■英語を話すハワイ生まれの日系二世を父と、日本語を話す近江八幡生まれの母とのあいだに生まれた少年が、2つの言語のあいだで揺れながら、どのように言語を、そしてそれにともなう思考の方法を獲得していったのかが、子どもの頃にペーパーバッグを集めていた話から大学時代に初めて翻訳の原稿を書いた話、そして小説を書き始めた頃などの経験をもとにつづられている。
わたしは片岡義男の本はエッセイしか読んでいないけれど、一見、論理的だけど、でも実際は論理的な文章というわけでもなく、かといって感情に訴えかけてくるわけでもないという不思議な語り口が好きで、今でも新刊をチェックしている数少ない作家でもある。日本語してはちょっと微妙だなぁと思うところもありつつ、なんか微妙なラインをすれすれに歩いているような感じなのは、2つの文化を行き来しているからなのだと思う。
■小説のほうは、ちょうど小学校高学年から中学の頃に、角川映画などで小説が次々と映画化されるブームがあって、そのときの印象からほとんど読んでいない。ほとんどと書いたのは、90年代初めの頃、村上春樹とか読むのだったら、片岡義男の本を読んだほうがいいんじゃないかという気分で、何冊か読んでみたことがあるのだけれど、続かなかったし、今では何を読んだのかも忘れてしまったから。
その後、90年半ばにちくま文庫から出た「ぼくはプレスリーが大好き」を読んだのがきっかけで、晶文社から出ている初期の本や太田出版からでたアンソロジーなどを読んではまってしまった。今小説のほうを読んだら印象が変わるのだろうか?と思いつつエッセイを読み続けているけれど、多分、これからも読まないような気がする。
■どこかのエッセイで、その頃の小説は漫画を小説化することをテーマにしていたといったことがかかれていた記憶があるけど、そういう意味ではライトノベルのはしりと言えるのかもしれない。ただライトノベルとしては、設定が非日常的なので、これから評価されるということはなさそう。
ついでにいうと堀江敏幸は「片岡義男の小説は小説についての評論であり、評論こそが小説である」と語っていたようだけど、小説の中にその評論の部分を感じられるようになるとまた印象が変わるのかもしれない。
■そういう意味では、今、70年代から80年代にかけての歌謡曲を聴くということは、歌謡曲の中に日本の音楽への評論が見え隠れする部分が感じられるからなのかも?なんてこじつけで思ったりもします。歌謡曲がJポップと呼ばれるようになってから評論というピースが抜け落ちてしまった気がするのね。
■さて、連休もあっという間におしまい。どこに行く我が家はどこに行くというわけでもなく、はじめのほうにセプチマでやっていたCOINNのライブを見て、途中で、自転車で深大寺になる鬼太郎茶屋に行った程度でした。といってもTHE GOLDEN COINN SHOWでは、あいかわらず子どもたちは、ライブが始まって2曲目で「外で遊んでくる!」と飛び出し、ライブよりもセプチマの庭で遊ぶことに夢中でしたけど。
よく考えたら漣くんなんてセプチマに初めて行ったのは1歳くらいの頃なわけで、年に数回しか遊びに行かないにしろ、勝手知った遊び場ですよね。当日はラマパコスやアグネスパーラーなど顔見知りのお店が出店してましたし。いつかセプチマでゆっくりとライブを見れる日が来るんでしょうかねぇ。
■秋は子どものイベントから自分が出るイベント(本屋さんのほうです)、遊びに行くイベントなど、毎週末なにかしらあってそれこそあっという間に寒くなってしまう感じですね。まぁ毎週、楽しみではあるのですが。