「わたしの生活手帖」-山口瞳-

◆右に見える競馬場、左はビール工場♪
単行本未収録のエッセイ集。前回読んだ「わが師 わが友」のように明確なテーマがないので、どこかまとまりのない感じがします。今の作家がツイッターでつぶやいたら炎上しそうな偏見で言いきってしまう話の展開にちょっとドキドキするけれど、読んだ人それぞれが受け入れるか受け入れないかは別として、こういう主張ができるという余裕が大切なのだなぁと思う。一方、この内容だから単行本未収録だったのだろうなぁとも思いますけどね。
そういう意味でも、もう少し見せ方というか伝え方を考えた編集の仕方がある気がします(って上から言ってますが)。意地の悪い言い方をすると、こういう本が河出書房新社から出るなんてなぁ、なんていっちゃいますヨ。

-前回に続いて2月の話になってしまいますが、山口瞳と言えばサントリー、というわけではないですが、府中にあるサントリー工場へ工場見学に行ってきました。サントリーの工場見学は、府中にある武蔵野工場のほか全国で9か所の工場が見学でき、工場に合わせてビールやウィスキー、ワイン、天然水などの製造工程を見学できます。武蔵野工場は、ユーミンの歌にもあるようにビール工場なので、「ザ・プレミアム・モルツ」の製造工程を見ることができます。
ビール工場の見学なんて最後にビールを飲むことが目的のほとんどなんですが、単純に製造のための機会を見たり、動いている様子を見ているだけでワクワクしてしまいますね。子どもたちも原料となる「天然水」「大麦(麦芽)」「ホップ」の説明や発酵、ろ過など、説明を聞いているときは退屈そうにしていたモノの、大きな機械を前にするとなにをするのかはいまいち分からないもののそれなりに楽しそうでした。特にたくさんの缶が次々と機械の上を動いていく詰の工程になると見いってました。やはり動きは大切。その点うちの会社となぁ‥‥(以下自粛)。

-まぁそんなこと言いつつ最後のプレミアム・モルツの生を飲むのが一番の楽しみなんですけどね。わたしは子ども連れということもありのんびり2杯いただいたって感じだったのですが、まわりの人の限られた時間のなかでぐいぐい飲む勢いがけっこうすごかったですヨ~
機会があれば今度はお菓子工場とかに行ってみたいかも。チチヤスとかも工場見学できるんですよねぇ。広島なんで遠くて行けないですけど。

ちなみに漣くんは、工場見学に行ってからというもの、スーパーとかでビールの缶を見るたびに「サントリーだ」という言うようになってしまいました。で「あれはアサヒだよ」と訂正すると、「アサヒ・サントリーだね」と、なかなか譲らないところが誰似なのか‥‥

もうひとつ府中で山口瞳にゆかりのもの、ってわけではないけれど、暖かくなったら競馬場にも行かなくてはネ。去年はミニ新幹線が動いてなかったんですよ。

「世界のグラフィックデザイン103 カリ・ピッポ」-カリ・ピッポ-

◆「Kari Piippo Posters & Drawings」@ギンザグラフィックギャラリー
展覧会が終わってもう1か月も経ってしまっているのでいまさらなんですが、ギンザグラフィックギャラリーで2月にやっていた「Kari Piippo Posters & Drawings」展を見てきました。
カリ・ピッポは、世界中のさまざまなポスター展でたびたび受賞するなど、特にポスターなどの分野で活躍しているフィンランドのグラフィックデザイナー。フィンランドのデザインというと、マリメッコを始めたとしたテキスタイルやイッタラなどの食器、アアルトの家具などが思い浮かびますが、意外とポスターなどのデザインは紹介されてないような気がします。
この展覧会のサブタイトルが「Simple Strong and Sharp」となっているように、カリ・ピッポのポスターは、最小限の力強いタッチで構成されたタイポグラフィーやイラストが印象的です。かつ、そこに描かれているものがちゃんとポスターの意図する内容と合致しているので、ちょっとじっと見ていると「あ、そういうことね!」という発見があって楽しい。
スイスのデザイナーのようなかっちりとした構成とフランスのポスターのユーモアのいいところをあわせもったようなポスターの教科書とも言える作品で、世界中でレクチャーやワークショップを開催しているというのもうなずけます。
一緒に展示されているドローイングをみるとこういった発想が、普段の生活の中の出来事や思いつきの積み重ねによるものだということも分かります。
初日にはカリ・ピッポ自身によるギャラリートークもあったみたいなので参加したかったですね。ワークショップの様子を撮ったドキュメンタリーとかあったらおもしろそう。

「国立の先生山口瞳を読もう」-常盤新平-

◆常盤新平は高校生時代の先生だった?
1か月ぶりの雑記。というか途中まで書いて1か月放置していたので、この後なにか河口と思っていたのか忘れてしまいました。なので、まぁこのままで。

1月の終わりに翻訳家の常盤新平が亡くなったのを知り、久しぶりに常盤新平の本を読みたくなってアマゾンでいろいろ見ていたらこんな本が出ていたことを今頃知りました。
常盤新平は10代から20代前半くらいまで、「ニューヨーカー」やマフィア、1920年代のアメリカなどついて書かれた本をほんとによく読みましたね。ひと時のわたしにとって先生みたいな人でした。それに比べてなにげに常盤新平が翻訳した本って読んでないかもしれません。ざっとウィキペディアでリストを眺めると「彼らは廃馬を撃つ」「汝の父を敬え」「素晴らしいアメリカ野球」「ニューヨークは闇につつまれて」「ニューヨーカー・ノンフィクション」「ブルックリン物語」「夏服を着た女たち」「心変わり」「ビッグ・アップル」「ザ・ニューヨーカー・セレクション」「混合ダブルス」「ゴールデン・ピープル」「夏の日の声」「大雪のニューヨークを歩くには」ってまぁまぁ読んでるか。小説のほうは「遠いアメリカ」「罪人なる我等のために」だけしか読んでないです。最近のエッセイもほとんど読んでなかった。

今、あらためて思うのは、繰り返しになるけれど、常盤新平は先生だった、ってことですね。だから自伝的な要素が含まれている小説や、自分のことを語るようになってきた最近のエッセイを読めなかったんじゃないかと。だって自分がいま中学生だったとして、尊敬している担任の先生が不倫して子どもまで作って奥さん病気になって‥‥なんて聞きたくないじゃないですか。今だったらさ、大人になってるから先生も大変だったんですねぇ、なんて普通に言えるけど。
そんなわけで今だからこそ常盤新平の本を読んでみようと思う。いや、ちょっと遅かった。もう少し早く30過ぎくらいの時にもう一回、常盤新平を見なおしてみるということをすればよかったと思いました。