先週のはなし。普段それほど本を買い込んでおくほうではないけれど、ときには「読む本がたまって、しばらく古本屋に行かなくていいな」、ということもあって、そういうときは早く次の本を読みたくなったり、今読んでいる本をもう少しゆっくり読もう、なんて、心がざわざわしてしまったりする。でもそんな風に気を抜いていると、いつのまにか読む本もなくなってしまって、あわてて昼休みや帰りに本屋に立ち寄るはめになるのだけれど、普段、古本屋に行きなれていると、これはと思う本がなかなかなかったり、あらためて新刊って高いなぁ、と思ったりしてしまう。
先日も京都に持って行く本を探しに、会社帰り渋谷の駅から一番近い本屋さんへ寄ってみたのだけれど、目的の講談社文芸文庫がどこにあるかわからない。しばらく歩き回ってみてから、店員に聞いてみて、「こちらです」を案内されたのは、講談社文庫の前でした。私:「いや講談社“文芸”文庫なんですけど・・・・。」、店員:「講談社・・・・むにゃむにゃ。探している本の題名とか著者はわかりますか?」、私:「山田稔か木山捷平なんですけど」、店員:「山田・・・・。すみません接客中ですので・・・・」・・・・と、どこかにいってしまった。そ、それはないのでは・・・・。結局、文芸文庫がどこにあるのかわからなかったんですけど、どこにあるのだろうか?
閑話休題
堀江敏幸の新刊は“モノ”についてのエッセイ集。スライド映写機、パタパタ時計、フレンチキーホルダー、原付自転車、カフェオレボウル、クマの縫いぐるみ・・・・など、パリや東京の古道具屋で出会ったガラクタたちについて、それにまつわる文章に著者自ら撮った小さなモノクロ写真が添えられてます。
堀江敏幸の場合、こうしたエッセイでなく小説の中でもモノに対するこだわりや偏愛が、割と大きな意味合いを持っているのので、こうしていくつものモノがまとめられて語られると、小説の中で扱われるよりも、どうしてもひとつひとつがあっさりとしていて、“こだわり”や“偏愛”という部分が希薄になってしまうような気がしてしまう。でも、それはもしかしたら一冊の本というかたちにまとめられているからであって、雑誌の連載として毎号ひとつずつ、最後の方の見開き2ページを読んでいくのは楽しいかもしれない、と思ってみたものの、初出は「東京新聞」と「本の旅人」でした。それにしても「東京新聞」連載時の「多情『物』心」というタイトルはいいですねぇ。