先日書いた京都に持っていくために探していた本。山田稔が過去に発表した作品からのアンソロジィなので、それぞれの作品を読んでいくうちに重なりが出てしまうだろうけれど、とりあえず山田稔の略歴と作品の一覧を確認しておこうと思って・・・・。
さっそく、京都に向かう新幹線の中で経歴から読んでみて、山田稔が子供の頃から京都の下鴨神社の近くに住んでいて、糺の森を通って学校に通っていたことを知って、びっくりする。前にも書いたように今回の旅行の目的の一つは下鴨神社の境内で行われる古本市なのです。単なる無知にすぎないのだけれど、こういう偶然はものすごくうれしい。
そんなわけで、本の中に出てきた糺の森を舞台とした初恋の話を思い出したりしながら、京都の着いて荷物を預けたらすぐに、森の中の古本市を散策。考えていたよりも多くの古本屋さんが出店しているし、神保町やデパートの古本市のように本の周りに人だかりができているというわけでもないので、ゆっくりと見れてうれしい。ときおり雨がぱらついては止むといったような曇り空で、出店している店の人はハラハラしどうしだったかもしれないけれど、見るぶんにはちょうどいい、とは言わないまでも我慢できる範囲。希望を言えばもう2カ所くらい休憩する場所があって、コーヒーとか飲めるといいのに、と思いました。
基本的に自分の本をたくさん買い込もうとか、カヌー犬ブックスのための仕入れをしようとか、という気はなくて、古本市の雰囲気を味わえればいいという気持ちで回っていたのですが、結局、一日(夕方から)では回りきれず、2日に分けて見回って、小島政二郎とか小沼丹など、7冊くらい購入しました。2回も見に行ったのは、泊まったホテルが、下鴨神社の最寄り駅である出町柳駅から2駅しか離れていなかったことと、もう一つの目的たっだ手作り市が行われている知恩寺も最寄り駅が下鴨神社と同じで近かったせい。
手作り市が開かれる日は、めずらしく6時半に起きて7時にはタクシーに乗り込んでました。こちらのほうは、主婦の手作り雑貨っぽいものや、京都ならではの民芸品っぽいもの、漬け物などの食べ物が半分くらい。それに混じって若者による今どきの手作り雑貨やケーキ、パンといったものが並んでいました。・・・・なので、私が欲しいと思う、あるいは使えるようなものはほとんどないのだけれど、なんとなく見て回りながら、お多福珈琲のコーヒーを飲んだり、キッシュやケーキを食べたりしてました。
境内の何周もして、歩き疲れたところで、知恩寺を一度出て、進々堂で休憩。広い店内では、おしゃべりをする人、本を読む人、新聞を読んでる人、誰かを待っているらしき人、ただ時間をつぶしてるだけのような人・・・・が、同じ空気の中でそれぞれに過ごしている。進々堂みたいな喫茶店が私の出身校の近くにあったらなぁ、なんて贅沢は言わないけれど、せめて西荻や荻窪にあったらいいのに、とつくづく思う。
さて、進々堂は1930年にカルチェラタンに感動したオーナーが日本にも同じような空間が欲しいとオープンさせた喫茶店。ということは、京都大学出身でフランス文学を専攻していた山田稔も大学時代、ここにに通って本を読みながらコーヒーを飲んだりしたのだろうなぁ。
先週のはなし。普段それほど本を買い込んでおくほうではないけれど、ときには「読む本がたまって、しばらく古本屋に行かなくていいな」、ということもあって、そういうときは早く次の本を読みたくなったり、今読んでいる本をもう少しゆっくり読もう、なんて、心がざわざわしてしまったりする。でもそんな風に気を抜いていると、いつのまにか読む本もなくなってしまって、あわてて昼休みや帰りに本屋に立ち寄るはめになるのだけれど、普段、古本屋に行きなれていると、これはと思う本がなかなかなかったり、あらためて新刊って高いなぁ、と思ったりしてしまう。
「百叩き」とは、随筆の題名としては少し似つかわしくと思うかもしれない。江戸時代に行われて刑罰を、今ではすこし滑稽でノンビリしていると言い、「なんの権力も持たない我々が悪い奴を捕まえてきて、さも権力を持っているような顔をして、そいつを百叩きに処するところを空想するだけでも、正直な話、楽しいではないか」、と。そしてここであげられるのは、権力を振り回し私腹を肥やすことだけを考え、国民のことをまったく考えない政治家や役人や戦後、物事をいかに簡単に、インスタント済ますようになってしまった戦後派の人々、髪を長く伸ばして街を闊歩する若者たち・・・・など。
まったく救いようのない、やりきれない気持ちにさせられる物語なのだけれど、読み終わって思い返してみると、私生児という主人公の生い立ちや、血のつながりのない姉たち(とその夫たち)の自分では主人公を思いやっているつもりの悪意のかけらもない押しつけ、太平洋戦争直前という不景気で暗い時代背景、そしてその当時の道徳観・・・・などが強調されているだけで、結局は主人公のなんらかの欠陥によって引き起こされた出来事なのではないか、と思ったりもするわけで、だからこそそうした周辺の要因が強調されているのかもしれません。でも“風のない日々”というタイトルは物語のテーマをうまく表していて秀逸。特に、会話もなく、お互いに理解しようとするのでもなく、思いやるわけでもなく、逆に言い争いやけんかなどもなく、すれ違いさえも起きていないような、主人公夫婦の毎日の生活は、まさに“風のない日々”で、淀んだ空気だけがやけに暗く重い。風が起きなければ、流れはよくならないし、もし起きないのであれば、自分で風を起こさなくてはいけない、ということだろうか。
井伏鱒二は生涯にどのくらいの本を出しているのだろう。文庫本で読めるものだけでも読んでおきたい、と思って、文庫についてはリストを作ってみたりしていたのだけど、いつの間にか単行本を買うようになってしまった。この本もそうですが、井伏鱒二の単行本は、普通の単行本のサイズよりも少しだけ横幅が広くて、正方形に近い形が多い。違う出版社から出ているものでも同じような形なので、井伏鱒二自身のこだわりだったのだろうか?よくわからないけれど、個人的には、なんだかちょっとだけ豪華というか、ちょっとだけ違う感じが出ていて、この形が気に入っていたりする。この「ちょっとだけ」というのがポイントです。ただしうちにあるスライド式の本棚の奥の棚に入れると頭が出てしまうので、手前のスライドが動かなくなってしまうのが難点。当たり前の話だけれど、スライド部分は容量が少ないんですよね。
生前、交流があった多くの人たちに、死後これほど愛情を持って語られる作家というのも例がないんじゃないだろうか。担当した編集者、作家仲間から行きつけの飲み屋の主人、近所の住民・・・・など、誰もが機会を与えられれば(いや与えられなくても?)懐かしそうに山口瞳との思い出を語る。ほんとうに不思議な作家だと思う。でもその反面、誰もがその作品と山口瞳の生き方や信念、そしてそれを読んだ自分自身の気持ちが抑えられなくて、この作家の作品を純粋に、あるいは客観的に批評するといったことが行われにくくなっているのかもしれないとも思う。もしかしたら1990年代以降、オヤジの小説・エッセイとして黙殺されてきた(それは私か?)、山口瞳の作品が純粋に批評・評論していくのは、このブームのような再評価の後、これからなのかもしれない。
この本は、著者が日本語教師として二年間パリに滞在したおりに、ギリシアやモロッコ、スコットランドに赴いた際の紀行文。予約などせず、ショルダーバッグひとつ肩にかけ、Cランクのホテルでその不便さを楽しむ。そして「旅のなかの平凡な日常、そしてその日常と空想、妄想のからみあいを描く、というのがわたしの狙いであった。」とあとがきで書かれているように、旅における平凡な日常と、各地で遭遇するちょっとしたトラブル、さまざまな国籍の人々との交流やすれ違い、さらにそこから広がる作者の妄想が混じり合いつつ、旅先での出来事などがユーモアたっぷりに描かれている。前述したように、ギリシアやモロッコ、スコットランドの3カ国の旅の様子が収録されていて、一つ一つ読みがいはあるのだが、できることなら、あと2、3カ国多く話が収録されていたらなぁ、とも思ったりする。
予定ではPickwickWebのほうに書くつもりだったのだが、小さすぎて私のデジカメではきれいに撮れなかったのでここに書いておくと、西荻にある音羽館が開店5周年記念のピンバッジをもらった。500円以上買うともらえるとのこと。図柄は看板や袋のスタンプに使われている、本を読んでいる女の子の絵で、黒縁のものと金縁のものがあります。かわいいです。
初めてカリプソを聴こうと思ったのは、いつのことだったのだろうか。結婚前に長崎に行ったときに、マイティ・スパロウのレコードを買った記憶があるので、仮にその前の年の夏としても1999年なので、もう6年も経っている。なのに、いまだに数えるほどしか集まっていないのは、単に中古屋にあまり置いていないから、という理由に過ぎないのだけれど、あまりにもいつまで経っても進まないので、今年はコンピレーションCDを買ってしまおうかと思っている。幸い、ここ2、3年、静かなカリプソブームが起きているらしく、カリプソのコンピCDが再発されているようだし・・・・。というわけで、まずは「Calypso Awakening」と「Trojan Calypso Box Set」を購入。ラテン音楽にもかかわらず、押しつけがましくないので、それほど暑苦しくなくて、適度にハッピーなリズムと素朴な流れるようなメロディが心地よいのと、なんとなく朝昼晩、いつ聴いてもその場になじむような気がするところがいい。もちろん社会問題を取り上げているという歌詞については、まったくわかりませんけどね。
この本を出版している三月書房は、タテ15.5cm×ヨコ11.5cmの大きさ、函入・糸綴り・箔押の「小型愛蔵本」といわれる本を、1961年から出版し続けている会社。なんと社員は2人だけらしい。サイトを見たら限定70部定価10500円、なんていう限定特装本も出してました。