■1991年没後すぐに刊行された全集の月報や追悼文などをまとめた本。ほかの随筆でよく登場するする親しかった作家もいるし、会ったことのない、もしくは1回だけパーティ会場などで見た、というような作家も出てくる。前者はもちろん、後者に対しても、わずかな接点をたどりよせるように律儀に書いていて、それはそれで興味深かったりすのは、井伏鱒二の観察眼の鋭さと、それを伝える文章の巧みさなんだと思う。もっとも、時折、もっと適任がいるはずなのに、編集者はなんでこの原稿を井伏鱒二に頼んでいるのだろう?という疑問も浮かんでしまう事実だけど。まぁ1980年代後半にもなると、井伏鱒二しか当時を知らないということがあったのかもしれない。
■週末は泥酔ファンクラブへ。ファブリカが閉店してしまうようで、ファブリカで行われるのは今回が最後、そしてなぜかファブリカでの泥酔ファンクラブ最後のテーマは、「1985年&おニャン子クラブ結成30周年記念ナイト」。どういうイベントなんだっていう‥‥。しかもゲストDJは「FABULOUS PARADE」や「Mods Mayday」など、60’sのイベントでクールにレア盤をスピンしているmorrieさん!いや、初めてmorrieさんDJを聞いたのがいつだったかもう思い出せないけど、多分、もう15年くらい経つと思うんだけど、おニャン子クラブの曲(実際は河合その子)をかけるmorrieさんを見ることがあるとは!しかも胸には当時の河合その子のメンバーズカードをつけて、終始笑顔でレコードをかけるmorrieさん。いやー泥酔ファンクラブすごいわ。泥酔ファンクラブでしか見れないですよー
■個人的には、「夕焼けニャンニャン」が始まった1985年は、すでに高校生だったし、最初の頃は部活もしていたので、当然、まっすぐ家に帰って見れるわけもなく、一回も見たことがない。思い返してみると、高校一年の夏休みに学校でキャンプに行ったときに、女子が「セーラ-服を脱がさないで」を出し物でやって、その時初めて「夕焼けニャンニャン」という番組を知ったくらい。おニャン子クラブも含めて各ユニット、ソロの曲もほとんど知らないです。渡辺満理奈でさえちゃんと聴いたのが外間隆がプロデュースした「虹の少年」だったりする。なので、たくさんの人でごったがえすファブリカの店内で、イントロが流れただけで盛り上がるメンバーにはまったくついていけず。しばらく聴いてサビ入ったところで、なんとなくわかる曲がちょっと、という感じでしたが、なんとなくつられて気分が盛り上がってしまう。ほかのアイドルの曲も含めて当時から後藤次利のアレンジがいまいち好きになれなかったのだけれど、今聴くとまぁまぁ聴けるような気もするし、単に盛り上がって、冷静に判断できなくなってるだけ、という気もするという状況でした。
■でもよく考えたら、おニャン子クラブが活動してたのって3年くらいなわけで、共有できる人ってほんと限られていて、今でいうとわたしくらいが上限でその下の世代5年、6年くらいですよね。で、まぁ来ていたお客さんもそのくらいの歳で、だから盛り上がるんだろうけど、その下の世代の人も巻き込んで盛り上げられるというのは、やはり選曲がうまいんだろうな、と思う。もちろんヒット曲が中心なのですが、そのあいだに今でも聴けるような音の曲をうまくまぜてて、知らない人でも聴きどころ、盛り上げどころをうまく作ってる。いや、何度も言ってますが、おニャン子クラブ関連の曲をちゃんと聴くのは初めてなんで、全部ヒット曲だったのかもしれませんが‥‥
そんな盛り上がりを見せていたファブリカ最後の泥酔ファンクラブでしたが、漣くんの体調があまりよくないこともあって、早めに帰らせていただきました。皆さまお疲れさまでした。
■って、この話題でこんなに書くつもりはなかったのだった‥‥