「サラサーテの盤」-内田百けん-

吉祥寺にあったkuukuuのスタッフだった人が、国立でニチニチというお店をやっているということを、去年の夏くらいに書いたのだけれど、残念ながらまだ行く機会がないままになってます。お店の開店が5時半なので、夕方国立まで出かけていって、そこでご飯を食べて、ある程度お酒を飲んで帰ってこなくては、と思うとなかなか難しい。
そんなわけで、お店の存在を知ってから一年近くが立ってしまいましたが、先日、ミオ犬が西荻の雑貨屋さんで、第三日曜日にニチニチで日曜市をやっているということを聞いてきたので、タイミングもいいし、パンやマフィン、ジャム、陶器、古本‥‥など、チラシに書いてあったお店(?)も期待できそうだし、と、ひさしぶりに国立まで行って来ました。

「早めに行かないといろいろ売り切れちゃうよ」と言われていたので、朝ご飯を食べないで起きたらすぐに出かけて、イートインコーナーでパンでも食べようと計画でいたものの、珍しく土曜日に会社に行ったりしたため、当然、早く起きられるはずもなく、ニチニチに着いたのはお昼過ぎ。シフォンケーキやマフィンは残っていたけれど、カレーパンなどは売り切れで、先着80名に配られていた2周年記念のエコバックもすでになくなってました。そもそもお店の中は人でいっぱいで、イートインコーナーでゆっくりパンを食べるなんて感じではなかったです‥‥。日曜市では、とりあえずマフィンとシフォンケーキを買って、しばらくのあいだお皿や雑貨を見たり、西荻の雑貨屋さん(なんて名前の店か忘れてしまいました)と話をしていたりしてから、国立といえば、ということでロージナ茶房でお茶をする。
その後、大学通りを散歩したり、古本屋やレコード屋をのぞいたりして、3時過ぎには吉祥寺に移動してしまったので、けっきょく今回もニチニチでご飯を食べることはできず、でした。ニチニチでご飯を食べるのはいつになることやら。

「めぐらし屋」-堀江敏幸-

普段、古本屋ばかり回って、もう亡くなってしまった作家の本ばかり読んでいるので、同時代に生きている作家の新作を心待ちにする、という楽しみがないがちょっと寂しい。改めてそんなことを思うと、実は大きな楽しみを逃しているような気になったりするけれど、きっかけがないのと、今の読書傾向を追いかけるだけでいっぱいなので、まぁしょうがないです。堀江敏幸は、そんな楽しみを味わせてくれる数少ない作家。いや、ひとりだけかも知れません。

大学卒業後、知り合いの会社に長く勤める蕗子さんは、低血圧でいつも体調が悪く、感覚的にもちょっとまわりの人たちとズレている独身女性。ある日、蕗子さんは、長いあいだ離れて暮らしていた父の遺品を整理するために、父親が暮らしていたアパートまで出かける。近くにひょうたん池のあるそのアパートでみつけた「めぐらし屋」と書かれた大学ノート、そしてそのノートに貼られていた蕗子さんが幼い頃に描いた黄色い傘の絵にひかれ、謎のようなそのノートと、蕗子さんがアパートにいるときにたまたまかかってきた要領の得ない電話、近くに住む父親の知人といった点をたどって、知らなかった父親の過去に想いをめぐらせていく‥‥。
ストーリーとしてはものすごくあっさりとして、帯に書かれている「わからないことは わからないままにしておくのが いちばんいい」という言葉のように、物語の終わりになにかが大きく変わったり、誰もが納得するような答えが用意されているわけではない。そんな淡泊な物語も含めて、文章全体から漂う感触やディテールへのこだわりなど、堀江敏幸のいつもの作品とあまり変わっていない。強いていえば、新聞の日曜版に連載されたせいか、ディテールへのこだわりよりも全体の感触に重みが置かれているように思う。わたしとしては、その辺にちょっと物足りなさを感じてしまったかな。

「七つの街道」-井伏鱒二-

諸般の事情により、ゴールデンウィーク明けからちょっと営業をお休みしていましたが、昨日より通常どおり営業を再開させていただいております。お休みのあいだいろいろな人にご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした。

週末は、鎌倉に行って来ました。暖かくなってちょっと出かけるにはいい季候になだけに、駅を出たところからすでにものすごい人混みで、イワタのホットケーキなんて、なんと50分待ち!(実際はもう少し早く出てきたけど)という状態。昼過ぎに家を出たせいで、鎌倉に着いたのが3時過ぎだったので、イワタで中庭を眺めたり、雑誌を拾い読みしたりして、ホットケーキ食べて外に出てみると、なんとなくもう夕方気分。小町通りを歩く人たちも駅に向かう人のほうが多い。
鎌倉に行ったのは、20日まで神奈川県立近代美術館でやっている「佐伯祐三と佐野繁次郎展」を見るためだったのですが、(ここまで書いて分かる人には分かると思いますが‥‥)4時半前、閉館ぎりぎりに美術館に着いて、チケットまで買ってから、「佐伯祐三と佐野繁次郎展」がやっているのは葉山館だということに気づくという大失態。払い戻しができたのはよかったけれど、時間的にも距離的にも、葉山館に移動することもできず、わざわざ来たのになんだかなぁ、という感じでした。葉山館は、2003年の秋に開館していたらしいです。前回、近代美術館で見た展覧会は、「チャペック兄弟とチェコ・アヴァンギャルド展」だったので2002年秋、開館する1年前だから知らないのも無理ないけど、それからも度々鎌倉に行っているのに全然知らなかった~迂闊でした~

「『処女同盟』第三号」-吉川トリコ-

嵐が主演している「黄色い涙」を観に行く。原作は永島慎二、監督は「メゾン・ド・ヒミコ」「ジョゼと虎と魚たち」といった作品を撮っている犬童一心で、1974年に放映されたNHK銀河テレビ小説で、この物語を初めてみて以来、いつか映画にしてみたいと思ってたということで、脚本もNHK銀河テレビ小説の担当だった市川森一が書いていたり、サケロックが音楽を担当していたり、と、個人的にはひかれる要素は割と多い。でも制作はジェイ・ストームだし、どことなく「三丁目の夕日」のヒットに乗じて2匹目のドジョウを狙ってない?という雰囲気もあって、全体的には微妙な立ち位置の映画ではある。まぁ嵐のファンの女の子たちにとっては、その辺はあまり関係ないのかも知れませんが。とはいいつつも、スタッフがきちんとそろっている分、名作とは言えないまでも、映画として観れる作品になってるように思う。ストーリー的には、一種の「トキワ荘の青春」で、割とよくある青春物語なので、特にひかれる部分はあまりないけどね。それはまた別の話なわけで‥‥。
どちらかというと、舞台となっているのが1963年の阿佐ヶ谷界隈なので、この通り(パールセンター)の向こうに阿佐ヶ谷住宅があるのだな(阿佐ヶ谷住宅が建てられたのは1958年)とか、この風景を考えると阿佐ヶ谷住宅というのは、かなりモダンな建物だったのだろうなぁ、なんてことつい思ったり、作家志望の向井が書き上げた原稿を持って井伏鱒二宅に持っていかないだろうか、なんて原作には絶対ないようなシーンを想像したりしてました。

「爆撃調査団」-内田百けん-

さて、すっかり時間が経ってしまいましたが、イベントには、いつもサイトを見てくださっている人やどこかのお店でフライヤーを見つけてくれた方から、久しぶりに合う友だちや会社の人まで、たくさんの人に来ていただきありがとうございました。
また会場を提供してくださったクリップさんの方々やイベントに参加してくれた友だちにも感謝です。うれしかったのは、いつもサイトを見てくれている方が、前回よりもたくさん来てくれたことと、小学校6年の時の先生が、奥さんと娘さんと一緒に来てくれたこと、そして先月、小学校の同窓会があったということをここに書きましたが、そのとき集まった同級生が5人も二宮や平塚からわざわざ来てくれたことですね。
そんなわけでわたし個人は本を並べた以外、たいしたことしてたわけではないのですが、イベントが終わってすっかり気の抜けてしまってます。それでも部屋の運び入れたままになっていた段ボール箱を、ようやくトランクルームに戻して、部屋のなかも少し落ち着いきし、ゴールデン・ウィークといってもなにをするわけでもなく、毎日家の近くをのんびりしてという感じです。

週末は、天気もよかったので、前から取り壊される前にもう一度行こうと思っていた阿佐ヶ谷住宅の周りをOM1を持って散歩してきました。阿佐ヶ谷住宅の一画で開かれていたトタンギャラリープロジェクトはもう終了してしまっていたけれど、まだ取り壊しされているわけでもなく(まだ住んでいる人もいるようでした)、広場で遊んでいる子どもたちがいたり、周りを散歩している人がいて、わたしたちも、ベンチに座ってパールセンターの途中で買ったサンドウィッチやパンを食べたり、フィルムケースを灰皿にしてたばこを吸ったりして、のんびりした春の暖かな休日を満喫できました。久しぶりに広角レンズを持っていったので、建物全体がファインダーに全部おさまるのが楽しくなってしまい、フィルム3本ちかくも写真を撮っちゃったしね。
帰りは、阿佐ヶ谷住宅から善福寺川を渡って善福寺川公園近くからバスに乗って帰ってきたのですが、かなり近い!後から地図で調べてみたら2kmくらいしか離れてなくて、うちから荻窪駅に行くよりも近いことが判明。次は自転車で遊びに行こう。

「男性自身 傑作選 熟年篇」-山口瞳-

一応、カヌー犬ブックスは、海外文学と料理に関する古本をあつかっている古本屋、なんですけれど、ここに海外文学の本が取り上げられることはほとんどないし、料理についてに書くこともほとんどなかったりします。たまには「週末のパーティで用意した●●●の作り方」なんてレシピをここに書いてみるのもいいかもしれない、なんて言ってみたりして。いやいや週末のパーティってなんなんですか?

そんなことはさておき、カート・ヴォネガットが亡くなったそうだ。84歳。今となっては、最後に読んだヴォネガットの本がなんだったのか思い出せないくらいずっと読んでなくて、よく読んでいた時期といえば高校生から大学の初めまでのあいだ、1980年年代半ばから1990年の初めくらい。Wikipediaによると「1980年代、日本でも認知がすすみヴォネガットブームとも言える状況が到来」とか「ヴォネガットから影響を受けたとされる村上春樹(とりわけ『風の歌を聴け』)や高橋源一郎、橋本治等の若手作家たちの台頭もこの時期」とある。そういうブームに影響を受けていたのだろうなぁ、と今になって思えば、そんな時代だったような気さえしてしまったりして。実際、ヴォネガット自身が歳を取って、作品をあまり発表しなくなったこともあるかもしれないけれど、1990年代の後半になるとほとんど翻訳本も刊行されていないみたいです。ついでにヴォネガットの作品で翻訳されている本は以下のとおり。

  ■「プレイヤー・ピアノ」
  ■「タイタンの妖女」
  ■「母なる夜」
  ■「猫のゆりかご」
  ■「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」
  ■「スローターハウス5」
  ■「さよならハッピー・バースディ」
  ■「チャンピオンたちの朝食」
  ■「スラップスティック」
  ■「ジェイルバード」
  ■「デッドアイ・ディック」
  ■「ガラパゴスの箱舟」
  ■「青ひげ」
  ■「ホーカス・ポーカス」
  ■「タイムクエイク -時震」
  ■「ヴォネガット、大いに語る」
  ■「パームサンデー -自伝的コラージュ」
  ■「死よりも悪い運命 -1980年代の自伝的コラージュ」
  ■「モンキー・ハウスへようこそ」
  ■「バゴンボの嗅ぎタバコ入れ」

全部で20冊?。もっと出ているような気もするけれど気のせいかな。この中で読んでいない本は、1990年代後半に出た「タイムクエイク -時震」と「死よりも悪い運命 -1980年代の自伝的コラージュ」、「バゴンボの嗅ぎタバコ入れ」くらいかな。意外と読んでますね。内容は忘れてしまったり、他の作品とごっちゃになっているけど。
個人的な経験からすると、10代の頃にこういう本を読んでしまうと、日本の作家の作品が平面的・直線的すぎて、物足りなくなってしまうんじゃないかと思う。最終的に収拾がつかなくても物語は複雑であるほど、おもしろいし、本に感動なんて求めるのは、愚の骨頂。本とは泣くためにあるわけじゃないし、“共感”なんてなに言ってんの?という感じになってしまう。そして最終的にはメタフィクションとラテンアメリカ文学にたどり着くのだけれど、わたしの場合、そこで振り切って日本の私小説に走ってしまうあたりが、どうも両極端なわけで‥‥。

「男性自身 傑作選 中年篇」-山口瞳-

せっかくなので‥‥、という始まりもどうかと思うけれど、金曜日の夕方だし、もう気分は週末、というわけで、5時から30分だけ会社を中抜けして、ミッドタウンの地下で行われていたエマーソン北村のライブを見に行って、それからまたちょっと仕事して、7時50分に仕事を切り上げて、8時から土岐麻子を見るなんてことをしてみました。親ガメの背中に乗っかって、気がついたらこんなところまでつれてこられてしまったのだから、このくらいの恩恵がなくちゃね、と。
平日の夕方ミッドタウンに来るような人で、エマーソン北村を知っている人もそれほどいるわけもなく、雰囲気的には、デパートの片隅とかちょっとした広場で演奏しているエレクトーンを聴いているみたいで、なつかしい。でも演奏されているのはジャッキー・ミットゥーだったりするのだけれど。演奏が始まった頃、集まってきた人たちも、演奏が続くにしたがって少しずつ離れていったりして、いい感じで見られて良かったです。
で、8時から土岐麻子は、かなり人が集まっていて、人と人の隙間から見るという感じで、さすがにのんびり聴くという雰囲気ではなかったです。演奏もギター一本の伴奏で、ジャズのスタンダードなどを中心に歌っていたので、土岐麻子を知らない人でも聞きやすかったということもあるかな。このあいだ出たカバーアルバムを聴いていないのだけれど、達郎のカバーなんてちょっとEPOっぽいな、と思ったりもしました。あと係りの女の人が、おばあさんに土岐麻子のことを「シンバルズというバンドにいた人です」って説明していたのは笑えた。シンバルズなんておばあさんが知ってるわけないでしょ。まぁ係りの人もそれしか知らないんだろうなぁ~。といっても、どちらも大混雑ということでもなかったので、人選としては妥当な知名度なのかもしれません。ちなみに今週の金曜は、Cianとボサダビット。知らん。
せっかくなので、なんかケーキでも買って帰ろうと思って、お店を回ってみたけれど、どこも並んでいて買う気にもなれず‥‥

「冥途」-内田百けん-

春の天気は変わりやすい。
先週の終わり、お昼ご飯を食べた後に、ひとりで会社の周りを散歩していたら、ちょっと路地に入った短い坂道の狭い階段の下のほうに太い大きな桜の木があって、坂の下の方から見上げると、道の方に曲がった太い幹に満開に近い桜の花が階段を背にして咲いている感じがとてもきれいだったので、明日はポラかC35でも持って会社に来よう、と思っていたら、次の日はあいにくの雨降り。週末を挟んで、それからまだその桜を見に行っていないのだけれど、まだ咲いているといいな、と思う。そもそも明日は晴れるのか?

夢というか妄想を、そのまま描いたような作品集「冥途」は、内田百けんの初期の小説(第一作?)で、なんの予告もなく、ある意味当然のように、不思議で不条理な出来事が起こり、時にはなんの解決もなく物語が終わったりする。まだ、全集を読み始めて4冊目だけれど、それまで読んだ本が随筆だったので、どう考えてもおかしな状況であるのにもかかわらず、どこか「実はこれは実際にあったことを書いた随筆ではないか」という考えが最後まで捨てきれず、逆に、普通の随筆を読んでいると、「これはまさか実際にあったことじゃないだろうなぁ」という出来事が描かれてたりすることもあって、なんだか混乱してしまった。

日曜日は、西荻まで自転車で行って、そこから20分くらい歩いて善福寺公園までいってみた。去年も同じ頃に同じように歩いて見たのだけれど、今年は桜の花が満開になってからはじめての週末だったせいで、公園の中は人でいっぱい。少し広くなっている場所では子どもたちが遊び回っていたり、どこからか打楽器やギターの音が響いてきたり、さすがに騒がしい。それでも、桜の花を眺めながらゆっくり歩くスペースは残っているし、午後から出かけてもシートを敷く場所も見つけられたりできるのが善福寺公園のよいところですね。もっとも、わたしは公園よりも、そこに行くまでに通るさくら町周辺の方が好きで、できることなら道の片隅に縁台でも置いて、ビール片手に花見をしたいなと思う。「三丁目の夕日」に出てきそうなこんな路地の隅っこで、ひとりお酒を飲んでぼんやりとしていたら、普通に猫に話しかけられたり、からすにからかわれたりしそうだなぁ‥‥。

「今年の秋」-正宗白鳥-

正宗白鳥の本を読むのは初めてか。この「今年の秋」も、単行本の方をときどき見かけていて、でも、値段がちょっと高かったり(といってもそれほど高くはないけど)、タイミングが悪かったりしてなんとなく買う機会がないままになってたのですが、西荻の古本屋の前に中公文庫がたくさん並べられているのを見て100円で購入。あまり確かめもせずに買って、家でページを開いたら、本の最後の方の目録に線引きがしてありました。
線が引いてあるのは、井伏鱒二や池田弥三郎、戸板康二、安東次男、白川静、徳川夢声、子母澤寛、石川順‥‥といった作家の本のところで、実際に自分が読んだ本に線を引いているのか、これから読もうとしている本に線を引いているのか、わからないけれど、「今年の秋」を気に入った人が、ほかにどんな本を読んでいるのか分かるような気がして、個人的にはおもしろい。もっとも「今年の秋」があんまり気に入らなくて、だからこの本に線を引いた、とも考えられるわけですが‥‥。古本屋としてはかなりへこむんですけど‥‥。

父親の死を見送る「今年の春」、母の死の有様を書いた「今年の初夏」、そして二歳違いの弟の死を描いた表題の「今年の秋」と続き、最後には、「若し私の死ぬ時が来たら、誰かが「今年の冬」としてその光景を書くだらうか、と予想しながら、故郷の家を出た」という言葉で閉じられる、晩年の心境を描いた一連の作品が、やはり味わい深い。
ほかの作品は、「小説とか随筆とか評論とかの区別を考慮しないで書くような気持ちになっている。その時々の見聞や感想を、文飾を施さず、心の浮かぶままに記しているのである」と、あとがきに書かれているように、肩の力の抜けたものが多い。実を言えば、本屋さんでこのあとがきを読んで、正宗白鳥の本を読んでみようと思ったのだった。

「別冊談 shikohin World コーヒー」

イベントの日までにフライヤーをいろいろなお店に置こうと思っているのだけれど、お休みの日に、なんとなく出歩く程度じゃなかなか置けないですね。
そんなわけで、週の真ん中、21日のお休みの日は、表参道まで行って、press sixやジュウ・ドゥ・ポゥムのお店をのぞいたり、NADiffで写真集を立ち読みしたりして、原宿方面まで降りてきて、YAFFA ORGANIC CAFEで遅めのランチを食べ、長袖シャツが欲しいなと思いながらLONSDALEやRUDENESS、FRED PERRYを見てみるもの、すでにお店の中は半袖ばかりという状態で、結局、LACOSTEで半袖のシャツを買ったりして、途中See More Glassでお茶、渋谷に出てきたところで、パルコの下のGeneral Storeを見てみたら、いつもならおいていないSサイズの長袖シャツがおいてあったりして、「さっき半袖買ったばかりなのに(しかもちょっと高かったんだよなぁ~)」と思いつつ、bunkamuraで始まったばかりの「レイモン・サヴィニャック展」を見て、夜はエッジエンドでやっている“In The Pacific”‥‥と、こうやって羅列すると、なんだか東京に出てきたばかりの大学生みたいな行動パターンで恥ずかしい。
“In The Pacific”は、先月まではカンフーナイトカフェという名前だったイベント。今月からちょっとだけDJの変更があったりして、再スタート。カンフーナイトカフェでは、ほんとオールジャンルという感じだったけれど、今回はジャズ~ソフトロック~AORとつないでいくような感じで落ち着いたいい雰囲気で、早めに帰るつもりだったのに、つい最後まで残ってしまいました。
ところで、週の真ん中でお休みが入ると、楽なのか余計疲れちゃうのか、よくわからなくなってしまいませんか?個人的には水曜よりも、週の前半ちょっと頑張って働いて、木曜日に休んで、金曜一日会社に行ったら週末、というのが好きなんですけどね。