「食いしん坊」-小島政二郎-

テレビや雑誌などで「池波正太郎が通った店」というフレーズはよく使われるけれど、「小島政二郎が絶賛した店」というのは聞かない。もちろん池波正太郎と小島政二郎では知名度に大きな違いがあるわけですが、それよりも、この本が出た1954年からもう50年以上も経ってしまっているので、小島政二郎が褒めた店がもう存在しない(少なくてもそのままでは)ということもあるので話題にしてもあまり意味がないのかもしれない。逆に、「戦後になって東京の店はだめになってしまった」とか「震災が東京を壊してしまった」といったことが書かれていているけれど、関東大震災でさえ1923年なので、この本が出た時を基準にすれば31年しか経ってない。その31年間の変わりようの嘆きを読んでいても、その後の変わりようのほうが大き過ぎて、その実感がわかないというのが、正直なところでもある。
それにしても「池波正太郎が通った店」という言葉は、古くもなく、新しくもなく、それほど高級なお店でもなかったりするので使いやすいフレーズなのだろう。そして、そういう記事や番組を見ていると、それさえ紹介していれば安心という作り手の安易さが、そのフレーズに露骨に出ているような感じがして、池波正太郎好きの私としては複雑な気分になります。

小島政二郎が言うように、いい材料を仕入れて、手間をかけて丁寧に、一日作れる分だけ作って、近くに住む人やそれを欲しいと思っている人たちに売って、それで自分たちが暮らしていける分だけ稼いでいければいいんじゃないかと思う。グローバルとか言って世界中を相手に商売をすることや、大量生産するためのノウハウ、コストの削減策・・・・なんてことを考えたりして、そんなに儲ける必要があるのかな。そのために失ったものはあまりにも大きいような気がします。
坂本龍一がタワーレコード/フジカラーのCMで、「500年後に残すためにも紙にしておく必要があじゃないか」みたいなことを言っていて、それを見るたびに、「(坂本龍一がドラムを叩いている)その写真は500年後に見る価値があるのか?」とか、「フジカラーは100年プリントでは?」、と突っ込んでしまうのだけれど、“もの”ということを考えたときに、500年後に今作られているもののどれだけが骨董として残るのだろうか、とは思う。
とはいっても、自分の身の丈にあったささやかな暮らしなんて、これからの世の中で許されないことになりつつあるのだろうなぁ・・・・なんてことを、選挙結果を見て思う今日この頃。