気がついたら7月ももう10日?、なんてことを最近、ずっと書いている気が‥‥。なんだかんだいっても土日はちゃんと休んでいるのだけれど、昼過ぎまで寝てしまったりして、気がつけば夜になってるという感じ。このサイクルを何とかしなくては、と、昼もとうに過ぎているのにパジャマのままでたばこを吸いながら、予想以上に繁ってしまい、6月の終わりから花が咲き始めているあさがおを眺めつつ思ってます。
さて、題名から簡単に想像できるように、露伴が亡くなる前後の様子をつづった作品。幸田文の読み始めにいいのではないかと、ブックオフで100円で売られていたものを買ってみました。露伴との関係を考えれば当然、冷静になれるわけもなく、正確な記録をとっているわけでもないので、基本的に露伴の病状に対する客観的な記述はほとんどなく、幸田文の露伴に対する気持ちやいらだち、哀しみ‥‥が、これでもかというくらいにはき出されています。そしてその取り繕わないストレートさ・誠実さに引かれるように、読んでいるこちらもドキドキしてしまう。
それにしても、子どもの頃、「あの子はできが悪い」といわれたことを、死ぬ間際にまで腹立たしげに、そして哀しげに思っている様子を読んでいると、親というのは軽はずみなことを子どもに対して言ってはいけないのだなぁと思う。そういえば私の母親もいまだに、何かある度におばあさんに対する愚痴を言ってる気がするな。
話は変わりますが、浅草寺の境内で開かれているほおずき市に行って来ました。毎年7月9日、10日に催されるのですが、今年は日曜日だったこともあって、浅草駅からものすごい人混みで、途中から小雨が降ったりもしたけれど、久しぶりに浅草を歩いて、きびだんごやあげだんごを食べたり、飯田屋でどぜうを食べたり、アンヂェラスでケーキを食べたり‥‥久しぶりに浅草を歩いてみると楽しい。こう書くと食べてばっかりですが‥‥。近いうちにもう少し早めに来てゆっくりといろいろなところを回ってみたいと思う。帰りにはちゃんとほおずきを一枝買って帰ってきました。
ところで、ほおずき市の日に浅草寺にお参りすると四万六千日分、日参したのと同様の功徳を得られるらしいです。「四万六千日って何年?」なんて「大人のDSトレーニング」みたいなことを言いたくなりますが、そんな日本の仏教のいい加減さが割と好きだったりします。
なんとなく、普段からいつか読んでみたいなぁ、と思っていて、本屋で名前を見かけたり、何かの時に話題に出たりするたびに、そういえば、と思うのだけれど、なかなか手に取る機会もなく、気がつけば何年も過ぎてしまっている、わたしにとってそんな作家の代表的な人が、幸田露伴と幸田文だったりします。
終戦三部作の一作目。表現の方法は違うけれど、終戦直後の価値観の変化に対する違和感の吐出は、どこか山口瞳と共通のものを感じます。ただ山口瞳の方が若いだけに、そして深刻に受け止めているために、よりストレートに嫌悪感が出ているけれど、獅子文六の方は、それをうまくユーモアで包んで作品として表現している。そういう意味では好みは分かれるのかな、どうなんだろう?
「スーパーマーケットいらっしゃいませ」を読んだから、というわけではないけれど、続けてスーパーマーケットの本。実際、買ったのはこちらのほうが早かったりします。月並みだけれどこういう本を見ていると、またどこかに行きたくなりますね。ただ最近こういうヨーロッパの雑貨を紹介するような本ばかり出ているなぁという気もして、個人的にはかなり食傷気味なことも確か。本屋さんに行くとものすごい勢いで平積みされているし、もうこの手の本は買う必要はないかな、とも思ってます。同時にカヌー犬ブックスの品ぞろえも少し違う方向にシフトしていくときなのかも、なんてことも考えてしまったり、しなかったり‥‥。まぁこれからことなんて、まったく分かりませんよっ。
平野恵理子の展覧会は、たいてい2年に一回6月~7月頃に行われていて、昔はこれを見るとなんだか夏が始まったような気がしたものです。なぜか雨が降っていた記憶もないし、暑い中、表参道を歩いたり、迷いながら広尾まで歩いて有栖川公園でサンドウィッチを食べたりしたせいかもしれません。友達からメールが来たときは、前回からもう2年も経ったのか、と、時の経つ早さにびっくりしていたのだけれど、これを書く前に、過去の雑記を調べてみたら、前回は2005年2月でした。あれっ冬?しかも一年前?
気がついたら6月ももう半分過ぎてました。うはぁ~。なんだか、なにが忙しいというわけでもないけれど、本の更新をするだけで精一杯で、雑記を書く余裕がなかったりします。いちおう“あれについてこう書こう”なんてことを、会社帰りとか寝る前とかに考えたりしているのですが、いざパソコンにむかうと書く気になれず、iPodに曲を入れてみたり‥‥。で、次の日になると、“なんだかわざわざ書くほどのことでもないな”と思ってしまう。って、こんなことこそどうでもいいことですね。最近は本もあまり読んでいないな。
今さらという気もしないでもないし、「2」や「改訂版」が出ていることを考えると、実際今さらなんだろうとも思ったり、この本が出てから、かなりCDの再発盤が出ているので、ひととおり聴くだけなら、ディスクガイドなんて必要のないかな、とも思ったりする。でも、なんだかんだ言っても、こんなレコードあったのか、なんていう発見もあるし、これは手に入らないんだろうな、なんてあきらめも含めて、ディスクガイドを眺めているのは楽しい。反面、ディスクガイドによって奪われた楽しみや発見も大きいような気もしてしまうけど。まぁ必要悪とも言えますね。
どちらかというと、すぐに影響を受けやすいタイプなので、たてまつるで暗室を借りて、紙焼きをしたせいで、モノクロ写真を撮りたくなってしまった。今回は特に、高浪さんの写真を見せてもらいつつどのように焼いているか、とか、知り合いの写真家がどんなことをしてるか、といったことを話してもらったりしながら、作業をしたので、前の写真美術館でのワークショップと違って、ものすごく楽しかった。
“短篇集”と副題がついているけれど、これはエッセイなのだろうか?フィクションなのだろうか?私小説なのだろうか?‥‥よく分かりません。「そういうことはどうでもいいことじゃないか」なんて声も聞こえてきそう。でも実際には、みんな主人公にコミマサさんを思い浮かべながら読むのだろうな、と思う。そしてそんな風にして、コミマサさんのイメージが人それぞれにどんどん広がっていく。本当のことは分からない。でも「そんなことはどうでもいいじゃないか」と。
こちらは、純粋な書評集。グルニエやグランヴィルといったフランスの作家はもちろん、パワーズ、オースター、クンデラ、そして村上春樹や保坂和志、伊井直行‥‥など、国もジャンル的もバラバラの84冊の書評が収録されてます。まぁ自分からというより依頼を受けて読んだのかな、という感じもないわけでもないし、実際、分量が短いこともあって、さらりとこなした、という感じは否めない。個人的には、この本を読んで、取り上げられている本を、実際に読んでみようという気にはあまりならないかも。同じように本を取り上げたものでも、エッセイだとおもしろいのに、ちょっともったいない気がします。