「庭の砂場」-山口瞳-

珍しくストックして置いた本がなくなってしまったので(実を言えばほかに山口瞳の本がストックしてあるのだが・・・・)、読んでみたけれど、やっぱり読まなきゃ良かった。めちゃくちゃ落ち込みました。もう10代じゃないんだから本を読んで考え込んだり落ち込んだりしたくないです。この作品が悪いんじゃないけどね。もう少し余裕のある時に読まなきゃいけない本です(多分、「血族」や「家族」、「人殺し」といった作品も私にとってはそうなんだろうな)。

この作品は、自分の中の“負”の部分を追求したという山口瞳の最後の短編集。くわしいことは書かないけれど、自身で「最後の短編集になるはずだ」と宣言した作品で、ここまで徹底的に、そして冷静にそれまでの人生、そして(10代の多感な頃と太平洋戦争が重なってしまったという)運命に対しての嫌悪や憎しみ、後悔・・・・を書けるものなのだろうか。60歳過ぎてからもそのような思いを抱えたまま残りの人生を過ごすということを考えるだけで私は恐ろしい気分になってしまう。私は鎌倉で川沿いの小さな家で奥さんと二人で暮らした永井龍男のようにもう少し平穏に過ごしたい。

そんなことを言いつつも一晩寝て朝起きて晴れていたら気分がいいもので、ちょっとでも早く起きて家の中をきれいにして「今日はどこに行こうか」なんて思ってしまう。いつもと変わらず中央線沿線をうろうろするだけでも、こんな暖かい春の日は気分がよくなるってもの。

「relax 2004/05」

今回の特集は「NOKIA」と「文房具」。最近、古本屋であまりみかけないせいでぜんぜん買っていなかった「relax」ですが、お昼ご飯を食べる前にちょっとだけ寄ってみた東京ランダムウォークで即買い。「relax」の特集なんてそれほど中身が濃いわけではないけど、春だし天気もいいし、たまにはこういう雑誌でも買って気分を盛り上げていくことも必要でしょ。

といっても、私はパソコンで文章を書いてるし、絵も描かないし、普段文房具なんて使う機会はほとんどないのです。でも文房具屋さんや雑貨屋さんで文房具を見るのは大好き。
もちろん高価なものには興味はないし、一応理性を働かせてそんなに買わないようにはしているのですが、小さなノート、ボールペン、スティックノリなどはいつの間にか「そんなに必要ないでしょ」というくらい買ってしまってます。あとファイリングもの、厚紙や段ボールの箱などもかなり気になります。

そんなわけで週末は久しぶりに本郷のスコスに行っちゃおうかとか、オンサンデーズに行ってそのまま表参道へ歩いてみようとか、下北に最近行ってないなぁとか、そういえばレイモンド・ローウィの展覧会に行ってなかったので渋谷でパルコでもいいぞ、もうこうなったら吉祥寺でもいいんだけどね、などと考えてしまっているミスチル桜井と同じ学年の単純な私でした。というより今日すでに会社帰りに銀座線降りたところで伊東屋に寄ってしまいましたけどね。
ちなみに来月号は「ラヴァーズロック」。これも夏に向けて買っておきたい特集ですね。今年の夏は何聴いて過ごすんだろうなぁ。

「男性自身 英雄の死」-山口瞳-

山口瞳の本を読み続けていると、「こんなとき山口瞳だったらこんなふうに言うだろうなぁ」とか「山口瞳だったらこの事件についてこんな風に書くだろう」なんて思うようになってしまう。そういう意味では今の私を山口瞳が見たらかなり怒られ、そしてあきれられてしまうような気がする。もっとももし山口瞳が今も生きていたとしても私と会うという機会なんてまったくないのだろうけど・・・・。

あいかわらず6時過ぎに会社を出る残業なしのやる気のない生活で、井の頭線に乗っていると友達から「まだ会社?」なんてメールが来たりして、ちょっと吉祥寺で買い物して帰るつもりが、結局11時半まで飲むことになってしまい、なんだか今日は一日中、頭が、そして体がだるかった。

「緑色のバス」-小沼丹-

この本は2月くらいにamazonのマーケットプレイスで買ってものなのだけれど、もう少し暖かくなったら読もうと思ってとっておいたのは、単に「緑色のバス」というタイトルに春を感じたから。でもこの短編は緑色のバスに乗ってロンドン郊外の動物園に行くという話で、前に読んだ小沼丹がイギリスに行っていたときの作品である「椋鳥日記」に収録されていたものなんですけどね。

金曜の夜に友達と飲みに行ったのにはじまり、土曜日は午前中に吉祥寺に出て次の日の花見の買い出しして、午後から渋谷で映画を見てその後目的もなく代々木公園に行き、日曜日は雨が降ってしまったので花見代わりに友達の家で飲んで、とあわただしく週末が過ぎていき、気がつけば月曜日。

花見は雨が降ってしまって残念だったけれど、三鷹台にある長内さんのお宅で、くとるーさんや吉祥寺の雑貨屋さんラウンダバウトの店長さん、三鷹台のパン屋さんリトル・バイ・リトルのご夫婦などが集まって、なんだか濃い井の頭談義が・・・・。みなさんいろいろなことをしている人ばかりで楽しかったです。自転車で行ったので帰りが辛かったけれど・・・・。帰ってきて風邪を引いたかと思うくらい寒気がしてそのままソファーで寝てしまいました。単なる飲み過ぎか!?3日間続けて飲んでるし。

「コチャバンバ行き」-永井龍男-

昨日は1年以上会っていなかった友達と久しぶりに会いました。今日から新しい職場で働くということでそれほどのんびりもできなかったのですが、会わなかったあいだのお互いのことや会わなかった理由などいろいろ話せてよかった。同じような歳で性格的もちょっと似ているところがあって同じようなこと考えていて・・・・。それにしても人はそれぞれ生まれた場所も環境も違って、性格や考え方も違うわけで、そういう人たちが社会の中でうまくつきあっていくのってほんとに大変だなぁと思う。
私なんかこっちからプレッシャーを受けて、あっちからプレッシャーを受けて右往左往しているうちに時が経ってしまって、気がついたら歳をとってそれでも相変わらず右往左往しながら死んでいくんだろうなぁ。

さて今日から4月。うちの会社にも新卒の新人が入ってきて朝礼で紹介されていました。私が前の会社で出社したときは、9時半に会社に行ったのに誰も出社いなくて、床に敷かれた簡易ベッドで寝ていた人と徹夜明けでパソコンに向かっていた人だけが、古い大きな洋館の薄暗い部屋の中にいるだけで、壊れかけたソファーで面接した人が来るまで近くに置いてあった雑誌を昼頃まで読んでました。
小さな窓から差し込む日差しの影とラジオから小さな音量で流れていたスピッツの「チェリー」が妙に心に残ってて、そのせいか今でもこの時期になると「チェリー」が聴きたくなります。

「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」-石井好子-

先週末から小学校が春休みに入ったみたいで出勤するときに小学生とすれ違わなくなったせいで出勤する人の足音だけが響く駅までの道がなんだか静かだ。
小学生といっても何が楽しいのか通り沿いの家の柵を笑いながら横歩きしていたり、騒ぎながら石を蹴っている子供がいたり、声だけ聞いているとおばちゃんみたいな笑い声をあげてうわさ話をしている高学年の女の子の団体がいたり、兄弟なのかカップルなのかずっと下を向いて何もしゃべらない男の子と女の子の2人組がいたりさまざまで、改めて6年間という期間の長さを感じてしまいます。

いつもはそんな小学生を避けるような道を歩いているのだけれど、今週は小学校に沿う道を歩きながら校庭のすみに植えられている桜を見つつ駅まで歩いています。駅の向こう側の神田川沿いの桜もきれいなんだろうなぁ、とか目黒川や西郷山公園はにぎわっているんだろうなぁ、と思う。
できることならば仕事なんて忘れて、平日の午後にPACIFIC 57とかオーガニックカフェの窓際の席に座ってゆっくり本でも読んでいたいです。まぁそんなゆったりとした気持ちにもなれないんですけどね。

「北欧デザイン-テキスタイルとグラフィック-」

この本はシリーズの一冊目「家具と建築」を青山ブックセンターで見たときから発売されたらすぐに買おうと思ってました。いいねぇ、また北欧に行きたい。行けるのかな。行けるといいなぁ。

朝から天気が良かったので自転車へ三鷹へ。ほんとは渋谷でレイモンド・ローウィ展でもみようかと思っていたんですけど、こんな日は電車に乗るのももったいない、体力があれば調布ぐらいまで自転車で行きたい気分なのです。といってもどこへ行っても行くところは同じ、というわけで久しぶりにフォスフォレセンスでフレンチトースト食べて来ました。そして「こういうところでたばこを吸うのは気がひけるなぁ」などと思いつつ一服。まわりの本を手当たり次第手に取ってみたりして。
もちろんゲンセン館なども本屋ものぞいて、上々堂という新しいきれいな古本屋ができていて、しかも絵本とか食べ物についてのほんとかがそろっていてうれしくなってしまった。調べてみたら去年の11月に西荻の興居島屋との共同経営というかたちでオープンしたとのこと。そういわれると本のラインナップが似てるかな。

夜は仕事帰りのミオ犬と待ち合わせて吉祥寺の一圓で餃子とチャーハンを食べる。吉祥寺駅は花見の人で大にぎわい。先週の金曜からお米を食べてなかったので、お米が食べたい気分だったのです。そういえば今週は昼ご飯もほとんどデニッシュだけとかだった。しかも一週間お腹こわしっぱなし。ちょっとやばいかな、と思って、お風呂に入る前に体重計にのってみたら46.7kgぐらい、47kgきってました。あぁ・・・・。

「月曜の朝、金曜の夜」-山口瞳-

会社帰りに久我山を歩いていると友達から電話。「春にして君を想う」を聞いていた頃に大阪に引っ越していった友達が東京に仕事できているとのこと。しかも今日帰る&まだ仕事?新幹線の最終は9時過ぎ。どう考えても会えそうもない。
昔からそういう奴だった。夜中の12時過ぎに「今から吉祥寺で飲もう」と電話がかかってきたり、大阪に行ってからは週末を利用してうちに遊びに来て、月曜の朝に「また今度」と別れて、夜家に帰ってくると別の友達つれてきて飲んでいて、結局次の週末まで私の家に居ついたりしてた。
私が大阪に取材に行ったりしていた時に会ったきりなので、もう4年くらい会っていないのかな。電話でお互いにまた東京に来たときに、大阪に行ったときに会おう、と話す。

ところでこの「月曜の朝、金曜の夜」は月曜日の朝の通勤電車の人々を綴った「月曜日の朝」と、金曜日の夜の飲み屋のあれこれを書いた「金曜日の夜」を文庫化にあたってまとめたもの。
私は電車の中では本を読んでいるか、寝ているかのどちらかなのだけれど、毎朝まわりを見渡しながら電車に乗っているといろいろな人がいておもしろいんだろうなぁ、と思ったりもするが、電車は私の貴重な読書時間なのでそういうわけにもいきません。

「ku:nel」(Vol.7/2004.5.1)

暖かかったり、寒かったり・・・・春はまだ遠いのかな。
今日は朝から雨降りで、そして寒い。

3月に入ってまた一人で昼ご飯を食べに行くようになって、読書の時間が増えたのはいいけど、考えなくちゃいけないことが多すぎて頭の中がごちゃごちゃで、昼ご飯の時間でも電車の中でも文字が頭に全然入りません。
毎日、朝気持ちよく起きて朝ご飯をおいしく食べられて会社に行って、仲間と話したり仕事したりごはんを食べに行ったり、本を読んだり、音楽を聴いたり、週末の予定をたてたり・・・・それで普通に「おやすみなさい」って言えればそれでいいのにね。って思う。それだけなんだけどなぁ。

頭の中ではずっと小沢健二の「春にして君を想う」が鳴り響いてます。あのとき僕はどんな気持ちでどんな風に春を迎えていたのだろう?

「花十日」-永井龍男-

私が週に一回は行く荻窪にある古本屋さんには永井龍男の本がたくさんあって、どれも1冊500円くらいで売っています。それでここ半年くらい、行くたびに一冊買い、その週にその本を読んで読み終わったらまた行く、ということが続いています。この本のその古本屋さんで買った本。私が買った後もなぜか追加されているけれど、そろそろその店で買う永井龍男の本もなくなってきてしまってさみしいです。

しかもその隣には吉田健一の本が7、8冊必ず並んでいます。「なんていい古本屋さんなんでしょう」と思いつつ、とりあえず「交友録」を手に取ってみると800円。「英国に就いて」もそれほど高くない。でも随筆じゃなくて一応ストーリーがあるものがいいかな、とその隣の「乞食王子」に手を伸ばすと、「ん、ん!?」 1万5千円!? 周りの本の値段に比べて目を疑う値段になっていて驚いてしまいます。ついでに文庫で持っているのだけれど、今のところ吉田健一の本で一番気に入っている本なので箱入り単行本で持っているのもいいなと軽い気持ちで「東京の昔」を手に取ってみると、「1万円」の文字が。おぉ!
ほかの作家もチェックしたところ、安いものは安いのですがその横に普通に1万の本が置いてあります。素人にはぜんぜん値段の付け方が分かりません。

こうなってくると、もしや?と手に持っていた永井龍男の本の値段をもう一度見てみますが、やっぱり500円です。でも、もしかしてレジに持っていったときに店員さんに「お会計10300円です」なんていわれるんじゃないかと、ついその後何度も値段をチェックしてしまうのです。
もうこの店に通い始めて半年以上経つというのにね。