっと戸惑うし、見落としもかなりあるんじゃないかと思う。でも、読み進めていくうちに次第に物語の中に入り込んでしまい、読み終えると不思議な感触が残ります。
しかし夏の夜の話ということがわかっていて、しかも帯に「月の光でお読みください。」と書いてあるのに、なんで冬のこんな時期に読んでしまったんでしょうね。夏の夜に読んで、読み終わったらそのまま外に出て、夜の町を散歩しながら物語を反芻したり、余韻にひたったりしたくなる作品でした。

■23日から25日かけて西調布にある手紙社のEDiTORSで行われた3Days Bookstoreが終了しました。開会期間中たくさんの人に来ていただきありがとうございました。本をとってじっくりと眺めたり、置いてあるイスに座って本を読んだりする人が多く、野外のイベントなどと違いゆっくりとすごしていただいた人がたくさんいて、よい雰囲気のお店になったのではないかなと思っていますが、いかがでしたでしょうか。
カヌー犬ブックスとしては、よかった点もありつつ、反省点もたくさんありました。次回は来てくれた人が、より楽しめるような本を並べられたら、と思っています。また個人的には、一緒に出展した古本屋さんの方とゆっくり話せたりして、いろいろ勉強になりました。野外のイベントで、ブースごとに会計を行う形ですと、自分のブースの対応で手一杯でなかなかほかの出展者の方と話す機会ってないんですよね。皆さんすごい人ばかりで話がおもしろい!

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「オディール」-レーモン・クノー-

-■アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」を読んだのはいつのころだったのだろうか?20代の前半だったと思うけれど、もうすっかり忘れてしまってます。いや、そもそも内容をちゃんと理解していたかというと、たぶん、してない。
これは、レーモン・クノーが若いころに参加したシュルレアリスム運動への参加と訣別、そしてオディールとの恋愛を描いた自伝的な小説。
登場人物も実在の人物をモデルにしていて、解説を読むと誰がどの人物なのか書いてあるのですが、もともとどんな人物なのかわからないので、どういう風に解釈すべきなのかもわかりません。
それよりも、徴兵でアラブに赴き、帰ってきた21歳で生まれたと宣言し、数学に耽溺している主人公が、シュルレアリスム運動にかかわることによって、より現実の世界に根ざした自分に生まれ変わるというストーリーと、容姿や性格、そして何を考えているかなどまったく書いていないオディールとの不思議な恋愛物語として素直に楽しめました。
ひさしぶりに「地下鉄のザジ」を見たくなった。

■「地下鉄のザジ」と言えば、20代の頃、ルイ・マルの「鬼火」がベスト5に入るくらい好きだった。アルコール依存症の治療を受けている人生の虚無に憑かれた主人公のアランが、自殺するまでの2日間を描いた作品。昔の友人や恋人に会いに行くものの容赦のない陰口を言われ、自暴自棄になっていく様子がエリック・サティのピアノをバックにモノクロの映像で映し出されていく。この映画を見た当時、自分もモラトリアムの時期で、友だちが次々に就職して一人取り残されていく状態だったこともあり、ものすごく主人公に共感したものだけれど、20年以上経った今、改めて見直したらどんな印象を受けるのだろうか。逆に当時はそれほどお酒を飲んでいなかったにたいして、今はけっこう呑むようになってしまったので、アルコール依存症として共感できちゃったりして(それはそれでしゃれにならない)。夜中にワインとか飲みつつDVDを見てみますかねw

■ところでこの「鬼火」はピエール・ドリュ・ラ・ロシェルの「ゆらめく炎」という作品が原作になっているということをはじめて知りました。ピエール・ドリュ・ラ・ロシェルは、第二次世界大戦中、反ユダヤ主義の雑誌に寄稿するなど、ファシズムを賛美する活動をしていた作家らしいです。そしてドイツの旗色が悪くなった1945年3月にレジスタンスによる復讐を逃れるため自殺したとのこと。
ヌーヴェル・ヴァーグに分類される監督の映画の原作が、そういう経歴の作家の本だったということにちょっとびっくりしている。こちらも読んでみて、映画と比べてみたいけど、なんか読んでてつらくなりそうな小説みたいなんですよねぇ。

-■さて、3days Bookstoreまであと2日。直接3days Bookstoreとは関係ないけれど、ひさしぶりに古本屋だけが集まるイベントに参加するということで、なんとなく古本屋について考えたりしてる。今回参加する古本屋は、それぞれ特色や得意分野があって、そうした古本屋が集まることで、3日間だけ一つの古本屋を開く、というのが、コンセプトの一つなのだけれど、古本屋って基本的に日本全国で同じ古本屋はないんですよね(ブックオフとかのチェーンはまぁ置いておきます)。特に取り扱う本のジャンルを決めていないどんな町の古本屋でも、買取の本はそれぞれ違うし、仕入れる本も違う。新刊の本屋だったら、今月出る新刊がどのお店にも並ぶのだろうけど、そういうことはない。
だからわたしの認識としては、古本屋というのは、1店舗のみだけでなく、(日本全国と言っちゃうと広すぎるので)自分が行ける範囲内の町にある古本屋全部を合わせて一つの古本屋なんじゃないかなと思う。そうやって各古本屋が集まることで、幅広いジャンルの本をカバーし、かつそれぞれのお店で古い本を扱うことで時間軸の幅も広がっていくわけです。
いうなれば、新刊の(特に大型の)本屋さんは今ある本を幅広く扱うことで面を広げていっているのであくまでも平面なんだけど、古本屋は、いくつもの古本屋が集まることで面を広げつつ、各店舗で時間を掘り下げることで深さ(高さ)が出てくるので立体になるんじゃないかな、と。
そんなわけで、今回の3days Bookstore、いい形の立体になるといいな、と思ってます。

「紅茶と薔薇の日々」-森茉莉-

-■幼いころに食べた森鴎外から伝わった欧風の料理や、パリで食べた料理、住んでいる下北沢周辺のお店、そして森茉莉自身が作る料理の紹介など、食についての文章を集めたエッセイ集。もともとは編者の早川茉莉が単行本に入っていない文章を集めていて、それを一冊にまとめる予定だったとのことですが、紆余曲折あり結果としてテーマ別にまとめたとのこと。このほかにもファッションについて、生き方についてのエッセイ集が出てます(もっと出てるのかもしれないけどわかりません)。
「私的読食録」での角田光代の言葉を、また思い出しちゃうんだけど、女性らしくかなり詳細に食べものそのものや作り方について書かれてるし、自分の好きなこととそれ以外のときの落差があって、ある意味わかりやすいのかもれないけれど、どこかつかみどころがない。そして、ものすごく女性っぽい文章だと思うけど、なんとなくつい引き込まれてて読んでしまう。でも文章を読んでいて、自分がちゃんと理解・共感できてるかというと、自信はない。
まぁそんなことを言えるもの、エッセイしか読んでないからかもしれません。もし「甘い蜜の部屋」などの小説を読んだから違う印象になる気がするけど、どうなんでしょ。いや、逆にそれが怖くて小説を読んでない、とも言えるかも?

■森茉莉が下北沢でよく行く喫茶店や食べもの屋などについてエッセイに、添えられたお店の場所などを示す手書きの地図がいい。手書きなので取り上げられているお店のほかには最小限のことしか描かれていないけれど、なんとなく手書きの地図って見てるだけで楽しい。
いつか手書きの地図が描かれている本を集めてカヌー犬ブックスで特集してみたい。と言っても、すぐに思いつくのは松浦弥太郎の「居ごこちのよい旅」くらいですけどね。これは、雑誌「coyote」に連載されていたときから好きでよく読んでいて、特にサンフランシスコの地図は、サンフランシスコに行ったときに雑誌を切り取って持って行った思い出がある。若木信吾の写真もいいし、文庫にもなっていますが、大きなサイズで持っていたい本。

-■3days Bookstoreまで、もう2週間を切って少しずつ準備を始めてます。今回は古本屋さんだけのイベントなので、基本的にはいつものように料理随筆とかレシピ本とかが中心になっちゃうんだけど、今まで持っていくのに躊躇していた文芸書なども持っていくつもりです。場所も落ち着いた雰囲気になると思うので、ゆっくり見ていただいて、気になったものがあれば、どこかに座ったりしてちょっと読んでもらえればと思います。
食べものについての随筆って、書いている作家も、小説を書くときよりはもちろん、随筆としても、題材的にも世相などについて書いているときよりも、どこかリラックスした感じで書いていて、読むほうも気楽に読めるし、逆に小説などではあらわれない作家の素顔も垣間見れたりします。なので、今まで興味のなかった作家や敬遠していた作家の本でも、ちょっと読んでみると、見方が変わるのではないかとも思うので、こういう機会に手にとってもらえるとうれしいです。

「親馬鹿始末記」-尾崎一雄-

-■尾崎一雄と尾崎士郎という二人の作家の娘は、両方とも同じ一枝という名前で、年も1歳違いらしい(もちろん苗字は両方とも尾崎)。それをネタに赤ちゃんの頃のエピソードから同じ大学に入るという顛末、そして結婚し姓が変わるまで(結婚した時期もほぼ同時期という‥‥)をつづった作品を中心に、息子や次女のこと祖父のことなどをについての作品が収録された短編集。(尾崎一雄の場合、短編集と書くべきなのか随筆と書くべきなのかいまいちわからない)
同じクラスになって、先生が「あなたのお父さんの商売はなんです?」と聞くと、二人とも「小説家です」と答える。さらに先生は、「尾崎という小説家は二人いますが、いったいどっちの尾崎さんです?」と聞くと、二人は「うちのお父さんは、小説のうまいほうほうの尾崎です」と答えるという妄想が楽しい。売れてるとか人気があるとかではなく、「小説のうまい」という表現がいい。そういう関わりもあってか二人は仲もよく、後年、共著で、「ふたりの一枝」という本も出しているとのことです。

-■暁が4月に小学校に入学するので、入学祝を兼ねてうちの親に学習机を作ってもらい、週末にうちに来て組み立てました。父親は特にそういう仕事をしていたわけでもないけれど、昔から日曜大工が好きで、たぶん、実家にある家具の半分くらいは手作りなんじゃないかと思う。大学生の頃、外においてあった物置が壊れて、買いなおそうとしたときに、「丈夫なものを買ったら高い。自分で作ったほうが安く済む」と言い出して、作ってみたものの、下にものを入れられるように高くしたり、扉もちゃんとしたサッシを入れるなどして、買った場合よりも倍以上の出費になってしまったこともある。でも、それから25年くらい経ってるけど、いまだにその物置を使っているので、結果的にはよかったのかもしれないですけど。
話を戻すと、うちの兄弟に作ってもらった机は、もともと甥っ子に作ってものと同じ形で、妹がどこかの机のパンフレットを渡して、それに似せて作ったもの。今回で3台目なので、ところどころが改良してあったり、引き出しなどもよりスムーズに引き出せるようになっていたりして、作った本人はかなり満足してました。暁もようやく自分の机が来て喜んでて、机の前で座ったり、本を並べてみたい、なぜかランドセルをしょってみたりしてましたが、3年生くらいになるまでは、リビングのテーブルで宿題などをすると思うし、当分使わないんでしょうね。

■わたし自身は日曜大工で何かを作ったりすることもないし、上手に作れるわけではないので、子どもの頃に遊んでばかりいないでもっと父親の手伝いをすればよかったと今になってみると思う。と言っても、作りたいものはカヌー犬ブックスが出店したときの什器とかなんで、作ったとしても普段の置き場所がないというのが、作ら(れ?)ない一番の理由なんですけどね。在庫の本も含めていろんなものを収納できる倉庫がほしいー

■ところで、この短篇集の中の一篇に、尾崎一雄が、自分の敷地内になる大木を切って材木として売って欲しい、と言われ、いろいろ迷いつつも、他人に売るなら自分は器用なのでこけしでも作って、顔は奥さんに描いてもらって、商売でもしようか、というくだりが出てくる。
うちもお正月とかに親戚が集まった時など、売って商売にすればいいのにと言われていたけど、父親にそういう気はまったくなかったらしい。作るのはもっぱら自分の家の中のものだけで、近くに住む親戚などに頼まれたりすることもなかったな。あと何十年か若かったらネットで売ったり、請け負ったりすることもできたかもしれないけど、その辺はほんと疎いというか、まったく興味ないからなぁ。父親の興味のないものに対しての無関心さはなんなんだろう?とずっと思ってたけど、気がつけば自分がそうなってたりするからほんと怖い。そういえばそんな話を最近飲んでるときにしたな。

「北園町九十三番地 天野忠さんのこと」-山田稔-

-■かなり前に買ってはみたものの、天野忠という詩人についてはまったく知らないし、山田稔の回想がいくらおもしろいうはいえ、一人のことで一冊はちょっとハードル高いかなと思って、そのままにしてなってました。実際読んでみたらどんどん引き込まれてしまって、一気に読んでしまった。もっと早く読んでおけばよかったということと、もっとゆっくり読めばよかったという2つの後悔。
天野忠は、山田稔が若い頃に非常勤講師を勤めていた奈良女子大の図書館に同時期に勤めており、両方とも家が京都だったことから、帰り道に一緒になったエピソードから始まり、その何十年後かに、天野忠が読売文学賞を受賞したことを新聞で見つけ、手紙を出したことから本格的な交際が始まります。お互いに自分の著作を郵便ポストに入れ合ったり、編集者と同行して天野忠の家を訪ね、文学について映画についてなどの話を、出されるお酒を飲みながら聞いたりという話が、天野忠の詩や随筆の内容とともにつづられていきます。
最後に天野忠が亡くなったときに、山田稔が奥さんに「何度も伺わせていただいて、ありがとうございました」と言うところなど、これまでの交際の様子が一気によみがえってくる。そして、その頃、山田稔もやっと定年退職して、「わたしは、いつでもヒマですさかい」と言える身分になったのに、天野忠はいないという余韻で、ちょっと泣いてしまいました。
ところで山田稔によると天野忠は詩もいいけど、それよりも随筆がよいとのことなので、読んでみようと思い、amazonで調べてみたら、ほぼ全部在庫切れでした。気長に探してみることにします。(いつ手に入ることやら)

■前回、「平野甲賀と晶文社展」に行ったことを書いたけれど、この本の装丁は平野甲賀なので、今回に残しておけばよかったということに今気がつきました。晶文社じゃなくて編集工房ノアですが。

-■このところ、1980年代に活躍したイギリスのブルーアイドソウルやフェイクジャズ、ファンカラティーナなどのレコードを聴いている。ブロウ・モンキーズやキュリオシティ・キルド・ザ・キャット、ファイン・ヤング・カニバルズ、ワーキング・ウィーク、カリマ、ニック・プリタス、モダン・ロマンス‥‥などなど。去年、DDFCの80年代特集でDJをさせてもらったときに、改めて聴いてみて、いいけどもう当分は聴かないんだろうなと、思っていたんですけど、一年もただないうちに自分の中でのブームが復活という感じ。この辺をよく聴いていた高校生の頃(1985年~1987年)がちょっと懐かしい。
わたしは、高校くらいまでちゃんとジャンルを意識して洋楽を聴いてなくて、テレビやラジオなどで流れてきた曲でいいと思ったものを聴いてただけだったんですよね。アズテック・カメラやニック・ヘイワード、ハウスマーティンズを聴いてるときもぜんぜんネオアコということを意識してませんでした。そもそもネオアコという言葉を知ったのは、高校3年の終わりくらいじゃないか?という。
そんな中、唯一緩やかにジャンルを意識してたのが、この辺のバンドだったのです。たぶん「ビギナーズ」を見て、その後、サントラを買ったということが大きい。このサントラでいろんなアーティストがつながって、広がった気がしますね。ちょっと話が違うけど、サントラに収録されていたスリム・ゲイラードを聴いてジャイヴをいう音楽を知ったりしました。当然のことながら映画の内容自体は、もうまったく覚えてません。今度、DVDを借りて見てみようかしら。

■どのレコードを聴いてもソウルやジャズそのまま演っているわけではなくて、ソウルやジャスをベースにしながら80年代の音楽を再構築しているので、本格的なソウルやジャズを聴いたあとでは、打ち込みの音や軽めのサウンドが物足りない。と、90年代以降ずっと思ってたし、なにかの折りに実際に聴いてみてもそういう感想しか持ってなかったんですが、今聴くとそのブレンド感や軽さがいい。こういうあからさまな折衷音楽ってもうないんじゃないかな。でも自分の好きな音楽をベースに新しいものを作ろうという気概は伝わってきます。でもその新しさが、時を経てひどく古いものになってしまった、という事実はあるし、今後も当時を知らない若い人たちに、これらの音楽が再評価されるということもないんじゃないかと思うけれど。

「ちょっと町へ」-常盤新平-

-■経済界という会社から出ている「蘇る!」という雑誌に1995年から1998年にかけて連載されたもの。1回だけ経済界大賞の授賞式に行ったときの様子をとりあげてるけど、ほかは町田に引っ越す前によく行っていた平井や神保町、銀座、浅草などに行き、行きつけのお店でごはんを食べたり、喫茶店でコーヒーを飲んだりする様子がつづられています。なんで、経済の雑誌に3年にもわたって連載されたのか不思議。どんな人が読む雑誌なのでしょうか?雑誌を読む人たちにどのように受け入れられたんでしょうか?
行く場所はたいてい同じで、連載中に同じお店が何回も出てきたりします。お店の紹介にフォーカスしたものではないけれど、同時期に出た「東京の小さな喫茶店」の食べもの屋さん編とも言えるかもしれません。
先日読んだ「私的読食録」で、角田光代が、「昔の男の人って『食べものについてまずい、旨いをいうな』と言われて育ったせいか、男性作家は何がおいしいとかあまり書いていない気がする」と言っていたけど、この本でも、お店で食べるものそのものよりも、お店の人との関係や、お店の成り立ち、一緒に食べている人との話などに重点が置かれている感じですね。
2000年以後の常盤新平の本は、過去のことの悔恨や歳を取ったことの嘆きなどが強く出ていて、10代の頃から読んでいるわたしとしては、複雑な気持ちになってしまうんですが、(それがまたよかったりする)ここでも歳を取った嘆きが随所でつづられているけど、来年見る桜に思いをはせたりして、ところどころに明るい部分があって救われるところがあって、ほっとします。この頃(1990年代半ば)の本を最近読んでないけど、2000年代の本を読んだ上で読み直したら、初めて読んだときと違った印象を受けるような気がします。

-■土曜は、ギンザグラフィックギャラリーで開催されている「平野甲賀と晶文社展」へ。
1階では自身の装丁と舞台やコンサートのチラシやポスターを手直しし、大きめの紙に刷り出した作品が、B1では、晶文社の装丁本が展示されているという構成でした。
普段、本などで見るものよりも大きいサイズで、4つの壁に90点もの作品が展示されているのを見ると、改めて平野甲賀の描く文字の力強さを感じてしまいます。文字の形や文字と文字とのレイアウトの構成など、普段、なんとなく平野甲賀の文字だなと、思いながら見ているだけでは気がつかない発見もあったりしました。もしもカヌー犬ブックスが店舗を持つことがあったら、お店のどこかに飾りたいと思う。(絶対にないと思うけど)
B1の書籍の展示のほうも、展示数が多く、また見たことのない本もあったり、シリーズでまとめられて展示されていたりして、楽しかった。読んでみたい本、手に入れたい本がたくさんあって、欲しくなってしまったり、また昔、持っていたけどもう手放してしまった本があると、懐かしい気分&やっぱり手放さなければよかったなどと思ったりしました。
せっかく銀座に出たのだから、事前にもう少しちゃんと調べて、ギャラリーめぐりをすればよかったと後悔してますが、当日は、高円寺の古書展から御茶ノ水→神保町で、本やレコードをたくさん買ってしまい、荷物が重くて仕方なかったので、じっくり散歩するという感じではなくなってしまったんですよね。

-■さて、3月23日から25日の3日間、手紙社の西調布にあるEDiTORSで開催される3days Bookstoreに参加します。参加する古本屋さんはMAIN TENTさん、古書まどそら堂さん、古書モダン・クラシックさん、古書玉椿さん、クラリスブックスさん、古書むしくい堂さんとカヌー犬ブックスの7店。よくある古本市のように7つの古書店がそれぞれ出店する、ということではなく、7つのお店が集まって、3日間限定の古書店をひらくというコンセプトで、キッチンや休憩広場(?)などもともとあるEDiTORSの設備を活かしながら、ちょっと変わった雰囲気の、でも本好きの人に楽しんでもらえるような古本屋にしたいと思っています。皆さま、ぜひ遊びに来てくださいね。

 【開催概要】
 日程:2018年3月23日(金)~3月25日(日)
 時間:11:00~18:00
 入場料:無料
 会場:EDiTORS(東京都調布市下石原 2-6-14 ラ・メゾン 2階)

「私的読食録」-角田光代、堀江敏幸-

-■小説、絵本、詩集、料理本など、さまざまな本で登場する「食」について、角田光代と堀江敏幸が交互につづったエッセイ集。雑誌「dancyu」での連載をまとめたものになります。単行本にするにあたっての二人の対談も収録されてます。基本的に今手に入る本を紹介しているので、読みたい本をリストにして本屋さんで探してみるのにちょうどいいと思います。
なんとなく、角田光代は食に関する表現について語ることが多くて、ときには、小説に書かれている食べものを実際に食べた気にさえなって、実際にそれを食べた時に違和感を覚えたりするのに対して、堀江敏幸のほうは、その本に書かれている食にいたるまでの過程だったり、意味合いを語ってることが多いように思う。ただ、その意味合いが堀江敏幸の過去の経験やほかの本に出てくる同じ食べものについて書かれていたりするので、一読すると論理的な気がするけれど、よく考えると論理的でもない気がします。
そういう意味では、二人とも普通の食べものに関するエッセイとは、どこかアプローチが違っていて、しかも二人のアプローチが違うので、紹介されている100冊もあるわりには飽きずに読めてしまいます。まぁ個々の文章が短い、ということもあるんですけどね。
角田光代の本は読んだことがないので、よく分からないけど、堀江敏幸は、掲載している雑誌が「dancyu」で、かつ短めの文章ということで、ほかの本での本の評論と違ってさらりとしている。堀江敏幸の本の紹介(評論)って、いろいろ枝葉が広がって複雑になってしまって、まぁそこがおもしろいと言ったらおもしろいんだけど、読んでて迷子になってしまうことがわりとあるのです(わたしの理解力が低いせいもあります)。

■週末は吉祥寺のにじ画廊でやっていた渡部知樹くんの個展へ。わりと明るい色調の抽象画で、これまでの個展で展示されているものを大きくは変わらないのですが、じっと見ていると前回とはどこか違う雰囲気があって、それがなんなのか分からないけれど、年を追いつつ何回か個展に通っていると(というほど毎回見ているわけではない)、その変化の移り変わりがおぼろげな感情として浮き上がってくるような気がするけど、それがなんなのかはわかりません。知樹くんにしかわからないのかもしれないし、知樹くんにも分からないのかもしれない。
今回、展示されていた絵では、赤い線を基調とした「背景」という絵が、なんとなくひかかったのだけれど、でも実は、一番ひかれたのは、ソファーの後ろにあった、はがきサイズの小さな絵だったりします。具体的なものが描かれているような感じなんだけど、でもなんだかはっきりはしてないのに、小さなサイズの中に行儀よく絵が座ってるという感じがよかったです(なに書いてるのかわからない)。
そのほかにもおなじみの鳥のオブジェやこれまでの活動のスクラップ帳、一冊ずつしかないちょっとシュールな絵本などが置いてあって、あれこれ見ていると、なんかほっとしたりしました。そう、知樹くんの作品って、見てるとなんだか幸せな気分になるんですよ(気のせいかもしれないけど)。そして今回も鳥オブジェを一つ購入。展覧会に行くたびに一つずつ買っている鳥もけっこう集まってきました。

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「ナイフ投げ師」-スティーヴン・ミルハウザー-

-■すこしずつ海外文学の本を読むのを増やしていこうと思っているけど、なかなか読めません。昔名に読んでたんだろ?で、ミルハウザー。ミルハウザーの本を読むのはほんとひさしぶり。「イン・ザ・ペニー・アーケード」や「バーナム博物館」など、この作家の作り出す世界が大好きでした。
「イン・ザ・ペニー・アーケード」は、白水社の「新しいアメリカの文学」シリーズから出てて、このシリーズはほとんど読んだんじゃないかな。ポール・オースターの「鍵のかかった部屋」やティム・オブライエン「僕が戦場で死んだら」などもこのシリーズに入ってました。1990年代くらいまでは、同じ白水社から「新しいイギリスの小説」や「新しいフランスの小説」、集英社から「ラテンアメリカの文学」(これは80年代か)、国書刊行会から「文学の冒険シリーズ」など、海外文学の新しい作家を紹介するシリーズがいろいろなところから出てて、片っ端から読んでました。最近は、わりと有名な作家の全集ぽいのは出てるけど、新しい作家を紹介するということがあまりなくなってしまっている印象なのですが、どうなんでしょうか。新潮社のクレストブックくらいですかね。わたしが知らないだけかもしれませんが。ちゃんとチェックしてないという前提で言うと、翻訳という作業が入る分、新しい洋楽を聴いてない音楽ファンよりも、新しい海外文学を読まない本好きのほうが、今は多いんじゃないか?という気もします。

■「イン・ザ・ペニー・アーケード」でもう一つ言うと、b-flowerの「ペニーアーケードの年」というアルバムが出た時に、この人たちもミルハウザーが好きなんだな、と思って、すぐにCD屋で探しに行った思い出があります。音も繊細なサウンドで、歌詞もどこか不思議な感じがして、勝手にミルハウザーとか好きな人の歌だよなぁ、などと思ってました。でもあとから考えると、多分、ペニー・アーケードというバンドのほうのことを言ってたんですよね。ファンの勝手な思い込みでした。
b-flowerは活動休止期間もあったけれど、近年また活動を再開して、年末にはThe Laundriesと対バンでライブをやっていたりしてます。活動再開後はシングルしか出してないんですが、アルバムが出たらまた買うかなぁ。

■さて、「ナイフ投げ師」ですが、表題のナイフ投げや自動人形の作家、遊園地や百貨店の経営者など、前時代的なものが取り上げられ、その魅力に人々が熱中していくにしたがって、その快楽を提供している側もどんどんエスカレートして最後には‥‥という話が、独特の語り口で語られていきます。次にどんな展開が起き、どんな風に人々が熱狂していくのか、そしてどこに向かうのか、独特の世界が題材として取り上げられているだけに予測できないし、読み進めるにしたがってどんどん濃密になっていく世界に引き込まれてしまいます。
翻訳者の柴田元幸もあとがきで書いているように、これ以上、この世界を書き続けてたら、ミルハウザーはどこへ行ってしまうのだろうという気持ちになってしまうけれど、作品で描かれている、遊園地や自動人形館に熱中する大衆のように、作品を読むごとに引き込まれていってしまうのかもしれません。

「猫は夜中に散歩する」-田中小実昌-

-■前回もちょっと書いたけれど、前半は、戦中に徴兵されたときのことから、戦後まだストリップという名称もない時代にストリップを始めたこと、その後、バーテンやテキヤなど職を変えたころのできごとなどがつづられており、後半は自身が翻訳した小説の解説を収録している。自身の体験については、ほかの本で読んだことのある内容が多いし、解説のほうは推理小説が多いので、小説自体は読んでないものばかりなのですが、語り口がいいのでついつい引き込まれてしまう。まぁ飲み屋で奥に座っている常連さんの話を聞いてるという感じでしょうか(単なるイメージです)。
ただ前述のストリップの話や、飲み屋で女の子が田中小実昌の”もの”をひっぱる描写が繰り返される話、女の子と熱海のホテルに行く話とかそういう話が多いので、なんとなく昼休みに会社の社食で読んでいると、ここでこれ読んでていいのかな?という気にちょっとなってしまったりした。別に一人で食べてるので、周りに知り合いがいるわけでもなく、いたとしても田中小実昌に興味を持つような人はいないと思うので、どんな本を読んでるかなんて、人に言う機会もないんですけどね。

■3連休の日曜は、子どもたちのレスリングの大会へ。といってもわたしは自分の子どもたちが試合の時間前後に会場に行って、試合を見るだけでしたが。レスリングに限らないと思うけど、個人競技の大会はどうしても待ち時間が泣かくなってしまいますよね。子どもたちは、8時半に西早稲田の会場に行って、終わったのが6時半でした‥‥
うちはそれほど本格的にやっているわけではなく、週に1回程度の練習なので、まぁ体の動きがよくなればいいかな、という感じなのですが、ほかのチームの子どもたちはかなり真剣にやってて、もう構えも動きも違う。うちのチームなんて、出番が来るまでお菓子を食べたり、スマホでゲームしたり、追いかけっこしたりしてたけど、ほかのチームはずっと練習してましたから。
そんな状態ですが、こういう試合がきっかけになって、練習を真剣にやれるようになればいいかなと思ったりしてます。

■で、お父さんはそのあいだ何をしていたかというと、古本屋や中古レコード屋に行っていたわけですが、西早稲田ということで、近くの戸山ハイツを歩き回ったりしてました。戸山ハイツは、戦前は軍事施設が設置されていたところに、戦後、建設された都営住宅で、今残っているのは、1970年代に立て替えられた鉄筋コンクリートの高層住宅になります。近くには箱根山を中心とした戸山公園があったり、図書館、郵便局、幼稚園、小学校もあるというマンモス団地なんですが、高層住宅が多い分、それほど古い感じはしないです。あと、似たような形の建物が多く、敷地もかなり広いので、なんとなく歩き回っているうちに、もういいかな、という気分になってしまいました。普通に公園で家族連れの人たちが、遊んでいたりするし、実際はどうかわかりませんが、普通のマンションとあまり変わらないかも。転んだのか頭から血を出して老人が人に囲まれてて、救急車を呼んでいたりしましたけどね。
でもこういう団地ってWebで調べたりすると、たいてい外国人がたくさん住むようになったとか、年月が経って住んでいる人が高齢者ばかりになった‥‥みたいな書き方をされているけれど、わたしが歩いている印象だと、どこもわりと普通に公園で子どもたちが遊んでいたりして取り残されている建物、みたいなイメージはそれほどないです。お年寄りはあまり外に出ることもないだろうし、実際はどうなんでしょうねぇ。

■それから、今回は行かなかったけど、隣の東新宿には、軍艦マンションというのがあって、子どもが生まれる前のことなので、もう10年くらい前になると思うのですが、大久保の健保会館で会社の人10人くらいで、中華を食べて、そのあと散歩がてら、見に行ったことがあります。中まで入って歩き回ったり、途中の階のちょっと空いているスペースから上を見上げたりしました。どこかの部屋から爆音で音楽が流れてきたりしてましたね。その頃も、もう部屋自体をリフォームして、若い人たちなどが入居し始めてたりする記事が出ていたり、リフォームした部屋の内覧の案内が出たりしていたけど、今はどうなってるんでしょうか。次に同じ場所で大会が行われたときはちょっと見に行ってみたい。