先日、会社で回覧されてきたPC関連の新聞(?)を読んでいたら、最近が読めない人が多くなってきている、というテーマのコラムが掲載されていました。そのコラムでは、漢字が読めなくなったその原因として、字を書かずにキーボードで打つようになったからということをあげる人が多いと、よく言われる理由をあげておいて、その後、昔の開発者たちが、いかにPCに2バイトの漢字をキーボードで打ち、画面で表示させるために努力したかということが、文章の4/5くらいに渡って書かれ、最後の最後に、「でも、漢字が読めなくなったのは、パソコンのせいではなく、テレビのせいだと思う。~」と、いきなりそれまでのことがなかったかのような理由を出してきてひっくり返してしまうという、業界に気を使った結論で笑ってしまいました。
「東京っ子」は、前半で昔の東京の風習や風俗、暮らしについて、後半は戦時中に書かれた芝居についての文章が収録されてます。当時の演劇の様子はもちろん、出てくる役者の名前などがまったくわからないので、後半は、かなりちんぷんかんぷんで、実を言うと途中で読むのをあきらめてしまった。でも前半もわからない言葉が出てきたりしてあんまり理解できていないような気がするな。旧仮名遣いで書かれているわけではないのだけれど、読めない漢字もかなり出てくるし‥‥。いや、内容はおもしろいんだけどね。
でも「僕ら、私ら」は関西弁で、東京ッ子は「僕たち、私たち」というとか、東京ッ子は「かける」なんて言わない、「走る」と言う。なんて言われてしまうと、別に困らないけれど、なんだか困ってしまいます。ほかに「霧雨」は、関西では「きりさめ」、東京では「きりざめ」と濁る、「ド真ん中」など関西は「ド」をつけたがる、松茸は東京は「松だけ」と濁る‥‥といった言葉が例に挙げられてます。正しい言葉なんてないということはわかっているけれど、正しい日本語で話したり、書いたりするのには、その成り立ちや変遷までもわかっていないといけないのだな、と思ったりもします。う~ん、難しいなぁ~。
さて、わたしも含めて漢字を読めなくなったのは、パソコンのせいでも、テレビのせいでもなく、漢字を使わなくても普通に暮らしていけるからだ。特に不自由がなければ、無理して覚える必要もないし、覚えたとしても忘れやすいものだと思うのだけれど、どうなのだろう?適当。