「爆撃調査団」-内田百けん-

さて、すっかり時間が経ってしまいましたが、イベントには、いつもサイトを見てくださっている人やどこかのお店でフライヤーを見つけてくれた方から、久しぶりに合う友だちや会社の人まで、たくさんの人に来ていただきありがとうございました。
また会場を提供してくださったクリップさんの方々やイベントに参加してくれた友だちにも感謝です。うれしかったのは、いつもサイトを見てくれている方が、前回よりもたくさん来てくれたことと、小学校6年の時の先生が、奥さんと娘さんと一緒に来てくれたこと、そして先月、小学校の同窓会があったということをここに書きましたが、そのとき集まった同級生が5人も二宮や平塚からわざわざ来てくれたことですね。
そんなわけでわたし個人は本を並べた以外、たいしたことしてたわけではないのですが、イベントが終わってすっかり気の抜けてしまってます。それでも部屋の運び入れたままになっていた段ボール箱を、ようやくトランクルームに戻して、部屋のなかも少し落ち着いきし、ゴールデン・ウィークといってもなにをするわけでもなく、毎日家の近くをのんびりしてという感じです。

週末は、天気もよかったので、前から取り壊される前にもう一度行こうと思っていた阿佐ヶ谷住宅の周りをOM1を持って散歩してきました。阿佐ヶ谷住宅の一画で開かれていたトタンギャラリープロジェクトはもう終了してしまっていたけれど、まだ取り壊しされているわけでもなく(まだ住んでいる人もいるようでした)、広場で遊んでいる子どもたちがいたり、周りを散歩している人がいて、わたしたちも、ベンチに座ってパールセンターの途中で買ったサンドウィッチやパンを食べたり、フィルムケースを灰皿にしてたばこを吸ったりして、のんびりした春の暖かな休日を満喫できました。久しぶりに広角レンズを持っていったので、建物全体がファインダーに全部おさまるのが楽しくなってしまい、フィルム3本ちかくも写真を撮っちゃったしね。
帰りは、阿佐ヶ谷住宅から善福寺川を渡って善福寺川公園近くからバスに乗って帰ってきたのですが、かなり近い!後から地図で調べてみたら2kmくらいしか離れてなくて、うちから荻窪駅に行くよりも近いことが判明。次は自転車で遊びに行こう。

「男性自身 傑作選 熟年篇」-山口瞳-

一応、カヌー犬ブックスは、海外文学と料理に関する古本をあつかっている古本屋、なんですけれど、ここに海外文学の本が取り上げられることはほとんどないし、料理についてに書くこともほとんどなかったりします。たまには「週末のパーティで用意した●●●の作り方」なんてレシピをここに書いてみるのもいいかもしれない、なんて言ってみたりして。いやいや週末のパーティってなんなんですか?

そんなことはさておき、カート・ヴォネガットが亡くなったそうだ。84歳。今となっては、最後に読んだヴォネガットの本がなんだったのか思い出せないくらいずっと読んでなくて、よく読んでいた時期といえば高校生から大学の初めまでのあいだ、1980年年代半ばから1990年の初めくらい。Wikipediaによると「1980年代、日本でも認知がすすみヴォネガットブームとも言える状況が到来」とか「ヴォネガットから影響を受けたとされる村上春樹(とりわけ『風の歌を聴け』)や高橋源一郎、橋本治等の若手作家たちの台頭もこの時期」とある。そういうブームに影響を受けていたのだろうなぁ、と今になって思えば、そんな時代だったような気さえしてしまったりして。実際、ヴォネガット自身が歳を取って、作品をあまり発表しなくなったこともあるかもしれないけれど、1990年代の後半になるとほとんど翻訳本も刊行されていないみたいです。ついでにヴォネガットの作品で翻訳されている本は以下のとおり。

  ■「プレイヤー・ピアノ」
  ■「タイタンの妖女」
  ■「母なる夜」
  ■「猫のゆりかご」
  ■「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」
  ■「スローターハウス5」
  ■「さよならハッピー・バースディ」
  ■「チャンピオンたちの朝食」
  ■「スラップスティック」
  ■「ジェイルバード」
  ■「デッドアイ・ディック」
  ■「ガラパゴスの箱舟」
  ■「青ひげ」
  ■「ホーカス・ポーカス」
  ■「タイムクエイク -時震」
  ■「ヴォネガット、大いに語る」
  ■「パームサンデー -自伝的コラージュ」
  ■「死よりも悪い運命 -1980年代の自伝的コラージュ」
  ■「モンキー・ハウスへようこそ」
  ■「バゴンボの嗅ぎタバコ入れ」

全部で20冊?。もっと出ているような気もするけれど気のせいかな。この中で読んでいない本は、1990年代後半に出た「タイムクエイク -時震」と「死よりも悪い運命 -1980年代の自伝的コラージュ」、「バゴンボの嗅ぎタバコ入れ」くらいかな。意外と読んでますね。内容は忘れてしまったり、他の作品とごっちゃになっているけど。
個人的な経験からすると、10代の頃にこういう本を読んでしまうと、日本の作家の作品が平面的・直線的すぎて、物足りなくなってしまうんじゃないかと思う。最終的に収拾がつかなくても物語は複雑であるほど、おもしろいし、本に感動なんて求めるのは、愚の骨頂。本とは泣くためにあるわけじゃないし、“共感”なんてなに言ってんの?という感じになってしまう。そして最終的にはメタフィクションとラテンアメリカ文学にたどり着くのだけれど、わたしの場合、そこで振り切って日本の私小説に走ってしまうあたりが、どうも両極端なわけで‥‥。

「男性自身 傑作選 中年篇」-山口瞳-

せっかくなので‥‥、という始まりもどうかと思うけれど、金曜日の夕方だし、もう気分は週末、というわけで、5時から30分だけ会社を中抜けして、ミッドタウンの地下で行われていたエマーソン北村のライブを見に行って、それからまたちょっと仕事して、7時50分に仕事を切り上げて、8時から土岐麻子を見るなんてことをしてみました。親ガメの背中に乗っかって、気がついたらこんなところまでつれてこられてしまったのだから、このくらいの恩恵がなくちゃね、と。
平日の夕方ミッドタウンに来るような人で、エマーソン北村を知っている人もそれほどいるわけもなく、雰囲気的には、デパートの片隅とかちょっとした広場で演奏しているエレクトーンを聴いているみたいで、なつかしい。でも演奏されているのはジャッキー・ミットゥーだったりするのだけれど。演奏が始まった頃、集まってきた人たちも、演奏が続くにしたがって少しずつ離れていったりして、いい感じで見られて良かったです。
で、8時から土岐麻子は、かなり人が集まっていて、人と人の隙間から見るという感じで、さすがにのんびり聴くという雰囲気ではなかったです。演奏もギター一本の伴奏で、ジャズのスタンダードなどを中心に歌っていたので、土岐麻子を知らない人でも聞きやすかったということもあるかな。このあいだ出たカバーアルバムを聴いていないのだけれど、達郎のカバーなんてちょっとEPOっぽいな、と思ったりもしました。あと係りの女の人が、おばあさんに土岐麻子のことを「シンバルズというバンドにいた人です」って説明していたのは笑えた。シンバルズなんておばあさんが知ってるわけないでしょ。まぁ係りの人もそれしか知らないんだろうなぁ~。といっても、どちらも大混雑ということでもなかったので、人選としては妥当な知名度なのかもしれません。ちなみに今週の金曜は、Cianとボサダビット。知らん。
せっかくなので、なんかケーキでも買って帰ろうと思って、お店を回ってみたけれど、どこも並んでいて買う気にもなれず‥‥

「冥途」-内田百けん-

春の天気は変わりやすい。
先週の終わり、お昼ご飯を食べた後に、ひとりで会社の周りを散歩していたら、ちょっと路地に入った短い坂道の狭い階段の下のほうに太い大きな桜の木があって、坂の下の方から見上げると、道の方に曲がった太い幹に満開に近い桜の花が階段を背にして咲いている感じがとてもきれいだったので、明日はポラかC35でも持って会社に来よう、と思っていたら、次の日はあいにくの雨降り。週末を挟んで、それからまだその桜を見に行っていないのだけれど、まだ咲いているといいな、と思う。そもそも明日は晴れるのか?

夢というか妄想を、そのまま描いたような作品集「冥途」は、内田百けんの初期の小説(第一作?)で、なんの予告もなく、ある意味当然のように、不思議で不条理な出来事が起こり、時にはなんの解決もなく物語が終わったりする。まだ、全集を読み始めて4冊目だけれど、それまで読んだ本が随筆だったので、どう考えてもおかしな状況であるのにもかかわらず、どこか「実はこれは実際にあったことを書いた随筆ではないか」という考えが最後まで捨てきれず、逆に、普通の随筆を読んでいると、「これはまさか実際にあったことじゃないだろうなぁ」という出来事が描かれてたりすることもあって、なんだか混乱してしまった。

日曜日は、西荻まで自転車で行って、そこから20分くらい歩いて善福寺公園までいってみた。去年も同じ頃に同じように歩いて見たのだけれど、今年は桜の花が満開になってからはじめての週末だったせいで、公園の中は人でいっぱい。少し広くなっている場所では子どもたちが遊び回っていたり、どこからか打楽器やギターの音が響いてきたり、さすがに騒がしい。それでも、桜の花を眺めながらゆっくり歩くスペースは残っているし、午後から出かけてもシートを敷く場所も見つけられたりできるのが善福寺公園のよいところですね。もっとも、わたしは公園よりも、そこに行くまでに通るさくら町周辺の方が好きで、できることなら道の片隅に縁台でも置いて、ビール片手に花見をしたいなと思う。「三丁目の夕日」に出てきそうなこんな路地の隅っこで、ひとりお酒を飲んでぼんやりとしていたら、普通に猫に話しかけられたり、からすにからかわれたりしそうだなぁ‥‥。

「今年の秋」-正宗白鳥-

正宗白鳥の本を読むのは初めてか。この「今年の秋」も、単行本の方をときどき見かけていて、でも、値段がちょっと高かったり(といってもそれほど高くはないけど)、タイミングが悪かったりしてなんとなく買う機会がないままになってたのですが、西荻の古本屋の前に中公文庫がたくさん並べられているのを見て100円で購入。あまり確かめもせずに買って、家でページを開いたら、本の最後の方の目録に線引きがしてありました。
線が引いてあるのは、井伏鱒二や池田弥三郎、戸板康二、安東次男、白川静、徳川夢声、子母澤寛、石川順‥‥といった作家の本のところで、実際に自分が読んだ本に線を引いているのか、これから読もうとしている本に線を引いているのか、わからないけれど、「今年の秋」を気に入った人が、ほかにどんな本を読んでいるのか分かるような気がして、個人的にはおもしろい。もっとも「今年の秋」があんまり気に入らなくて、だからこの本に線を引いた、とも考えられるわけですが‥‥。古本屋としてはかなりへこむんですけど‥‥。

父親の死を見送る「今年の春」、母の死の有様を書いた「今年の初夏」、そして二歳違いの弟の死を描いた表題の「今年の秋」と続き、最後には、「若し私の死ぬ時が来たら、誰かが「今年の冬」としてその光景を書くだらうか、と予想しながら、故郷の家を出た」という言葉で閉じられる、晩年の心境を描いた一連の作品が、やはり味わい深い。
ほかの作品は、「小説とか随筆とか評論とかの区別を考慮しないで書くような気持ちになっている。その時々の見聞や感想を、文飾を施さず、心の浮かぶままに記しているのである」と、あとがきに書かれているように、肩の力の抜けたものが多い。実を言えば、本屋さんでこのあとがきを読んで、正宗白鳥の本を読んでみようと思ったのだった。

「別冊談 shikohin World コーヒー」

イベントの日までにフライヤーをいろいろなお店に置こうと思っているのだけれど、お休みの日に、なんとなく出歩く程度じゃなかなか置けないですね。
そんなわけで、週の真ん中、21日のお休みの日は、表参道まで行って、press sixやジュウ・ドゥ・ポゥムのお店をのぞいたり、NADiffで写真集を立ち読みしたりして、原宿方面まで降りてきて、YAFFA ORGANIC CAFEで遅めのランチを食べ、長袖シャツが欲しいなと思いながらLONSDALEやRUDENESS、FRED PERRYを見てみるもの、すでにお店の中は半袖ばかりという状態で、結局、LACOSTEで半袖のシャツを買ったりして、途中See More Glassでお茶、渋谷に出てきたところで、パルコの下のGeneral Storeを見てみたら、いつもならおいていないSサイズの長袖シャツがおいてあったりして、「さっき半袖買ったばかりなのに(しかもちょっと高かったんだよなぁ~)」と思いつつ、bunkamuraで始まったばかりの「レイモン・サヴィニャック展」を見て、夜はエッジエンドでやっている“In The Pacific”‥‥と、こうやって羅列すると、なんだか東京に出てきたばかりの大学生みたいな行動パターンで恥ずかしい。
“In The Pacific”は、先月まではカンフーナイトカフェという名前だったイベント。今月からちょっとだけDJの変更があったりして、再スタート。カンフーナイトカフェでは、ほんとオールジャンルという感じだったけれど、今回はジャズ~ソフトロック~AORとつないでいくような感じで落ち着いたいい雰囲気で、早めに帰るつもりだったのに、つい最後まで残ってしまいました。
ところで、週の真ん中でお休みが入ると、楽なのか余計疲れちゃうのか、よくわからなくなってしまいませんか?個人的には水曜よりも、週の前半ちょっと頑張って働いて、木曜日に休んで、金曜一日会社に行ったら週末、というのが好きなんですけどね。

「立腹帖」-内田百けん-

なにがきっかけでなんでそうなっちゃうのか、自分でもよく分からないのだけれど、2月の終わりにティン・パン・アレイの周辺の音楽について、「いつになくはまってしまっていて、このまま夏前くらいまで聞き続けようと思ってます。」と書いたときは、本当にそう思っていたのですよ。それなのに3月に入ってから、買ったCDといえば、Little Barrie、The View、Maximo Park、The Rifles、Milburn。ティン・パン・アレイなんて、ぜんぜん聴く気もなくなってしまってしまいました。いや、まじで。UKロックなんてもう10年くらいちゃんと聴いてなくて、そもそも、もう一生聴かない類の音楽だろうなぁ、とさえ思っていたんですけどねぇ‥‥。ちなみ今、チェックしているのは、Little Man Tate、Jet、Kaiser Chiefs、Kooks、Cribs‥‥といったところですかね。

さて、小学校6年の時の先生が定年退職を迎えると言うことで、週末は、卒業して初めて行われた同窓会に行って来ました。25年ぶり、ということは、わたしたちを教えていたときは、34、35歳だったというわけで、あの頃の先生の歳をすでに越しているのだなぁと思うと少し感慨深い。はがきが来たときは、二宮まで行かなくちゃいけないし、なんだか面倒だなぁ、なんて思っていたのですが、実際に会ってみると、思っていた以上に盛り上がってしまい、家に帰ったのは、日曜日の朝8時という‥‥。
しかも昔は近くにある保養所を通り抜けられたのに、いつの間にか抜けられなくなったせいで、金網をよじ登って帰るというありさま。でも芝生越しに見えた青空をバックにした富士山がとてもきれいでした。

「頭の洗濯」-吉田健一-

吉田健一の本を読むのも久しぶりだなぁ、なんて思っていたら、前回読んだのは去年の2月でした。一年ぶりですか。そうなると、急いで読むのがもったいなくなってしまって、一日ゆっくりと、一篇か二篇ずつ、なんて感じになってしまいがちます。こう言うときは何冊か平行して本を読めばいいのかな。どうでもいいことですが‥‥。

週末は、阿佐ヶ谷住宅の一画にあるトタンギャラリーに行って来ました。阿佐ヶ谷住宅は、南阿佐ヶ谷から歩いて5分くらいの場所に、50年くらいに前に建てられた集合住宅。知ったときは、昔住んでいたアパートの近所にあった牟礼団地みたいな小さめの団地が並んでいるのかな、と想像していたのですが、実際は、中にはそういうものもあるけれど、半分以上は、その形や色合いがどこか福生の米軍ハウスを思わせるような2階建てのテラスハウスで、小さな庭がついていたり、公園や芝生の植えられた共有部分が大きく取られていて、都心とは思えない素敵で、かつ贅沢な場所でした。こんなところと分かっていたら、ちゃんとしたカメラとたくさんのフィルムを持ってくればよかったとか、ベーグル屋さんでサンドウィッチでも買ってくればよかったとか、いろいろ後悔してしまうもの。物件のほとんどは立て替え後の企業が押さえてしまっていて、窓やドアには板が張られてしまっていて、予定では4月頃から取り壊し作業が始まってしまうみたいなので、(住民の反対で取り壊しが延期されたという情報もあり)近いうちに、また行かなくちゃ。

阿佐ヶ谷住宅も含めて、老朽化によって、ふるい建物がどんどん壊されてしまうのは、ある意味、しょうがないことだけれど、代官山や表参道の同潤会アパートを例に取るまでもなく、たいていは壊される前の建物よりも醜悪なビルやマンションが建てらることが多いこともあって、やはり寂しい気分になります。逆に目黒川沿いは、古い建物をうまく利用したお店が多いので、まだ散歩道として楽しめるのが救いですね。新しいお店でもなんとなく周囲にあった雰囲気の建物が多いような気がするしね。
先日、ランチを食べに行った和菓子や日本茶の専門店、HIGASHIYA SABOもそんなお店の一つで、外装はそのまま蔦のはった木造の建物なのだけれど、中はもとの素材をうまく使いながらも、ガラリと違うモダンな雰囲気になってます。目の前の窓の向こうに、文字通り切り取られたようなさくらの木が見えのもまたいい感じで、あとひと月ぐらい後には、さくらの花が窓いっぱいになるんだろうな。そんな時期にまた行ってみたいけれど、3月の終わりからは予約を受け付けないらしいので、花見の頃の目黒側沿いの人出を考えると、まぁ入るのは無理ですね。
昼の懐石ランチは、量としてはちょっと物足りないような気がするけれど、味がきちんとついていたり、漬け物がたくさん出てくるので、ついご飯がすすんでしまい、気がつけばお腹いっぱい。いや、ご飯はいいからお酒が飲みたい、という気分でした。
目黒川沿いにいろいろなお店やカフェができはじめたのは、ここ10年くらいのことだと思うのですが、そのきっかけとなったのは、やはりオーガニックカフェということになるのかな。けれど、前にスウェーデンのジャズレーベルをやっている人のインタビューが載っている雑誌を読んでいたら、日本にもリスナーがたくさんいるので、日本に事務所をつくりたい、事務所の場所は中目黒がいい、なんてことを言っていたのは、コーネリアスの影響が大きいかも、なんて強引に話を続けてみる‥‥

from Nakameguro to Everywhere

金曜日に行ったリキッドルームでのコーネリアスのライブは、ダイブやモッシュが絶対にないと分かっているからか、「これでもかっ」ってほど人を詰め込んでいて、帰りの満員電車よりもひどいくらいでした。まずわたしのチケットの整理券が580番という時点でおかしい。ライブの内容がよかっただけにもう少し、ゆったりと、できればもう少し大きな、椅子のある場所で聴きたったです。音楽的にそういう場所のほうがあってると思うし、お客のほうもコーネリアスのライブで騒いだり、暴れようなんて考えていないと思うしね。そういうことをされると、しょせん音楽うんねんよりも金儲けなわけね、なんて思ったり。
そもそもリキッドルームは、たいてい人を詰め込みすぎている感じがするのは気のせいだろうか。会場費が高いのだろうか?

「草野球必勝法」-山口瞳-

普段、野球を見るわけでもなく、草野球に参加するわけでなく、競馬も将棋も麻雀もやらないし、絵も下手、さらに飲みに行けば、たいてい終電間際でサクッと帰ってしまう。そう考えると、趣味・嗜好的には山口瞳とわたしの接点ってまったくないですね。だからこそおもしろく読める、ということもあるのだろうけれど。青柳瑞穂や青山二郎を読んでいるからといって骨董収集の趣味があるわけではなく、内田百けんを読み始めたからといって鉄道好きなわけでもなく、井伏鱒二が好きだからといって釣りに行くわけではない、と同じことですかね。

さて、ちょっと前のことになりますが、ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」を観てきました。ソフィア・コッポラの映画は、「ヴァージン・スーサイド」しか観てなくて、個人的には、スチール写真を含めて、映し出されるシーンの一つ一つや小道具、音楽の使い方など、イメージ的にはわりと好きなのだけれど、ストーリーを語るという意味ではちょっとどうなのかなぁ、という思いこみがあったので、この映画については、ちょっとスケールを広げすぎなのではないか、もっとミニマムなストーリーの方があっているのではないかと思っていて、正直あんまり期待はしてませんでした。でも、実際は、いわゆるベルバラ的な世界でも歴史物語でもなく、純粋に一人の女の子の青春映画としてよかった。
ストーリーを含めて、歴史的な背景、国同士の外交的な駆け引き、さらには旦那のルイ16世を初めとした男性たちの心象やキャラクターなど、余計なものをすべて省いてしまって、マリー・アントワネットとその周りの女の子たちによる贅沢三昧と、恋愛のうわさ話、他愛もないおしゃべり‥‥が描き出されてます。映画の中で一番心に残っているのが、18歳の誕生日に夜通し遊んで、そのあとみんなで朝日を見に行くシーンというのも、ソフィア・コッポラらしい。Gang Of FourやSiouxsie & The Banshees、Adam & The Ants、Bow Wow Wow‥‥など、使われている音楽が音楽なだけに、衣装も18世紀フランスというよりも、1980年代初めのヴィヴィアンのように見えてきたりするし‥‥。

その「マリーアントワネット」が、夢の世界のような青春物語とすれば、その青春の終わり時期の女の子の悩みをストレートに描いたのが、小日向しえ主演の「ジョブ&ベイビー」。結婚間近の主人公が、仕事もしなくちゃいけないけれど勤めている保育園は閉園だし、子どもも生まれるし、彼ははっきりとしないし、そもそもこの仕事がわたしに向いているのかもわからない‥‥といった感じ。どちらも出てくる男には、まったくスポットが当てられないのは同じか。
「ジョブ&ベイビー」のほうは現実的な分だけ、男のわたしには、「う~ん?」と思ったり、「女の子はいろいろたいへんだなぁ」なんて思ったり。所詮人ごと?というわけでもないけどさ。舞台初日と言うこともあって、終演後は演出家の赤間麻里子と小日向しえのミニトークショーがあったりしてなかなか楽しかったです。スペシャのプレゼントでチケットが当たったので、まったく予備知識なしで行ったのだけれど、ちょっと得した気分。

「間抜けの実在に関する文献」-内田百けん-

この本の解説は、堀江敏幸。ある作家の本を読み始めたばかりの時に、好きな作家がその本の解説を書いていたりするとなんとなくうれしい。でも、たまたま買ったCDをあけてみたら、小西康陽が解説を書いていた、というのはちょっとがっかりしてしまう、のはなんでかな。

ようやく「ハリー細野 クラウン・イヤーズ 1974-1977」を買った。「トロピカル・ダンディ」も「泰安洋行」もアナログではもっているのだけれど、気軽に聴けるCDでそろえたいと思っていたところだったし、それよりも中華街でのライヴが全部収録されているというのがうれしい。映像も全部入ってたらなぁ、と思うけれど、それは残っていないのだろう。今年は新春放談をきちんと聞いたことや、このボックスの発売の影響か、年が明けたくらいから、ティン・パン・アレイ周辺のCDばかり買っていてます。気分にまかせてついバラバラとCDを買ってしまうので、改めて聴こうとすると意外とCDを持っていなかったりします。鈴木茂の「バンドワゴン」でさえ、高校の時レンタルレコード屋で借りだけで、買ってなかったりするし‥‥。というわけで、iPodの中は、小坂忠や鈴木茂、吉田美奈子、松任谷正隆、久保田真琴、大貫妙子、ブレッド&バター、西岡恭蔵、南佳孝‥‥といったアーティストの曲ばかりになってます。
聴き始めた頃は、2月の終わりくらいまでこの路線を聴いていこうと思っていたのだけれど、いつになくはまってしまっていて、このまま夏前くらいまで聞き続けようと思ってます。でもティン・パン・アレイ周辺といいつつも、吉田美奈子とか大貫妙子のファーストとか聴いていると、やはり山下達郎のアレンジのセンスの良さを改めて気づかされます。

ところで、ちょっと自慢なのですが、うちには細野晴臣、鈴木茂、林立夫、ジョン山崎、吉田美奈子、小坂忠のサインが入ったティン・パン・アレイの色紙があります。詳しくは知らないのですが、友だちのおじさんが北海道に住んでいて、若いときにそういうバンドを何組か呼んで、今で言うフェスみたいなもの開いたことがあって、そのときにもらったもの、らしい。でも、そのおじさん自身はティン・パン・アレイのことをほとんど知らなかったらしいのだけれど‥‥。吉田美奈子のサインの「子」の横棒の先にハートマークが入っているのがちょっと微笑ましい。
で、このボックスのブックレットには、1974年10月から1977年9月までの細野晴臣の活動記録が詳細に記載されていたので、この色紙が、いつ行われたどんなイベントのときに書かれたものなのか調べてみたのですが、どうも記載がない。細野晴臣のサインの前に「泰安洋行」と書かれているので1976年。北海道の野外イベントなのでその夏ではないかと予測はしていたのですが、ないんですよねぇ~。1976年は「パラダイスツアー」で札幌に行ってるだけだし、1977年の夏は「札幌ロック祭」に参加しているのですが、ティン・パン・アレイではなく、夕焼け楽団+細野晴臣と書かれているし、謎は深まるばかり‥‥。
ちなみに、この年譜を書いているのは長門芳郎。10代から20代の初めの頃は、この人の書いたレコードの解説に出てくるグループやアーティストをメモって、中古レコード屋にいくたびにチェックしたものです。その辺は、今、好きな作家の随筆の中に出てくる作家の本を手帳にメモって、古本屋でチェックしているのと変わらない。なにが変わったと言えば、わたしが音楽を聴くということに、昔ほど情熱がなくなったということだけか?