「ku:nel」(Vol.16/2005.11.1)

週末は、その週に更新する本の準備におわれてしまってなかなか雑記まで手が回らない。準備といっても、タイトルや出版社など本の基本情報を打ち込むのと、表紙をスキャンしておくだけで、後は平日にコメントをつけてから更新する、という形でアップしているので、作業的にはそれほどたいへんなことではないのだが。
いや、そもそも一回に5冊しか更新しないのってどうなのよ、と自分でも思うけれど、そうそうまとめて時間をとれるわけでもないので、ずっとこの方法で、最近はだいたい週に20冊から30冊程度、月に120冊くらい更新している。そのうち買い取りが月に40冊くらいなので、毎月80冊はせどりしなくてはいけないので、毎回、今週分の本は間に合ったけれど、現状で来週アップする本はまったくない、というぎりぎりの状態が続いていて、いつも「来週、アップする本をどうしようかなぁ」という気持ちと「なかったらなかったでしょうがないじゃん」という気持ちを言ったり来たりしているという感じになってしまい、どうも精神的に良くないような気がするのは気のせい?

めずらしくそんなことを書いてみたのは、9月25日に、品川インターシティでやっていたミニミニ古本市に行ったときに、出店していた海ねこさんと「在庫どうしてます?」的な話をちょっとしたから。普通、2年以上もやってれば、倉庫とまではいかなくてもそれ用の部屋がありますよね。でもないのですよ、実際。今でも台所の片隅に大きなカラーボックスを置いてそこに本を入れてるという・・・・。
これ以上売り上げを伸ばすには、在庫をもう少し増やしていかなくてはいけないし、かといって置く場所もないし、別に倉庫用として近くの安い部屋を借りるほど売り上げはないし・・・・困ったものです。そろそろカヌー犬ブックスも過渡期に来ているのかしらん。

「ku:nel」の最新号の特集(?)は「本と料理」。期待して中身も見ずに買ったのだけれど、アリステア・マクラウドのインタビューくらいしか本のことが載ってないし、料理とあんまり関連がなくてちょっとがっかり。あいかわらず写真はきれいだが・・・・。

「上海の蛍」-武田泰淳-

前に読んだ「目まいのする散歩」よかったので、武田泰淳のほかの本も読んでみたいと思っているのだけれど、私は「三国志」とか中国史について、ぜんぜん興味がないので「司馬遷」とか「十三妹(シイサンメイ)」といった本にはどうも触手がのびないし、戦時中の左翼的な人々の話もどうも苦手だ。
戦時中の上海での経験を元に書かれたこの本は、「目まいのする散歩」シリーズとして書かれたあと一編で完結する予定だったが作者の死去によって未完に終わった作品で、別の散歩シリーズとして書かれた浅草を舞台とした1編も収録されている。といっても「目まいのする散歩」とどのような類似点があるのか、そもそも散歩シリーズというのがどういう位置づけで書かれているのか、わたしにはわからない。どちらかというと、どこか江戸川乱歩の世界を思わせる戦後の浅草の怪しげな雰囲気を描写したもう一つの散歩シリーズのほうが私は好きだ。

「三国志」といえば、高校、大学時代、私の周りの男子のほとんどは、「三国志」や中国史が好きだったような気がする。それから司馬遼太郎とかね。理系の男子はなんでそういうものが好きなのだろうか?いやテレビゲームとかの人気を考えると理系に限らず、男子は「三国志」や中国史が好きなのだ、という意見もあるかもしれない。
でも、私が高校の頃は、プレイステーションとかドリームキャストなんてなかったし、そういうRPGもなかった。だから1990年代以降、RPGで「三国志」や戦国時代を舞台としたものが出てきたのは、私の世代から少し上の世代の理系の男子が、ゲームを作ろうとしたときに、自分たちの好きな題材を選んで作った結果、「三国志」になったとも考えられるような気がするのだけれど、どうだろう。その頃なんて、ゲームの内容を考える人とプログラムを組んで実際に作る人との分業がはっきりしていたとは考えられないし・・・・。
そんなことを考えていると、10代の頃、なんで自分は理系に進んだのだろうか?とつくづく思ってしまう。でもある高校の先生の言うところによると、高校の文理選択は、「文系と理系をどちらかを選択するのではありません。『理系を諦めるか否か』の問題」であり「『文転』はできても『理転』はでき」ず、「理系の学部で学んだ人間が、弁護士になることは可能です。しかし、文系の学部で学んだ人間が、科学者には絶対なれません」ということなので、数学を諦められなかった、ということか。適当。

「雪まろげ」-安藤鶴夫-

「あまカラ」に「食べもののでてくる話」という題名で連載されていたものをまとめた本。「雪まろげ」とは、漢字でだと「雪丸げ」と書き、雪の小さい固まりを頃がしてだんだん大きくしてゆく遊びのことらしい。題名も食べものとあまり関係ないけれど、内容も食べものをテーマにしているわけでもなく、身辺雑記を中心に、落語家や俳優、演出家、作家などの話が収録されている。
ちなみに安藤鶴夫の本で、もう一冊意味が分からない題名「ごぶ・ゆるね」は「御無沙汰・許してね」という意味。この本に往復書簡が収録されている安藤鶴夫と斎藤磯雄のあいだだけで使われていた言葉なのだそうだ。この「雪まろげ」には、「げいしょううい」「はおりき」「おやよ」「エブ」「ひんまが」「ぐじゃばっし」・・・・など、安藤家だけで通用する言葉が紹介されている。うちにもそういう身内だけで通用する言葉があるかしらん、と思って、しばらく考えてみたけれど(「思って」から「しばらく」の間30分あまり)、なにも思い浮かばず・・・・。もしかしたら自分で気がつかないだけで、ほかの人が聞いたら「???」という言葉があるかもしれない。いやそういう言葉って、親が使う方言が変形したものや自然に造語として作られたものなど、意識しないだけで誰の家にもあるような気がします。

「雪まろげ」の季節にはまだ遠いけれど、三連休のあいだにすっかり涼しくなりましたね。半袖のパジャマで、タオルケットだけかけて寝てたらもう寒いくらい・・・・。だからというわけではないけれど、先日、渋谷のOILで長袖のシャツとコートを買いました。コートなんて買うのは何年ぶりだろう。ちょっと気が早いような気もするけれど、見つけたときに買っておかないと、いつの間にかなくなっていたりするので・・・・。単に店員さんに「ほんと似合ってますよ~」という言葉につられただけかもしれませんが。あと、冬が来るまでにジーンズではないズボンとフレッドペリーの薄手のセーターが欲しい。
実際にコートやセーターを着るのは、まだまだ先と思っているとうちに、すぐにコートが必要な時期になってしまうのだろうなぁ。

「風貌・姿勢」-井伏鱒二-

井伏鱒二が、「作品」という同人誌に参加していた頃から、機会がある度に発表していた、「知人についてのゴシップ風の短文」を集めたもの。発表された時期も昭和5年から昭和42年まで、掲載誌も「同人」から「早稲田文學」、「文藝春秋」「新潮」「日本経済新聞」「東京新聞」などと幅広い。取り上げられている知人は、太宰治、上林暁、三好達治、有島武郎、河盛好蔵、堀辰雄、小林秀雄、永井龍男・・・・など。
文士の交友録はたくさんあって、作家の性格や日常などが、違う視点から書かれていたり、作風からは想像つかない思いがけないつながりを発見したりして楽しい。特に井伏鱒二が書く交友録は、本人からしてみると「そんなこと覚えてるの?」というようなことのほんの些細なことが取り上げられていたりする。それは交友録に限らず、井伏鱒二の随筆全般に言えることかもしれないけれど・・・・。

今週末は、ASPARAGUS主催するBKTS-5というイベントとハナレグミのフリーライブに行く予定だったのだけれど、今日のハナレグミのほうは、あまり天気が良くなかったので、小金井公園まで自転車で行けず断念。話によるとかなり人が集まったみたいですね。無理しても行けば良かったかな、なんてちょっと思う。
BKTS-5は、the band apart、COMEBACK MY DAUGHTERS、lostage、Sloth Love Chunksが出演。さすがに全部は見れないので、途中から入場して、Sloth Love Chunks、COMEBACK MY DAUGHTERS、ASPARAGUSの3組だけ見た。ASPARAGUSは、PIZZAのバンドと言うことしか知らず、CDもちゃんと聴いたことなかったのだけれど、3ピースなのに音が厚くてメロディもよくて、気に入ってしまった。Sloth Love Chunksは、元ナンバー・ガールの中尾憲太郎が在籍しているバンド。中尾憲太郎のベースが爆発してました。女の子のヴォーカルもいいしね。左利きの女の子を見るとちょっとドキドキしてしまうの私だけか?バンドの入れ替え時には、BEAT CRUSADERSのヒダカトオルとカトウタロウによるツービート・クルセイダーズ(って言っていたような)によるイントロクイズとか弾き語り漫才。自分たちの歌は歌うし、ASPARAGUSのカバーはするし、実は彼らの出演時間が一番長かったのではないだろうか。

「ぽろぽろ」-田中小実昌-

去年、ロシア、キルギス、ウズベキスタンなどを旅行したときに撮った写真の展覧会を開いた友達が、18日(日)から24日(土)まで下北沢にあるadd Cafeで行われている、“Summer goes by”をテーマしたグループ展に参加している。いや、参加していると言っても今回は作品を出しているわけではなく、オープンニングパーティや展示の配置決め、告知ページ制作などの企画をやっているらしい。個人的にはadd Cafeかぁ、という気持ちもないわけではないけれど、そんなことはどうでもよくて、日曜日、とりあえずオープンニングパーティに行ってきました。
DJブースとライブ用のキーボードが置かれているので、かなり店内がごちゃごちゃしていたのと、たくさんの人が来ていたので、ゆっくり作品を見るということはできなかったけれど、ひさしぶりに会った友達と近況を話したり、いろいろな人を紹介されたり、ビールを飲んだり、2次会が行われたadd Cafe地下のバーで店長とスミスの話をしたり、ここって昔、RedRock Barだったところだよなぁ、なんて思ったりしつつ、ついついお酒を飲み過ぎてしまい、家に帰ってお風呂に入ってそのまま寝るはめに・・・・。

「幸福へのパスポート」-山田稔-

山田稔の本なんて早々手に入らないだろうなぁ、なんて思いながら古本屋を回っているのだけれど、「コーマルタン界隈」に続いて「幸福へのパスポート」も発見。もちろんオリジナルではなく、後に再版された選書です。先日、よく行く古本屋さんに8冊くらい山田稔の本が入荷されていて、「これはまとめ買いするしかない!」と思って値段を見てみると、8冊全部買ったら、iPodが買えちゃうよ、という値段でした。

9月はなにやら忙しい。週末はたいていのんびりと本屋さんやレコードを屋をうろついている日があるものだけれど、珍しくスケジュールが詰まっていたりする。写真美術館でブラッサイの写真展を見に行った後も、そのままリキッドルームでケムリ10周年記念ライブへ。出演したのはイースタンユース、横山健、ZAZEN BOYS、そしてケムリの4バンド。スカコア好きの私ですが、ケムリは今まで聴いたこともなくて、目当ては横山健とZAZEN BOYS。
ZAZEN BOYSは特に好きというわけではないのだけれど、以前ライブに行ったらニューウェイヴとプログレを掛け合わせたような演奏が良くて、CDは聴く気になれないけれど、ライブは機会があればまたみたいと思っていたのです。でも向井秀徳の芝居がかったというか、もったいぶった言い回しがあまりなじめない。初めてちゃんと聴いたケムリは、ハードコアなのに小節が回った歌い方で、どこかブラフマンに似ているような気がした。
基本的にスカ・コア系は、どのバンドも英語詞であれば、それなりに聴けるような気がする。スカスカクラブとかスキャフルキングとか、一時期いろいろCDを買ったりしていたけれど、やっぱり私はオイスカとルードボーンズが一番好きですね。特にルードボーンズは、エイベックスからインディに戻ってまたいい感じになった。

「Through the Light Barrier」-John Cowan-

もう何年もブリティッシュ・ビート・バンドのレコードなんて聴いていないけれど、60年代のイギリス、スウィンギン・ロンドンを写した写真集は好きだったりする。Ronald Treagerとかね・・・・。実を言えば今さらと思いながらも、今でもときどき本屋で「Mods!」を手に取ってみたりしている。
このJohn Cowanは、ミケランジェロ・アントニオーニの映画「欲望」に出てくるカメラマンのモデルとなった写真家、なんてことをどこかで読んだ気がするけれど、ほんとうがどうかわからない。写真を眺めていると、たまにはフーとかスモール・フェイゼスとかキンクスとか聴いてみようかな、なんて思ったりもするけれど、よく考えてみれば、フーでさえ2、3枚しかレコード/CD持ってなかったりするし、ビニールに入れて箱にしまってあるので、探すのが面倒だったりする。とりあえず来月のTokyo’s No.1 Swinging Sixties Zoom Party~「The Fabulous Parade」には行きたい。

さて、話はドーバー海峡を越えてフランスへ。25日まで写真美術館で行われているブラッサイの写真展に行って来ました。ブラッサイといえば1930年代の夜のパリを写した写真家。エルスケン、アジェ、ドアノー、ブレッソンと多くの写真家が、パリとパリに住む人々を題材に写真を撮っていて、個人的には「もうパリの写真はもういいや」という気分なのだけれど、1930年代から1950年代くらいまでに撮られたパリのモノクロ写真は、写真という表現の可能性や機能をシンプルに追求したものが多いので、何度見ても飽きない。もっともブラッサイの写真の多くは、知り合いにポーズを撮ってもらっているという「やらせ」という話ですけどね。逆にブラッサイやドアノーでさえそうしたポーズを撮ってもらわなくてはこういった写真が撮れない、とも解釈できて、私のようなただの素人はほっとしたりするのだが・・・・。

「食いしん坊」-小島政二郎-

テレビや雑誌などで「池波正太郎が通った店」というフレーズはよく使われるけれど、「小島政二郎が絶賛した店」というのは聞かない。もちろん池波正太郎と小島政二郎では知名度に大きな違いがあるわけですが、それよりも、この本が出た1954年からもう50年以上も経ってしまっているので、小島政二郎が褒めた店がもう存在しない(少なくてもそのままでは)ということもあるので話題にしてもあまり意味がないのかもしれない。逆に、「戦後になって東京の店はだめになってしまった」とか「震災が東京を壊してしまった」といったことが書かれていているけれど、関東大震災でさえ1923年なので、この本が出た時を基準にすれば31年しか経ってない。その31年間の変わりようの嘆きを読んでいても、その後の変わりようのほうが大き過ぎて、その実感がわかないというのが、正直なところでもある。
それにしても「池波正太郎が通った店」という言葉は、古くもなく、新しくもなく、それほど高級なお店でもなかったりするので使いやすいフレーズなのだろう。そして、そういう記事や番組を見ていると、それさえ紹介していれば安心という作り手の安易さが、そのフレーズに露骨に出ているような感じがして、池波正太郎好きの私としては複雑な気分になります。

小島政二郎が言うように、いい材料を仕入れて、手間をかけて丁寧に、一日作れる分だけ作って、近くに住む人やそれを欲しいと思っている人たちに売って、それで自分たちが暮らしていける分だけ稼いでいければいいんじゃないかと思う。グローバルとか言って世界中を相手に商売をすることや、大量生産するためのノウハウ、コストの削減策・・・・なんてことを考えたりして、そんなに儲ける必要があるのかな。そのために失ったものはあまりにも大きいような気がします。
坂本龍一がタワーレコード/フジカラーのCMで、「500年後に残すためにも紙にしておく必要があじゃないか」みたいなことを言っていて、それを見るたびに、「(坂本龍一がドラムを叩いている)その写真は500年後に見る価値があるのか?」とか、「フジカラーは100年プリントでは?」、と突っ込んでしまうのだけれど、“もの”ということを考えたときに、500年後に今作られているもののどれだけが骨董として残るのだろうか、とは思う。
とはいっても、自分の身の丈にあったささやかな暮らしなんて、これからの世の中で許されないことになりつつあるのだろうなぁ・・・・なんてことを、選挙結果を見て思う今日この頃。

「コーマルタン界隈」-山田稔-

日曜日は、ちょっと用事があって横浜に行ってきた。桜木町~関内~石川町周辺には、適度に古本屋もあるし、レコードも東京で買うよりちょっと安かったり、掘り出し物があったりしたし(ディスクユニオンでBorder BoysやGroovy Little Numberの12インチを400円で買ったりしましたね。それが掘り出し物と言えるかは人によるが・・・・)、アメリカものの雑貨をあつかうお店もあったりしたので、昔は暇があれば歩き回っていたものだけれど、ここ何年かは、なにかしら用事がなければ行くことはない。だから今回、横浜に行かなくてはいけなくなったときに、絶対に行っておかなくては、と、まず思い浮かんだのは、ランドマークタワーにあるメイドイン・ヨコハマというお店。なぜなら、ここは赤い靴チョコレートとか横濱カレー、横浜かすてら・・・・といった横浜グッズを売っているお店で、いうなれば観光地のおみやげ屋さんと変わらない、普段ならまったく用事のない店なのだけれど、最近ここにスノードームがあることを知ったから。
かなり昔のことですが、横浜のスノードームがあるということを、どこかで読んだりして知って、山下公園近くのおみやげ屋さんなどを探していた時期があったのですが、ぜんぜん見つからず、すっかりあきらめ&忘れてました。ところが、先日「はちみつとクローバー」を読んでたら、横浜のスノードームが出てきてびっくり!さっそく調べ直してみたところ、そのメイドイン・ヨコハマにあるらしい、しかもフローティングペンもあるではないですか。というわけで、気分だけはすぐにでも横浜へ、でもなかなかその機会もなく・・・・という感じだったのです。

で、買ってきました。わざわざ横浜まで行って、用事のほかは、この店とバナナレコードしか寄らないというのもどうかと思うけれど、遊びに行ったわけではないのでしょうがない。ちなみバナナレコードでは、キュービズモ・グラフィコの「FOGA」を購入。しつこく言えばわざわざここまで来てキュービズモ・グラフィコ?という気もしないでもない。そして休日でにぎわっていたランドマークでしたが、私が行ったとき、メイドイン・ヨコハマの店内には誰もお客さんがいませんでした・・・・。
スノードームは、ベイブリッジとランドマークタワーをモチーフにしたもの、フローティングペンも、風船に乗ってランドマークタワーを上るものと赤い靴を履いた女の子が動くものの2種類ずつ、私にしては珍しく、スノードームもフローティングペンも2種類ずつ買ってしまいました。最近、スノードームを、雑貨屋などで見かけることがなくなってきているだけになんだかうれしい。ちなみに私はベイブリッジの方が気に入ってます。

「自由学校」-獅子文六-

どこで、何を読んでそう思ったのか分からないけれど、この「自由学校」は、戦後の鎌倉アカデミアを題材とした小説、となぜか思いこんでました。鎌倉アカデミアといえば、林達夫、高見順、吉田健一、大仏次郎、木下順二、平野謙、吉野秀雄・・・・といった人が講師を務め、生徒には、山口瞳、いずみたく、前田武彦等がいたという大学令によらない大学で、自由大学とも呼ばれているのでその辺が勘違いのもとかもしれません。もちろんフィクションなので実際の講師たちが出てくることはないだろうけれど、個性の強い講師たちをどう描いているのか、また戦後の鎌倉の様子などがどのように描かれているのかなど、考えるだけでわくわくしてしまい、獅子文六の作品の中でも、特別に読むのを楽しみにしていた本でした。
だから下鴨神社の古本市で見つけたときも、実際に読み始めるときも、普段なら先に読むカバーに書いてあるあらすじや、巻末の解説もまったく見ずにページをめくりはじめ、なんだか思っていたのと違うことにすぐに気づいて、あわてて解説を読み直すはめに。

30代の気の強い妻と、体は大きいが怠け者の夫を主人公に置き、ある日、妻に「出ていけ」といわれた夫が、そのまま家を出てしまうことがきっかけで起こる珍騒動(?)が描かれていて(誤解を恐れずに、大まかに言ってしまえば、獅子文六の小説のほとんどは“珍騒動”なんですけどね)、その顛末を描きつつ、戦後の「民主主義」、「男女平等」、「自由」・・・・といった世相や思想を皮肉っていて(からかうといったほうが近いのかも)、それと物語の絡ませ方が絶妙。その主張に関しては、もちろん今でも通じるものではあるのだが、「民主主義」も「男女平等」も「自由」も、いろいろな思惑や利権、政治的なかけひきの材料となってしまって、複雑になってしまった今では、この作品で描かれているようなストレートな皮肉では通じない。でもそれが含まれているかどうかで、作品の広がりがぜんぜん違ってくるのではないかなと思う。

このところ、近況的なことを書いてなかったので、最近、行ったところなどをいくつか。

・毎年、恒例になりつつある横田基地の友好祭。今年は花火を見ようと思って夕方から出かけてみました。福生ではまず基地の中で、厚い肉のみのいかにもアメリカンなハンバーガーと、まだ霜が付いている冷凍のケーキなどを食べ、その後、街道沿いの雑貨屋さんなどをのぞいて、デモデダイナーでサラダとか食べてから、花火の直前に基地に戻ったのですが、なんとすでに入場が終わっていて、道ばたから花火を見ることになってしまった。来年は、最初に福生の街をふらついてから、基地の中に行こうと思う。

・9月3日まで吉祥寺のfeveでやっていた「mina perhonenのアトリエ展」にいく。もちろんいくら私がSサイズの服ばかり着ているといっても、女の子ものばかりのミナの服には興味はありません。色合いと模様のバランスがいいな、とは思うけどね。予想通り会場は2、3人組の女の子たちでいっぱいで、一人で行った私にはちょっと居心地が悪かった。

・セキユリオがパッケージのデザインをしたたばこを、神戸に行ったときに4箱も買い込んだのだけれど、どうも私には強い感じなので吸う気になれない。もともとおみやげに誰かにあげようと思っていたのだが、よく考えてみれば、私の周りの喫煙者で、セキユリオのデザインを喜ぶ人が見あたらない・・・・。

・神楽坂のKADOで食事。ここは古い民家をそのまま利用したカフェ(昔風に「古い民家をそのまま利用した家(うち)」といったほうが似合うかも)。夜はコース料理のみなのだが、珍しい材料を使った料理が小皿で次々と出てきて、小食の私にはうれしかった。次回は昼間に来て、神楽坂周辺を散策してみたい。

・3年半ぶりに携帯を買い換えた。前の機種なので1円。基本的にあまり電話にも出ず、メールのやりとりを頻繁にするわけではないので、携帯を持つ意味はそれほどないような気もするが、画面がきれいで文字が読みやすくなったのはうれしい(私は単なるお年寄りなのか?)