◆漠然と音楽を聴いたり本を読んでちゃダメなのよ
「すべての道は志賀直哉に通ず」と思ってしまうくらい、わたしが読んでいる本には志賀直哉が登場しているような気がするのだれど、志賀直哉自身の本は、「小僧の神様」「城の崎にて」などが収録されている短篇集と「暗夜行路」を中学の時に読んだくらいだったりする。話に出てくる度にちゃんと読みたいと思うんですけど、なんとなく後まわしみたいな感じになってしまってたんですよね。
そんなわけで実質、志賀直哉の一冊目は、衣食住に関連する随筆と短編を収録した三月書房の小型愛蔵本。タイトルは「衣食住」だけれど、「食」についての作品はあまりなく、「住」がわりと多めになってるかな。そのほかにも泉鏡花、菊池寛、太宰治、永井荷風といった作家について書かれたものも収録されています。
個人的には“木の葉が弱い風に揺られているの見ていたら強い風が来て葉の動きが止まった”という描写が出てきたのがちょっとうれしい(記憶で書いてるので実際の文章は違います)。これについては吉田健一が、“強い風が吹いてきて葉の動きが止まるなんておかしいじゃないか、これは作者の思い違いに過ぎない”、みたいなことをどこかに書いていたらしく、それに対して尾崎一雄が、“強い風が吹くことで片方に押しやられるので動きが止まるのだ、そんなことが分からない評論家なんてバカだ”といったことを書いてたのだ。まぁわたしは吉田健一も尾崎一雄も好きですけどね。しかし一冊目でこの文章に出会えるとは!(といいつつ付箋とかしてないのでどこだかわからなくなってしまってるんですけどね‥‥)
アトランティックの名盤が1000円で出ているのを機に、今年に入ってからわりと古いリズム&ブルースやソウルをよく聴いてます。60年代のソウルと言えばモータウンとかシカゴなどのノーザンソウルしか聴いてなかったので、何気に60年代のサザンソウルは始めて聴くものが多い。なんたってアレサ・フランクリンでさえカーティス・メイフィールドが関わったものしかきいてませんでしたから。歌のうまいヴォーカリストと、それを的確、かつ力強い演奏で支えるバックバンドというある意味シンプルな編成のものが多いのですが、ノーザンにしろあるいはソフトロックにしろ、どちらかというとヴォーカルもサウンドの一部で、バックの演奏(アレンジ)やコーラスも含めて一つの世界を作っているといったものを聴き続けてきたのでなんとなく新鮮。
しかし1000円シリーズを適当に聴き続けてるだけでも60年代ソウルの広さと深さに溺れそうになってしまいますね。ほんと「今年はソウルばかり聴いてます」なんて軽く言ってる場合ではなくて、「これから10年間ソウルばかり聴くつもりです」くらいの気合を入れないとダメなんでしょうねぇ‥‥
で、話が変わりますが、4月からネットラジオで、伊藤銀次の「ポップファイルリターンズ」という番組が始まりました。これは伊藤銀次がデビュー40周年を振り返り、その時々のターニングポイントになった自分の曲にまつわる話をするプログラム。福生時代のことから始まってようやく佐野元春や沢田研二と関わるようになった頃の話まできているのですが、けっこうおもしろくてカヌー犬ブックスの作業をしながらつい何回も聞いてしまってます。この辺の頃のミュージシャンの話はおもしろい。先日出た牧村憲一の「ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989」も合わせて読みたくなりますね。
その中で大瀧詠一が伊藤銀次に「オールディーズを聴くんならただ漠然と聴いてちゃダメだ。銀次がビートルズやマージービートが好きならまずはそこを起点として、それらのバンドがカバーした曲のオリジナルから聴くとか、なにかしら系統立てて聴かないと、オールディーズの海で迷子になってしまうよ」みたいなことを言われたという話してて、どっきりした次第。
う~ん、アトランティックの1000円シリーズを適当に買うなんてCDの聴き方はダメですね。これに関わらずネットでいろいろ調べられるようになってから、聴き方が雑になってるような気がします。適当にそのジャンルのミュージシャンやアルバムを調べてリストにして、youtubeでちょっと聞いて買うかどうか決めるって感じですもん。
しかしだいたいのジャンルでディスクガイドとか出てるし、今どきプロデューサーやバックのミュージシャンとかを見てCD買ってる人なんてほとんどいないんだろうなぁ。そもそもCD買ってる人ももうそんなにいないんでしょうけど‥‥