「身辺すごろく」-永井龍男-

朝起きると、暖かくてちょっとうれしくなったり、いきなり寒くなってがっかりしたりしている毎日ですが、こういう繰り返しの朝が数週間続いて春になっていくのでしょうね。今度の休日は、春にむけて自転車を磨いてみようかな、なんて思ってます。
井の頭沿線に住んでいると自転車はかかせないもので、それは多分電車の駅と駅が短いのでひと駅、ふた駅ぐらいなら自転車で行ったほうが早いし、いつも同じ線路の上を走っているよりも気分によって裏道に入ったりしたほうが全然楽しいし、逆に歩いて行くにはちょっと遠い(井の頭公園って意外と広いしね)距離にいろいろなものがあるから。お休みの朝など、半分目が覚めかけたときにカーテンの隙間から暖かい日差しが入ってきたりすると、「もう寝ていられない」という気分になってしまいます。

うちに2台ある自転車は両方とも無印良品のもので、私が使っているのは20インチの小さな緑色のもの。いままではわりともう一つの自転車で移動することが多かったのですが、今年になってこの自転車をよく使うようになりました。小さいのでこまわりがきくし、ちょっとしたところに置いておけるので便利なんですが、久我山→吉祥寺→西荻→久我山を自転車を走らせていると、やはりタイヤが小さいせいか余計にペダルをこいでいるらしくてどうも週末筋肉痛気味になってしまう(このほかにたいてい電車で荻窪や阿佐ヶ谷、高円寺を歩いているが・・・・)。いや単に年をとっただけか!?

そういえばこの間吉祥寺に自転車を置いて買い物して、西荻に移動しようとと思って自転車の置いてあるところに戻って、鍵をはずして荷物をカゴに入れそうと思ったらカゴが大きい。よく見ると無印の同じ緑のでも26型の自転車が隣に置いてあってそれに乗ろうとしてました。同じ無印で、緑、そして鍵も一緒なんて!?

「アァルトの椅子とジャムティ」-堀井和子-

昨日に続いてカメラ、コニカC35の話。
今壊れてしまったコニカC35は3代目で、一番はじめに買ったのはもう15年くらい前になります。ちょうど友達何人かと神戸に遊びに行ったときに、なぜかデパートであっているカメラ市なんか寄って、見てまわっているうちにジャンクの箱の中にあったのに一目惚れしてしまい衝動買い。もちろん写るわけありません。
その頃は特に写真に興味はなかったのでぜんぜんカメラの種類なんか知らないし、写らなくてもここで買っておかなくちゃ忘れると思ったのですね。まぁ500円だったんですけどね。
それから中古カメラ屋を回って買ったものが2代目で、それもわりとすぐに壊れてしまって、今のものは新宿のフリマで購入。「写るかわかんないよ」と言われて買ったので、試し撮りして写ったときはうれしかったです。でもけっこうこいつは気分屋でしばらく使わないと、ぼやっとした写真になってしまって、それを我慢して使っているとまたきちんと写るようになったりして、気がつけばシャッターが閉まらなくなってました。ぼやっとした写真もいい味出して手良かったのに。
ネットで検索したりすると、コニカC35は簡単な構造なので自分でリペアしやすい、とのことだけれど、なかなか自分でやるきっかけがつかめないままです。

ちなみわたしはわりと同じ機種のカメラを使うことが多くて今使っているOM1のその前もOM10だったし、ビッグミニもオートハーフも2代目だったりします。ほんとはいろんなカメラを使ってみたいけど、一度使うとどうも慣れてしまってそればっかり使いたくなるんです。

「緒川たまきのまたまび紀行 -ブルガリア編」

「Pickwick Web」のブックマークで紹介させてもらっている「Osanai design studio」の長内さんから「処分したい本があるので・・・・」というメールをいただき、ずうずしくも週末に長内さんのお宅にうかがって何冊かいただいてきた本の中の一冊。何冊かあるうちでなんでこの本だけ?というのは特に理由なし。長内さんのうちでは井の頭話しをしたり、スノードームコレクションを見せてもらったりしました。

その長内さんも昔ファンで街で見かけたこともあるという緒川たまき。私も昔からファンで別の写真集を持っていたりします。あまり見ないけどね(写真集なんてそんなもん)。もっとも「好きな有名人は誰?」と言われたときに「緒川たまき」と答えると「あぁやっぱりねぇ。そんな感じする。」というリアクションをされるので最近はあまり大ぴらに言わないようにしてます。
でも緒川たまきってあまりにもマイペースすぎていつまで経ってもイメージ的にはピントが合わない感じですよね。

たまきネタでこんなに書くつもりではなかったのだ。このところ私の周りではコンパクトカメラブームらしい。うちの奥さんと友達のひとりが先日偶然にも一日違いでLOMOを買い、それを聞いた別の友達がFOCAをヤフオクで落としたりしていて、私もなんだか春に向けて壊れてしまったコニカC35を買い直したい気分でいっぱいになってる。実際はBIG MINIさえあれば充分なんですけどね。

「熊の敷石」-堀江敏幸-

30を過ぎたぐらいから規則正しい生活をするようになったせいか風邪をひいたりぜんそくが出たりアトピーがでたり吐くくらい胃が痛くなったりすることはなくなったのだけれど、月に2、3回くらい頭が痛くなるのは治らない。何が原因なのかわからないが、まずはじめに耳の後ろのほうが電気が通ったみたいにピクッと痛くなり、そのうち頭の前のほうがガンガンしてきて歩くたびに頭に響く。
はじめにピクッとした痛みが続いたときは、かなり不安になって(耳の後ろだったので)耳鼻科に行き診察を受けた後で、「うーん、これは耳ではなくて頭が悪いようですね」と言われた。医者に「(君は)頭が悪い」って言われるとねぇ・・・・。
まっ、最近は原因もわからないしそういうときはさっと寝るようにしてます。たいていは朝起きると治っているのだけれど今日はなぜか治らず、ときどき体をピクッ! とさせながら仕事してました。

話変わって、女性2人が受賞したという話題で盛り上がっているうちに文庫で出しておこうということなのか、2000年に芥川賞を受賞した堀江敏幸の「熊の敷石」が文庫化されてました。堀江敏幸の本で初めての文庫化。でもぜんぜん話題になってないような・・・。
調べてみたら2000年の前半は町田康で後半が堀江敏幸なんですね。で、今年は棉矢りさと金原ひとみ。なんかめちゃくちゃな人選のような気がするのは私だけか。受賞者の一覧を見つつ30年経ったら読もう、なんて意地悪なこと考えてます。

「男性自身 木槿の花」-山口瞳-

直木賞をとった時から飛行機事故で亡くなるまでの向田邦子の想い出をつづった「木槿の花」を中心に編纂された本。

向田邦子が亡くなったのは1981年のことで、まだ小学生だった私の記憶に残っているのは向田邦子の本を当時読んでいたからではもちろんなく、飛行機事故がかなりニュースになっていたせいと母親が向田邦子が好きだったせい。
あれから23年経った今でもテレビのドラマは見るけれど本を読んだことはなくて、これから読むかと言われてもよくわからない。多分読まないんだろうな、と思うけれど未来のことはわからない。そもそも自分が山口瞳の本を読むなんて3、4年前には考えられなかったのだから。

向田邦子のファンだったらもっと見方は違うのだろうけれど、本を読んでいなくてもこの「木槿の花」は、山口瞳の向田邦子への思いがかなりストレートに伝わってきておもしろい。

「SAM AND THE FIREFLY」-P.D.Eastman-

アメリカの絵本のシリーズといえばGolden Books(Little Golden Books)がすぐに思いつきますが、このDr. Seussのシリーズもポピュラーなシリーズの一つ。最近ではこのシリーズのキャラクターにもなっている「はっとしてキャット」が、マイク・マイヤーによって映画化されてて(しかも実写!?)見たいような見たくないような・・・・。いや見たい。

会社で隣の席の人が、2月いっぱいで辞めるので、本を買いに行くという理由をつけて午後から外出。駅前の急いで必要な本を買ってしろたえでお茶をする。
午後3時、通りのカフェ・デ・クリエなどの喫茶店には営業途中らしいサラリーマンでいっぱいだが、さすがにしろたえは空いている。初めてあがっていった2階は私たちのほかにはおばさん3人組のみ。「あの人は三役だから・・・・」なんて子供の学校のPTAの話を大きな声でしていた。
小さめのモンブランとコーヒーを食べて会社に戻った。こういうことをしていると、普段、一日中会社の中にいてパソコンに向かっているのでたまには外に出たいなぁという気分になります。

「ユーモアスケッチ傑作展」-浅倉久志 編-

この間東急の古本市で見つけて思わず買ってしまい、久しぶりにこういう翻訳もの読んでみました。この手のユーモアスケッチ夢中になってたのは(って夢中で読むほどの内容でもないけど・・・・)ほんの3、4年前のことだったのに、今では日本の作家ばっかり読んでるなんて、何がきっかけで好みが変わるかわかりません。(ほんとになにがきっかけだったのだろう?)
でも久しぶりに読んでみると、ちょっとくだらない部分もあるけれどそういう部分も含めて結構おもしろい。今度どこかでまた見つけたら買って読んでみようと思ってます。

ついでに、この手のエッセイとも短編とも区別できないような文章を書いている日本の作家といえば誰なんだろう、と考えてみました。で、一番に思いつくのはやっぱり星新一なんですけど、そう考えるとちょっとなぁ、という感じ。
で、強引に雑誌の連載ということや気の弱い旦那と強い奥さんがよく出てくるところなどから、日本のジェームス・サーバーは山口瞳だとひとり納得してみたり。日本のユーモアスケッチはシビアだなぁ。きっと私の知らない日本のユーモアスケッチがどこかにあるはず。いつまで経っても系統立てて読むことを知らず、本屋で単にひかれただけという理由で本を雑読している私ですが、いつかそんな小説に出会う日が来るのかな。

「東京 古本とコーヒー巡り」

こんな本を読んでいると古本屋に行きたくなるなぁ。って、前回も書いてますね。

古本屋(あるいはレコード屋)に行くというのは、単に本やレコードが欲しい、ということもあるけれど、単に時間を気にしないで街をうろうろしていたい、という気持ちもあって、そういうときに歩いていてちょうどいい間隔で古本屋や中古レコード屋があったり、歩き疲れてきたころに落ち着ける喫茶店が見つかったりするとうれしい。

私の場合、一日歩いたって、結局買うものといったら、その週に電車の中で読む本を1、2冊、家でテレビとか見ながら軽くページをめくるような本を1冊くらい、レコードも3枚くらい買えば満足なので、そう何軒もお店をまわる必要はないのだけれど、つい足が疲れてしまうくらい歩き回ってしまうのは、単に古本屋で本を眺めるのが好きだから。
新刊の本を売っている本屋というのは、どの店もそれほど売っているものがあまり変わらないのでそう何軒も行く必要はなくて、それに比べて一軒、一軒の規模は小さいけれどそれぞれのお店で全然違うものが置いてある古本屋のほうがいろいろ発見もあっておもしろいと思うのだ。それはレコード屋も同じですね。

というわけで、昨日の夜、吉祥寺のDropに遊びに行って、飲み過ぎて家で吐いたりしたにもかかわらず、今日は昼前から東西線に乗って早稲田へ行って来ました。いやー二日酔いでうろつきまわるのはつらいですね。「なんでこんなに気持ちが悪いのに歩き回ってるんだろう」と歩きながらずっと思ってました。

「日本の名随筆12 古書」-紀田順一郎-

こんな本を読んでいると古本屋に行きたくなるなぁ。って毎週のように行ってますね。この「日本の名随筆」は、気になるテーマの文章を手軽に読めるのがうれしい。かといって端から読んでいこうという感じでもなくて、それはたとえ収録されている曲がいいとわかっていても、シリーズもののコンピCDばっかり買うわけにはいかない、買っていてもあまりおもしろくない、というのと同じ(?)ですね。
基本的に気になるテーマがあるときに、とりあえずこの本を読んでみて、その中で気に入った文章を書いている作家の本を探すようにしてます。

今日は久しぶりに代官山→渋谷へ行って来ました。ユトレヒトでやっている「花森安治のしごとへや」を見てきました。FLOギャラリーは名前のとおり風呂場なんで狭いのですが、直筆の原稿やイラストが見られたり、愛用の文房具などで再現した“しごとば”などなかなかおもしろかったです。もっと広いところでゆっくりとたっぷり見てみたいというのが本音ですけど。
ユトレヒトは、あいかわらず人がいっぱいで、加えて新しいレイアウトになってから動き回ったり、立ち止まったりしにくくなった気がして本をゆっくりと見れなくなったけれど、「こんな本なるのね的」な発見があって楽しいです。

「秋 その他」-永井龍男-

中学の頃から20代までずっと翻訳文学ばっかり読んでいたのが、30代になって永井龍男や吉田健一、庄野潤三、小沼丹、井伏鱒二・・・・といった日本文学ばかり読むようになったせいで、最近本棚が箱ものばっかりになってきたような気がする。「ばかり」というと言い過ぎかな。
でも岡崎武志ほどではないけれど、本棚が茶色になっていくような気がする。そういえばその岡崎武志は箱ものの本をたとえば100円均一の棚で見つけると、内容にかかわらずとりあえず買っておいて大きさの合うお気に入りの本を入れておく、と書いていたっけ。いいアイデアのような気もするし、それもなんかなぁという気もする話だ。

昨日、朝起きてレコードをつけてから、コーヒーを入れたりパンを用意していたりしていたのだが、いつまで経ってもレコードの音がぐにゃぐにゃで、「これはもうだめだろう」と、午後から友達が来て鍋をやる予定にもかかわらず、部屋の片づけもそこそこに渋谷のさくらやにレコードプレーヤーを買いに行ってきました。どうせ棚も狭いし、ミニコンポにつなぐだけだしDENONのベルト式のものを購入。でも新しいプレーヤーはいいね。もう本屋なんかよりレコード屋に行きたい気分でいっぱいです。
そういえば最近ユニオンのえさ箱とか渋谷のレコファンのイージーリスニング・コーナーとか漁ってないなぁ。ハイファイレコードとかムーズビルとかノアルイズ・レコードとかダックスープとか行ってないなぁ。