池島信平は、1933年に文藝春秋社に入社し、「文藝春秋」の編集長などを務めた人。1973年、社長在任中に急逝した。正直なところ、私はこれまで「文藝春秋」を一度も買ったこともなく、読んだこともない。そういえば去年、「文藝春秋」に掲載された随筆を集めた「巻頭随筆」のシリーズを読んだな、ってことが思い出せれるくらいで、今となっては販促ツールのひとつとしか思えない芥川賞にも直木賞にもあまり興味はない。出版社としての文藝春秋も、私にとっては永井龍男がいた会社という認識でしかなく、最近どこかに書いてあった「結局、日本のジャーナリズムは『週刊文春』と『週刊新潮』にしかないのか」と言葉もあまりぴんと来ない。そもそもジャーナリズムってなんだ、という気もしてしまうくらいその方面に関しては無知なわけで。その永井龍男は、池島信平の葬儀で弔辞を述べたらしいのだが、永井龍男が池島信平のことについて書いた文章はあまり思い浮かばないのは、私が単に流してしまっているだけだろうか。
この本は基本的に、戦中、戦後を通じた体験記なので、交友録的なことは思っていたよりも書かれていないのが残念といえば残念。もちろん菊池寛や佐佐木茂策に関しての言及はあるけれど、池島信平が接した菊池寛個人というよりも、文藝春秋という会社を通した菊池寛であるような気もする。でも逆に、仕事を離れた交友録的な部分がないことで、池島信平が、戦前・戦後という物事の価値観ががらりと変わっていく中で、雑誌記者としてどういう風に生きたか、なにを考えていたかが伝わるし、池島信平がどれだけ文藝春秋に、そして雑誌の記者であることに全身全霊をかけていたかがわかる。
蛇足になるが、どうも戦後に書かれた戦時中の体験談(戦時中に書かれた戦時中の体験談なんてないんだろうけど)というのは、戦後の価値観によって過去のことがゆがめられて書かれているような気がして、正直に信用できないのは私だけだろうか(“ゆがめられて”と書くとおおげさだが)。ついでに書くと、戦時中に起こった悲惨な出来事をとりあげて、戦争は悲惨だから戦争は繰り返さないようにしよう、というのは意味がないように思えるのも私だけだろうか。戦争なんて結局は国と国とのパワーゲームなのだから、それに至るまでの状況と原因を明らかにして、「こういう状況になったら次はこういう対処をしなくてはいけない」ということを伝えなくては、結局、何らかの状況と原因が重なったら、悲惨だろうと悲惨でなかろうと戦争になってしまうんじゃないだろうか。・・・・なんてことを書いていくのは、私の手に負えないことなので、やめます。あまり追求せずに読み飛ばしてもらえるとうれしい。