「男の風俗・男の酒」-山口瞳、丸谷才一-

◆写真展をはしごしてみた。植田正治、桀築&映里、安井仲治
今年の夏は、いろいろ展覧会とかをまわりながら近くを散歩する、みたいな感じで週末を過ごそうと思ってる。いまさらまとめて映画を観てもたかが知れてるし、夜遊びするような歳でもないし、いきなり山に登ったり、スポーツをしたりということもまぁできないし、特にこれをやりたいという趣味も意外とないんですよ。
で、さっそく日曜日にいくつかギャラリー巡り。ほんとは東京国立近代美術館でやってる「パウル・クレー展」とフォイル・ギャラリーの「川内倫子展」を見たかったのだけれど、前者はものすごく混んでいるみたいだったし、後者は土曜までだったの行けず。クレー展は31日までなのでまだ悩んでるけど‥‥。

一つ目は、植田正治の雲をカラーのフィルムで撮ったシリーズを中心に展示されている「雲のうつくしい日に。」。植田正治というとやはりモノクロ写真のイメージが強いし、基本的に演出されたものが多いので、たぶん何の前知識もなしにこの作品を見たら植田正治と気づかないんじゃないかと思う。
でも、晩年にカラーでしかも雲という演出できないものを撮っていたということだけでも興味深い。そして、演出できない雲の写真でも構図など植田正治っぽさを感じられるところが発見できたりするのもおもしろいところでした。まあたぶんわたしの思い込みに過ぎないんでしょうけれど‥‥。写真展は京橋にある72Galleryで今週末31日までやっています。

さて京橋から途中、戦前アパート建築と有名な奥野ピルの前を通って銀座に移動。奥野ピルは去年も何かの展覧会を京橋に見に行ったついでに寄って、その時はエレベーターに乗ったり、ギャラリーをちょっとのぞいたりしましたが、今回は玄関にちょっと入っただけで通り過ぎただけ。ピルの中はギャラリーが多いので、機会があればちゃんと調べて各階のギャラリー巡りをしてみるのもいいかも。
しかし古い建物にはたいていの場合ギャラリーかアンティークショッブが入ってる気がするのですが、なんでなんでしょうね。

銀座では資生堂ギャラリーで、「桀築&映里写真展一三生万物」を見る。築築&映里は中国人写真家の桀桀(ロソロン)と日本人写真家の映里(インリ)が夫妻で活動しているユニット、実を言うと今回いろいろ展覧会を調べているうちにはじめて知りました。
北京が開発されていく様子や二人で暮らしているときから子どもたちが生まれたり大きくなっていく様子をを6×6のフィルムで撮ったシリーズが展示されていましたが、時の流れに沿った作品ということや、そもそもの中国の風景、モノクロで正方形の写真の四隅が暗くなっている感じ、などどこか古い映画の一場面を見ているようでした。
しかし家族で同じ場所で同じような構図で定期的に写真を撮っていくというのはいいかも。わたしもやっておけぱよかったと思いました。もう遅いですけどね。

最後は、銀座から中野坂上へ。東京工芸大学の写大ギャラリーにて、安井仲治の写真展。社会的なメッセージ性の強いものから芸術的なフォトモンタージュ、そして街角のスナップまで、被写体として選ばれているものは幅広いけれど、どれも確固とした作風で貫かれていて素人には絶対近づけない作品としての重みに圧倒されてしまいます。

さて、来週はどこに行こうかな~。

「沢がに」-尾崎一雄-

◆長崎で60cmのパフェを食べてきましたっ
「昔日の客」を読んだせいで、かなり前に買ったまま本棚に置きっぱなしになってした尾崎一雄の本に手を伸ばしてみた。最近は積極的に尾畸一雄の本を探したり読んだりしなくなってしまっているので、こういう機会に読んでおかないとね。
なんて書いてみてるけど、尾崎一雄の随筆はやっぱりおもしろい。書かれていることと言えば、曽我での日々の暮らしの様子や昔の思い出話、友人についてなどいつも同じなのだが、その繰り返しさえも文章のうまさと相まって深く感じられてしまう。いや、時間を空けて読んだから、なんかゆつくりとしみ込んでくるような深みを感じられたのかもしれない、なんて。4、5冊続けて読むと、もういいかな、という気分になっちゃうのも正直なところなわけで‥‥。

ちなみに昔読んだ尾畸一雄の本のほとんどは二宮の実家に送ってしまってます。うちはわたしが小学生の時に横浜から二宮に引っ越してきたし、子どもの頃もあんまり小田原方面に遊びに行くこともなかったので、尾崎一雄が書いているような曽我の風景は、わたしにも、たぶん、親にも記憶にないと思うけれど、やはり親しみがわいて、よく読んでいるらしい。まぁうちの周りとか家は増えているけれど、風景としては子どもの頃からあんまり変わっていないような気もしますけどね。

さて、連休からミオ犬と漣くんが長崎に帰省するに合わせて、わたしも一緒に長崎に行ってきました。
二宮と違って長崎はいろいろと観光するところがあるけれど、まぁ今回は二人を長崎まで送り届けるってのが一番の目的でしたし、何よりも梅雨も明けた晴天続きで子どもを連れて歩くには暑かったです~!いや、子どもだけならいいんですけど‥‥。

それでも夕方くらいから出かけて、前々から食ぺようと思っていたオリンピックというカフェで60cmのパフェを食べました。ここはひとり一品注文しなきゃいけないというわけではなく、一つのパフェを何人で食べてもいいので、思い切って大きなパフェを頼めます。隣では6人くらいの大学生の団体が、「ひとり20cm<らいなら食べれるんじゃない」などと言いながら、100cmだか120cmだかのパフェを盛り上がりながら食べてましたが、うちなんて二人+二歳児で60cmを軽く食べられましたよ~
一応崩れないように真ん中に串が刺さっていますが、アイスとかソフトクリームがあいだに入っていたりするので、食べきれるかどうかよりもうまく崩さないで食べられるかということのほうが重要なのかもしれません。

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あとはグラバー邸に出かけたり、中華街でごはんを食べたり、港の近くを散歩したりって感じ。金曜日をお休みにしたので四連休だったのですが、最初と最後の日は移動で終わっちゃったし、そもそも旅行が目的ではないし、これだけ行けれぱ十分。たてまつるにも行きたかったけれど、それは、次回、9月後半に持ち越し。でもそのときはどんなこといなってるんでしょうねえ~観光とかしている余裕はないのかもしれませんねえ~ふふふ。

そんなわけで漣くんが生まれてから夏の終わりのころに帰省するようになっていたけれど、今年の帰省はちょっと長い。こんなに長い期間一人暮らしをするなんて10年以上ぶりなんでなんかドキドキしちゃってます。って、特に大きな予定もないんですけど、とりあえず展覧会にはいろいろ行きたいな、と思ってるんですけどね。

「昔日の客」-関口良雄-

◆古本屋と作家のやりとりと同じように中古レコード屋と音楽家のやりとりも読んでみたい、かも?
前回「正宗白鳥の本は前々から読んでみたいと思ってはいるんですが、実際どれから読んでいいのかよくわかんないんですよね」と書いた正宗白鳥の宅に競り落とした初版本20数冊を勝手に届けに行く話が一篇目に出てきて、つい引き込まれてしまった。世界はつながっているんですよ。正宗白鳥と奥さん、そして著者3人のキャラクターや著者の描写のうまさもあって、正宗白鳥宅での奥さんや本人とかわされる話の雰囲気が何ともいえずよくて、これを読んでいるとほんとに正宗白鳥の本を読まなくちゃという気にさせられてしまいます。ちなみにこれほど正宗白鳥のファンである著者でさえ、「評論的なものは面白いから殆ど目に触れるものは読んできたが、小説は相変わらず面白くなく、読んだものもあるが読まないものもある」とのことなので、まずは評論から読むことにしよう、と決めました。

このほかにも尾崎一雄、尾崎士郎、上林暁、野呂邦暢‥‥といった作家が登場し、古本を通したやり取りやエピソードがつづられている。一概に言えないけれど、青木正美さん出久根達郎さん、「月の輪書林」の高橋徹など、古本屋さんが書いた随筆、特に昔のものはおもしろい。
今でも神保町とか行けぱ古本屋と作家との交流があるんだろうか?と思うが、神保町だとちょっとつきあいの雰囲気が変わってしまいそう。普通の町の古本屋にふらりと売れない頃の作家がやってきたり、文学について語ったり、お金に困って本を売ったり‥‥というシチュエーションがよいのだと思う。
それからそもそも作家との交流が書かれているからこの本がおもしろい、というわけではなくて、関口良雄さんの本に対する情熱やその人柄、そして文章の巧みさ‥‥などがブレンドされているからこそのおもしろさ、だったりしますしね。

ふと、こんな風な随筆を中古レコード屋の店主が書いたらおもしろいかも、なんて思ったけれど、ダウンロードが主流になるつつ今となっては、それももう時代遅れなのかもしれません。80年代から90年代くらいの中古レコード屋さんのエッセイとか、なんとなく今読みたいような気もする。
本屋とかカフェとか雑貨屋、パンやケーキ屋の人が書いた本はたくさんありますが、レコード屋ってあんまりないですよね。ふと思いついたものとしてはパイド・パイパー・ハウスの店長が書いた「輸入レコード商売往来」くらいか。あとジャズ喫茶の店長とかだといろいろ出してそうなんだけど‥‥。

「世界漫遊随筆抄」-正宗白鳥-

◆「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」@東京都写真美術館
昭和3年、11年と二回わたるアメリカ・ヨーロッパの旅行、また昭和10年に樺太、中国などを訪れた際に書かれた随筆などをまとめた本。
全体的に行く先々の風景やそこで出会う人たち(特に現地で暮らす日本人)の様子が冷静な視線で描かれているだけれど、微妙に否定している国と持ち上げている国があって興味深い。文章が感情的でない分、それがどこから来ているのか本当の理由がわからないんですよね。いや、単にわたしの読解力が足りないとか、もしくは正宗白鳥の本を読むのは初めてという知識不足が原因なのかもしれませんけど‥‥。正宗白鳥の本は前々から読んでみたいと思ってはいるんですが、実際どれから読んでいいのかよくわかんないんですよね。と言っていては何にも進まないので、近いうちに何かしら読んでみることにしたい。

さて、話が変わりますが、5月から写真美術館で、チェコスロバキア出身の写真家、ジョセフ・クーデルカの展覧会が開かれていて、ポスターなどを見るたびにちょっと行きたいなと思っていたんですけど、週末はなかなか出かけられないし、開催時期も7月18日までだったのであきらめてました。
でも前日とりあげた「歩くキノコ」を読んでいたら、チェコに行ったところでクーデルカの話が出てきたので、やっぱり見ておきたくなってしまって、ちゃんと調べてみたところ、写真美術館は木曜、金曜は8時まで開館しているので、早めに会社を出れば見に行けそうな感じではある、ということが判明。知らなかった~うそ、知ってた。
まあそれで、ちょうど期末の余裕のあるときだし、金曜日あたりに行こうかな、行けるかな、なんてと思っていたら、友だちがチケット手に入れたんだけど行けなくなったのでくれるとのこと。いやーなんかクーデル力展に引き寄せられてますよ、運命ですよ。なんて、ひそかに盛り上がりつつ、早めに、っつうかフレックス使いまくりの早さで写真美術館ヘレツツゴー!

今回の展覧会では、1968年8月のワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻「チェコ事件」の写真を収録した写真集「lnvasion 68 Prague」からの写真が展示されています。ソ連を中心とした軍隊が街の中で市民と対立する様子が、至近距離から切り取られていて、写真の力強さや勢い、そして兵士や市民の表情などの臨場感がすごかったです。これはどこからどうやって撮ったのだろうと思うものもたくさんあって、よく軍に拘束されるんじゃないかともう40年以上前のことなのにドキドキしてしまいました。

ただ、オリジナルプリントじゃなくて、パネルに印刷した感じで、写真展としてはどうなんだろうという疑問はありました。開催されている場所が小さなギャラリーとかだったら許せるけど、写真美術館ですから。パネルとプリントではー枚の写真から発散される情報量が絶対的にちがうと思うんですけどね。写真に交じって展示されていたポスターもモノクロのコピーみたいな感じで無造作に壁に貼り付けられてたし、その辺は演出としてこういう形での展示にしたのだろうか?そうとしてもー枚のパネルに何十枚もの写真を並べたものとかはちょっと安易な気がしましたが‥‥。

報道写真や戦争写真をじつくりと見るのは、前に何を見たか思い出せないくらい久しぶりなんだけど、街角のスナップ的な写真に比べて情報量と訴えようとする力が圧倒的に違ってて、見ているとクラクラしてしまいます。好き嫌いにかかわらずこういう写真を定期的に見ておくべきだなということを実感、まあそれだけに‥‥だったらもっと‥‥(何度繰り返さないっ!)