室生朝子は室生犀星の長女。室生犀星の小説「杏っ子」のモデルと紹介のされることが多いけれど、わたしは「杏っ子」を読んだことがないので、どんな風に描かれているのかわかりません。森茉莉もそうだけれど、これだけ父親に心酔(?)していると、結婚生活を続けるのもなかなか難しいんだろうなぁ、と思う。それが本人にとって幸せなのか不幸せなのかわたしには分かりませんが‥‥。
さて、これまで借りていたサーバーの期限が3月で終わってしまったので、カヌー犬ブックスのファイルを、4月から新しいサーバーに移行しました。今までのサーバーは、縁があってただで使わせていただいていたのですが、都合によりそれも終了。カヌー犬ブックスを始める前、PickwickWebのみの時から利用させてもらっていたので、2001年から約9年、思えばかなり長い間使っていたことになります。
移管に際しては、もう5年近く更新していなかったPickwickWebとミオ犬のLittleChopWebを削除しました。残しておいてもよかったのですが、両方とも放置の状態が続いていたし、PickwickWebのほうは、2001年に作ったときのままだったので、今どきフレームのレイアウトはないよな、と。
ついでになんとなくリンク集に入っているホームページを見てみたら、すでになくなっているものやブログに移行しているものが多くて、なんだか自分でホームページを作るという時代ももうおしまいなのかな、と思いました。
昔は、htmlの知識がなくても書きたいことがいろいろある人が、本などを見ながら作ったページとかが多くて、そういうホームページは、レイアウトとは稚拙なんだけれど、内容はものすごくマニアックできちんとしている、といったものが多くて、おもしろかったような気がします。ブログが主流になったことで、わりと誰でもホームページ(?)を作れるようになったためか、そういうおもしろいサイトが少なくなってしまったと思うのはわたしだけでしょうかね。というのも、最近、ミュージシャンのディスコグラフィとか、作家の作品リストとか、映画監督の作品リストとか、レベールのリリースリストとか‥‥完全なものを調べようとすると意外と難しいんですよ。ウィキペディアは、項目によってかなりむらがあるし‥‥。わたしがチェックしていないだけかもしれませんが、今どき、個人の趣味で、ブログではなく、一からホームページを作ってるって人がどのくらいいるんでしょうかね~。
ブログは、構造的に日記やコラムを書くのにはいいんでしょうけれど、まとまったもの、例えば雑誌やフリペみたいなものを表現するのにはむいてないような気がするんですけど、どうなんでしょう。‥‥とか、PickwickWebを削除しながら、そんなことを思ったりもしていたのですが、そもそもブログの最盛期もとっくに終わっていて、その後にSNSもあったし、今だとツイッターだったりするし、ネットに上がっている個人が発信する情報はだんだんうすくなっていて、10年くらい前は個人が発信する場としての意味がわりと大きかった(と思われる)ネットも、今では主に企業が情報を発信する場となっていて、実は個人が隅に追いやられていたり、企業の作った器の中で遊ばされているだけになっている、という‥‥いやいや、こんなこと書くつもりじゃなかったんですが‥‥。
ちょっと暖かいと思ったら、コートが必要なくらい寒くなったりして、今年はなかなか春らしい時が来ない。去年、漣くんが生まれた時はほんと春らし暖かい日が続いて、根津駅から病院まで歩いていると、花を見たり散歩している人がたくさんいたのになぁ、と思い出したりしてます。それでも4月に入ってからの週末は、わりと暖かかったりしたので、花見に行ったりした人が多いんじゃないかな。
年末に売れない作家と芸者の駆け引きの話もなぁ~と思ったにもかかわらず、年明けの1冊目は妾の話ってのどうかと‥‥。矢田津世子は、坂口安吾に結びつけられて語られることが多い作家。なんとなく今年は女性の作家の作家の本を読んでみようと思っていて、なんとなくこの本を選んだだけなので、もう少し他の作品も読んでみたいと思っているのですが、他の作品を手に入れるのは難しそうな気がしますね。KindleとかiPadとか本が電子化されたらそういう今手に入らないような本でも読めるようになるのかな?やっぱりそれとこれとでは話は別、って感じなのだろうか。
昨年、最後に読んだ本。年末ののんびりした時期に、東京の奥さんを置いて脚本を書くため国府津に滞在する売れない作家とそれほど美人というわけでもない芸者の駆け引きの話なんて読まなくても‥‥なんて思ったことを覚えてます。
多分、何に対しても「質」より「量」をこなすってのが大切で、吉田健一も言っているように、おいしいものだけ少しずつ食べるのはありえず、おいしいものもまずいものも全部含めてたくさん食べないと、本当においしいものはわからない。そういう意味では、1回の食事の量が多くないわたしは、ほんとうにおいしいものを食べることはないのかもしれないんだろうなぁと思ったりします。いや、小津安二郎が大食漢だったなんて話はここにはほとんど出てこないんですけど‥‥。
なんてことを前回書きつつ、結局パリ滞在記に逃げちゃったりしてますが‥‥
革命によって故国を捨てたロシア人の娘であるマーシャという芸術家の人生を、彼女の日記や手紙、友人や母親たちのの証言、そして語り手である日本人の「私」から見た姿‥‥といったさまざまな断片を織りまぜることによって再構築した作品。
冬になると花屋の店先に多肉植物が並べられるのは、寒い時期で華やかな花や植木が少なくなってしまうためなのだろうか。
志賀直哉の本は、恥ずかしながら中学生くらいのときに「小僧の神様」が収録された短編集しか読んだことがない。10代の頃、日本文学を読んでおけばよかったという気もしないでもないけれど、その頃、読んだとしても分かったかどうかは不明。まぁ分かろうが分からなかろうが、日本語を学ぶという意味でも読んでおくというのが大切なことなのかもしれません。昔の人が意味も分からず漢詩を素読いたみたいにね。ちょっと違うか?
先日は、国立のニチニチ日曜市に行ってきたことを書きましたが、2月はその前に、武蔵小金井でやっている「はけのおいしい朝市」にも行ってたりします。