吉祥寺のDropで隔月第2金曜に行われているフェビラス・パレードというイベントに行く。パレードは、友達がDJをやっているので、ときどき遊びに行く。いやよく考えてみたら、たまに、くらい。冬のあいだは、吉祥寺まで自転車で行くのは寒いので、12月、2月は行かないし、6月、7月は梅雨に入ってしまっているので、たいてい雨が降っている。で、10月くらいも台風が来ていたりする。となると、遊びに行っているのは、4月と8月くらい。DJのみなさん、今年はもう少し行くようにします。でも4月は毎年のようにいっている気がします。たいてい3時過ぎに出て、井の頭公園の桜を横目で見ながら、ふらふらと帰ってきてますね。
4時くらいに家に帰ってきて、少し寝た後、井の頭公園で友達と花見をする。井の頭公園で花見をするのは、何年ぶりだろうか。前回井の頭公園で花見をした時は、前の日に会社の人と渋谷で深夜まで飲んで、そのままタクシーで吉祥寺に出て、飲み直して、井の頭公園の近くに住んでいる友達の家で朝までしゃべって、そのまま花見をした。あれはもう、7年くらい前のことだったか。
この本の冒頭に、吉祥寺駅近くの芝居小屋での猿たちの様子が描かれたユーモラスな文章が収録されている。この文章が書かれた1956年のころの吉祥寺というのは、井の頭公園周辺というのは、どのような感じの街だったんだろうか。ここに出てくる猿のようにのんびりとした郊外の公園だったのだろうな、なんてことを、大学生や社会人の団体で狂ったように騒がしい花見の様子を見ながら、思った。
昭和32年、3月から6月にかけて、熊本日々新聞に連載された随筆をまとめたもの。「甘酸っぱい味」というタイトルですが、食べものや飲みものについて書かれたものばかりではなく、言葉や雑誌・新聞について、東京や大阪などの都市、文明、戦争や政治・歴史について、あるいは暇つぶしや煙草の煙について、思い出話、昔話といった身近な題材まで幅広い。もちろんバーや飲み屋、おでん屋など、食べものや飲みものについての文章もあります。
朝の8時就寝。mother dictionaryのフリマに行くので、9時半には起きなくてはいけないので、出かける前くらいに起こしてもらえるだろうと思って、ソファーで寝ることにする。・・・・と思ったのだけれど、隣で寝ているミオ犬も、隣の部屋から目覚まし時計の音が聞こえてくるにもかかわらずなかなか起きてこない。そんなわけで、結局、起きたのは11時、家を出たのは12時。フリマは14時までしかやっていないんですけどねぇ。
ルウ・ドーフスマンは、CBSの前副社長兼広告・デザイン担当クリエイティブ・ディレクター。数限りない広告、プロモーション用パッケージ、書籍、パンフレット、電波による宣伝、展示物やデザイン企画に関して、宣伝マンとしてクリエイティブ・ディレクターとして・・・・なんてことを、たいして詳しくもない私が書いてもしょうがないので割愛。
主人公は、南国の海辺の村に新しく赴任してきた甲田巡査。その甲田巡査が巻き込まれる大きな事件から小さい事件までの顛末が、彼自身の日記という形で描かれていきます。中には自殺や強盗といった深刻な事件も起こるのだけれど、どこかほのぼのとした雰囲気が漂っているのが、井伏鱒二らしい。
大学を卒業し壽屋に入社するきっかけから、宣伝部での開高健との交流、「洋酒天国」、東京での山口瞳とのエピソード、サンアド立ち上げの経緯、そして、自らの趣味である船について・・・・などを、柳原良平が語った本。随所に当時描いたイラストや漫画が掲載されてます。その後の仕事や作品の相性として、柳原良平と山口瞳というコンビの印象がどうも強くなってしまうけれど、大阪時代からの同僚として、開高健とのつきあいの方が長いのだなぁ、なんてことに改めて気づいたりした。開高健と山口瞳の「やってみなはれみとくんなはれ」も続けて読んでみるべきか。
「ku:nel」を眺めながらたまには料理でもしたいな、と思いつつ、夜中の3時半、会社帰り、旧山手通りを走るタクシーの中で、次の日曜日になにを作ろうか、なんて考えていたのは、もう2カ月前のこと。まだ冬の真っ盛りでものすごく寒かったけれど、2カ月経った今でもまだ寒くて、ピーコートが手放せない毎日。まだまだ春は遠いのか。井の頭公園の桜は少しくらい目が出てきたいしているのかな。
気分的にはその前に「饗宴」を読んだばかりだし、獅子文六の随筆もまとめて読んだばかりなので、しばらくいいや、って感じではある。獅子文六なら随筆ではなくて小説の方を読みたい。でもこういうときに限って100円コーナーの片隅にこういう本を見つけたり、気を抜いてほかに読む本がない、なんて状態になったりする。読み始めるとおもしろいんだけれど、もう少しお腹がすいた状態のときに・・・・という気分がつきまとってしまうのはしょうがない。
例えば今の若い人たちに、植草甚一という人はどのように受け入れられているのだろう。去年の9月からスクラップブックが再発されていて、時々本屋で平積みされているのを見かける。やはりある程度は売れているのだろうか、よく分からない。自分が興味をなくしてしまっただけなので、知らないところで意外と盛り上がっているのかもしれない。なんだか、私より少し下の世代で1990年代の半ばに植草甚一がブームだったときに、絶版で手に入れられなかった人たちが、まとめて買っているだけじゃないだろうか、という気もしないでもない。ほんとは持っていない分を再発で埋めてコンプリートにしたいところなのですが、実家に送ってしまってある──しかも冷蔵庫の裏に段ボールに入れたままで仕舞われているらしい──ので、自分がどの本を持っているのか正確に分からないという・・・・。
あとがきには