根気がないのか、あきっぽのか、一つのシリーズをきちんと集めると言うことができなくて、「田中小実昌エッセイコレクション」もまだ全部読んでいなかったりします。もう刊行されて3年近く経っているのでそろそろそろえておかないと手に入らなくなってしまいそう。田中小実昌の昔の本は高くて買えないので、少なくともこのくらいは、と思う。ちなみ実を言えば、出ると知ったときはあんなに盛り上がったちくまの「井伏鱒二文集」もそろってなかったりします。
「ぼく」「おんなたち」「酔払交遊録」「作家たち」「家族オペレッタ」「戦友・旧友」と章に分けられた交友録。個人的には梶山季之から山口瞳そして植草甚一に続く流れがねぇ・・・・たまらないわけですが、田中小実昌のおもしろさという点ではどうだろうか。やはり新宿の飲み屋のおねーちゃんたちとのやりとりを読んでいる方がおもしろいし、この人にしか描けないものだと思う。
週末の話になってしまいますが、金曜の夜、仕事を無理矢理切り上げて、北沢440でミスゴブリンのニアミスゴブリンフェスタに行って来ました。ミスゴブリンは、ミオ犬が4月に長崎に帰ったときに「たてまつる」に行って、高浪高彰さんからCDRをもらってきたのだけれど、あんまり実はあんまり聞いていなかったりする。
このイベントもたまたまその前の週にイベントでDJをやるJUICYちゃんと吉祥寺ですれ違って、初めて知ったという次第。6時開場、7時開演。金曜の夜、いくら仕事を無理矢理切り上げてといっても会社を出たのは7時近くになってしまう。でもホームページではアコカとミスゴブリンが出演、DJは高浪敬太郎とJUICYちゃんということだったので、ミスゴブリンが出る頃までに着いて、ちょっと高浪敬太郎のDJが聞ければいいや、なんて思いながらご飯を食べたりして、440についたのは8時過ぎ。そしてまずお客さんの多さにびっくり。決して広い会場ではないけれど後ろの方まで人がぎっしりで前に行けないくらい。おまけに遠くから来ている人もいるみたいで「もうすぐ新幹線の時間だから後ろの方でぎりぎりまで見てる」だとか「今日は子供が40度の熱を出してるんだけれど、旦那にあずけてきたのよ」なんて声が聞こえてくるし、ステージで繰り広げられているのは、なんだかコントみたいな芝居で頭の中は、びっくりを通り越してもう「???」状態です。そんな「???」状態が一時間近く続いてやっとアコカがバンドではなく劇団なのか、と気づいたり・・・・。結局、ミスゴブリンのライブが始まったのは9時半という・・・・。ライブ短いっすよ!曲もなんだか今何年なのだろうか、と思うくらいの打ち込みテクノ歌謡で懐かしいかなり気分。サウンドは80年代、歌は50、60年代(以前)という感じかな。
というわけで、下北にはいろいろな人がいるなぁ、と。なんだか驚いてばかりのイベントでしたが、一番びっくりしたのは高浪敬太郎の容姿がピチカートの時とほとんど変わっていなかった、ということかもしれません。
少し前のこと、カヌー犬ブックスのイベントやったときに、友達に「幸田がiPodを持っていないなんて意外だった」と言われたのですが、私はウォークマンの時から外で音楽を聴くという習慣はまったくなくて、電車の中では、たいてい寝ているか本を読んでいるかのどちらか。電車の中は大切な読書時間なので音楽を聴いているのはもったいない、と思う。
しばらく庄野潤三はいいかな、なんて思っているとなぜか見つけてしまう。探している本はなかなか見つからなかったりするのにね。
旺文社文庫から出ている木山捷平の本が手に入るなんて思ってもいなかったのでうれしい。中身はもちろんのことだけれど、講談社文芸文庫と違って表紙もいい感じだし・・・・。
池島信平は、1933年に文藝春秋社に入社し、「文藝春秋」の編集長などを務めた人。1973年、社長在任中に急逝した。正直なところ、私はこれまで「文藝春秋」を一度も買ったこともなく、読んだこともない。そういえば去年、「文藝春秋」に掲載された随筆を集めた「巻頭随筆」のシリーズを読んだな、ってことが思い出せれるくらいで、今となっては販促ツールのひとつとしか思えない芥川賞にも直木賞にもあまり興味はない。出版社としての文藝春秋も、私にとっては永井龍男がいた会社という認識でしかなく、最近どこかに書いてあった「結局、日本のジャーナリズムは『週刊文春』と『週刊新潮』にしかないのか」と言葉もあまりぴんと来ない。そもそもジャーナリズムってなんだ、という気もしてしまうくらいその方面に関しては無知なわけで。その永井龍男は、池島信平の葬儀で弔辞を述べたらしいのだが、永井龍男が池島信平のことについて書いた文章はあまり思い浮かばないのは、私が単に流してしまっているだけだろうか。
「どちらにしろいつか買うだろうし・・・・」と思って、あまり内容を確認もせずに本屋さんで見かけるたびに流していた本。赤玉ポートワインで莫大な利益を得ながら、危険を冒して日本初の国産ウィスキー製造に取り組み、戦後には念願のビール市場参入を果たしたサントリーの歴史を、鳥井信治郎の人物像を中心に、宣伝部に所属していた開高健と山口瞳が描いている。・・・・のであるが、表紙の感じと二人の名前が並んでいることから、てっきりサントリーの歴史や鳥井信治郎のことを二人が語り合うといったスタイルの本だと勘違いしていました。実際に買ってみてページを開いたら、前半に山口瞳の「青雲の 志について」、後半に開高健の「やってみなはれ」と2つの作品が収録されていてびっくり、そしてちょっとがっかり。しかもまだ読んでいなかったけれど「青雲の志について」はすでに持ってるし・・・・。
今年はあまり雨も降り続かず、梅雨らしくない。明日は夏至なので一年で一番昼間が長いときなので、こういうときに定時で会社を出たりすると、外が明るくてうれしくなってしまう。といってもそうそう定時であがれるものではないが。
別になにが忙しいというわけではないのだけれど、家に帰ってうだうだしているうちに、すぐに寝る時間になってしまい、雑誌などを読んでいる余裕がない。だからこの「ku:nel」も5月の終わりに、ポイント欲しさにわざわざタワーレコードまで行って買ったのに、ほとんど読んでないままテーブルの下に置きっぱなしのままです。それは多分、時間の問題というよりも気持ちの問題なのかもしれないけれど・・・・。
山口瞳は私小説の作家といえるのだろうか。「江分利満氏の優雅な生活」をスタートとして「血族」「家族」をその到達点とし、それを補う形で「男性自身」が存在すると考えるならば、山口瞳の小説は、(過去やルーツを含めて)自身の身辺を語ったものと言えるかもしれない。後年の「迷惑旅行」「湖沼学入門」などの取材旅行ものも、どこか木山捷平や井伏鱒二を思い出させる。とはいうものの、あきらかに自身をモデルとした「江分利満氏の優雅な生活」を読んでいると、江分利氏の主張は、山口瞳の主張であり、江分利氏のつぶやきは、山口瞳のつぶやきであるのにもかかわらず、どこかフィクションっぽさを感じでしまうのはなぜだろう。
「カレンダーの余白」に続いて昭和43年に発表された2冊目の随筆集。タイトルにあるように新聞や雑誌などで気になった記事を紹介する形のものや酒に関する交遊録「酒徒交傳」、中原中也、直木三十五、古川録波、菊池寛など、同僚や友人たちの思い出やエピソードを語ったものなどで構成されています。個人的にはやはりさまざまな作家たちが次々と登場する「酒徒交傳」が興味深い。もちろん変わっていく鎌倉の様子が描かれる身辺雑記もおもしろいけれど・・・・。先日、講談社文芸文庫の巻末に掲載されている作品リストをチェックしたら、このような随筆集もほぼ読みつくしている感じになってきていたるので、これからは一冊一冊大切に読んでいくことにしたい。