週末の富士見ヶ丘は、七夕祭りと題してなぜかサンバとよさこいソーランを踊る人たちが商店街を行進。通り沿いのお店が店の前に模擬店などが出してかなり盛り上がっていたけれど、なんだかなーという感じは否めません。先日、お店を閉めてしまったくだものやさんのおじさんが、模擬店の前で張り切っているのを見てちょっとほっとしてしまったりしたけどね。あと、「サンバカーニバルははなの舞までで終了です」というアナウンスが笑えました。普通の盆踊りは開催されるのだろうか。
そんな富士見ヶ丘を後にして、何年かぶりに阿佐ヶ谷の七夕祭りへ。二宮出身の私としては、子どもの頃から平塚の七夕祭りに行っていたので、なんとなく、8月に七夕というのがなじめなかったりするが、平塚に比べて規模が小さい分、飾りなども手作りっぽかったり、模擬店も通りの商店が出していたりして、町のお祭りという雰囲気がいい。ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターの飾りが多かったのはなぜだったんだろうか?
お昼ごはんは、通りの模擬店を横目で見つつ、パール街から少し入ったところにあるオトノハであんかけそばを食べた。沖縄ラム酒や中国茶、たんかんジュースなどの飲み物があったりするし、メニュー的には、沖縄料理~中華風~アジア系という感じなのだろうか。よくわからない。でもこじんまりとして店内もキレイだったし、あんかけそばも具がたくさんは行っていておしかったので、今はお昼の営業をしていないみたいだけれど、8月26日には朝市もあるらしいのでまたそのとき来たい。夜でもいいんですけどね。なにげに阿佐ヶ谷に飲みに行きたいところがいろいろあるかもね!?
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「I Can Fly」-Ruth Krauss、Mary Blair-
この本は、先月渋谷のロゴスでやっていた洋書バーゲンに行ったときに買った。といってもバーゲン会場で買ったわけではなくて、普通の売り場の絵本コーナーに置いてあったもので、値札に「セール」と書いてあったことを考えると、洋書バーゲンにあわせて値段を下げたのかもしれない。実際アマゾンよりで売られている価格よりも安かったし。
洋書バーゲンは、始まってすぐの頃と終わりの頃、2回行ったのだけれど、この本以外に特に買ったものもないです。初めの時は人が多すぎて本を見る気力がなくなってしまったし、終わりの方の時は、休日にもかかわらず会場はガラガラだったけれど、本棚も隙間ができていたし、ちょっと見た感じでもカバーが破れていたりして、なんだかなーという感じになってしまったのだ。バーゲンの会場とかで欲しい本を見つけられない、見つける気がなくなってしまうというのは、なんとなく勉強不足という感じがしますね。欲しい本があって、通常の本棚でそれを探すというのは、簡単なことだけれど、バーゲン会場みたいなところは、そういう本を買うのではなくて、今までちょっと手が出なかった本を探したり、今まで見たこともなかったけれどちょっとこれはいいかも、という本を見つける場所のような気がします。
あと、いかに背表紙だけでどんな本か推測できるか、ということにかかっているような気もするな。レコードと違って、CDや本は、ジャケットや表紙もよりも背で確認する要素が大きいから、きちんと文字を読んでいくわけではないので、ぱっと見て表紙を見るために本を引っ張り出すか、素通りするかの判断を、背でしなくてはいけない。で、その辺は普段どれだけ本を見ているかということに大きく左右される(なんて言ったら大げさか)。その本自体は見たことがなくても、シリーズものだと背の配置が似ていたりするしね。そういう意味でバーゲン会場で本を見つけられないというのは、勉強不足だと思うのですよ。最近ここで洋書や写真集を取り上げることもあまりなくなってきてしまっているしね。いや、いろいろ適当に書いてみたけれど、単に歳をとって体力と気力がなくなっただけなのかもしれないな、と‥‥。
「愚者の楽園」-獅子文六-
内容的には「最近の日本どうなってんの」的なコラムが多いので、これに「愚者の楽園」というタイトルをつけるなんて獅子文六にしてはストレートだなぁ、と思いながら読んでいたのだけれど、(といってもそんなに凝ったタイトルをつけることもあまりありませんが‥‥)あとがきによるとこのタイトルは、この連載の前の執筆者が名づけたものということです。獅子文六をストレートかひねくれているかという分類で分けると前者になると思うけど、なんとなく違和感があったので少し納得。
どうでもいいですが、この本は持ち歩くにはちょっと大きくて、普段、会社に持っていく鞄が小さいだけに、鞄に入らなくなることも度々あって、困った。獅子文六については、山口瞳と同じように、単行本ではなく文庫本で読もうと思っていたわりには、実際に読んでいるのは単行本のほうが多い。以前、友だちと獅子文六の話をしていた時、友だちが一冊一冊集めていくのが面倒なので、思い切って全集を買ってしまった、と言っていた気持ちがわかる。獅子文六の本って意外と見つからないものなのですよ。
何度も書いているけれど、ずっと海外文学ばかり読んできたので、全集を買うという選択肢が自分の中にあまりない。そもそも海外文学の全集って、(特に現代文学は)全然“全”ではなかったりするし、基本的に、ある作家の人気のある作品をまとめて出版しました、という程度のものでしかなく、装丁とかも普通。だからここ最近、同じ作家の作品を何十冊も読むようになって、はじめて全集を買いたくなる気持ちがわかりました。だいたい20冊くらい同じ作家の本が本棚に並ぶようになると、だんだん残りが手に入りにくくなることもあって、全集をセットで売ってないかネットでチェックしてみようかな、という気分になります。まぁ実際に買ったことはないんですけどね‥‥。
今日は暑かったので、夕方近くから、下北へ出て、マジックスパイスでスープカレーを食べた。レギュラーのものに辛さを「覚醒」「瞑想」「悶絶」「涅槃」「極楽」「天空」「虚空」の7段階で選べるんだけれど、わたしは辛いのが苦手なので、一番辛くない「覚醒」を選ぶ。応対した店員がちょっと大げさで、「覚醒」でも辛過ぎるという人もいます、とか、トッピングをなにもしないと私ならかなり寂しいです、みたいなことを言うのだが、「覚醒」はちょっと辛いかな、というくらいで、それほど辛くなくちょうどよかったし、野菜もたくさん入っていてぜんぜん物足りなくなかったです。バナラッシーも食べたせいかむしろお腹いっぱいで苦しい。でもエアコンが効いているにもかかわらず、テーブルの上になぜか団扇が置いてあるわけが食べていてわかりました。それにしても1階はジャムカヴァーで、2階はマジックスパイスというこの建物はどうなんですかね?
「大貧帳」-内田百けん-
なんだか貧乏話を続けて読んでしまった。普通なら「もういいや」という気分になってしまいそうなのだけれど、どちらも違う意味でどこかのんびりした雰囲気なので、気が滅入ることはなかったです。いや、吉田健一はほんとうに貧乏なのかわからない。乞食の格好をして文芸春秋社の前に座ったとか、戦後、米を転売しようとして東北まで行って、警察に捕まった話など、前に読んだことのある話でも、必要に迫られてというよりも、酔狂で、あるいはおもしろそうだから、みたいなところがある。あの吉田茂の息子で貧乏なわけないだろう、という気もするし、吉田茂はまったく息子に援助をしなかったらしいということなので、ほんとうに貧乏だったのかも、という気もするし、実際はどうだったのか。そんなことはどうでもよろしいって言われそうだが‥‥。
それに比べて内田百けんは、家財の差し押さえや給料からの直接の天引き、高利貸しからの呼び出し‥‥など、実情はかなり悲惨。でもそんな時でさえ無理矢理返済を迫る高利貸しに対して、相手の立場で考えてみれば‥‥なんて言い出してみたり、同情したりしてしまう本人の楽天的な言動と、おかしみのある文章にかなり救われている。いかにも明治時代の育ちのよいお坊ちゃんという感じですね。そもそも「士官学校へ出任して、初めて四十五円の月給を取り出した時、彼は月額八十円以上の生活をしていた。それが八十円に昇った時は百四五十円、百八十円になった時は三百円近くの生活といったような塩梅で~五百円あまりの棒給を取るようになっても、その時はもう僅かにその四分の一で生活しなければならないような目に遭っていた」なんてことがなんでできるのか。いい意味でも悪い意味でもそういう図太さがないと、借金さえできないということなのかもしれない。
借金というと、なんとなく思い出してしまうのが青山二郎だったりする。著作をそれほど読んでいるわけではないので単なる連想に過ぎないのだが、骨董屋で見つけたものを、自分の財布と相談せずに、借金してまでも買ってしまう、そんなイメージ。ただ青山二郎の場合は、借金してもそれ以上の価値のある品物が手には入っているし、それだけの鑑定眼もあったので、生活感はない。同じ借金でもずいぶん違うものだ、と思う。
うちの会社は凝り性の人が多くて、毎週のように旅行に行っていて一年先まで旅行のスケジュールが決まっているという人や、何十万もする自転車を何台も持っている人、暖かくなるとお休みの度に釣りに行って真っ黒に日焼けしてしまう人、家にホームシアターを設置している人、オーディオマニア、そしてソフトウェアも出していることもあり、パソコンやデジカメ、GPSなど新しいデジタル機器のチェックは欠かさない人‥‥など、さまざま。なんたって、インタビューで「うちの会社ははもともとハッカーが多い会社なんで~」なんて、ポロッと言ってしまい、そのままWebページが公開されてしまって、社内で問題になるような会社ですからね。だから飲みに行ったり、昼ご飯を食べながらそんな人たちの話を聞いていると、自分はまったく物欲がない人間なんだなぁ、とつくづく思う。わたしが最近買ったデジタル機器なんて、去年買ったiPod nanoくらいだもの。CDも無印で買ったコンポで聴いてるし、レコードプレーヤーも1万円もしないものだし、DVDは再生専用のものしか持ってないし、パソコンもノートだし、唯一買っているものといえば本とCDぐらいなものなのだけれど、それだってアナログを買わなくなったからレア盤とも無縁だし、本もだいたい500くらいで買える古本ばかり‥‥。だからといって給料の大半を貯金にまわしているってこともないっていうもの困ったものです。
そういう意味では、今借金があるわけじゃないけど、もしわたしに借金がかさんでしまうという状態が起きるとすれば、どちらかというと内田百けんタイプになるのだろうか。てきとう。
「乞食王子」-吉田健一-
カヌー犬ブックスも少し本の量が増えてきたし、これ以上分類分けをしてもわかりにくくなるだけになりそうなので、思い切って検索を作ってみました。といっても、全文検索は難しそうなので書名と著者名で引っかかるものだけ、複数語の単語は入れられないという簡単なものです。検索を考えたときからどうしようと思っていた著者名のゆれも考慮していません。海外文学は、翻訳者や出版された時期によって著者名の表記が変わってしまうのが困ったところ。ほかの検索サイトはどうしているのだろう。ちゃんとデータベース作ってるのだろうか。なので、例えば「ジョン・アップダイク」と入力しても「ジョン・アプダイク」は検索されないため、「ダイク」とか適当に入れてもらえるとうれしいです。もしくは少し増えてきたと言ってもそれほど多くの在庫があるわけではないので、「ジョン」でもいいと思います。
基本的に表示などは今動いているプログラムを使って作ったせいで、検索のプログラムと購入のプログラムがぶつかってしまい、昨日は購入のプログラムが動かなくなってしまってました。ご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした。不具合があるたび思うのだけれど、そろそろプログラムもデザインもリニューアルするべきなのかもしれません。
「ロンドンのパブ」-吉田健一、高城明文-
10年ぶりくらいにUKロックを聴いてる、なんてことを前に書きましたが、意外にもまだそのブームが続いてます。結局今でもよく聴いているのは、The ViewとThe Riflesだったりするのだけれど、最近はLittle Man TateとかThe Ripps、Dogs、Jack Afroといったバンドをよく聴いてますね。前回聴いてみたいと書いていたMaximo ParkとかMilburnは、ちょっと飽きてきちゃってるし、Kaiser Chiefsなんか今では聴く気にもならなかったりして、なんだかんだ言って、もともと好きなJam~Buzzcocksあたりの音に近いのパンクぽいものに行き着いているという感じでしょうか。もっとさかのぼっちゃうとやはり60年代のブリティッシュ・ビート・バンド系の音と引き継いでいるバンドということになるのだけれど、かといってDraytonesはどうかな、どうしよう、と。ここまでくると60年代のバンドを聴けばいいのでは、と冷静に思ってしまうけれど、どうしたものなのか。
ところで話は変わりますが、UKロックという言葉はいつから使われ始めたんでしょうか。60年代の音楽はブリティッシュロックと言ってますよね。わたしのイメージ的にはパンク以降のバンドはUKロックで、それ以前はブリティッシュロック、微妙なこところでグラムロックは、ブリティッシュになるのですが、「レコードコレクターズ」あたりではどう使い分けてるんだろう?読んでないからわからないけど。でもネットを見ているとビートルズやストーンズ、ツェッペリンなども普通にUKロックを呼ばれていて、個人的にはちょっと違和感が‥‥。
なんて話を書きつつ、そんなわけで最近はレコード屋で新譜コーナーをチェックすることが多いのだが、先日ニック・ロウの新しいアルバムが出ているのを見つけて「おぉ!」と思ったことや、やっぱりパブロックとかSTIFFレーベルとかのバンド聴きたいなぁといったことを書きつつ、この本の紹介に持っていこうと思っていたのですが、やっぱり無理があったかも。そもそもパブロックのパブとこの本に出てくる「ロンドンのパブ」とは同じ“パブ”でも雰囲気違いすぎかぁ‥‥。
「ユーモア・エッセイ 王様と召使い」-檀一雄-
台風の通り過ぎた3連休の最終日にユーロスペースでケン・ローチの「ナビゲーター ある鉄道員の物語」を観に行ってきました。「ケン・ローチの映画 1969-2006」と題された特集で、14日から27日まで、「ケス」「マイ・ネーム・イズ・ジョー」「ブレッド&ローズ」「ナビゲーター ある鉄道員の物語」「SWEET SIXTEEN」「やさしくキスをして」「麦の穂をゆらす風」「明日へのチケット」の7作品が上映されています。“1969-”というわりには、「ケス」以外は最近の作品ばかりなのがちょっと不満なのだけれど、次にいつ見れるかわからないので、これを期に観ていない作品を観ておきたい。でも期間も短いしどうだろう。ちなみに観ていないのは「ブレッド&ローズ」「ナビゲーター ある鉄道員の物語」「明日へのチケット」の3作品ですね。もう少し長い期間で上映されるんだったら、「マイ・ネーム・イズ・ジョー」をもう一回観たいところなんですが‥‥。
「ナビゲーター ある鉄道員の物語」は、イギリスの鉄道が民営化され鉄道会社の再編化されることで右往左往する労働者たちの顛末を描いた作品。一緒に働いていた人が違う会社の人となり、ライバル会社の社員としてスパイ扱いを受けたり、効率化という名のもとにリストラが行われ、派遣社員として働かざるえなかったり、派遣社員が多くなるにつれて本来業務を受け持っていた会社に仕事が回らずに経営が悪化していく‥‥など、深刻なテーマを正面から取り上げているにもかかわらず単なるドキュメンタリー映画とならないのは、深刻でありながら登場人物たちのどこか滑稽なやりとりや、体制への批判だけではなく、労働者たちへの皮肉もときおり出てきたりするからか。まぁその辺は、この作品だけでなくケン・ローチのどの作品にもいえることだけど‥‥。目先の少しの利益のために(それだけではないんだけれど)会社を辞め、明日仕事があるかどうかもわからず、けがなどの対する保証もなく、道具や通勤費さえも自分で出さなくてはいけない派遣社員として、より過酷な状況で働き出す元鉄道員たちの様子を、冷静に映画を観ていると「なんだかなー」と思ったりしてしまうけれど、実際の自分もあまり変わらなくて、かなり気が滅入ってしまいます。いや、それもこの作品だけでなくケン・ローチのどの作品にもいえることだけど‥‥。
映画が終わった後、ちょっと時間があったので表参道まで足をのばして、岡本太郎記念館でやっている「タナカカツキの太郎ビーム展」を見てきました。タナカカツキによる岡本太郎へのオマージュという趣の展覧会で、スライドなど、うまく岡本太郎の世界とタナカカツキの世界が融合させた展示もあるものの、どちらかというとタナカカツキ色は薄く、太郎寄りの作品が多い。あともう少し展示が多かったらよかったのになぁと思う。場所が場所だけに数を増やすのは難しかったのかもしれませんが、数が多ければもう少しタナカカツキ寄りの作品も展示できただろうに‥‥。
「尾崎翠集成(下)」-尾崎翠-
先週はちょっと忙しかった。普段、働いていないわけではないけど、3、4日遅くまで働いたりすると、家に帰ってきてメールの返事を書いて、次の日に発送する本の梱包をしたら、もういっぱいいっぱいという感じになってしまいます。当然この雑記を書く気にもならず‥‥。まぁそういうときもあるよね、と。初めに入った会社が編プロだったせいもあり、締め切り間際にガーっと仕事して、終わったらちょっとのんびりして、で、また「さて次行きますかぁ」なんてぐあいに次の仕事が始まる‥‥という波があると仕事してるなーという気になったりします。まぁいつも山ばかりだともう体力がもたない、ということもあるけれどね。そんなわけで、今週は、とりえず山積みになっていた資料やプリントアウトを全部閉まったり捨てたりして、机の上もきれいになったので、窓際に避難しておいた多肉植物を机の上に戻したりしながら、ちょっとのんびりと仕事してます。
多肉植物は、先日、お弁当を食べた後に食べたチチヤスのヨーグルトの容器で育てているのだけれど、室温が一定しているのと(「チーム・マイナス6%」への参画とかで社内のエアコンもちょっと弱め)、週末は日の当たる窓際に移動させているせいか、家で育てているものよりも早く育ってきていてうれしい。今から心配することでもないけれど、社内だから冬も安心だしね。とはいうものの、チチヤスの容器は、ちょっと小さい。加えて底より口のところが狭まっている形なので、植物を育てるにはあまり向いてないかも。ほんとは牛乳プリンの容器とかがあっているのかもしれません。
週末に近所の西友で買い物をしていたら、たばこの自動販売機の横に下げられているキャンペーンの応募はがきの中にチチヤストリプルキャンペーンのはがきを発見。5000円のキャッシュバックはおいといて、チー坊のトートが欲しい。いやストラップでもいい。でも締め切りが7月31日で、対象商品10ポイント集めるのはちょっとなーと思いつつも、昼休みの後、会社でヨーグルトを食べていたら、会社の人も買って食べてくれて、2日で5ポイント。予想外に短期間で射程距離に入ったので、2口とか応募できるんじゃないか、なんて妙に張り切ってしまったりして。でもそのためにこれから7月いっぱいは昼休み後にヨーグルトを食べる日々が続くのか!?
「尾崎翠集成(上)」-尾崎翠-
じゃ、この晴天に便乗して、日曜日、西荻古本屋巡りでもするか?いやいや阿佐ヶ谷住宅にするか?なんてことを友だちと言っていたら、午後から雨ですよ。なんなんだ?
とはいうものの、浜田山で待ち合わせしてバスに乗って阿佐ヶ谷住宅へ。雨の阿佐ヶ谷住宅もなかなかいい。トタンギャラリーが期間限定で開いていたので、ちょっと中に入ったり(後で知ったのだけど、24日までだったらしい)、傘を差しつつ公園や通路を歩いたり、団地の階段を回ってみたりする。でていけーといわれたらすぐに出ていくので、取り壊される間の少しの期間でもいいのでここに住みたい。
阿佐ヶ谷住宅を出た後は、カルカッタカフェでカレーを食べる、。開店1周年だそうだ。去年、吉祥寺の三越のおもちゃ市で偶然会って、「阿佐ヶ谷にいい物件が見つかりそうなので、念願のカレーカフェをやることになったんですよ」なんて話を聞いたのは、去年の春か‥‥。はやいなー。いやいやその三越ももうなくなってヨドバシカメラになってますよー。7月にはタワーもその上に入るらしいし。早いというか、びっくりするな。
そのまま西荻移動して、古本屋を回ったり、それいゆでコーヒー飲んだりして、家にいたミオ犬と合流して、Aparecida(アパレシーダ)へ。ここはディモンシュのフリーペーパーで堀内さんが紹介していたお店で、「ブラジル」をキーワードにしたショップ。ブラジルの雑貨やレコード、CDがあってブラジルのお酒や料理などもあるということで、前々から気になっていたのです。とりあえず、おいてあるレコードや雑貨を見たり、ブラジルのおつまみをつまみながらビールを飲む。でもメニューにあまり食べ物がなかったので、やっぱりちゃんとご飯を食べたいねぇ、ということになって、隣の三人灯に移動、10時くらいまで飲んで、ちょうど雨の止んだ中、歩いて帰る。三人灯は日曜の夜というのにずっと満席。その中で塚本晋也やナゴムの話をする三人組でした。
さて話変わって、今日、仕事をしながら、隣の人と何かのきっかけで、「爆裂都市」の話になったとき(どんなきっかけだ?)、「あれに出てるよ俺」と。「クレジットには製作助手で出てる」「えぇそうなの?」「うん 石井総互監督と一緒に映画作ってた」なんて話しつつ、ググってみたらちゃんと名前が出ていてびっくり。前に大滝詠一のレコーディングに立ち会ったという話もしていたし、この人は何者なのか。なんでうちみたいな会社にいるのか?よくわからん。それで「遠藤みちろうはさぁ、すごいよ。普段は普通のどちらかというと礼儀正しい人なんだよ。それがさぁ~」「ライブになるとにわとりや豚ですもんね~」なんて会話が、午後の社内でもりあがるのもいかがなものか。ここは飲み屋か?
「海の泡―檀一雄エッセイ集」-檀一雄-
6月に入ってから天気がまったく読めない‥‥。見るたびに天気予報も変わるので、当日の朝にならないと、はっきりわからない。というのはすでに“予報”ではないんじゃないかと思うがどうなんだろう?おまけに先日、関東の梅雨入りは間違っていました、というニュースまで出ていて、なんとなく梅雨が明けてからが夏というイメージがあったりするので、それじゃ、先週までの晴れは春?初夏?なんて思ってしまったり、昨日今日の雨は春雨?なんて思ってしまったり‥‥。
そんなわけで、週末飲みに行ったときは、「明日は上野水上音楽堂でやるLOVERS FESTIVALに行くから雨が降らないといいなぁ。屋根はあるけど、一応野外だし‥‥」なんて言っていたのに、朝起きてみたら晴天で、それはそれでうれしいのだけれど、ここまで晴れなくても、という気分になった。出演者は、高橋健太郎、ChesterCopperpot、高橋徹也、朝日美穂、Chocolat & Akitoの5組。こう言ってはなんだけど、どこか懐かしいメンツ。ちゃんと今でも聴いてるのってChocolat & Akitoくらいか、というか、ショコラはあんまり聴いてないから、片寄明人くらいか。でもChocolat & Akitoの「Tropical」は良かったな。片寄明人のポップスを作る音楽家としてのいい面が出ていて、ロッテンハッツの「SMILE」、とりわけ「ノー・リグレッツ」を複雑な気持ちで聴いていた人間としては、感慨深いものがあります。それから片寄明人を音楽家として考えたことがこれまであまりなかったかも、ということにも気づかされたり、片寄明人がショコラにその「ノー・リグレッツ」を提供して、その後結婚したとき、山下達郎が、自分のアルバムと竹内まりや(あるいは、吉田美奈子、大貫妙子)のアルバムで、自分の音楽性を使い分けているように、グレイト3とショコラで使い分けていくのかな、と勝手な憶測をしていたな、なんてことも思い出したりしました。実際はぜんぜん違ったけれどね。もともと、一つの感情だけでなく対局にある感情や相反する感情、両方を一つの曲に入れたい、みたいなことを言っていたので、そんな風に簡単に切り分けられるものでもないのだろうと思うけれど、それより前に、そうやって職人のように使い分けられるほど器用な人でもないような気がします。これもわたしの勝手な憶測ですけどね‥‥。
ライブのほうは、ショコラのキーボードと片寄明人のギターのほかに、リトル・クリーチャーズの栗原務がドラムを担当。最小限のメンバーで片寄明人もギターを弾きまくるというタイプではないし、もちろんショコラもキーボードがうまいというわけではないのに、安定したいいライブに思えるのは、アレンジのセンスのせいなのか、栗原務のドラムがうまいせいなのか。それよりも片寄明人と栗原務に囲まれるとショコラの顔が小さいことが強調されすぎで、そればかり気になってしまいました。