「けむりよ煙」-永井龍男-

西南戦争で家を焼かれたために、鹿児島から東京に出てきて、銀座でたばこ屋を開業、自ら「広告の親玉」、「安売りの隊長」と称して、誇大広告的なキャッチフレーズを看板やポスターに使った宣伝でのし上がっていった岩谷松平と、輸入葉たばこを原料に、たばこそのものはもとより、箱の印刷にいたるまですべてにこだわり、欧米の最新技術を次々と導入、ハイカラというイメージでたばこを売り出していった京都の村井吉兵衛による、たばこの売り上げ合戦を描いた作品。最終的には、アメリカのたばこトラストと手を組んだ村井が勝利するのだけれど、時代は日露戦争になだれ込む直前、政府の戦費を調達する必要にも迫られ、たばこは政府の製造専売となっていく。
まぁけっきょくは、今も昔もアメリカと手を組んだ方が勝つということなのだろうか?“国益”を唱えトラストとの合併を頑固として拒否する岩谷側から考えるとそんなことも思ったりもする。永井龍男自身は、どちらといえば、破れた岩谷松平に比重を置いているが、きちんと村井吉兵衛側からの見方も描いていて、読み進めていくとそのギャップがあらわになっていくという構成になっている。ただ、神田生まれの江戸っ子である永井龍男としては、九州から出てきた岩谷と京都の村井が、銀座という東京で繰り広げる戦いをどう思っていたのだろうか。少なくとも山口瞳だったら「この成金の田舎者」と一刀両断しそうな気はする。

映画をあまり見なくなってもう3、4年になる。たまに映画館に行っても、見たくなるような予告やちらしほとんどなかったりする。私が映画に対して鈍感になってしまったせいなのか、映画自体がおもしろくなくなってしまったのか、おもしろい映画を映画館が上映しなくなってしまったのか、よくわからない。けれど、なんだかDVDが出てきてから、どうも映画というものが映画館で上映されるものではなくて、DVDを買ったり、レンタルしたりして家で見るものになってしまい、映画館で上映されるのは単にDVDを売るためのプロモーション上映という感じに思えて仕方がない。というのは、単なる個人的な考えで、実際は映画館の観客動員数は増えているらしいから、映画を見なくなった私の勝手な言い訳ですね。
とはいうものの、かなり前から昔の日本映画をちゃんと見てみたい、と思っていて、阿佐ヶ谷のラピュタやフィルムセンターのスケジュールをチェックしている。でもはっきりいってなにから見ていいのやら、どこがおもしろいのかぜんぜん分からない。そのくせ見たいと思っている獅子文六原作の作品に気が付かず見逃したりする。先日もCSでやっていた永井龍男の「風ふたたび」を見逃したばかり。ほんとはそうやってえり好みせずに、どこかで上映されているものを端から見ていって、その結果、原作が永井龍男だったり、獅子文六だったり、小島政二郎だったり、井伏鱒二だったりと、好きな作家だった・・・・というのがいいのだろうなぁ、と思う。とりあえずは今月CSで「珍品堂主人」をやるみたいなので見逃さないようにしなければ・・・・。