「東京の空 東京の土」-鷲尾洋三-

阿佐ヶ谷会の作家の私小説や随筆を読んでいると、どのエピソードを誰についてのものだったのかごちゃ混ぜになってしまう、といったことを前に書いたような気がするけれど、大正から昭和にかけての東京についてのエピソードも、だんだん作者がわからなくなってきてます。特に鷲尾洋三は、三田出身で文藝春秋の編集者という経歴をもった人なので、池田弥三郎や戸板康二、獅子文六、永井龍男など、よく読んでいる作家とのつながりが大きい分、同じではなくとも似たようなエピソードが出てきたりしてちょっと混乱気味。でも、そういった人たちのつながりを確認できるのも、こうした本を読む楽しみの一つでもあるわけで‥‥。

先週末から始まった豆本展は、いろいろなところに取り上げられていたり、会場の場所もよいこともあって盛況なようです。私が当番だった土曜日は、お客さんがとぎれることもなく、時には人だかりになっていたりしてました。わたしもお客さんがいない時間に出品されている豆本を見て、次回の参考にしようなんて思っていましたが、どれもかなり精巧に作られたものばかりなので、とても“参考”できるものではなかったです。う~ん、世の中には器用な人がいるもんだなぁ、なんて思うとちょっとため息が‥‥。

「ノラや」-内田百けん-

ノラがいなくなった後の取り乱し方が鬼気迫っててすごいとか、なんとか、あるけれど、単純に「~や」、とすっかり聞かなくなってしまった呼びかけがやさしいタイトルがいい。今や「おばあさんや~」「おじいさんや~」しか似合う言葉が思い浮かばないくらいですが‥‥。「●●さんや~」と名前についけるのはありか?“さん”をつけずに名前だけで「がくや~」と呼ばれるのはちょっと勘弁だな。

突然ですが、三軒茶屋にある生活工房ギャラリーで、9月21日(金)から9月30日(日)まで開かれる「箱の中の豆本たち~小さな豆本の小さな展覧会~」に、「PickwickWeb」で販売したり、カヌー犬ブックスでプレゼントしていたMOサイズの写真集を出展することになりました。わたしは、9月に入った頃に、知り合いから誘われて、図々しくも2つ返事で参加することになったのですが、展覧会のサイトを見てみたら、作品としてものすごくきちんと作られている豆本ばかりで、今さらながらちょっと気後れしてます。でも、それぞれの作家さんが30×30cmのボックスの中に思い思いのレイアウトで豆本を展示するということなので、どんな風になるのかかなり楽しみ。いろいろな作家さんの豆本を見たり、手に取ったりして、次に作るときの参考にしちゃおうかな~なんて思ったりもしています。興味のある方はぜひ見に来てくださいね~

 →箱の中の豆本たち~小さな豆本の小さな展覧会~
 →生活工房ギャラリー

「オランダ帆船と北欧フェリーの旅」-柳原良平-

なにかにせっつかれるように気を使い、どこか気の休まることがない山口瞳の紀行文や、世界中を旅し未開地にまでも入り込み、どちらかというと旅と言うより探検に近いような開高健の旅行記(こっちはイメージか)に比べると、柳原良平の旅は、マイペースでのんびりしていていい。この3人が同じ会社で机を並べて仕事をしていたのが不思議でもあり、これだけキャラクターが違い、それぞれがプロフェッショナルでもあるこの3人が同じ部署にいたら、できない仕事はないんじゃないかとも思う。なんとなく開高健が一番年上でそのすぐ下が山口瞳、ちょっと離れて柳原良平というイメージを持っていたのだけれど、実際に調べてみたら山口瞳が一番歳上で1926年生まれ、その下が開高健で1930年、柳原良平は開高健と一つ違いで1931年生まれ、だからどうしたということでもないけれど、「ふーん」と感じもします。アムステルダムで行われた帆船パレードの様子を描いた「オランダ紀行」とドイツとフィンランドの港、船をめぐる旅「北欧日記」でも、のんびりと、そしてどこかユーモラスな雰囲気で、楽しい。読んでいると素直にオランダやフィンランドに行きたくなってしまう。山口瞳や開高健の紀行文を読んでいても面白いんだけれど実際に行きたいとはあまり思わないものね~

「うたたね」-川内倫子-

前回、朝市について書いていたら、夕市をやりたくなってしまった。ちょっと広めの場所を借りて、市コーナーをラウンジコーナーの二つに分けて、市コーナーでは、パンやクッキー、ケーキ、もしくはちょっとしたおつまみみたいなもの、コーヒーや紅茶、アルコール類の飲み物、雑貨や古本などのお店を出して、ラウンジコーナーでそれを食べたり、飲んだり、雑談してもらったりして。コーナーを分けるのがポイントです。ついでにラウンジコーナーにはDJとか入れちゃったりして、なんて妄想が‥‥。う~ん、ホントにやる気はないけどね~

あんなに暑い日が続いていたのに、急に涼しく過ごしやすくなったなぁ、と思ったら台風が来た。夏の終わりに聴きたいCD6枚、前編、なんてタイトルでつらつらと書いていたのに、いきなり秋になっちゃうのかな。週末はまた暑くなるのかな。

■「Ray Barbee Meets The Mattson 2」-Ray Barbee meets THE MATTSON2-
一昨年、昨年の夏にファーストの「In Full View」を聴きまくったので、春にこのアルバムが出たときは「夏になったら聴こう」と思っていたのだけれど、すっかり夏も終わり。
双子ジャズ・ユニット、マトソン2との競演の影響か、趣味的で軽快なギターインストから、ジャズっぽいサウンドになっていて(ハービー・ハンコックの「Maiden Voyage」のカバーもあり)、それはそれでミュージシャンとして評価できるのだが、個人的にはちょっと肩すかしな感じ。こういう音楽は、あくまでも余技なんで、といった余裕がないとつまらなくなってしまいがちなので(いわゆるクラブ系と呼ばれてる人たちも同じ)、次がちょっと心配。でもサウンドがカチッとした分、夏真っ盛りの時に聴くよりも夏の終わり聴いた方があっているかもしれません。

■「Canto de Hermanos」-Epstein & El Conjunto-
先日、1時間半くらいタワーにいて、暇つぶしに試聴しまくっていたときに見つけた一枚。打ち込みのリズムとギターのアルペイジオ、そしてちょっとサブリミナル・カームの「カントリー・リヴィング」に似た涼しげなフレーズが入る1曲目を聴いただけで、ノックアウトでした(後でちゃんと「カントリー・リヴィング」を聴いたら全然違うフレーズでした)。
エプスティンは南米エクアドル出身の移民で、マイアミ、アトランタと移り住み、現在はブルックリンで活動するミュージシャンということくらいしか知りません。2004年には、バルセロナで行われたソナーにも出演しているらしい。ディスコやロッキンなブレイクビーツともミニマムなエレクトロニカでもなく、ミディアムテンポのリズムにかぶさる浮遊するようなアコースティックなフレーズが心地よいアルバムです。このCDを出しているRL66というレーベルがちょっと気になってます。

■「ラジオ」-ハセハジム-
これはけっこう前にアルバムですが、中のCDだけ行方不明になってしまっていたのが最近見つかったので、また聴き返してます。リゾートで聴くラジオ番組というコンセプト。1980年代の後半、おしゃべり中心になる前のFMラジオへのオマージュか?安易に英語のナレーションを挟んだだけといったものではなく、あくまでもコンセプトであり、そのイメージを抽出したサウンド、曲の並べ方であるというところが気に入っています。
打ち込みのリズムとスティールパンの響きがこんなにあうということにびっくりしつつ、15年くらい前、デジタルで録音されたスティールパンのCDの音があまりに悪くて、友だちと「やはりスティールパンみたいな楽器はアナログ録音のほうがいい」と話したことを思い出しました。(後編の3枚へ?)

「午前と午後と」-永井龍男-

主人公の若い男女二人を中心として、午前中の人生を送っている人たちと午後の人生を送っている人たちと描いたという作品。登場人物をもう少し絞って、それぞれの人生にきちんと焦点を当てて欲しかったかな、とも思うけれど、その辺の軽さが永井龍男の娯楽小説のよさだったりもするので何とも言えない。間違っても講談社学芸文庫などで再刊されることはないだろう、そんな作品。

7月から9月17日まで八王子市夢美術館でをやっている「ますむらひろしの世界展」に併せて行われた「ますむらひろし・よしもとばなな対談講演会」に行ってきました。よしもとばななの本を読んだことがないので、いつ改名したのやら、ひらがなの名前同士の対談は、進行役の編集者の段取りが悪すぎ。進行役ならば、事前にどんな質問をするかぐらいは考えてきて欲しい。そもそもますむらひろしとよしもとばななの話も聞いてるのか聞いてないのかわからない感じだったし、たまに質問を出しても答えにくい質問だったりするし‥‥。まぁそれでも1時間半というわりと長い時間で南米に旅行した話やガロに描き始めた頃の話などが聴けて、また進行役との「‥‥」なやりとりも含めておもしろかったです。
展覧会のほうも、初期のものすごく書き込んあるイラストテイストなものから、マンガの原稿、奥さんが色を塗っているというカラー作品まで、多くの作品が展示されていて見応えあり。ひさしぶりに「アタゴオル物語」読み返してみよう。

ところで、対談の前には「ハナユラカヒミ」というケーキ屋さんで開かれていたハナユラ市にもちょっと寄ってみました。道沿いの小さなお店には人がいっぱいで、しかもお昼くらいになっていたので、パンなどももう少なくなっていて、ランチを買って食べる時間もなく、ホントにただ寄ってみただけなんですけどね。でもお店の2階(普通のアパートの部屋)も開放して雑貨や古本もあり、なかなかいい雰囲気でした。
このあいだ行った国立のニチニチ日曜市や阿佐ヶ谷のオトノハ朝市とか、最近は日曜市がはやっているのだろうか?どこも雰囲気はいいんだけれど、どこも小さなお店で人がぎゅうぎゅう詰めになっているので、もう少し広い場所だったらいいのになぁと思ってしまいます。

「ちいさい隅」-大佛次郎-

大佛次郎の随筆を読みたいな、とずっと思いつつも、機会がなく時間が過ぎてしまった。「猫のいる日々」について書いたのが去年の3月、ようやく2冊目です。
日々の移り変わりや出来事をとおして想う事柄が、適度な力加減でつづられていていい随筆だなぁと思う。10年後ぐらいにまた読み返したい。実際のところ、読み終わった直後にまた読み返したい、と思わせる随筆やエッセイはそれほどないものなのだ。ちなみにあとがきは永井龍男。これから10年、20年経って新しい作家との出会いがあったとしても、この大佛次郎や永井龍男、吉田健一、小沼丹、井伏鱒二、木山捷平といった作家は、ときおり読み返すことになるのだろう。

そんなことを考えたのは、夏の初めくらいに、今買っているこのCDを自分はいつまで聴き続けるのだろうか、自分にとって一生つきあっていけるアーティストやジャンルはなんなんだろうか、ということを、ふと思ってしまったから。少なくとも60や70歳になったとき、ハーフビーやジャスティスは聴いていないのではないだろうか。ソフトロックやギターポップはどうなんだろう?ボサ・ノヴァ?ジャズ?なんて考えたり‥‥。でもこれから20年、30年後と思うと、1960年代の音楽なんて60年、70年前の音楽になってしまうのか、なんて計算をすると愕然としてしまいます。まぁどうでもいいことだけれど、どうなっちゃうんでしょうねー。そもそも今持っているCDを20年、30年後に聴くことができるのか?という疑問もありますしね。そういえば昔、CDが出始めた頃、CDのデータは10年くらいで全部消去されてしまう、なんて噂もあったな~

で、おじいさんになっても演奏したり歌ったりしている音楽ならば、歳をとっても聴き続けられるのではないか、という安易な考えのもと、今年の夏は、おじいさんのCDばかり聴いてました。
まず頭に浮かんだのが顔が、イブライム・フェレールとカルトーラ、それからリコ・ロドリゲス、アンリ・サルバドール。とりあえず、ブームから10年遅れの「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」から聴いてみたら、あのときは嫌な経験もあってキューバ音楽を聴く気になれなかったのだけれど、今聴いてみるとよさがわかるというか、あのとき聴かずに今になってはじめて聴いてよかった、なんて思う。映画公開後に、ルベーン・ゴンサレスやコンパイ・セグンド、エリアデス・オチョアといった人の単独のCDが意外とたくさん出ていたのにびっくりしつつ、このまま古いソンまで聴いてみるかどうかちょっと思案中。やっぱり個人的には、ファニアみたいな盛り上がりまくりのサルサよりも、ゆったりとしたメロディが心地よいソンの方が好きだ。

サンバのほうは、もともと好きだったカルトーラをはじめ、ネルソン・サルジェントやギリェルミ・ジ・ブリート、オス・イパネマズ、ウィルソン・モレイラといったCDをよく聴いてました。
そんなわけで、コンポの横に積み上げられたCDのジャケットは、どれもおじいさんの顔ばかりで、平均年齢も80歳を越えているのではないかと思う。なんたって「愛するマンゲイラ」を発表した時のカルトーラの歳が69歳で最年少なのでは?という状態ですから。でも、どの人もいい顔をしていて、いつかこんなおじいさんになりたいなぁ、とコンポに入っているCDを変えるたびにちょっと思ったりもします。

「Concorde」-Wolfgang Tillmans-

渋谷のHMVの6階にある青山ブックセンターが9月で閉店してしまうそうです。オープンしたのが昨年の11月なので1年持たなかったのか~と思うとちょっと寂しい。たまに写真展を見に行ったりしただけだったけれど、いつもがらんとしてたからなー。近くにあるリブロのほうが行きやすい場所にあるし、タワーブックスみたいにHMVのポイントがつくわけでもないので、わざわざ6階まであがって行く気にあまりなれなかったのも事実。個人的にはABCは、レコード屋で例えると一時期のWAVEみたいな位置づけですね。いくらHMVが渋谷系をあおろうが、タワーレコードがビルになろうが、WAVEは別格、みたいな感じ。両方とも会社としてダメになっちゃったところも似てるのが哀しいけれど‥‥。まぁABCは、本店や六本木店などもまだまだ健在なので頑張って欲しいです(と、なぜか上から)。
そんなわけで、本格的なセールは9月7日から17日みたいですが、すでに50%OFFになっている本もあり。珍しくじっくり眺めていたら、前々から欲しかった「Concorde」があったので迷わず購入。7日にまたチェックしに行かなくては。

Wolfgang Tillmansの写真集は、TASCHENから出ているベスト的なものは持っているのですが、この「Concorde」だけは、単独で欲しいとずっと思っていたのでうれしい。というか、amazonで3500円くらいの本を5年以上待たなくても、と自分でも思うが‥‥。まぁそんなことはおいといて、この本が出たのが1997年、今からちょうど10年前、コンコルドの運航が廃止されたのがそれから6年後の2003年、そんなことを思いながら見ていると、遠くの空に小さく写っているコンコルドの姿が、発売されたときとはまた違う感慨に覆われているような気がしてしまいます。コンコルドの写真集であると同時に、それを含めた空の写真集でもあるとも思う。そして、コンコルドが過ぎ去っていく背景には夕暮れの空が似合う。いや、7年前だったら昼の突き抜けた青い空をコンコルドが飛び去っていく姿が美しい、なんて書いていたかもしれません。

8月最後の週末は、福生の横田基地日米友好祭に行ってきました。去年は行かなかったのだけれど、もう4、5回目になるので、昼間から行くと太陽を遮るものがなく、もちろんエアコンもないので暑いとか、花火が始まるのは8時半からだけど、6時半にゲートが閉まってしまうとか、牛浜から行くよりも福生まで行って散歩しながら基地まで戻った方が、米軍ハウスや雑貨屋さんなどいろいろ見れて楽しいとか、戦闘機の写真を撮るときは、座席や機体の頭と水平にカメラを向けた方がいいので脚立を持っていくべきとか(まさか持っていかないけど)、だんだん知恵がついてくるものなのだが、途中でお茶したDEMODE HEAVENで出てきたサラダとフィッシュ&チップスが、Sサイズなのに大盛り過ぎてお腹いっぱいになってしまい、基地内でケーキくらいしか食べられなかったり、6時半になるとゲートだけでなく戦闘機を展示しているスペースも閉鎖になってしまい、せっかく基地の中に入ったのに戦闘機を見ることもできなかったり(別に戦闘機が好きなわけでもないけどね)、効率よく友好祭を楽しむための道のりはまだまだ遠い。
2年ぶりに歩いた福生の街は、どことなく閑散としているようで、誰も住んでいない米軍ハウスも増えてきているようだし、前に来たときにハウスが並んでいたところが、普通の建て売り住宅に変わっていたりして、戦後60年以上経って少しずつ変わってきているのかもしれないとも思う。それでも、芝生の敷かれた敷地に誰も住んでいないハウスがぽつんと建っているのを見ていると、ここに引っ越してきたくなります。会社まで通うのも大変そうなので、ここは思い切って古本屋一本でがんばっちゃおうか、とかね。倉庫も安く借りれそうだし、新しい仕入れ先のルートも見つけられるかもしれないし、いやいや実店舗か!?‥‥なんて、妄想は膨らむばかり。‥‥なのだ。

「草のつるぎ・一滴の夏―野呂邦暢作品集」-野呂邦暢-

駒場東大前にあるNO.12 GALLERYでやっていた「コウガグロテスク」平野甲賀展を、お盆休み中12日に見てきました。11日には平野甲賀とSarudog(Mu-Stars)のトーク・イベントもあったのですが、これは行けず。というか、なんでMu-Starsなのか。展示の内容も、平野甲賀の作品に加えて、イルリメや阿部海太郎、かくたみほといった人たちによる『コウガグロテスク06』を使った作品も展示されていて、どういう人選なのかどうもわかりません。ギャラリー自体が広くないので、平野甲賀本人の作品をもっと展示してくれればいいのに、と思う。でも展示は多くなかったけれど、手書きの元原稿や切り抜き、ちらしなどがたくさん置いてあって見応えはありましたね。
わたしの中では、晶文社の本=平野甲賀の装丁、というイメージがあったので、和田誠の展覧会に行ったときとはまた違う意味で発見があったり、よく考えたら平野甲賀のことをあまり知らないことに気がついたりして、最近は全然チェックしていなかったけれど、やっぱりリブロから出ている「平野甲賀 装幀の本」が欲しくなってしまった。

夕方くらいに出かけていったので、駒場東大前や代々木上原の周辺の散策はあまりできなかったのですが、ハリッツでドーナツを買ったり、dish/Organic Cafeでごはんを食べたり、LOS PAPELOTESで本を見たり‥‥かなり満足な一日。
ハリッツは、手作り無添加ドーナツとコーヒーのお店。持ち帰りで買って、夜と次の日の朝に食べたのですが、しっかりとした食感があっておいしかったです。行ったのは夕方ということと、13日からお盆休みだったせいか、ドーナツの種類が3種類しかなかったのが残念だったけどね。レジ横に置いてあった板には、たくさんの種類のドーナツの絵が書いてあったので、また食べに行きたい。民家を改装した建物で、店内も落ち着いた雰囲気でよかったし。

「百鬼園先生言行録」-内田百けん-

私が勤めている会社は、お盆の期間に2日、共通のお休みがあって、7、8、9月のあいだにあと2日自由にお休みをとることができます。今年は13、14日が共通のお休み、残りをいつとるかはまだ決めてません。どうしようかな~。夏休みというイメージで考えると、お盆の頃になるともう後半という感じで、海にも行けなくなるし、もうそろそろ終わりだな~、読書感想文やポスターとか残りの宿題もしなくちゃね、気がつくとだんだん日も短くなってきたりしてるし‥‥という気分。そんな時期なのに我が家の朝顔は、まだ二葉のあいだから本葉が出始めたばかり。去年の様子から秋口まで花が咲いたりするのを知っているので、そんな状態でも毎朝水をあげているけれど、もしわたしが小学校一年生だったら、かなりがっかりしてしまうだろうと思う。梅雨が明けるのが遅かったとはいえ、8月に入ってこんなに暑い日が続いているのにね。で、それにしても暑い。何もする気も起きない~なんて思いつつ「百鬼園先生言行録」を読んでいたら、百鬼園先生の家は37度もあるそうで、それに比べればましなのか。どうなのか?

10日は仕事を早めに終わらせて、そのまま実家に帰る。いや帰らずに平塚で降りて、3月に同窓会で会った友達と飲む。6人ぐらい集まったのだけれど、地元の人たちは、3月から度々会って飲んだりしているらしい。小学校を卒業して中学までは一緒の学校だったけれど、高校以降はまったく会うこともなかったのに、何がきっかけでどういう交友が始まるのかわからないなぁ、と思う。まぁ私の場合、年に何回も帰るわけではないので、度々会うというわけにはいかないけど。そんなわけで、平塚在住の友だちに、店長が釣りに行ってその日にとれたもの出してくれるというお魚のおいしいお店に連れて行ってもらい、結局、実家に帰ったのは12時半くらいで、そのまま寝てしまいました。
で、こういっちゃなんだけど、まる1日いるとやることねーなーという感じで、次の日の夜には帰って来てしまいました。いや、暑くて、ちょっと海まで、あるいは駅の近くまで行ってみようかな、という気にもなれないし、もう10年くらい運転してないので、車でというわけにもいかず、家にある本も、今自分で読みたいと思ったり、カヌー犬で売るような本は、全部持ってきてしまって、中学生くらいに読んだどうしようもない本ばかりしか残ってないし、レコードも前回全部ユニオンで送っちゃったし、ピアノも妹が持ってちゃったし、なにすりゃいいのさ、と。まぁ1日だけの帰省なんてそんなものかもね。

「屋上がえり」-石田千-

「屋上がえり」も含めて、「月と菓子パン」「踏切趣味」「ぽっぺん」「部屋にて」など、石田千の本はひかれるタイトルばかりなので、本屋さんで見つけるとつい手に取ってしまう。石田千も“同時代に生きている作家の新作を心待ちにしている”作家の一人といえるかも。歳も近いしね‥‥(あまり意味はなし)。
とはいうものの、実はあんまりきちんとチェックをしているわけでもなくて、この本もちょっと前に、吉祥寺にあるダーチャというカフェで、北村範史は、石田千に同行して屋上の写真を撮った北村範史の写真集を見てはじめて知りました。その写真集がよかったので、個人的にはこちらの本にももう少し写真を載せて、片岡義男の本みたいに文章と写真が同じくらいの比重になっていたらなぁと思ってしまった。

大学生の頃、同じ研究室に喫煙者がいなくて、当然、研究室内は禁煙だったので、よく校舎の屋上に上ってたばこをすいながら、本を読んだりしてました。そういえば、学校がお休みの時に、ポータブルプレーヤーと簡単なお弁当とおやつを持っていってピクニックみたいなこともしましたね。まぁ今思えば、20歳も過ぎて高校生みたいなことしてるなぁ、という感じですが‥‥。
改築される前の古い校舎だったので、完全に閉まらない窓があるのは当然で、セキュリティもきちんとしてなかったし、屋上にあがる鍵も壊れていたし、はたまた階段はあるのにその先がコンクリートで固められているところがあったりして、夜中とか一人で校舎を歩いているとかなり怖かったです。

デパートは別にすると、なんとなく、屋上には入れないという気持ちがあるので、普通の雑居ビルなどで屋上に上がれたりするとうれしい。最近は高いビルが多いので眺めがいいというよりも、屋上という非日常的な空間と見上げる空の感じがいいのだと思う。屋上に上がったからといって、缶コーヒーとかを片手にたばこをすって、縁に寄りかかるくらいしか、特に何をすることもないというところもいい。住んでいる所や会社の近くに、そんな風に手軽に屋上に上れるようなビルがあったらいいのにな~。無理か。