「ニュードキュメンタリー図録」-ホンマタカシ-

◆「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」@東京オペラシティ アートギャラリー
土曜日に初台のオペラシティでやっているホンマタカシの「ニュードキュメンタリー」を見に行ってきました。会社帰りにギャラリーに寄ったりしたことはあっても、ちゃんとした美術館なんて行くのはほんとうに久しぶりな気がします。漣くんも連れて家族3人で行ったので、片方が展覧会を見ているあいだ、もう一人は外で漣くんと遊んでいる、というちょっと面倒なやり方だったけれど、思ったよりもゆっくり見ることができました。

周りを見てみたら、赤ちゃんを抱っこしていたり、小さな子どもをベビーカーで連れた夫婦が何組かいたし、意外と見に来ている人が少なかったから、静かにしていたら子どもと一緒でも大丈夫だったかも?なんて思ったりしましたが、うちの子は声が大きいし、最近は、勝手にベビーカーから降りて自分の気になるほうに歩いて行ったりするので、まあ無理ですね。

それとは別に、金沢でやっていたときにもけっこう話題になってたし、子どもがいるいないに関係なく、混んでてゆっくり見れないんじゃないかと思っていたので、あんまり人がいなかったのは意外でした。やっぱり単純に「かわいい!」って思えるような川島小鳥の「未来ちゃん」とかのほうが人気なのだろうか?

というのは、同じ女の子を撮った写真でも、ホンマタカシの場合、素直に「かわいい!」って気持ちで見れないのね。「Tokyo and My Daughter」ってタイトルがついてるにもかかわらず、ホンマタカシの娘じゃない(みたいだ)し、ホンマタカシが撮ったもの以外の写真も混ざっちゃってる(みたいだ)し、しかもこの女の子の日常とはまったく関係ない(みたいな)広範囲の東京の風景が挟まったりして、いちいち立ち止まって考えちゃうんですよ。
ほかの写真も同じような感じで、作品を見て進めば進むほど、疑問が浮かぶような仕掛けがしてあって、大げさに言うと疑心暗鬼になってしまう。
それで「ニュードキュメンタリー」というタイトルがついているんだと思うだけど、金沢21世紀美術館にしろ東京オペラシティアートギャラリーにしろ、こんな大きな会場でそんなことするなんて、なんだかおおげさだなぁという気もちょっとします。なんとなくそれぞれのシリーズが、一つのギャラリーで行われている展覧会というイメージかな。

もちろんこの写真展で提示されている「写真とは何か」とか「ドキュメンタリーとは何か」、さらに言うと「真実とは何か」みたいな問いかけについての答えはないです。だいたいこの展覧会だけでそれを提示することは不可能なわけで、そのあとは個々にホンマタカシの作品を見たりや著作を読んだり、またホンマタカシ以外の写真家の作品を見たりや著作を読んだりして、自分なりの答えを見つけていくのかもしれない。

ただ私が思うのは、ここ10年のデジタル化によって、写真が真実を写すという幻想はまったくなくなってしまったのではないかなということ。こういう問いかけをするための世界観の構築ってデジタルを使用することで簡単にできるようになってしまった気がしますし‥‥。

それと、今、写真を見たりしている人にとっては、そこに写っているものやことが、真実だろうか真実でなかろうが関係なくて、写真の中のものを真実として受け取れるような世界を構築したり、そのために個性を前面に押し出してくるような、写真(家)のほうが、求められているのかも、なんてことも思ったりします。いや適当。

わたしはホンマタカシみたいな“考える写真家”好きですけどね。というか、ホンマタカシは、個性とかじゃなくて、その問いかけをするための世界を構築するテクニックや感性、それを裏付けるための知識の使い方がすごいんですよ。

それで実はこの写真展のポスターにもなっている「Tokyo and My Daughter」からの女の子の写真さえもホンマタカシが撮ったものじゃなかったりして‥‥。