「居心地のいい店」-小島政二郎-

私が勤めている会社の本社は名古屋にあるので、東京にいる人でも、単身赴任してきた人や週に3日だけ東京に来て残りを名古屋で仕事をするなんて人がいたりする。私は、営業でもないので、基本的にテレビ会議とメールでやりとりするだけで名古屋に行くことはほとんどないのだけれど、久しぶりに名古屋にいくとなるとちょっとウキウキしてしまう。特に今回は説明会と懇談会だけなので準備したりするものもないし、頭のなかはちょっと早めに行ってどこでお茶しようか、ということと、新幹線の中でどんな本を読もうかということだけだったりする。
片岡義男は新幹線の中で本を読むのが好きで、本を読むために新幹線で京都に行って帰ってきてもいいくらいだ、なんてことをどこかに書いている。逆に青柳瑞穂は、電車に乗って週刊誌などを読むのは一番もったいことで、車窓を流れる景色をみるのが一番贅沢なことだ、と言っているし、新幹線に乗ったら、行きは右に、帰りは左に富士山を見ないと気がすまない、なんてことを誰だったか忘れたけれど、書いている人もいたと思う。私としては片岡義男ほどでないにしても新幹線の中で本を読むのは好きだ。普通の電車よりも席は座り心地がいいし、ちょっと本に飽きたら窓の外を見たり、コーヒーを買ったりできるし、で、読み終わった頃に目的に着いていたりしたらうれしい。名古屋まで約一時間半。往復で3時間。家から品川まで往復で2時間弱。一日で5時間も読書時間にあてられることなんてめったにないわけで。・・・・と、思っていたのに、結局新幹線の中ではほとんど寝てしまって本を読むことはできず。ちなみに会場の近くにあったモンドカフェというところで、お茶しました。

その新幹線の中で読んだのが、この小島政二郎の「居心地のいい店」。小島政二郎で「居心地のいい店」なんていう題名がついていると、食べもの屋の話かな、と思ってしまいますが、そうではなくて「この本が(居心地のいい)そういう家でありたいと思っている」という気持ちを込めてつけられたタイトルらしく。基本的に身辺雑記のような内容となっている。その中でも銀座の風月堂の主人を描いた文章はその時代の職人(料理人)たちの気質が浮き彫りにされていておもしろいものになっている。

「テキサス無宿/キキ」-谷譲次-

みすず書房の「大人の本棚」シリーズで小沼丹と出会ったことが、私の読書生活に大きな変化と収穫をもたらしてくれた、といっても過言ではない。「素白先生の散歩」もおそらく元の本が手に入りにくいだけにうれしかったし、佐々木邦の「心の歴史」や小津安二郎の「『東京物語』ほか」戸川秋骨の「人物肖像集」などもいつか手に入れて読んでみたいと思ってる。思っているものの、なかなか買う機会がないのは、1冊2400円という値段のせい。だから“大人”の本棚なのかもしれないけど。大人だったら2400円くらいの本をさっと買えるようになりなさい、ということなんだろうなぁ。でも、古本屋に行くたびに、100円均一のコーナーを隅から隅まで探しているような私には、なかなか“大人”になるのは難しい・・・・。

谷譲次の本を読むのは初めてなので、解説に書いてある・・・・谷譲次、林不忘、牧逸馬の三つのペンネームを使い分けて、大正、昭和期に活躍した人で、林不忘の名前で「丹下左膳」などの時代小説、谷譲次の名前でアメリカに渡った日本人の生活を描いた「めりけんじゃっぷ」もの、牧逸馬の名前で探偵小説や現代小説を書いた。作家の長谷川四郎の兄。35歳で喘息による呼吸困難のため死去・・・・ということ以上のことは知らない。
「喘息による呼吸困難のため死去」なんていうと、20代の頃、喘息でしょっちゅうぜいぜい言っていた私としては他人事とは思えないわけで、若い頃は体力があるので、苦しくなったときに強引に力で押して、かろうじて息を吸うことができるけれど、30代になるとその体力がなくなってしまうのだろうな、と思う。話がそれますが、胃潰瘍になって以来、食べるたびに胃が痛くなってしまっていた生魚を、最近ようやく食べられるようになってうれしい。調子に乗って昼休みに海鮮丼など食べたり、刺身をつまみながらビールを飲んだりしてます。思えば、20代の後半は、喘息、胃潰瘍、ぎっくり腰を抱えた体で、フレックスの会社には1時過ぎに出勤、終電で帰ってくるか会社に泊まるという不健康な生活をしてました。終電で帰ってきて普通に吉祥寺で4時くらいまで飲んだりしてたものね。遅くとも1時には寝て、7時に起きるという今では考えられません。でもいろいろな足枷がなくなったらどうなることやら。基本的に人間は、制約がないと3時に寝て11時に起きるサイクルになりがちだ。というか、それが一番快適な一日のサイクルなのではないかと思うのだけれど、どうだろう。

閑話休題。
この「テキサス無宿/キキ」はその「めりけんじゃっぷ」ものとなるわけですが、英語の表記やカタカナが混じったリズム感のある文章は、大正、昭和初期とは思えないくらいモダンで、でもどこか昔の紙芝居のような語り口を感じさせる不思議な魅力があります。記憶があやふやなので具体的には挙げられないけれど、太平洋戦争前、大正後期から昭和初期にかけてのヨーロッパ・アメリカ滞在を直接・間接的に描いた本を、まとめて読んで見るのもおもしろいかもしれない。

「ポラロイドライフ」-モノグラム-

PickwickWebのほうを調べてみたら、私がポラロイドカメラを手に入れたのは、2003年の2月でした。コツコツとページを更新しているとこういうときに便利。といっても、前回、京都に行ったときに買ったので、わざわざ調べるというほどでもない。そのあと、北欧旅行やイギリス旅行に持っていって、旅の雑記帳を作ったりしたけれど、普段はそうそう持ち歩くこともなくて、去年は旅行にも行かなかったので、棚の下に入れっぱなしの状態になってしまってる。やはりモノがモノだけに普段の生活の中でちょっと撮って・・・・というわけにはなかなかいかないですね。来月は京都や神戸に行く予定なので、そのときは持っていっていろいろ写してみようと思ってます。今から楽しみ。その前に、練習をかねて、たまには家の中のや周りのものをポラロイドで写してみよう。

「田中小実昌エッセイコレクション1 ひと」-田中小実昌-

根気がないのか、あきっぽのか、一つのシリーズをきちんと集めると言うことができなくて、「田中小実昌エッセイコレクション」もまだ全部読んでいなかったりします。もう刊行されて3年近く経っているのでそろそろそろえておかないと手に入らなくなってしまいそう。田中小実昌の昔の本は高くて買えないので、少なくともこのくらいは、と思う。ちなみ実を言えば、出ると知ったときはあんなに盛り上がったちくまの「井伏鱒二文集」もそろってなかったりします。
「ぼく」「おんなたち」「酔払交遊録」「作家たち」「家族オペレッタ」「戦友・旧友」と章に分けられた交友録。個人的には梶山季之から山口瞳そして植草甚一に続く流れがねぇ・・・・たまらないわけですが、田中小実昌のおもしろさという点ではどうだろうか。やはり新宿の飲み屋のおねーちゃんたちとのやりとりを読んでいる方がおもしろいし、この人にしか描けないものだと思う。

週末の話になってしまいますが、金曜の夜、仕事を無理矢理切り上げて、北沢440でミスゴブリンのニアミスゴブリンフェスタに行って来ました。ミスゴブリンは、ミオ犬が4月に長崎に帰ったときに「たてまつる」に行って、高浪高彰さんからCDRをもらってきたのだけれど、あんまり実はあんまり聞いていなかったりする。
このイベントもたまたまその前の週にイベントでDJをやるJUICYちゃんと吉祥寺ですれ違って、初めて知ったという次第。6時開場、7時開演。金曜の夜、いくら仕事を無理矢理切り上げてといっても会社を出たのは7時近くになってしまう。でもホームページではアコカとミスゴブリンが出演、DJは高浪敬太郎とJUICYちゃんということだったので、ミスゴブリンが出る頃までに着いて、ちょっと高浪敬太郎のDJが聞ければいいや、なんて思いながらご飯を食べたりして、440についたのは8時過ぎ。そしてまずお客さんの多さにびっくり。決して広い会場ではないけれど後ろの方まで人がぎっしりで前に行けないくらい。おまけに遠くから来ている人もいるみたいで「もうすぐ新幹線の時間だから後ろの方でぎりぎりまで見てる」だとか「今日は子供が40度の熱を出してるんだけれど、旦那にあずけてきたのよ」なんて声が聞こえてくるし、ステージで繰り広げられているのは、なんだかコントみたいな芝居で頭の中は、びっくりを通り越してもう「???」状態です。そんな「???」状態が一時間近く続いてやっとアコカがバンドではなく劇団なのか、と気づいたり・・・・。結局、ミスゴブリンのライブが始まったのは9時半という・・・・。ライブ短いっすよ!曲もなんだか今何年なのだろうか、と思うくらいの打ち込みテクノ歌謡で懐かしいかなり気分。サウンドは80年代、歌は50、60年代(以前)という感じかな。

というわけで、下北にはいろいろな人がいるなぁ、と。なんだか驚いてばかりのイベントでしたが、一番びっくりしたのは高浪敬太郎の容姿がピチカートの時とほとんど変わっていなかった、ということかもしれません。

「末枯・続末枯・露芝」-久保田万太郎-

少し前のこと、カヌー犬ブックスのイベントやったときに、友達に「幸田がiPodを持っていないなんて意外だった」と言われたのですが、私はウォークマンの時から外で音楽を聴くという習慣はまったくなくて、電車の中では、たいてい寝ているか本を読んでいるかのどちらか。電車の中は大切な読書時間なので音楽を聴いているのはもったいない、と思う。
朝起きて家を出るまでほんと半分寝ているような状態で朝ご飯を食べたり、着替えたり、歯を磨いたり・・・・していて、駅まで歩く間も電車の中で寝ることばかり考えているのに、実際に電車に乗ってちょっと本を広げたりすると、気がつけば下北沢を過ぎてしまっていて、もうすぐ終点の渋谷だったりするのが不思議だ。その分山手線の中ではまた眠くなってしまうのだけれど、座れるはずもない。話がそれてしまったけれど、その友達はiPodで朗読をよく聞いているらしい。詳しいことを聞く時間もなかったし、忘れてしまったこともあるけれど、どこかのサイトから落としてiPodに入れているらしい。日本語なのか、英語なのかも忘れてしまった。
10何年前、名作の朗読を収録したカセットブックが本屋に並んでいるのを見かけたけれど、今はどうなのだろう。一部ではポエトリーリーディングとか根付かせようとしてるけれど、朗読を含めてあんまり一般的になっていないような気がする。アメリカでは、作家が新作を出したときに朗読会をよくやっているけれど、日本ではあまり聞かないし。普段の生活でも、声を出して本を読むということはないですね。明治くらいまでは黙読という概念がなくて、本を読む=声を出して読む、ということで、黙読という概念が成立したことで近代の読書が始まった、なんてことをどこかで読んだ覚えがあります(そしてここのどこかに書いたかもしれない)。

そんなことを思い出したのは、この「末枯・続末枯・露芝」を落語家が朗読したものを聞いてみたいなぁ、と思ったから。登場人物たちが下町の芸人だったり、商人だったりすることもあるけれど、会話が多く話のテンポもいいので、うまい噺家が読んだらより楽しめると思う。ついでに書くと、全部そうだとは言えないけれど、昔の作家で東京生まれか地方出身かの大きな違いは、落語と芝居からの影響があるかないかではないでしょうか。幼い頃から浅草の落語や芝居にふれて作家になった人と、ある程度の歳になっていきなり文学に目覚める人とではその作風が大きく違ってくる。そして前者の作品は、どうしても話し言葉を意識してしまうせいか話のテンポがよく、シリアスに陥ることがなくユーモアや皮肉に流れてしまうので、純文学というよりも中間小説としてとらえられがちになってしまうような気がします。気がするだけですが・・・・。
私などは、もちろん落語も芝居もわからないので(そもそも今の時代の40代以下の人で幼いことから落語や芝居にふれてきた人なんているのだろうか)、随筆などを読んでいても出てくる役者や噺家もしらないし、わからないことが多い。この辺はもう少し勉強する必要があるのかもしれない、と思うけれど、当時の落語と今の落語とは、娯楽としての位置づけもその内容自体もまた違うだろうし、なかなか難しい。浅草演芸ホールに落語を聞きにいったのは、何年前のことだろう。お正月だったせいもあって会場は満員だったけれど、昼頃から見初めて気がついて外に出たらもう周りは真っ暗だったというくらい時間を忘れて見てました。来年はまた行こう。じゃなくて、普段の土日に行ってもいいんですよね。意外と「タイガー&ドラゴン」の影響で人が入っていたりして、それもまたよしと。帰りはアンヂェラスでロールケーキをダッチコーヒー食べてよう。

今さらの話題ですが、普段はめったにドラマなんて見ないのに、しかもうちのDVDは録画ができないので、ちゃんと時間までに帰ってこなくてはいけないというのに、珍しく「タイガー&ドラゴン」は全部見ました。11週間ものあいだ、金曜日に夜遅くまで遊びにも飲みにもいかないなんてめずらしい。一話完結というスタイルもよかった。一回ぐらい見逃しても次は次で楽しめると思うと気楽だし。そういえば前回、同じく全話見た「濱マイク」も一話完結でした。テレビ版の「濱マイク」は、毎回違う監督が違う趣向で撮っていたので、軽やかな感じを期待していた私としては、途中からテーマが重くなったりして全部見るのはちょっとかったるかった。テーマは別として方法として、逆に「タイガー&ドラゴン」は、「落語の内容と実際のドラマとリンクさせる」という決まり事をつけて、三人くらいの脚本家で回していったほうがよかったような気がする。まぁ強引な展開も含めてなんだかんだ言いつつ毎回楽しめたらいいんですけどね。そういうことで今日の結論は“長瀬智也か岡田准一が朗読した「末枯・続末枯・露芝」をiPodに入れて電車で聞こう”ってことで。

「ガンビア滞在記」-庄野潤三-

しばらく庄野潤三はいいかな、なんて思っているとなぜか見つけてしまう。探している本はなかなか見つからなかったりするのにね。
1957年の秋から翌58年の夏までロックフェラー財団の研究員として、オハイオ州ガンビアのケニオン大学で過ごした日々を何の奇もなく日記のようにつづった本。このほかにガンビアでの生活を題材にした作品として「ガンビアの春」や「シェリー酒の楓の葉」「懐かしきオハイオ」があります。私はまだ読んでいないけれど・・・・。描かれる世界は、日本での生活でも、アメリカの片隅の小さな田舎町の中でも、それほどかわらず、淡々とした出来事が静かに過ぎて行くのを、おおげさに騒ぎ立てることもなく淡々と書いている、というのがいかにも庄野潤三らしい。登場する人物は学園都市らしく大学に勤める教授や生徒、食料品店や食堂の主人など近所に住んでいるがほとんどで、田舎町ではあるけれど、大学の教授だけあってインド人やイギリス人なども登場する。うかがった視点で眺めてしまうと、1957年という時代にアメリカで暮らすことの庄野潤三自身の葛藤や、人種の違う教授たちの間の気持ちや確執など、揺れ動く要素はあると思うだけれど、そういった要素はまったく出てこない。出てくるのはいい人ばかりである。さらにうかがった視点でものをいえば、ロックフェラー財団のこういった活動が、ジャパン・ハンドラーズを育て、現在の日本を動かしているんだなぁ、とか、ソフトパワーといった言葉が浮かんできたりもする。まぁそういったことは庄野潤三とはまったく関係ない。

話は変わりますが、6月から新しい手帳を使っている。ポケットサイズのモールスキン。もういい大人なのでいつまでもソニプラで手帳を買うのはやめようと、思い切って買ってみました。とはいうものの、そんな手帳に何を書いているかといえば、私はカレンダー式のスケジュール帳を持っていないので、単にその代わりなんですけどね。月から金まで会社に行って、たいていの場合そのまま帰って来るという生活をしているとカレンダーに書くことってほとんどないじゃないですか?みんなあるのだろうか?土日だって全部予定が埋まってるわけじゃないし・・・・。で、普通のスクエアのノートに箇条書きにして予定を書いているわけです。あとは2冊同じ本を買わないように山口瞳や永井龍男の作品リストとか国立の古本マップ、読んだ本に合わせて雑記を書くためのネタとか・・・・。
一応、ネタをためておいて本に合わせて選ぼうと思っているのですが、うまく結びついたことはない。今回も「ガンビア滞在記」と手帳になんの関係もない。強いて言えば庄野潤三の手帳はものすごく几帳面に書かれていたんだろうな、というくらい。モールスキンの手帳を紹介していた片岡義男も丁寧にいろいろ書いていそうだ。山口瞳とかは、他人が判別できないくらいの勢いでメモっていたような気がする。単なる思いこみに過ぎないのですが、作家の手帳を並べた本なんておもしろそう。ありそう。いや絶対にある気がする。作家じゃないけど小西康陽とかの手帳も見てみたい。

「耳学問・尋三の春」-木山捷平-

旺文社文庫から出ている木山捷平の本が手に入るなんて思ってもいなかったのでうれしい。中身はもちろんのことだけれど、講談社文芸文庫と違って表紙もいい感じだし・・・・。
前回、「戦後に書かれた戦時中の体験談はあまり信じられない」なんてことを書いたけれど、木山捷平の戦時中の作品を読んでいると、それが事実であろうと主観の入ったものだろうと、どうでもいい気持ちになる。そういうことを考えさせられる前に小説としておもしろいのだ。前言を翻すようだが、ノンフィクションではないのだから、戦後の価値観による主観が思いっきり入ろうが、小説としておもしろければ、あるいは書き手の気持ちがきちんと描かれていればいいのでは・・・・なんて思う。読者なんていいかげんなものだ。

この間、渋谷のエッジエンドに遊びに行ったときに、フライヤーをもらったPunch Me Outというイベント行った。場所は下北のERAというライブハウス。下北のライブハウスなんてもう何年も行っていないのだが、いろいろできているんだなぁ、と思いつつ、ライブが始まる前に、久しぶりにディスクユニオンに行ってみたら、“ERA系バンド”なんてポップができていてびっくりというより「???」。イベントのほうは、RON RON CLOU、COMEBACK MY DAUGHTERS、SCRUFFY、MARAUDER、ericaが出演。一番手のericaは、友達のタクミくんがヴォーカルをつとめるバンド。いろいろな要素をちりばめつつも90年代以降のストレートなUKロックという感じのサウンドで、タクミくんはDJのときの数倍ハイテンションだった。再入場可だったので真ん中のバンドは見ずに夜の下北を散歩して、目当てのCOMEBACK MY DAUGHTERS!いやいやよかった~。なんだか、ばらばらのルックスのメンバー5人だったけれど、それぞれいい味出してるし、声もいいし、演奏もいい。基本的にCDでもなんのギミックもあるわけでもないし、聴き手を“ここではないどこかに”強引に引っ張っていくような(ポップスの)魔法があるわけでもない直球のサウンドだっただけに、それがライブで再現されると、ただ盛り上がるしかないという感じです。
なによりも最近の若者バンドにありがちな青臭かったり、恥ずかしかったりする歌詞じゃないところがいい。例えカタカナ英語だろうと歌詞を英語するというのは大事だな、とこの頃思う。やはり、よほどうまい人じゃない限り歌詞を日本語にすると、言葉にメロディが引っ張られてしまう気がします。HUSKING BEEも歌詞を日本語にしてから「なんだかなぁ」という感じになってしまった。同時に昔は、なんで作曲者だけにスポットが当たって、アレンジャーにはスポットが当たらないのだろう、と思っていたのだけれど、今になるとメロディの作る難しさが分かる(ような気がする)。イントロや間奏はいいフレーズやサウンドなのに、歌が始まると「???」となってしまうバンドがいかに多いことか。それを逆手にとって、GS・歌謡ロック的な感じにするのもありかもしれないけれど、それを意識的にやるのか、やってみたらそうなっちゃったのかでは大きく違うわけで。どちらにしろ“逃げ”とも言えるわけだが。

さて、話をCOMEBACK MY DAUGHTERSに戻すと、9月にシェルターで自分たちの企画を行うらしいので、それにも行ってみたい。でもハードコアキッズばかりいそうで怖い。もうダイブとかする歳でもないし・・・・。最後のRON RON CLOUは3曲くらい聴いて帰宅した。

「雑誌記者」-池島信平-

池島信平は、1933年に文藝春秋社に入社し、「文藝春秋」の編集長などを務めた人。1973年、社長在任中に急逝した。正直なところ、私はこれまで「文藝春秋」を一度も買ったこともなく、読んだこともない。そういえば去年、「文藝春秋」に掲載された随筆を集めた「巻頭随筆」のシリーズを読んだな、ってことが思い出せれるくらいで、今となっては販促ツールのひとつとしか思えない芥川賞にも直木賞にもあまり興味はない。出版社としての文藝春秋も、私にとっては永井龍男がいた会社という認識でしかなく、最近どこかに書いてあった「結局、日本のジャーナリズムは『週刊文春』と『週刊新潮』にしかないのか」と言葉もあまりぴんと来ない。そもそもジャーナリズムってなんだ、という気もしてしまうくらいその方面に関しては無知なわけで。その永井龍男は、池島信平の葬儀で弔辞を述べたらしいのだが、永井龍男が池島信平のことについて書いた文章はあまり思い浮かばないのは、私が単に流してしまっているだけだろうか。
この本は基本的に、戦中、戦後を通じた体験記なので、交友録的なことは思っていたよりも書かれていないのが残念といえば残念。もちろん菊池寛や佐佐木茂策に関しての言及はあるけれど、池島信平が接した菊池寛個人というよりも、文藝春秋という会社を通した菊池寛であるような気もする。でも逆に、仕事を離れた交友録的な部分がないことで、池島信平が、戦前・戦後という物事の価値観ががらりと変わっていく中で、雑誌記者としてどういう風に生きたか、なにを考えていたかが伝わるし、池島信平がどれだけ文藝春秋に、そして雑誌の記者であることに全身全霊をかけていたかがわかる。
蛇足になるが、どうも戦後に書かれた戦時中の体験談(戦時中に書かれた戦時中の体験談なんてないんだろうけど)というのは、戦後の価値観によって過去のことがゆがめられて書かれているような気がして、正直に信用できないのは私だけだろうか(“ゆがめられて”と書くとおおげさだが)。ついでに書くと、戦時中に起こった悲惨な出来事をとりあげて、戦争は悲惨だから戦争は繰り返さないようにしよう、というのは意味がないように思えるのも私だけだろうか。戦争なんて結局は国と国とのパワーゲームなのだから、それに至るまでの状況と原因を明らかにして、「こういう状況になったら次はこういう対処をしなくてはいけない」ということを伝えなくては、結局、何らかの状況と原因が重なったら、悲惨だろうと悲惨でなかろうと戦争になってしまうんじゃないだろうか。・・・・なんてことを書いていくのは、私の手に負えないことなので、やめます。あまり追求せずに読み飛ばしてもらえるとうれしい。

「やってみなはれ・みとくんなはれ」-山口瞳・開高健-

「どちらにしろいつか買うだろうし・・・・」と思って、あまり内容を確認もせずに本屋さんで見かけるたびに流していた本。赤玉ポートワインで莫大な利益を得ながら、危険を冒して日本初の国産ウィスキー製造に取り組み、戦後には念願のビール市場参入を果たしたサントリーの歴史を、鳥井信治郎の人物像を中心に、宣伝部に所属していた開高健と山口瞳が描いている。・・・・のであるが、表紙の感じと二人の名前が並んでいることから、てっきりサントリーの歴史や鳥井信治郎のことを二人が語り合うといったスタイルの本だと勘違いしていました。実際に買ってみてページを開いたら、前半に山口瞳の「青雲の 志について」、後半に開高健の「やってみなはれ」と2つの作品が収録されていてびっくり、そしてちょっとがっかり。しかもまだ読んでいなかったけれど「青雲の志について」はすでに持ってるし・・・・。
開高健が芥川賞をとったため、執筆活動が忙しくなり、その代役として山口瞳がサントリーの宣伝部、「洋酒天国」の編集部に入社したという経緯やその後の二人の作風の違いを考えると当然のような気もするけれど、山口瞳の文章に開高健が登場することはあまりないような気がする。開高健のほうはほとんど読んでいないのでわからない。でも二人がサントリーについて語り合う、なんて考えただけでドキドキしてしまう。そんな本を想像していたのです。今となってはすでに二人とも亡くなっているのでもう実現はしないだろう。いや私が知らないだけで、いろいろなところで対談などをしているのかもしれない。

内容としては戦前を山口瞳が、戦後を開高健が書いており、イラストはもちろん柳原良平だ。山口瞳が、社内の熱っぽさに浮かされ、その元となっている社長の鳥井信治郎に惚れ込み、そして自分の父親と比較しながら“私小説”風に熱っぽく語っているのとは対照的に、開高健のほうは、自分のことさえも第三者的にどちらかというと冷静に、ユーモアを交えながら、一代目の鳥井信治郎から二代目の佐治敬三にいたる戦後の様子を書いている。ついでに、会社全体を描いたものではないが、宣伝部内でのエピソードがふんだんに描かれた柳原良平による「アンクルトリス交友録」もあわせて読むと3者の違いが浮き出てくるようで、おもしろい。

話は変わりますが、赤坂見附にある会社で働いていたころ、今くらいの時期になると、会社から地下鉄の駅まで歩きながら、サントリーのビルを見上げて、同じ課の人たちと「梅雨が明けたら一度はサントリーのビアガーデンに行きたいねぇ」なんて言ってましたね。結局一度も実現はしないまま、みんな転職したり、その会社自体も引越ししてしまったので、もうそんな機会はないだろう。

「イソップとひよどり」-庄野潤三-

今年はあまり雨も降り続かず、梅雨らしくない。明日は夏至なので一年で一番昼間が長いときなので、こういうときに定時で会社を出たりすると、外が明るくてうれしくなってしまう。といってもそうそう定時であがれるものではないが。
デンマーク、スウェーデン、フィンランドと北欧の国を回ったのは一昨年の今頃の時期だったのだけれど、そのときは11時近くまで明るくて、6時前からカフェやバーで飲んでいた人たちが(デンマークなどは、5時過ぎにはお店がほとんど閉まってしまう)、まだ夕暮れといった雰囲気ですらない明るさの8時くらいから公園や遊園地に人が集まってくる、なんて風景を、ものすごくうらやましい気持ちで眺めていたのを思い出す。このまま晴れの日が続くようだったら、会社が終わった後、近くの東京タワーに行ったりバッティングセンターに行ったりするのもいいかもしれない。

日曜日は、東麻布のfooで行われた、うれし屋さんのフリマに段ボール1箱分の本を持って参加。屋内とはいえ、この時期のフリマでこんなにいい天気だなんて、うれし屋さんはなんて日ごろの行いがいいんでしょうか。
というわけで、吹き抜けのテラスは気持ちいい空間になっているし、訪れる人のほとんどが、うれし屋さんの着物や布、毛糸が目当ての女の子ばかりだったので、私は片隅に本を置きっぱなしにしたまま、オープンテラスでコーヒーを飲んだりクッキーを食べたり、タバコを吸ったりしつつ、小学生の男の子と遊んだりと、のんびりと休日の一日を過ごしてしまいました。5月の自分のイベントのときはあまり天気も良くなかったし、自分が主催なのでそうそうだらだらともしてやれなかったので、こういう風にちょこっとだけ参加するというのは楽しい。もう何年もカバーから出していないのに「ウクレレ持ってくれば良かった」とか、子供がずっといるんなら「ビューマスターを持って来ればよかった」なんて思っていたり・・・・。店主がそんな感じなので、当然、本のほうはほとんど売れず、持って行った本をそのまま持って帰るという羽目になってしまいましたが・・・・。
それにしても、来る人、来る人、誰もが置いてマネキンに着せてある着物や布を見て、「かわいい」という言葉を連発しているのにはびっくり、いやぁ、36年間でこれほど「かわいい」という言葉を聞いた一日はないです。女の子にとっての「かわいい」という価値、あるいは言葉というのは不思議だなぁと、しみじみ思う。