「ぼくの美術帖」-原田治-

◆今年初めてのニチニチ日曜市とはじめてのコショコショ市
前半では、ルネサンス期のティツィアーノから、デュフィ、小村雪岱、木村荘八、宮田重雄といった挿絵画家、アメリカのカートゥニスト、鈴木信太郎、北園克衛、そして師匠である川端実など、原田治が敬愛する画家たちについてつづったエッセイを収録。
抽象画家に師事していたという事実をはじめ、多種多様の作家を取り上げつつも美術というものへの一貫した向き合い方が伝わってくる内容など、ミスタードーナツのノベルティをはじめとしたオサムグッズのイメージしか持っていなかったわたしにとって、前半だけでも原田治のイメージを変えてくれるのですが、後半になると、縄文美術を日本民族の美術の原型として捉え、弥生時代以降、室町時代にかけて権力によって抑えられてきたその美術観が戦国時代に復活し、江戸時代の浮世絵まで花開くという独自の美術史観が熱く展開されており、もう驚きの連続でした。

イラストレーターのエッセイ集というと、今までに影響と受けた作家たちを自分の経験に結びつけつつどちらかというとサブカルチャー寄りの視点から語ったものがほとんどだし、イラストのテイストや年代から原田治のこの本も、そういう風なものだと予想していたのが大きな間違いでしたね。そしてこれが今ではなく、オサムグッズ全盛の1982年に出ていたという事実もすごいと思う。当時、この本は原田治のファンにどのように受け止められていたのでしょうか?

今では、月の半分は築地で仕事をし、残りの半分は大島に建てたアトリエで抽象画を描いたり、焼き物をしたりして悠々自適の生活をしているようです。原田治が描いた抽象画、いつか見てみたいですね。どこかで展覧会を開いたりしていないのだろうか?

今年初めてのニチニチ日曜市。春から秋にかけて皆勤賞に近い形で、ニチニチに通っていたわたしですが、11月、12月は友だちがうちに遊びに来たりしたので行けずじまいで、3か月ぶりになります。
加えて、今月は同じ旭通りにある場所でコショコショ市が開かれていたので、スタート直後の11時過ぎくらいに国立に着いたときは、両方とも人だかりで旭通りは大にぎわい。
まず会場がオープンなコショコショ市に行って、漣くんを抱っこしてお店のあいだをすり抜けながら本を眺めたりしてたんですけど、ときおり強い風が吹いたりしてかなり寒かったです。

でもそれぞれのお店が一箱ながら、テーマを設けた本をチョイスしていたりして個性的で、全体の規模はそれほど大きくないけれど見ごたえがありました。場所がらか山口瞳の本を出している人が多かったような‥‥。ちなみにわたしは、講談社文芸文庫の河盛好蔵と小島政二郎の本を買いました。ほかにも欲しい本があったのですが、国立に住んでいる友だちが偶然に前を通りかかって(所沢に行くところだったらしい)、話し込んだりしてしまったので、時間があんまりなかったのです。
お店を出している人も、本を買いに来ている人も楽しそうでよい雰囲気だったので、2回目、3回目、というか春になった頃の開催が楽しみですね。

ニチニチ日曜市のほうは、今回からdans la naturenさんが参加しなくなってしまったのが寂しい。その時によって違うけれど、TAIYODOさんのクラッカーとdans la natureさんのマフィンはだいたい買っていて、帰ってからのおやつにしていたのです。あと、カレーパンとシフォンケーキはどちらかというとその場で食べる感じ、ときどきジャムと古本を買う感じ、ですかね。まぁ今年もニチニチ日曜市には毎回のように通うことになりそうです。

「ひみつのブルボンキーホルダー」-森井ユカ-

◆原宿のおもちゃ屋にはスマーフグッズがたくさんあってびっくり
ブルボンキーホルダーとは、1960年代のフランスで企業の広告として配られていたキーホルダーで、特に質感やデザインなど凝ったものを多く作っていたブルボン社のものを示しているようです。ブルボン社以外のものは、普通にフレンチキーホルダーと言ってます。って、正式な呼び方なんてなくて誰かが勝手に呼びはじめただけだと思いますが。

そのフレンチキーホルダーを、雑貨屋などでよく見かけたのは結構前のこと。2003年に京都と神戸に遊びに行ったときに、神戸の雑貨屋にたくさん並べられていたのを覚えているので(大きなベニヤ板にたくさんの穴が開けてあってその穴にキーホルダーを引っかけるというディスプレイの方法にびっくりした)、2002年から2004年くらいかな。当時、あまりにもいろいろなところで見かけるのと、たくさん並べた感じがよかったので、集めてみようかとちょっと心が動いたのだけれど、保存状態がきれいなものや凝った仕掛けがあるもの、中に入っているイラストがかわいいものなど、欲しいと思うもの(つまりはこの本に掲載されているようなものですね)は、なかなか見つからなかったり、あっても値段がかなり高かったりして数個だけ買ってみてあきらめました。

そういう意味では、この本も「なんで今さら?」という感じがしないでもないけれど、まぁそんなものがブームになったこともあったね的な記念です。単純に眺めてると楽しいですしね。

年末年始のお休みが終わって、すぐに三連休。間隔的に働くにも休むにもどっちにしても気持ちが落ち着かない感じがします。もともと15日が成人の日だったわけだから、3週目の月曜にすればよかったのにと思ったりしますが、実際問題、お正月からすぐに気持ちが切り替わると言うことでもないし、その辺を考慮して2週になったとか!?

連休の初日、2年ぶりに表参道にあるクレヨンハウスに行って来ました。表参道に行くと言っても前と違っていろいろと歩きまわったりするということもなく、クレヨンハウスでランチを食べて、おもちゃや絵本を見て、ちょっと歩いたりしたあと、キルフェボンでタルトを買って帰って来るという感じ。
ほんとは久しぶりだし行きたいところもたくさんあるような気がするのだけれど、わざわざ今日行きたいか?と思うとそこまでして行く必要もないような気持ちになってしまうんですよね。具体的に買いたいものがあるわけではなくてちょっと見てみたいぐらいだったら、いいかな、と。
加えてお互いお店の名前とか忘れてて、「あの辺にあった何とかという何とかの店に寄ってみない?」みたいなことになっていたり、キルフェボンの喫茶コーナーがなくなってたり、PressSixが閉店していたり、当然ちはるのお店もなし‥‥とか、知らないうちにいろいろ変わっていて、なんだかおじいちゃん、おばあちゃんの老夫婦みたいなことになってましたね。都下で遊んでばかりいないで、ときには都会に出ないとね。

「電子音楽InThe(Lost)World」-田中雄二-

◆テクノポップの誘惑
電子音楽をちゃんと聴いてみようと思ったのは、ヤン富田の「フォーエバー・ヤン」を読んだのがきっかけでした。あと今は削除されてしまっているので確認できないんですけど、佐々木敦氏が電子音楽についてかなり詳しく書いたものをウェブに上げていて、一時期その2つを何度も熟読してました。
でもさすがにこれらの文章で紹介されているようなレコードを手に入れることは難しくて、もっと手軽に手にはいるような電子音楽のディスクガイドを捜しているときに知ったのがこの本でした。それから何年も経ってしまっているけれど、ようやく手に入れてちゃんと読んでみると、ここで紹介されているレコードを捜すのもけっこう難しそうですね。そもそもCD化されている絶対数が少ないですし‥‥。

それよりもこの本の後半で取り上げられている1970年代から1980年代にかけての日本のテクノポップのレコードが懐かしすぎてかなりやばい。わたしは今でも割と幅広い年代の音楽を聴いている方だと思うんですけど、1980年代の音楽(大瀧詠一や山下達郎など一部を除いて、特に日本の音楽)は、なんとなく恥ずかしくなってしまってもうずっと聴いてなかったのです。
そんなわけで中学・高校時代に聴いていたものや、当時、雑誌で読んでいたグループぐらいしか知らないので、実際のところはそんなに詳しくはないんですけど、プラスチックスとかShi-Shonen、ジューシーフルーツ、鈴木さえ子、P-MODEL、チャクラ、ポータブルロック、サロンミュージック、フィルムス‥‥など、ジャケット見ているだけで懐かしい気分になってしまい、改めてCDを買ってみようかな、という誘惑に勝てません。ついでにテクノポップじゃない1980年代の音楽も聴いてみようかな、とか考え出したりして、どうしたものかと。いやいやそういうCDを買うためにこの本を買ったわけではなんですけどね。
それでなくてもツイッターで名前が出ていたせいで10年以上ぶりに伊藤銀次なんて聴いみたりしてるというのに‥‥。

「僕は散歩と雑学が好きだった。―小西康陽のコラム1993-2008」-小西康陽-

◆明けましておめでとうございます。
今年もカヌー犬ブックスをよろしくお願いいたします。

「今年はちょっとがんばらないといけない年になるな」と12月に入った頃から考えてたのにもかかわらず、年が明けてからまったく仕事もできず、本格的な仕事始めは今日から、ということになりそうです。今年で漣くんも2歳なのでいつまでも子どものせいにして遊んでばかりいられないですよね。といっても、大きな転換となるようなことはできそうにないので、毎日コツコツとやってみて一年経ったら少し変わったな、とみなさんに思われる感じにはなりたいですね。(それじゃ今までと変わらないって意見もありますが‥‥)

結局、「電子音楽InThe(Lost)World」は最後まで読めずに年を越してしまったので、2010年の最後に読んだのはこの「僕は散歩と雑学が好きだった。」でした。読んだと言っても最初から読んだわけでもなくて、毎日の通勤時間に、読んでなさそうなところを適当に開いて読んで、なんとなく飽きたら“読んだことにする”というスタイル。1日に読む量は少ないけれど2週間くらい読んでたので、だいたいは読んだんじゃないかな、わかんないけど。植草甚一などいわゆるヴァラエティブックの読み方としては正しいのではないかと思っているのですがどうでしょう~どうでもいいでしょう~

サブタイトルに「小西康陽のコラム1993-2008」とあるように前に出た「これは恋ではない―小西康陽のコラム1984-1996」と年代的にはかぶるものの個人的には2000年代はまったくと言っていいほど小西康陽を追いかけてないので、たとえ書いていることはどの時代でもあまり変わらないとしても昔の文章が収録されているのはうれしい。
しかしあんなに好きだったピチカート・ファイヴをある時期からまったく聴かなくなっていたのはなんででしょうね?アルバムで言うと「プレイボーイ・プレイガール」までは持ってる。で、今調べてみたら、このあとに出たアルバムって「PIZZICATO FIVE」「さ・え・らジャポン」の2枚だけでした。もっと出ているのかと思っていたので意外。最後のほうはベスト盤や再発盤の発売もあったりしたのでその印象が強いのかもしれません。
それにしても、改めてアルバムのリストを見てみると1987年の「Couples」から1994年の「オーヴァードーズ」くらいまでほんとにピチカート・ファイヴはすごかったと思う。次ぎにピチカート・ファイヴがどんなアルバムを作るのか、わくわくして待ってた感じだったのはわたしだけではないはず。まっそれも昔の話ですけど。