銀座で友達と待ち合わせしていたので、自転車で荻窪まで出て、阿波踊りとも知らず好書会でも行こうと思って高円寺に行ったら、駅前からすごい人でした。
まだ始まっていない時間だったのだけれど、もう道の両端はビニールシートとか敷いてあって場所取りしてあったり、すでに飲み始めている人がいたり、とうぜん通り沿いのお店は、店の前にいろいろ出してたり‥‥いまにも祭りが始まる寸前という感じの雰囲気。阿波踊りって、場所とって見るものということを初めて知りました。よく考えれば、七夕祭りみたいに飾り付けとかあるわけではないし、行列が動いてくるわけだから、こちらが歩く必要はないですね。
そんな中、店の前でフリマみたいなのをやっているところがあり、洋服とかレコードとかおもちゃとかの中に「ニコラスのペット」と「ボタンくんとスナップくん」を発見。講談社から出ていた世界の絵本シリーズのスウェーデン編とフィンランド編で、おしゃれな雑貨屋とかに行くと洋書は置いてあったりするけれど、絵本はやはり日本語版の方がいいかも。もちろん洋書には洋書のよさがあるけれど、日本語だったら普通に読めるし‥‥といっても、絵本とそんなに繰り返して読むわけでもないか。
さて、銀座では、前の会社で同じ部署だった人と3人で飲んだ。一人はしょっちゅう会っているのけれど、もう一人のほうは会うのは一年ぶりくらい。会社に入ってきたときは新卒で、それから3年くらいしか経ってないのに、「最近の新人は~」なんて言い出すのがおかしい。いや、そういうことは言っちゃいかんよ、(威張ってはいかんよ)、と常盤新平風に思ったりもするけれど、女の子が多そうな職場だし、別の意味で大変なのかも知らん。
で、いろいろ話してるうちにiPodの話とか聴いてる音楽の話とかになって、今度は「最近わたし、スウェデッシュ・ポップに凝っていて、ジャニスとかに通ってるんですぉ」って‥‥。2006年のいま、スウェデッシュ・ポップとか、ジャニスとか聴くとは思いませんでした。
でも先週、エッジエンドに行ったときに、「次はスウェデッシュポップ特集なんですよ」と、ACID HOUSE KINGSのジャケ写が使われたevery planets sonのフライヤーをもらったし、実は流行ってるんですか?スウェデッシュ・ポップ?ま・さ・か・ねぇ。
というか、なんだか「スウェデッシュ・ポップ」という言葉を声に出すだけで。恥ずかしい気持ちになってしまうんですけど‥‥。わたしだけか?
そんなわたしですが、うちに帰ってCDラック探したら思っていたより売り払ってなくて、30枚くらいありました。「恥ずかしい気持ち」なんて言う資格なしですね。
安藤鶴夫の本は、「昔・東京の町の売り声」や「あんつる君の便箋」、「年年歳歳」、「雪まろげ」、「ごぶ・ゆるね」‥‥など、タイトルを見ているだけで読みたくなってしまうものが多い。この本のタイトルとなった「おやじの女」は、安藤鶴夫がものごころついたときから死ぬときまで、父親に女の人がいなかったことはなくて、ときには堂々と家につれて泊めてみたり、母親とその女の人がお酒を飲んだりしていたことを書いた短い文章なのだが、なんてこともないさらりした文章に時代を感じたりもします。タイトルとしても、義太夫だった父親をとおして明治の芸人たちの生き方を、遠く昔に眺めているような感じがするような気がしていいな、と思う。ところで、原作:安藤鶴夫となっている松竹新喜劇の「おやじの女」は、この随筆が元になっているのだろうか。ほかに「おやじの女」という作品があるのだろうか。ちょっと気になります。
部屋のスペースなどの問題もあって、基本的にスマーフとフレッドくん以外のキャラクターグッズは買わないようにしているのだけれど、最近はどちらもあまり見かけないような気がします。スマーフのフィギュアも、前はおもちゃ屋や雑貨屋にも普通に置いてあったのに、ちょっとマニアックなお店にしか置いていなくて、そういうお店ではたいてい高い値段がつけられているので、買う機会もほとんどない。
チャールズ・ラムをめぐる10日間のイギリス滞在記。実際にラムゆかりの場所に行ったときの印象をはじめとして、その場所についてのラムの文章の引用や庄野潤三のラムに関する思い出だけなく、福原麟太郎、吉田健一、小沼丹、河盛好蔵といった作家たちによるイギリス滞在記からの引用などが多くあり、いろいろな面から楽しめます。イギリスに行ったのが1980年にもかかわらず、雑誌「文學界」に連載されたのが1982年から1983年にかけて、ということからも、単なる滞在記ではなく、帰国後にかなり関連する資料を調べたり、内容を練ったりしたことがわかります。と言っても、やはり「エリア随筆」を先に読んでおいたほうが面白いと思いますが。いや、逆にこれを先に読んでおいてから、「エリア随筆」を読むという順番のほうがいいかもしれない。そんなことはどうでもいい?
一時期、山口瞳と永井龍男の本ばかり読んでばかりいたような気がするのだけれど、最近はなかなか手に入らなくてほとんど読んでいない。山口瞳に関しては、まだ普通に手に入る本(文庫)で、読んでいないものがあるので、今年の命日あたりにまた何冊か続けて読んでみようと思ってる。
なかなか梅雨が明けませんね。関東地方で梅雨明けが8月になるのは3年ぶりだとどこかに書いてありましたが、そう言われると意外とよくあることなのだなぁ、なんて思ってしまう。まぁ晴れたら晴れたで暑くていやになッちゃうんだけど。
早稲田の古本屋でこの「旅は驢馬をつれて」を見つけて、慌てて銀行に行ってお金をおろした、なんてことを書いていたのは、堀江敏幸だったと思うけれど、その印象が強くて絶対に手に入らない本だと思ってました。だから読みたいものはあるけれど、普段はちょっと高くてなかなか買う機会のない大人の本棚シリーズでもつい手が‥‥。いや嘘です。古本屋で購入しました。でも本を読み終えてから検索してみたら、岩波から文庫で出ていることがわかり、こちらでもよかったかな、とちょっとがっかり。アマゾンでは「2点在庫あり。ご注文はお早めに。」となっているし、ユーズド商品にも出品されているのを見て、やはり思いこみはよくないなぁ、とあらためて思いましたね。
3月くらいから1970年代のAORを中心に聴いているのだけれど、ジャンルがジャンルだけになかなか中古屋さんで欲しいCDを見つけることができません。この辺の音楽は、ほんとうはCDよりもアナログ盤で買った方がいいレコードを安く手に入れられるような気がするのですが、いまさらアナログを買う気にもなれないし‥‥。
というわけで、チャールズ・ラムの随筆を読んでみる。でもちょっと大げさで古いような文体と固有名詞などの注釈が多いので、朝、電車の中で眠い目をしながら読んでいると訳が分からなくなってしまい、読み終わるまでに時間がかかってしまいました。こういう本は、もっと時間のとれるときとか、旅行に持っていたりして読むべきなのかもしれません。それよりも庄野潤三の解説に、先に書いた福原麟太郎、吉田健一、庄野潤三の3人の対談の時の話が書かれていて、びっくり。そのときの様子を吉田健一が書いた随筆があったなら、ぜひ読んでみたいです。
今では海外文学といえばまず英米文学、ということになるのだろうけれど、戦前の世代だったら、まずフランス文学だったはずで、事実、大学でフランス文学を学んだ作家や評論家は多いのに、その中であえて英文学(米はつかない)を学ぶというのは、福原麟太郎と含めてどういう人たちなのだろう、ということは前にも書いたような気がしますが、そういう意味で、福原麟太郎の本は前々から読んでみたいと思ってました。それに合わせてイギリスの随筆家の本も読んでみたいのだけれど、どうもなにから読んで良いものか分からない状態が続いていたりします。それからやはり私の中で吉田健一の存在が大きいということもあげられるかな。だからここに収録されているNHKのラジオ番組のために、福原麟太郎、吉田健一、庄野潤三の3人で対談しているときに、、福原麟太郎の芸術院会員いりが決まったという知らせが来て、お祝いとして3人でウィスキーを飲んだ、という話は、個人的に興味深かったですね。