珍しくストックして置いた本がなくなってしまったので(実を言えばほかに山口瞳の本がストックしてあるのだが・・・・)、読んでみたけれど、やっぱり読まなきゃ良かった。めちゃくちゃ落ち込みました。もう10代じゃないんだから本を読んで考え込んだり落ち込んだりしたくないです。この作品が悪いんじゃないけどね。もう少し余裕のある時に読まなきゃいけない本です(多分、「血族」や「家族」、「人殺し」といった作品も私にとってはそうなんだろうな)。
この作品は、自分の中の“負”の部分を追求したという山口瞳の最後の短編集。くわしいことは書かないけれど、自身で「最後の短編集になるはずだ」と宣言した作品で、ここまで徹底的に、そして冷静にそれまでの人生、そして(10代の多感な頃と太平洋戦争が重なってしまったという)運命に対しての嫌悪や憎しみ、後悔・・・・を書けるものなのだろうか。60歳過ぎてからもそのような思いを抱えたまま残りの人生を過ごすということを考えるだけで私は恐ろしい気分になってしまう。私は鎌倉で川沿いの小さな家で奥さんと二人で暮らした永井龍男のようにもう少し平穏に過ごしたい。
そんなことを言いつつも一晩寝て朝起きて晴れていたら気分がいいもので、ちょっとでも早く起きて家の中をきれいにして「今日はどこに行こうか」なんて思ってしまう。いつもと変わらず中央線沿線をうろうろするだけでも、こんな暖かい春の日は気分がよくなるってもの。
今回の特集は「NOKIA」と「文房具」。最近、古本屋であまりみかけないせいでぜんぜん買っていなかった「relax」ですが、お昼ご飯を食べる前にちょっとだけ寄ってみた東京ランダムウォークで即買い。「relax」の特集なんてそれほど中身が濃いわけではないけど、春だし天気もいいし、たまにはこういう雑誌でも買って気分を盛り上げていくことも必要でしょ。
山口瞳の本を読み続けていると、「こんなとき山口瞳だったらこんなふうに言うだろうなぁ」とか「山口瞳だったらこの事件についてこんな風に書くだろう」なんて思うようになってしまう。そういう意味では今の私を山口瞳が見たらかなり怒られ、そしてあきれられてしまうような気がする。もっとももし山口瞳が今も生きていたとしても私と会うという機会なんてまったくないのだろうけど・・・・。
この本は2月くらいにamazonのマーケットプレイスで買ってものなのだけれど、もう少し暖かくなったら読もうと思ってとっておいたのは、単に「緑色のバス」というタイトルに春を感じたから。でもこの短編は緑色のバスに乗ってロンドン郊外の動物園に行くという話で、前に読んだ小沼丹がイギリスに行っていたときの作品である「椋鳥日記」に収録されていたものなんですけどね。
昨日は1年以上会っていなかった友達と久しぶりに会いました。今日から新しい職場で働くということでそれほどのんびりもできなかったのですが、会わなかったあいだのお互いのことや会わなかった理由などいろいろ話せてよかった。同じような歳で性格的もちょっと似ているところがあって同じようなこと考えていて・・・・。それにしても人はそれぞれ生まれた場所も環境も違って、性格や考え方も違うわけで、そういう人たちが社会の中でうまくつきあっていくのってほんとに大変だなぁと思う。
先週末から小学校が春休みに入ったみたいで出勤するときに小学生とすれ違わなくなったせいで出勤する人の足音だけが響く駅までの道がなんだか静かだ。
この本はシリーズの一冊目「家具と建築」を青山ブックセンターで見たときから発売されたらすぐに買おうと思ってました。いいねぇ、また北欧に行きたい。行けるのかな。行けるといいなぁ。
会社帰りに久我山を歩いていると友達から電話。「春にして君を想う」を聞いていた頃に大阪に引っ越していった友達が東京に仕事できているとのこと。しかも今日帰る&まだ仕事?新幹線の最終は9時過ぎ。どう考えても会えそうもない。
暖かかったり、寒かったり・・・・春はまだ遠いのかな。
私が週に一回は行く荻窪にある古本屋さんには永井龍男の本がたくさんあって、どれも1冊500円くらいで売っています。それでここ半年くらい、行くたびに一冊買い、その週にその本を読んで読み終わったらまた行く、ということが続いています。この本のその古本屋さんで買った本。私が買った後もなぜか追加されているけれど、そろそろその店で買う永井龍男の本もなくなってきてしまってさみしいです。