「末枯・続末枯・露芝」-久保田万太郎-

少し前のこと、カヌー犬ブックスのイベントやったときに、友達に「幸田がiPodを持っていないなんて意外だった」と言われたのですが、私はウォークマンの時から外で音楽を聴くという習慣はまったくなくて、電車の中では、たいてい寝ているか本を読んでいるかのどちらか。電車の中は大切な読書時間なので音楽を聴いているのはもったいない、と思う。
朝起きて家を出るまでほんと半分寝ているような状態で朝ご飯を食べたり、着替えたり、歯を磨いたり・・・・していて、駅まで歩く間も電車の中で寝ることばかり考えているのに、実際に電車に乗ってちょっと本を広げたりすると、気がつけば下北沢を過ぎてしまっていて、もうすぐ終点の渋谷だったりするのが不思議だ。その分山手線の中ではまた眠くなってしまうのだけれど、座れるはずもない。話がそれてしまったけれど、その友達はiPodで朗読をよく聞いているらしい。詳しいことを聞く時間もなかったし、忘れてしまったこともあるけれど、どこかのサイトから落としてiPodに入れているらしい。日本語なのか、英語なのかも忘れてしまった。
10何年前、名作の朗読を収録したカセットブックが本屋に並んでいるのを見かけたけれど、今はどうなのだろう。一部ではポエトリーリーディングとか根付かせようとしてるけれど、朗読を含めてあんまり一般的になっていないような気がする。アメリカでは、作家が新作を出したときに朗読会をよくやっているけれど、日本ではあまり聞かないし。普段の生活でも、声を出して本を読むということはないですね。明治くらいまでは黙読という概念がなくて、本を読む=声を出して読む、ということで、黙読という概念が成立したことで近代の読書が始まった、なんてことをどこかで読んだ覚えがあります(そしてここのどこかに書いたかもしれない)。

そんなことを思い出したのは、この「末枯・続末枯・露芝」を落語家が朗読したものを聞いてみたいなぁ、と思ったから。登場人物たちが下町の芸人だったり、商人だったりすることもあるけれど、会話が多く話のテンポもいいので、うまい噺家が読んだらより楽しめると思う。ついでに書くと、全部そうだとは言えないけれど、昔の作家で東京生まれか地方出身かの大きな違いは、落語と芝居からの影響があるかないかではないでしょうか。幼い頃から浅草の落語や芝居にふれて作家になった人と、ある程度の歳になっていきなり文学に目覚める人とではその作風が大きく違ってくる。そして前者の作品は、どうしても話し言葉を意識してしまうせいか話のテンポがよく、シリアスに陥ることがなくユーモアや皮肉に流れてしまうので、純文学というよりも中間小説としてとらえられがちになってしまうような気がします。気がするだけですが・・・・。
私などは、もちろん落語も芝居もわからないので(そもそも今の時代の40代以下の人で幼いことから落語や芝居にふれてきた人なんているのだろうか)、随筆などを読んでいても出てくる役者や噺家もしらないし、わからないことが多い。この辺はもう少し勉強する必要があるのかもしれない、と思うけれど、当時の落語と今の落語とは、娯楽としての位置づけもその内容自体もまた違うだろうし、なかなか難しい。浅草演芸ホールに落語を聞きにいったのは、何年前のことだろう。お正月だったせいもあって会場は満員だったけれど、昼頃から見初めて気がついて外に出たらもう周りは真っ暗だったというくらい時間を忘れて見てました。来年はまた行こう。じゃなくて、普段の土日に行ってもいいんですよね。意外と「タイガー&ドラゴン」の影響で人が入っていたりして、それもまたよしと。帰りはアンヂェラスでロールケーキをダッチコーヒー食べてよう。

今さらの話題ですが、普段はめったにドラマなんて見ないのに、しかもうちのDVDは録画ができないので、ちゃんと時間までに帰ってこなくてはいけないというのに、珍しく「タイガー&ドラゴン」は全部見ました。11週間ものあいだ、金曜日に夜遅くまで遊びにも飲みにもいかないなんてめずらしい。一話完結というスタイルもよかった。一回ぐらい見逃しても次は次で楽しめると思うと気楽だし。そういえば前回、同じく全話見た「濱マイク」も一話完結でした。テレビ版の「濱マイク」は、毎回違う監督が違う趣向で撮っていたので、軽やかな感じを期待していた私としては、途中からテーマが重くなったりして全部見るのはちょっとかったるかった。テーマは別として方法として、逆に「タイガー&ドラゴン」は、「落語の内容と実際のドラマとリンクさせる」という決まり事をつけて、三人くらいの脚本家で回していったほうがよかったような気がする。まぁ強引な展開も含めてなんだかんだ言いつつ毎回楽しめたらいいんですけどね。そういうことで今日の結論は“長瀬智也か岡田准一が朗読した「末枯・続末枯・露芝」をiPodに入れて電車で聞こう”ってことで。

「ガンビア滞在記」-庄野潤三-

しばらく庄野潤三はいいかな、なんて思っているとなぜか見つけてしまう。探している本はなかなか見つからなかったりするのにね。
1957年の秋から翌58年の夏までロックフェラー財団の研究員として、オハイオ州ガンビアのケニオン大学で過ごした日々を何の奇もなく日記のようにつづった本。このほかにガンビアでの生活を題材にした作品として「ガンビアの春」や「シェリー酒の楓の葉」「懐かしきオハイオ」があります。私はまだ読んでいないけれど・・・・。描かれる世界は、日本での生活でも、アメリカの片隅の小さな田舎町の中でも、それほどかわらず、淡々とした出来事が静かに過ぎて行くのを、おおげさに騒ぎ立てることもなく淡々と書いている、というのがいかにも庄野潤三らしい。登場する人物は学園都市らしく大学に勤める教授や生徒、食料品店や食堂の主人など近所に住んでいるがほとんどで、田舎町ではあるけれど、大学の教授だけあってインド人やイギリス人なども登場する。うかがった視点で眺めてしまうと、1957年という時代にアメリカで暮らすことの庄野潤三自身の葛藤や、人種の違う教授たちの間の気持ちや確執など、揺れ動く要素はあると思うだけれど、そういった要素はまったく出てこない。出てくるのはいい人ばかりである。さらにうかがった視点でものをいえば、ロックフェラー財団のこういった活動が、ジャパン・ハンドラーズを育て、現在の日本を動かしているんだなぁ、とか、ソフトパワーといった言葉が浮かんできたりもする。まぁそういったことは庄野潤三とはまったく関係ない。

話は変わりますが、6月から新しい手帳を使っている。ポケットサイズのモールスキン。もういい大人なのでいつまでもソニプラで手帳を買うのはやめようと、思い切って買ってみました。とはいうものの、そんな手帳に何を書いているかといえば、私はカレンダー式のスケジュール帳を持っていないので、単にその代わりなんですけどね。月から金まで会社に行って、たいていの場合そのまま帰って来るという生活をしているとカレンダーに書くことってほとんどないじゃないですか?みんなあるのだろうか?土日だって全部予定が埋まってるわけじゃないし・・・・。で、普通のスクエアのノートに箇条書きにして予定を書いているわけです。あとは2冊同じ本を買わないように山口瞳や永井龍男の作品リストとか国立の古本マップ、読んだ本に合わせて雑記を書くためのネタとか・・・・。
一応、ネタをためておいて本に合わせて選ぼうと思っているのですが、うまく結びついたことはない。今回も「ガンビア滞在記」と手帳になんの関係もない。強いて言えば庄野潤三の手帳はものすごく几帳面に書かれていたんだろうな、というくらい。モールスキンの手帳を紹介していた片岡義男も丁寧にいろいろ書いていそうだ。山口瞳とかは、他人が判別できないくらいの勢いでメモっていたような気がする。単なる思いこみに過ぎないのですが、作家の手帳を並べた本なんておもしろそう。ありそう。いや絶対にある気がする。作家じゃないけど小西康陽とかの手帳も見てみたい。

「耳学問・尋三の春」-木山捷平-

旺文社文庫から出ている木山捷平の本が手に入るなんて思ってもいなかったのでうれしい。中身はもちろんのことだけれど、講談社文芸文庫と違って表紙もいい感じだし・・・・。
前回、「戦後に書かれた戦時中の体験談はあまり信じられない」なんてことを書いたけれど、木山捷平の戦時中の作品を読んでいると、それが事実であろうと主観の入ったものだろうと、どうでもいい気持ちになる。そういうことを考えさせられる前に小説としておもしろいのだ。前言を翻すようだが、ノンフィクションではないのだから、戦後の価値観による主観が思いっきり入ろうが、小説としておもしろければ、あるいは書き手の気持ちがきちんと描かれていればいいのでは・・・・なんて思う。読者なんていいかげんなものだ。

この間、渋谷のエッジエンドに遊びに行ったときに、フライヤーをもらったPunch Me Outというイベント行った。場所は下北のERAというライブハウス。下北のライブハウスなんてもう何年も行っていないのだが、いろいろできているんだなぁ、と思いつつ、ライブが始まる前に、久しぶりにディスクユニオンに行ってみたら、“ERA系バンド”なんてポップができていてびっくりというより「???」。イベントのほうは、RON RON CLOU、COMEBACK MY DAUGHTERS、SCRUFFY、MARAUDER、ericaが出演。一番手のericaは、友達のタクミくんがヴォーカルをつとめるバンド。いろいろな要素をちりばめつつも90年代以降のストレートなUKロックという感じのサウンドで、タクミくんはDJのときの数倍ハイテンションだった。再入場可だったので真ん中のバンドは見ずに夜の下北を散歩して、目当てのCOMEBACK MY DAUGHTERS!いやいやよかった~。なんだか、ばらばらのルックスのメンバー5人だったけれど、それぞれいい味出してるし、声もいいし、演奏もいい。基本的にCDでもなんのギミックもあるわけでもないし、聴き手を“ここではないどこかに”強引に引っ張っていくような(ポップスの)魔法があるわけでもない直球のサウンドだっただけに、それがライブで再現されると、ただ盛り上がるしかないという感じです。
なによりも最近の若者バンドにありがちな青臭かったり、恥ずかしかったりする歌詞じゃないところがいい。例えカタカナ英語だろうと歌詞を英語するというのは大事だな、とこの頃思う。やはり、よほどうまい人じゃない限り歌詞を日本語にすると、言葉にメロディが引っ張られてしまう気がします。HUSKING BEEも歌詞を日本語にしてから「なんだかなぁ」という感じになってしまった。同時に昔は、なんで作曲者だけにスポットが当たって、アレンジャーにはスポットが当たらないのだろう、と思っていたのだけれど、今になるとメロディの作る難しさが分かる(ような気がする)。イントロや間奏はいいフレーズやサウンドなのに、歌が始まると「???」となってしまうバンドがいかに多いことか。それを逆手にとって、GS・歌謡ロック的な感じにするのもありかもしれないけれど、それを意識的にやるのか、やってみたらそうなっちゃったのかでは大きく違うわけで。どちらにしろ“逃げ”とも言えるわけだが。

さて、話をCOMEBACK MY DAUGHTERSに戻すと、9月にシェルターで自分たちの企画を行うらしいので、それにも行ってみたい。でもハードコアキッズばかりいそうで怖い。もうダイブとかする歳でもないし・・・・。最後のRON RON CLOUは3曲くらい聴いて帰宅した。

「雑誌記者」-池島信平-

池島信平は、1933年に文藝春秋社に入社し、「文藝春秋」の編集長などを務めた人。1973年、社長在任中に急逝した。正直なところ、私はこれまで「文藝春秋」を一度も買ったこともなく、読んだこともない。そういえば去年、「文藝春秋」に掲載された随筆を集めた「巻頭随筆」のシリーズを読んだな、ってことが思い出せれるくらいで、今となっては販促ツールのひとつとしか思えない芥川賞にも直木賞にもあまり興味はない。出版社としての文藝春秋も、私にとっては永井龍男がいた会社という認識でしかなく、最近どこかに書いてあった「結局、日本のジャーナリズムは『週刊文春』と『週刊新潮』にしかないのか」と言葉もあまりぴんと来ない。そもそもジャーナリズムってなんだ、という気もしてしまうくらいその方面に関しては無知なわけで。その永井龍男は、池島信平の葬儀で弔辞を述べたらしいのだが、永井龍男が池島信平のことについて書いた文章はあまり思い浮かばないのは、私が単に流してしまっているだけだろうか。
この本は基本的に、戦中、戦後を通じた体験記なので、交友録的なことは思っていたよりも書かれていないのが残念といえば残念。もちろん菊池寛や佐佐木茂策に関しての言及はあるけれど、池島信平が接した菊池寛個人というよりも、文藝春秋という会社を通した菊池寛であるような気もする。でも逆に、仕事を離れた交友録的な部分がないことで、池島信平が、戦前・戦後という物事の価値観ががらりと変わっていく中で、雑誌記者としてどういう風に生きたか、なにを考えていたかが伝わるし、池島信平がどれだけ文藝春秋に、そして雑誌の記者であることに全身全霊をかけていたかがわかる。
蛇足になるが、どうも戦後に書かれた戦時中の体験談(戦時中に書かれた戦時中の体験談なんてないんだろうけど)というのは、戦後の価値観によって過去のことがゆがめられて書かれているような気がして、正直に信用できないのは私だけだろうか(“ゆがめられて”と書くとおおげさだが)。ついでに書くと、戦時中に起こった悲惨な出来事をとりあげて、戦争は悲惨だから戦争は繰り返さないようにしよう、というのは意味がないように思えるのも私だけだろうか。戦争なんて結局は国と国とのパワーゲームなのだから、それに至るまでの状況と原因を明らかにして、「こういう状況になったら次はこういう対処をしなくてはいけない」ということを伝えなくては、結局、何らかの状況と原因が重なったら、悲惨だろうと悲惨でなかろうと戦争になってしまうんじゃないだろうか。・・・・なんてことを書いていくのは、私の手に負えないことなので、やめます。あまり追求せずに読み飛ばしてもらえるとうれしい。

「やってみなはれ・みとくんなはれ」-山口瞳・開高健-

「どちらにしろいつか買うだろうし・・・・」と思って、あまり内容を確認もせずに本屋さんで見かけるたびに流していた本。赤玉ポートワインで莫大な利益を得ながら、危険を冒して日本初の国産ウィスキー製造に取り組み、戦後には念願のビール市場参入を果たしたサントリーの歴史を、鳥井信治郎の人物像を中心に、宣伝部に所属していた開高健と山口瞳が描いている。・・・・のであるが、表紙の感じと二人の名前が並んでいることから、てっきりサントリーの歴史や鳥井信治郎のことを二人が語り合うといったスタイルの本だと勘違いしていました。実際に買ってみてページを開いたら、前半に山口瞳の「青雲の 志について」、後半に開高健の「やってみなはれ」と2つの作品が収録されていてびっくり、そしてちょっとがっかり。しかもまだ読んでいなかったけれど「青雲の志について」はすでに持ってるし・・・・。
開高健が芥川賞をとったため、執筆活動が忙しくなり、その代役として山口瞳がサントリーの宣伝部、「洋酒天国」の編集部に入社したという経緯やその後の二人の作風の違いを考えると当然のような気もするけれど、山口瞳の文章に開高健が登場することはあまりないような気がする。開高健のほうはほとんど読んでいないのでわからない。でも二人がサントリーについて語り合う、なんて考えただけでドキドキしてしまう。そんな本を想像していたのです。今となってはすでに二人とも亡くなっているのでもう実現はしないだろう。いや私が知らないだけで、いろいろなところで対談などをしているのかもしれない。

内容としては戦前を山口瞳が、戦後を開高健が書いており、イラストはもちろん柳原良平だ。山口瞳が、社内の熱っぽさに浮かされ、その元となっている社長の鳥井信治郎に惚れ込み、そして自分の父親と比較しながら“私小説”風に熱っぽく語っているのとは対照的に、開高健のほうは、自分のことさえも第三者的にどちらかというと冷静に、ユーモアを交えながら、一代目の鳥井信治郎から二代目の佐治敬三にいたる戦後の様子を書いている。ついでに、会社全体を描いたものではないが、宣伝部内でのエピソードがふんだんに描かれた柳原良平による「アンクルトリス交友録」もあわせて読むと3者の違いが浮き出てくるようで、おもしろい。

話は変わりますが、赤坂見附にある会社で働いていたころ、今くらいの時期になると、会社から地下鉄の駅まで歩きながら、サントリーのビルを見上げて、同じ課の人たちと「梅雨が明けたら一度はサントリーのビアガーデンに行きたいねぇ」なんて言ってましたね。結局一度も実現はしないまま、みんな転職したり、その会社自体も引越ししてしまったので、もうそんな機会はないだろう。

「イソップとひよどり」-庄野潤三-

今年はあまり雨も降り続かず、梅雨らしくない。明日は夏至なので一年で一番昼間が長いときなので、こういうときに定時で会社を出たりすると、外が明るくてうれしくなってしまう。といってもそうそう定時であがれるものではないが。
デンマーク、スウェーデン、フィンランドと北欧の国を回ったのは一昨年の今頃の時期だったのだけれど、そのときは11時近くまで明るくて、6時前からカフェやバーで飲んでいた人たちが(デンマークなどは、5時過ぎにはお店がほとんど閉まってしまう)、まだ夕暮れといった雰囲気ですらない明るさの8時くらいから公園や遊園地に人が集まってくる、なんて風景を、ものすごくうらやましい気持ちで眺めていたのを思い出す。このまま晴れの日が続くようだったら、会社が終わった後、近くの東京タワーに行ったりバッティングセンターに行ったりするのもいいかもしれない。

日曜日は、東麻布のfooで行われた、うれし屋さんのフリマに段ボール1箱分の本を持って参加。屋内とはいえ、この時期のフリマでこんなにいい天気だなんて、うれし屋さんはなんて日ごろの行いがいいんでしょうか。
というわけで、吹き抜けのテラスは気持ちいい空間になっているし、訪れる人のほとんどが、うれし屋さんの着物や布、毛糸が目当ての女の子ばかりだったので、私は片隅に本を置きっぱなしにしたまま、オープンテラスでコーヒーを飲んだりクッキーを食べたり、タバコを吸ったりしつつ、小学生の男の子と遊んだりと、のんびりと休日の一日を過ごしてしまいました。5月の自分のイベントのときはあまり天気も良くなかったし、自分が主催なのでそうそうだらだらともしてやれなかったので、こういう風にちょこっとだけ参加するというのは楽しい。もう何年もカバーから出していないのに「ウクレレ持ってくれば良かった」とか、子供がずっといるんなら「ビューマスターを持って来ればよかった」なんて思っていたり・・・・。店主がそんな感じなので、当然、本のほうはほとんど売れず、持って行った本をそのまま持って帰るという羽目になってしまいましたが・・・・。
それにしても、来る人、来る人、誰もが置いてマネキンに着せてある着物や布を見て、「かわいい」という言葉を連発しているのにはびっくり、いやぁ、36年間でこれほど「かわいい」という言葉を聞いた一日はないです。女の子にとっての「かわいい」という価値、あるいは言葉というのは不思議だなぁと、しみじみ思う。

「ku:nel」(Vol.14/2005.7.1)

別になにが忙しいというわけではないのだけれど、家に帰ってうだうだしているうちに、すぐに寝る時間になってしまい、雑誌などを読んでいる余裕がない。だからこの「ku:nel」も5月の終わりに、ポイント欲しさにわざわざタワーレコードまで行って買ったのに、ほとんど読んでないままテーブルの下に置きっぱなしのままです。それは多分、時間の問題というよりも気持ちの問題なのかもしれないけれど・・・・。
気持ちといえば、6月に入ってから、これまでよりも40分くらい早い時間、7時(正確には7時5分)に起きなくてはいけなくなってしまったのだが、6時半に一度目が覚めて、その後6時50分にまた目が覚め、6時55分に一度目の目覚ましがなり、そして7時5分に2回目の目覚ましがなって実際に起きる、という日々が続いている。寝るのも早いが、一度寝たら宅急便が来ても気がつかないほど眠り込んでしまう私としてはめずらしい。緊張しているのだろうか。

先日読んだ「わが切抜帖より」に、井伏鱒二のことを紹介した文章があって、それが頭から離れない。

「井伏鱒二:本名、万寿次。明治30年2月、広島に生る。いわゆる中央線沿線作家の頭領として、地味ではあるが隠然たる勢力を持つ。有名な蔵書ぎらいで書斎には1冊の本もない」

永井龍男の言葉ではなく、何かの人名辞典から引用したものだが、井伏鱒二かっこよすぎである。そういえば、作家の随筆を読んでいるとたいてい、昔に買った本を取り出してその内容やその本を買ったときの思い出を語ったり、○○○○の初版本を手に入れたときの話などがたいてい一冊の本の中で2や3つあるものだが、井伏鱒二に関しては、ちょっと探し出して調べてみた、といったことはあまり書いていないかもしれない。自分で言うのもなんですが、私は買っている本の量に比べれば蔵書は少ないほうだ、と思う。といっても昨年は一年間で159冊なので古本マニアの方々にしてみれば大したことはない。でもそれを何年も続けている割には、一部はダンボールに入れてクローセット中やベッドの下においてあるけれど、いまだに普通のスライド式本棚1つのなかに収まっている。一人暮らしをはじめて初めて買った本棚1つで15年近く済ましているというのも不思議といえば不思議だ。そしていつのときにもその本棚には、これ以上はもう入らないだろうというくらい本が詰まっているという・・・・。
さて、「書斎には1冊の本もない」という状態にしたいと、この文章を読んでから真剣に思うようになった。いや、無理だろうけれど、いつかはそれに近くなるようになりたい。いつになったらなれるのか。それは単に蔵書は一冊もないが、在庫は○○冊あるという言葉の入れ替えになってしまうだけなのか。それは神のみぞ知る、ということで・・・・。

「木彫りの兎」-山口瞳-

山口瞳は私小説の作家といえるのだろうか。「江分利満氏の優雅な生活」をスタートとして「血族」「家族」をその到達点とし、それを補う形で「男性自身」が存在すると考えるならば、山口瞳の小説は、(過去やルーツを含めて)自身の身辺を語ったものと言えるかもしれない。後年の「迷惑旅行」「湖沼学入門」などの取材旅行ものも、どこか木山捷平や井伏鱒二を思い出させる。とはいうものの、あきらかに自身をモデルとした「江分利満氏の優雅な生活」を読んでいると、江分利氏の主張は、山口瞳の主張であり、江分利氏のつぶやきは、山口瞳のつぶやきであるのにもかかわらず、どこかフィクションっぽさを感じでしまうのはなぜだろう。
この「木彫りの兎」には、自身を主人公をした作品と完全なフィクションの作品が半分ずつくらい収録されていて、それらフィクションの作品を読んでいると山口瞳がストーリーテラーであったことに気づきます。山口瞳は、もしかしたら獅子文六のように事前に完全な下調べをして、完全なフィクションの作品を書き続けるという選択もあったのかもしれない。でも自身の中から湧き上がる“いいたいこと”がありすぎて、フィクションの中に組み込むことではフラストレーションがたまってしまったのではないだろうか。そしてこれはわたしの単純な意見だけれど、多くの私小説作家たちが、自分の思いどおりのストーリーを紡ぎだすことができず、そして強く主張したいこともない中で、それでも文学にしがみついていたいという願望から、自分の身辺を綴りはじめ、やがてその中で文学としての何かを見つけたのであれば、はじめから“いいたいこと”も“ストーリーを作り出す才能”をもっていた山口瞳による「江分利満氏の優雅な生活」が捕らえがたい私小説でもなくフィクションでもない不思議な魅力をもった作品になるのは当然のことなのかもしれない。なんていいすぎか。わたしはこの本も含めて、「結婚しません」とか「私本歳時記」といったフィクションの作品が好きなんですけどね。

ちょっと前のことになりますが、5月の終わりに文芸座で岡本喜八監督特集で上映された「江分利満氏の優雅な生活」を見に行ってきました。1963年の作品で、出演は小林桂樹、新珠三千代、東野英治郎・・・・ほか。江分利満氏のイメージにできるだけ忠実な格好をした小林桂樹は、映画では、江分利満氏であるとともに、山口瞳であり直木賞を受賞するところも描かれる。そして映画の中では柳原良平のアニメまで挿入されます。なんども書くように江分利氏≒山口瞳ではあるのだけれど、実際のイメージとしては、江分利氏のイメージ≒柳原良平の描く山口瞳だったりするわけで、加えて映画の中では、江分利氏の吐露≒岡本喜八の吐露という面もある。そうした複数のイメージが絡み合いながら、いくつものエピソードがテンポよくコミカルに描かれていて圧巻だった。
でも本で書かれてる江分利氏のぼやきが、映画では若い社員と飲みながら語られたりするのをみると、おもしろがると同時にうざったい気持ちになってしまったりする。いや、うざいなんて言っている場合ではなく、コミカルだけれど重い。そして哀しい。映画的でモダンな作品として仕上げながらも、小説の中のテーマや吐露はそのまま、映画が終わった後に何か重いものが残る。そもそも私は江分利氏と同じ歳なのである。この作品が作られた時代と現在では、全然状況が違うけれど、いや、むしろ現在のほうが状況が悪いだけに心に響くのかもしれない。

「わが切抜帖より」-永井龍男-

「カレンダーの余白」に続いて昭和43年に発表された2冊目の随筆集。タイトルにあるように新聞や雑誌などで気になった記事を紹介する形のものや酒に関する交遊録「酒徒交傳」、中原中也、直木三十五、古川録波、菊池寛など、同僚や友人たちの思い出やエピソードを語ったものなどで構成されています。個人的にはやはりさまざまな作家たちが次々と登場する「酒徒交傳」が興味深い。もちろん変わっていく鎌倉の様子が描かれる身辺雑記もおもしろいけれど・・・・。先日、講談社文芸文庫の巻末に掲載されている作品リストをチェックしたら、このような随筆集もほぼ読みつくしている感じになってきていたるので、これからは一冊一冊大切に読んでいくことにしたい。

週末は、ミシェル・ガン・エレファントばかり聴いてました。私にとってミシェルというと、やはりデビューアルバムから「チキン・ゾンビーズ」までの、ブリティッシュ・ロック、モッズ、パブロック的な佇まいの頃までしか真剣に聴いてない。その頃はライブにも行ってました。でもバンドのサウンドがガレージっぽくなっていったこともあり、それ以降はほとんど追いかけていません。もっともそういうファンっていっぱいいるのではないだろうか。まぁミシェルを聴かなくなった一番の理由は、単にその頃からロックという音楽にほとんど興味がなくなってしまったという理由が大きい。もう1998年以降のU.K.ロックがどうなってるのか、なんてぜんぜんわからないです。
それでも解散してから、2カ月に一度か二度くらいなぜかミシェルばかり聴きたくなる日があって、そういうときにまず聴くのは、「カサノバ・スネイク」だったりする。単に日本のロックバンドを知らないので、ついこればかり聴いてしまうのかもしれないれけど、このざらざらした乾いたサウンドは唯一無二のもので、今でも私にとっては相変わらず最高のロックバンドかもしれない。

「娘と私」-獅子文六-

少し早めに仕事を切り上げてブックオフに寄って帰る。定期券内にブックオフがあるとつい寄ってしまうのは私だけか。平日の夜は、漫画の立ち読みする子供たちもそんなにいないし・・・・。とりあえず100円コーナーから眺めていくのだけれど、下の棚に何冊か本が積んであって、よく見ると一番上においてあるのは、「父の乳」。しかも100円。思わず運命か、と思って、近寄ってみると、ちょっと離れた場所で本を探していたおじいさんが近寄ってきて、その「父の乳」の上に手に持っていた本を重ねて移動させてしまった。どうやらその人がすでに確保した本だったらしい。

「娘と私」は、フランス人であった最初の妻とのあいだに生まれた娘、そして妻の死後、再婚した相手との交流を描いた私小説風の実際にあったことをつづった物語。架空の物語を作り上げるというタイプのものが多い獅子文六としてはめずらしい作品で、以前に随筆で読んだエピソードなども次々と出てくる。はっきりいってものすごく長い随筆という感じですね(文庫本で2cmくらいの厚さがあります)。そして「父の乳」はそれ以前、彼が10歳のときに死別した父の思い出と2人目の妻が亡くなり、娘が結婚した後再婚した3人目の妻との間に生まれた息子のことを書いた作品なのです。獅子文六の作品はただでさえ手に入りにくいので、次に出会うのはいつのことになるんだろうか。