「雨の日」-安藤鶴夫-

なかなか梅雨が明けませんね。関東地方で梅雨明けが8月になるのは3年ぶりだとどこかに書いてありましたが、そう言われると意外とよくあることなのだなぁ、なんて思ってしまう。まぁ晴れたら晴れたで暑くていやになッちゃうんだけど。
まぁ3年前と言われても、その年の夏に自分がなにをしていたかぜんぜん思い出せない。そもそも去年のこともあんまり覚えてなくて、ときどきこれからどうなっちゃうのだろうを心配になったりもします。基本的に平日は会社に行ってるわけだから、記憶に残るようなことは1カ月に10日くらいしかないし(そういうわけでももないかな)、去年も一昨年も3年前も、例えば横田基地の友好祭に遊びに行ったりと、同じようなことばかりしているので、どれがどの年なのかこんがらがっちゃうのですよ。学生の時だったら、1年前は高校生で、3年前は中学生などと、違いが出るものだけれど、いまとなっては、3年前は係長だったけれど、去年は課長で、今年は部長、なんてこともないしねぇ。

というわけで、安藤鶴夫の「雨の日」を読んでみる。いや偶然。表題の「雨の日」は、尊敬する小泉信三が亡くなる前の半月前に3度も会い、そのうち一回は初めて一緒に食事をしたこと、そしてその3回とも雨の日だった、という追悼文。「自分が慶応を出ていて、先生の弟子か、後輩としてだったら、さぞ、うれしいだろうな、ということだけは、よく思った」という言葉に、私もそういうことを思ったことがあるだけに共感を覚えます。

「旅は驢馬をつれて」-スティヴンスン-

早稲田の古本屋でこの「旅は驢馬をつれて」を見つけて、慌てて銀行に行ってお金をおろした、なんてことを書いていたのは、堀江敏幸だったと思うけれど、その印象が強くて絶対に手に入らない本だと思ってました。だから読みたいものはあるけれど、普段はちょっと高くてなかなか買う機会のない大人の本棚シリーズでもつい手が‥‥。いや嘘です。古本屋で購入しました。でも本を読み終えてから検索してみたら、岩波から文庫で出ていることがわかり、こちらでもよかったかな、とちょっとがっかり。アマゾンでは「2点在庫あり。ご注文はお早めに。」となっているし、ユーズド商品にも出品されているのを見て、やはり思いこみはよくないなぁ、とあらためて思いましたね。
1878年、28歳のスティヴンスンはちいさな驢馬をつれ、南フランスの山々を抜ける旅に出る。その旅の途中で出会う人たちとの交流や、思うように歩いてくれないやっかいな驢馬とのやりとり、悪天候の中の野営の様子などをつづった作品で、スティヴンスンの楽天的とも思える思索が、ただの旅行記に終わらせない“なにか”を付け加えてます。もちろん小沼丹の訳のせいもあるかもしれないけれど‥‥。スティヴンスンは、生まれつき病弱だったこともあって、こういう旅行を度々しているらしく、このほかにもいくつか紀行文があるみたいなので、いつか読めたらいいなと思う。

最近、明治とか森永、雪印といった牛乳関連のノベルティグラスをよく買っているような気がします。そもそもずっと前から西荻や下北などの雑貨屋で見かけるたびに、気にはなっていたのだけれど、割と値段も高いし、そもそも置く場所もないだろうとあきらめていたので、手頃な値段で店先に並べられているのを見たりすると、つい買ってしまう。
実際に使うのはすぐ割りそうでなんだか怖いし、コレクションとしては、ずっと集めているスノードームより、保管が難しそうなので気に入ったものだけちょこっとあればいいなと、思ってはいるのだけれど、どうなることやら。部屋が広かったら、西荻あたりで売られている、木の枠でできた昔の商店に置いてあるようなショーケースを買ってきて並べたりするのになぁ、などと思いながら、ノベルティグラスを集めたサイトとか見てると、夢が広がっちゃってます。

「腕一本・巴里の横顔」-藤田嗣治-

3月くらいから1970年代のAORを中心に聴いているのだけれど、ジャンルがジャンルだけになかなか中古屋さんで欲しいCDを見つけることができません。この辺の音楽は、ほんとうはCDよりもアナログ盤で買った方がいいレコードを安く手に入れられるような気がするのですが、いまさらアナログを買う気にもなれないし‥‥。
それにしても今ってAORのジャンルが広がっていて、これもAORなの?というCDが普通にコーナーに置いてあったりしますね。確かにAORっぽいサウンドかも知れないけれど、その当時から使われている言葉をそのまま使って、範囲を広げるのはまずいのでは、範囲を広げるのであれば、新しい言葉を作るべきでは、と思うのは、私だけか。いや、言葉なんてどうでもいいか。
サウンドの表面上はものすごく白人的なのに、ソウルやジャスの要素が多分にあって、ときにラテン的な味付けがあったりして‥‥好きなものを何でも取り入れるということは、結局なんにでもなくなってしまうのを実感します。飛躍して考えると「好きな音楽は?」という問いに対して「割とどんな音楽でも聴く」と答える人は、実はなにも音楽を聴いていないのではないかという‥‥。
で、こういう音楽ばかり聴いていると、もっとリズムがメリハリの聴いた音楽を聴きたくなってしまい、先日、喫茶銀座でノーザンソウルを聴いた影響もあって、ここ一週間くらいは、ホット・ワックス~インヴィクタス、カートム、ブランズウィックなどの1970年代のソウルばかり聴いてます。モータウンやノーザン、シカコばっかりで、サザンソウルまで行かないのは、AORの影響を引きずっているから、なんだけれど、改めてChi-Litesなんて聴くと心に染みます。これからはスイートソウルか!という勢いな2006年の夏、って梅雨も明けてないですけど‥‥。

「エリア随筆」-チャールズ・ラム-

というわけで、チャールズ・ラムの随筆を読んでみる。でもちょっと大げさで古いような文体と固有名詞などの注釈が多いので、朝、電車の中で眠い目をしながら読んでいると訳が分からなくなってしまい、読み終わるまでに時間がかかってしまいました。こういう本は、もっと時間のとれるときとか、旅行に持っていたりして読むべきなのかもしれません。それよりも庄野潤三の解説に、先に書いた福原麟太郎、吉田健一、庄野潤三の3人の対談の時の話が書かれていて、びっくり。そのときの様子を吉田健一が書いた随筆があったなら、ぜひ読んでみたいです。

週末からすっかり梅雨空に戻ってしまいましたが、連休中日の日曜日に鎌倉に行って来ました。鎌倉に行くのは、ほぼ一年ぶり。毎回、お寺や散歩コースみたいなものを巡ったり、雑誌に紹介されているような鎌倉らしいおいしいものを食べたりするわけではなくて、ちょっとした喫茶店やお店を回って帰ってくるだけ。
今回もとりあえず朝ご飯も食べずに家を出て、まずディモンシュでブランチ、から始まって、いがらしろみのジャムを買ったり、doisや通り沿いの古本屋、小山千夏さんとCHAJINさんのフリマをのぞいたり‥‥。
始めて行ったのは、小町通りにある古本カフェ遊吟舎。勝手に地下にあるものと思っていたら3階で、思っていたよりも広くて、窓から小町通りに並ぶお店の屋根が見えたりしてとても明るい雰囲気の普通の喫茶店でした。
それからちょっと離れた大塔宮の参道にあるBOOK CAFE KING。ここはファイヤーキングなどの雑貨が売っていたり、写真集などの本が置いてあったりしてなかなか居心地がよかったです。周りは住宅街なので、体力が残っていれば散歩するのにもちょうどいいかもしれません。
あとは、横山隆一亭跡地にできたスターバックス&CHAYAマクロビといったところ。なんだかどこに行ってもちょこちょこ食べてばっかりだな。というわけで、今回はイワタコーヒのホットケーキとこ寿々のくず餅はパス。次にいつ行けるか分かりませんが、秋ぐらいに涼しくなった頃にまた行きたいですね。

「書斎の無い家」-福原麟太郎-

今では海外文学といえばまず英米文学、ということになるのだろうけれど、戦前の世代だったら、まずフランス文学だったはずで、事実、大学でフランス文学を学んだ作家や評論家は多いのに、その中であえて英文学(米はつかない)を学ぶというのは、福原麟太郎と含めてどういう人たちなのだろう、ということは前にも書いたような気がしますが、そういう意味で、福原麟太郎の本は前々から読んでみたいと思ってました。それに合わせてイギリスの随筆家の本も読んでみたいのだけれど、どうもなにから読んで良いものか分からない状態が続いていたりします。それからやはり私の中で吉田健一の存在が大きいということもあげられるかな。だからここに収録されているNHKのラジオ番組のために、福原麟太郎、吉田健一、庄野潤三の3人で対談しているときに、、福原麟太郎の芸術院会員いりが決まったという知らせが来て、お祝いとして3人でウィスキーを飲んだ、という話は、個人的に興味深かったですね。
そもそも今まで翻訳文学ばかり読んできたわりに、アメリカ文学にくらべ、現代のイギリス文学をそれほど読んでいないのは、常盤新平や青山南、村上春樹‥‥などといった紹介者に恵まれなかったこと大きいと思う。ちゃんと大学の英文学科などに行けば、そういう人もいるのだろうけれど、もっとポピュラーな存在で英文学を紹介する人があまりいないのは、どうしてだろう。本当に好きだったら紹介者なんて関係なく、読みたい本を探し出すはずだ、という意見もあるのだろうけれど‥‥。入り口の入りやすさというのは大事。「敷居は低く奥は深く」ってよく言うじゃないですか。

ところで、音楽に関していえば、聴く音楽のほとんどをイギリスのフィルターを通して聴いて来たような気がします。特に10代から20代初めの頃は、いきなり本場の音楽を行くということはあまりなくて、イギリスのミュージシャンが演っているのを聴いてから、それに影響されて本場の音楽を行くということが多くて、簡単な例をあげると、スペシャルズやトロージャンズを聴いてスカを聴き始めたり、スタイル・カウンシルやジェームス・テイラー・カルテットを聴いてオルガンジャズを聴いたり、「ビギナーズ」を見てジャイヴを聴いてみたり‥‥といった感じ。そういう風に考えると、ポール・ウェラーの影響をかなり受けていると言えるかも知れない。

さて、最近は、プライマル・スクリームのニューアルバムをよく聴いている。「バニシング・ポイント」が出た頃にリキッドルームにライブを見に行って、やっぱりプライマルはオアシスなんかと格が違うと思ったことがあったが、今でもわたしにとってはそれは変わらない。実際、ファーストの「ソニック・フラワー・グルーブ」が出たときは、ほんとクリエーションとかアノラックとか聞き始めたときだったし、「スクリーマデリカ」の時はもちろんわたしの中でもマンチェスター全盛だったし、その後、スティーヴン・スティルスから聞き始めて、ちょうどトニー・ジョー・ホワイトとかスワンプを聴き始めた頃に、トム・ダウドがプロデュースした「ギブ・アウト・バット・ドント・ギブ・アップ」が出たり、「バニシング・ポイント」のときも思いっきりダブにはまっていた頃だったり、その後はぜんぜん聴いていないけれど、そのときに自分が聴いている音楽を不思議なシンクロしていて、妙に思い入れがあったりもする。それは単にバンド自体(ボビー?)が時代の雰囲気を読むのがうまいということもある。でもおそらくわたしくらいの年代の人は、そう思っている人が多いんだろうなぁ。

「父・こんなこと」-幸田文-

気がついたら7月ももう10日?、なんてことを最近、ずっと書いている気が‥‥。なんだかんだいっても土日はちゃんと休んでいるのだけれど、昼過ぎまで寝てしまったりして、気がつけば夜になってるという感じ。このサイクルを何とかしなくては、と、昼もとうに過ぎているのにパジャマのままでたばこを吸いながら、予想以上に繁ってしまい、6月の終わりから花が咲き始めているあさがおを眺めつつ思ってます。

さて、題名から簡単に想像できるように、露伴が亡くなる前後の様子をつづった作品。幸田文の読み始めにいいのではないかと、ブックオフで100円で売られていたものを買ってみました。露伴との関係を考えれば当然、冷静になれるわけもなく、正確な記録をとっているわけでもないので、基本的に露伴の病状に対する客観的な記述はほとんどなく、幸田文の露伴に対する気持ちやいらだち、哀しみ‥‥が、これでもかというくらいにはき出されています。そしてその取り繕わないストレートさ・誠実さに引かれるように、読んでいるこちらもドキドキしてしまう。
それにしても、子どもの頃、「あの子はできが悪い」といわれたことを、死ぬ間際にまで腹立たしげに、そして哀しげに思っている様子を読んでいると、親というのは軽はずみなことを子どもに対して言ってはいけないのだなぁと思う。そういえば私の母親もいまだに、何かある度におばあさんに対する愚痴を言ってる気がするな。

話は変わりますが、浅草寺の境内で開かれているほおずき市に行って来ました。毎年7月9日、10日に催されるのですが、今年は日曜日だったこともあって、浅草駅からものすごい人混みで、途中から小雨が降ったりもしたけれど、久しぶりに浅草を歩いて、きびだんごやあげだんごを食べたり、飯田屋でどぜうを食べたり、アンヂェラスでケーキを食べたり‥‥久しぶりに浅草を歩いてみると楽しい。こう書くと食べてばっかりですが‥‥。近いうちにもう少し早めに来てゆっくりといろいろなところを回ってみたいと思う。帰りにはちゃんとほおずきを一枝買って帰ってきました。
ところで、ほおずき市の日に浅草寺にお参りすると四万六千日分、日参したのと同様の功徳を得られるらしいです。「四万六千日って何年?」なんて「大人のDSトレーニング」みたいなことを言いたくなりますが、そんな日本の仏教のいい加減さが割と好きだったりします。