「ミニマル・ミュージック」-小沼純一-

-■年末くらいからソウル・ミュージックを聴き続けていたので、年が明けたらこの本を読みながら、またミニマルミュージックとかエレクトロニカとかを聴いてみようと思って読んでみたものの、実際にはほとんど聴かないままで読み終わってしまった。
ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラスという4人の代表的音楽家の活動を詳細に解説しつつ、ミニマル・ミュージックがその後どのように展開していったか、そして、音楽だけでなくミニマル・アートや、レイモンド・カーヴァーといった文学とのかかわりが語られている。

■小沼純一は、前に坂本龍一の「スコラ 音楽の学校」という番組の電子音楽の回に出ているのを見たくらいなので、どんな経歴なのかまったくわかってないんですが、通りいっぺんに経歴を解説するだけではなく、楽曲の細かい解説なども適度にあるところがいい。本当は取り上げられている曲を聴きながら読んだほうが楽しめるとのだと思う。でも、対象がミニマル・ミュージックなわけで、採譜されていたり解説されている箇所がどの部分なのかとか、反復される中で音色やリズムがどう変化したのかなどを聞き分けるのがわたしの耳では難しい‥‥
ぜんぜん話が変わるけど、この間聴いていたラジオで、小沼純一は大学時代にシュガーベイブとYESのコピーバンドをやっていたって、誰かが言っていたような気がしたけど、聞き間違えかもしれない。

■ところで、スティーヴ・ライヒは、3月1日に来日して80歳記念のコンサートをしてましたね。録音されたCDではなく、実際に人が演奏している音を聴いたら、ホールのエコーなども重なったりして、迫力あるんだろうな、と思うとちょっと見てみたい。でも単に寝ちゃうだけかもしれません。とりあえずエコーは体感できないけど、4月14日にNHK BSプレミアムの「クラシック倶楽部」で、3月2日の公演が放送されるようなので見てみます。

「モーニング物語」-獅子文六-

-■同じシリーズの「山の手の子町ッ子」はときどき見かけるけど、こちらは見たことがなかったので、ちょっと値段が高めだったけれど、めずらしく即購入。しかし収録されているうち半分くらい読んでました。でも獅子文六の随筆は何度読んでもおもしろいので許す。話のテンポがよくて読みやすいということもあるけれど、話の持って行き方に品があるというか、慶応の野球選手だったお金持ちの旧友が、後年後楽園の入り口でモグリの客をさばいていたりする話なんて、書き方によっては下世話になってしまいそうなのに、そういう方向にはいかない。旧友なんだけれど、旧友だからと言うわけではなく、威厳を持ってその仕事をしている様が描かれており、悪意がない(まぁ実際はどうなのかは別で、獅子文六はそう感じてる)。そういう品の良さが小説にも出ていて、それをよいと思うか、軽いと思うかで獅子文六への評価って変わってしまうんだろうな、と思う。
ちなみに表題はパリの留学時代に仕立てたモーニングの50年にわたる話で、それほど着る機会もないまま戦火も逃れ、数少ない機会のために補修をし、最後には流行がひと巡りしたため現代風に感じられてしまうというオチになってます。ってわざわざ書いたのは、読むまで「モーニング物語」の“モーニング”は、“朝/午前中”だと思っていたので、読み始めて「あれ?」と思ったからw。

-■漣くんがちょっとだけ戦国武将に興味を持ってきてるので、3連休は二宮に行くついでに小田原城に行ってきました。お城の中に入るのは小学生くらい以来かな。子どもの頃は平塚に出ることが多かったし、中高生になると横浜まで行っちゃうことが多かったので、あまり小田原に行った記憶がない。でも車から外の景色を見ていたら、昔ながらの建物がまだいくつも残ってるし、川崎長太郎の小説に出てくる抹香町もあるし、今になるとゆっくり歩きたいと思うところがたくさんある。
そういえば、ニュースサイトを見ていたら、村上春樹の新しい本「騎士団長殺し」は小田原が舞台になっているって書いてあったけど、小説の中に地名とか出てくるのでしょうかね。

■ところで、子どもが小さいときは手を離せなかったので、なかなか一人で出かけることができなかったけど、ある程度成長したら、親に子どもたちの相手をお願いして、一人でちょっと出かけたり、学生時代の友だちと飲みに行ったりできるかな、とずっと思ってたんですけど、当然ながら子どもが成長するにともない、親も歳を取ってしまって、最近は男の子二人をあずけるのはちょっとためらってしまいます。あぁむずかしい。なにげに国府津とかも歩いてみたいんですよねぇ。

「浅草紅団・浅草祭」-川端康成-

-■もう3月も半ばですが、これを読んだのは年末年始にかけてで、新年ということで浅草を舞台とした小説を読んでみたんですよね。不良集団「浅草紅団」の女首領弓子とのやり取りを中心に、カジノ・フォウリイの出し物や踊子たち、浮浪者、娼婦‥‥といった登場人物が、関東大震災以降の浅草という町を案内する。ちょっと表現や言い回しが古いというか大げさな気もするけれど、これは当時のこういう小説の文体を意識しているだろうか?それとも川端康成の文体なのだろうか?川端康成の本をちゃんと読むのは初めてなんじゃないかな?というくらいなのでわかりません。
あと、そもそも浅草という町の地図が頭に入っていないうえに、地名が今では変わってしまっているため、書かれている場所や登場人物がどこからどこに移動しているかなどがわからない。なので、多分、当時の人が読んでいる時の臨場感を味わうことができないんですよね。ただ同じような時代の浅草を舞台にした高見順の「如何なる星の下に」を読んだときは、それほど地名を特定できなくても、当時の浅草の様子を楽しめた、ということはある。
ついでに、機会があれば、「日本三文オペラ」など浅草を舞台とした武田麟太郎の小説や、浅草ではないけれど、同時代に書かれた都市小説ということで、1925年に中国・上海で起きた反日民族運動を背景にしたという横光利一の「上海」も読んでみたい。

■暁くんと「ウルトラマンオーブ」を見る。映画を見るのは一年ぶり。ということは前回の「ウルトラマンエックス」以来というというわけで、なんだかなぁという気もしないでもないけれど、それはそれでいい。子どもたちと映画館でウルトラマンを見るのは3作目で、最初の時は、一番近くで昭島とかでしか上映していなかったし、内容も全然予算をかけてなくて、さみしい感じだったけど、去年からは新宿でも上映してるし、だんだん戦闘シーンも迫力が出てきていい感じになってきてます。といっても子ども向けですけどね。
で、なんとなくたまには一人で映画でも見てみたいなぁと思って、帰ってきて阿佐ヶ谷のラピュタのサイトを見てみたら、鰐淵晴子や松山善三と高峰秀子の特集をしていて思わず上映作品の紹介を見入ってしまった。昔の浅草を舞台にした映画とかやってないだろうか。「如何なる星の下に」も「浅草紅団」も映画化されてるんですよねぇ。

「もの食う本」-木村衣有子-

-■もう3月に入っちゃってますが、ここまでが2016年に読み終えた本になります。溜まっちゃってるな。本当は、本を読んだら1週間以内に雑記に書くという感じで回していきたいんですけどね。で、1週間に1冊くらいのペースで本を読めればと。

■内田百けんや吉田健一、山口瞳、森茉莉、石井好子といった常連作家から、川上弘美、高山なおみ、内澤旬子、長尾智子など最近の作家、エッセイスト、料理家まで、食に関する本40冊の感想をつづっもの。読んだことのある本も多い。読んだ本はまた読みたくなるし、読んでない本は読んでみようと思ってしまう、そんな気分にさせられます。あの本よく見かけるけど、そういえば読んだことがなかったなというのに気づいたりするのもこういう本のいいところです。
ただ、書いている内容が、引用の多さも含めて、わりと本の内容に即した部分が多いので、もう少し深堀したり、広げて欲しかったというのはあります。これだとほんとうに感想文、という感じになってしまってる気がしてしまうんですよね。

-■週末は前々から行こうと持っていた「あけぼの子どもの森公園」へ。ここはムーミンの世界をモチーフにした公園で、ムーミン屋敷や川のそばの水浴び小屋、子ども劇場、ムーミン資料館などがあります。
特にムーミンなどのキャラクターが登場したりするわけでもなく、遊具なども山の斜面にアスレチック的なものがあるだけで(しかも今は利用できない)、ムーミンの政界に登場する建物があるだけなのですが、迷路のようなムーミン屋敷を走り回ったり、川の周りで遊んでいるだけでも、まぁ子どもたちは楽しそうでした。ムーミン屋敷は曲線が多用されていたり、思わぬところに窓や通り抜けができる扉があったりして、ちょっとジブリ美術館っぽい。そしていつものことだけれど、うちの子供たちは、男の子二人なのでどこにいっても競争になってしまい、そういうところをちゃんとチェックしないで、どんどん先に行ってしまう。もう少しじっくり観察できるようにしなければ‥‥と思う。
そんな駆け足の子どもたちの後を追いかけてると、昔、フィンランドに行ったときに行ったムーミンワールド思い出したりしてちょっと懐かしい気分。ちょうどカヌー犬ブックスをオープンさせる直前だったので、もう14年くらい前になるんですね。

-■で、帰ってきて、その頃のアルバムを見ようと思ったら、奥にしまっているようで見つからず、旅先でのメモ帳が出てきました。このころは旅行に行くときはポラロイドカメラを持って行って、街並みとか食べたものとか写真を撮って、夜ホテルでノートに張り付けてコメントを書いたりしてました(ポラロイドがiPhoneになっただけで今と変わらない?)。改めて見ると、ムーミンワールドのチケットやキップなども貼ってあったりして、その時のことが思い浮かびます。ときどき抜けていて日付が飛んでいたり、そもそもノートを作ってないときがあったりするところはB型なんで仕方ない(仕方なくない)。
ところで、ムーミンワールドで一番びっくりしたのは、スナフキンとかミィが着ぐるみじゃなくて、顔に色を塗ってそれらしくしていた、ということでした。建物とかはきちんと細部まで作られてるのに、そんなところがおおざっぱにになってるのが、B型としては共感(いや、別に血液型の性格とか信じてないです)。
2019年秋には、「あけぼの子どもの森公園」から少し離れたところに、本格的なムーミンテーマパークもできるようですが、その頃はもう子どもたちもムーミンに興味を失ってしまってるんでしょうね。