■かなり前に買ってはみたものの、天野忠という詩人についてはまったく知らないし、山田稔の回想がいくらおもしろいうはいえ、一人のことで一冊はちょっとハードル高いかなと思って、そのままにしてなってました。実際読んでみたらどんどん引き込まれてしまって、一気に読んでしまった。もっと早く読んでおけばよかったということと、もっとゆっくり読めばよかったという2つの後悔。
天野忠は、山田稔が若い頃に非常勤講師を勤めていた奈良女子大の図書館に同時期に勤めており、両方とも家が京都だったことから、帰り道に一緒になったエピソードから始まり、その何十年後かに、天野忠が読売文学賞を受賞したことを新聞で見つけ、手紙を出したことから本格的な交際が始まります。お互いに自分の著作を郵便ポストに入れ合ったり、編集者と同行して天野忠の家を訪ね、文学について映画についてなどの話を、出されるお酒を飲みながら聞いたりという話が、天野忠の詩や随筆の内容とともにつづられていきます。
最後に天野忠が亡くなったときに、山田稔が奥さんに「何度も伺わせていただいて、ありがとうございました」と言うところなど、これまでの交際の様子が一気によみがえってくる。そして、その頃、山田稔もやっと定年退職して、「わたしは、いつでもヒマですさかい」と言える身分になったのに、天野忠はいないという余韻で、ちょっと泣いてしまいました。
ところで山田稔によると天野忠は詩もいいけど、それよりも随筆がよいとのことなので、読んでみようと思い、amazonで調べてみたら、ほぼ全部在庫切れでした。気長に探してみることにします。(いつ手に入ることやら)
■前回、「平野甲賀と晶文社展」に行ったことを書いたけれど、この本の装丁は平野甲賀なので、今回に残しておけばよかったということに今気がつきました。晶文社じゃなくて編集工房ノアですが。
■このところ、1980年代に活躍したイギリスのブルーアイドソウルやフェイクジャズ、ファンカラティーナなどのレコードを聴いている。ブロウ・モンキーズやキュリオシティ・キルド・ザ・キャット、ファイン・ヤング・カニバルズ、ワーキング・ウィーク、カリマ、ニック・プリタス、モダン・ロマンス‥‥などなど。去年、DDFCの80年代特集でDJをさせてもらったときに、改めて聴いてみて、いいけどもう当分は聴かないんだろうなと、思っていたんですけど、一年もただないうちに自分の中でのブームが復活という感じ。この辺をよく聴いていた高校生の頃(1985年~1987年)がちょっと懐かしい。
わたしは、高校くらいまでちゃんとジャンルを意識して洋楽を聴いてなくて、テレビやラジオなどで流れてきた曲でいいと思ったものを聴いてただけだったんですよね。アズテック・カメラやニック・ヘイワード、ハウスマーティンズを聴いてるときもぜんぜんネオアコということを意識してませんでした。そもそもネオアコという言葉を知ったのは、高校3年の終わりくらいじゃないか?という。
そんな中、唯一緩やかにジャンルを意識してたのが、この辺のバンドだったのです。たぶん「ビギナーズ」を見て、その後、サントラを買ったということが大きい。このサントラでいろんなアーティストがつながって、広がった気がしますね。ちょっと話が違うけど、サントラに収録されていたスリム・ゲイラードを聴いてジャイヴをいう音楽を知ったりしました。当然のことながら映画の内容自体は、もうまったく覚えてません。今度、DVDを借りて見てみようかしら。
■どのレコードを聴いてもソウルやジャズそのまま演っているわけではなくて、ソウルやジャスをベースにしながら80年代の音楽を再構築しているので、本格的なソウルやジャズを聴いたあとでは、打ち込みの音や軽めのサウンドが物足りない。と、90年代以降ずっと思ってたし、なにかの折りに実際に聴いてみてもそういう感想しか持ってなかったんですが、今聴くとそのブレンド感や軽さがいい。こういうあからさまな折衷音楽ってもうないんじゃないかな。でも自分の好きな音楽をベースに新しいものを作ろうという気概は伝わってきます。でもその新しさが、時を経てひどく古いものになってしまった、という事実はあるし、今後も当時を知らない若い人たちに、これらの音楽が再評価されるということもないんじゃないかと思うけれど。