「東京の空の下オムレツのにおいは流れる」-石井好子-

最近、夕ご飯をサンドウィッチやそばですませてしまっているせいか、なにかおいしいものが食べたい気分。そんなこというとまわりからいろいろと言われそうだけれど、“おいしいもの”というより“しっかりしたもの”に変更しておきます。
そんなことを思いつつ会社帰りの電車の中で「東京の空の下オムレツのにおいは流れる」を読んでいると、ほんとにお腹がすいてきてしまいます。
この本のポイントは、単にフランスやスペイン、東京などのどこどこで何を食べておいしかった、とか友達を呼んでなになにを作って食べた、というだけではなく、簡単ではあるけれどちゃんと作り方が書かれていること。材料をスーパーで仕入れてそれを鍋で何時間も煮たり、フライパンでさっと焼いたり、最後にチーズなどをふりかけたり・・・・なんてことが書かれていると、カタカナのなんだか分からないような外国の料理も、(それが正しいかどうかは別として)具体的に頭に浮かんできます。

ところでこの本には、「●●●さんへ」と添えられた石井好子のサインが入っていて、そのせいか状態はきれいなのにブックオフで100円で売られていました。先日も表参道から渋谷に歩いてくる道筋にある古本屋さんに「▲▲▲さんへ」と書かれた山口瞳の「行きつけの店」の単行本が置いてあって、こちらは達筆な毛筆ではんこも押してあった。ちなみに3500円。
私は本にしろレコードにしろ作者のサインをもらうということに興味はないけれど、ミオ犬はけっこうサイン好きでときどきサイン会に並んだりしている。ロジャー・ニコルスのサインの入ったCDとかもうちにあるしね。
で、話がそれてしまいましたが、そういうのが好きであろうとなかろうとサインが入っている本やレコードを中古屋さんに売ってしまうのはどうなんでしょうか。ましてや「●●●さんへ」とかわざわざ書いてもらったものを売るなんて。まぁそういう本好きのお爺さんが亡くなって、そのときに遺族が「うちのおじいさんの本を売りたいんですけど」なんて古本屋を呼んで二束三文で売り払ってしまう、なんてことはよくあるのかもしれない。骨董品なんかでも「こんなガラクタ」なんて言われそう。そうやって出てきた本がいろいろなところを回って渋谷の古本屋にたどり着いたと思うとそれはそれで感慨深い。

そしてつい山下達郎や小西康陽が死んだらそのレコードはどうなるのだろう、と思ってしまったりもする。植草甚一のレコードをタモリが引き取ったように誰かが全部引き取るのだろうか。きちんと系統立って揃っているだけに(特に達郎)もし中古屋さんにまわったり、捨てられたり、というのはあまりにももったいないような気がするのだけれど、それはそれ、ということなのだろうか。

「コレクタブル絵本ストア」

いろいろ調べたり足を棒にして本屋を巡ったり、外国にしょっちゅう行ったりして、欲しい絵本を一冊ずつほどお金もスペースもないし、ついレコードとか小説とかいろいろなものに手を出しつつそのどれに対しても中途半端、小学校の頃から飛び抜けて成績の良い科目もなく、共通一次の点が良くて大学に入った私は、どうせ手に入らないのだしこういう本を見てるだけでそれだけで満足、なんて気分になったり、やっぱりこの作家の本だけは手に入れよう、なんて、右に行ったり左に行ったりと気持ちを揺らしつつこの本を眺めてます。
言い換えるなら「どうせレアなレコードなんて買わないんだからと思って、コンピで間に合わせたのに、逆にレコード屋に行く度に収録されているアーティストのレコードをチェックしてしまう」っていたところ、か。って、そのままなんだからわざわざ言い換える必要もないんですけどね。
ついでに言うならば、ミオ犬が最近「olive特別編集 雑貨少女の楽しい毎日」を買ってきまして、ここでも同じように絵本を特集があったりして、なんだか私の中でまた絵本ブームが来るんですか?来ないんですか?・・・・明日の天気予報は晴れだったけど、ほんとに晴れるの?また雨なんじゃないの?という当てにならない感じの今日この頃。でもいちおう気になる絵本作家の名前を手帖にメモってみました。

ここ何年か年の初めにダイアリーを買っても、5月頃にはすっかり持ち歩くこともなく、スケジュールも真っ白で、「平日会社に行ってるんだから書き込むことなんてほとんどないよ」なんて開き直っていたのですが、これではいかん、と最近メモ帳を持ち歩いてます。といっても欲しい本のリストとか古本屋の地図、この日記のネタ(そんなものがあるのか)、とりあえずその月の予定などを昼休みとか書いておいてるだけなんですけど。
基本的に予定があるのは、土日と平日であったとしても1日か2日だけなのだから、カレンダーに書き込む必要もなくて、普通のちいさなノートにリストにしておけば充分なんですよね。ということに今ごろ気づいたわけで、いつまで続くか分かりませんが、古本屋マップと永井龍男、山口瞳著作リストだけは、意外と役立ってます。

「埋れ木」-吉田健一-

気がつけば今年最後の3連休もおしまい。雨ばっかりで何もしなかったような、ちょこちょこと動き回ったような・・・・。いや土曜日はほんとに風と雨がひどくて、髪を切ったほかはほとんど家にいたし、台風一過で28度まで気温が上がるといわれていた日曜、月曜もときおりポツポツと雨が降り出したりやんだりといった感じでどうにもやる気が出ず・・・・。

それでもとりあえず吉祥寺のfeveでやっていた「高橋みどりが考える暮らしはじめ」展を見に行ったり、ソックスで買い物して20%オフチケットをもらったり、近くの友達の家で近くの友達と集まってしゃべったり、原宿、表参道へ出てアンノン・クックでお茶したり、青山ブックセンターで立ち読みしたり・・・・してみた。でもそれはわざわざ3連休中にするべきことなのか?とどうしてもそういう気持ちになってしまうのはなぜ?気のせいか休み明けなのに体もだるい気がしてきたりする週のはじめ。
話は戻ってfeveは、ダンディゾンに行くたびにちょっとだけ気になっていたギャラリーで、今回初めて行ってみたのですが、壁の一面や階段の向こうが大きなガラスだったりするので、陽の光とても気持ちよい空間。晴れた日はどんな感じなのだろう。今度行ってみたい。展覧会の方は、というか展覧会というよりまさに「暮らしはじめ」の女の子の部屋に入ったみたいといったら、こんな部屋に住み始める女の子なんてそういないだろうからウソになりますが、私の妄想の中ではそういう感じ。高橋みどり本人も居て「昨日の初日は台風で大変だった」なんてことを誰かと話してました。

「井伏鱒二文集1 思い出の人々」-井伏鱒二-

今日読む本がないというときか、好きな作家の新刊以外は、ふだんほとん新刊を買わない私ですが(画集とかは別にして)、珍しく12月までの間、井伏鱒二のこのシリーズをきちんと買ってみようと思っている。1カ月に一度の楽しみ。第2巻の「旅の出会い」ももうそろそろ出るはず。
旅の話というと木山捷平の本を思い出してしまうけれど、木山捷平が書けなくて悩んでいるときに「旅にたくさん行きなさい。そしたら書けるよ」みたいな助言をしたのは井伏鱒二だったか?違うひとだったか?忘れました。「エッセイコレクション」とかではなくて「文集」というところがいい。なんとなくだけど。

井伏鱒二は95歳まで生きていただけあって、戦前、戦中、戦後初期の同時代の作家たちをみんな見送ってから亡くなったという感じなので、この「思い出の人々」もそういう追悼文が必然的に多い。知っている作家のエピソードは興味深く読めるのは当然であるとして、知らない作家についての文章もおもしろくて、登場してくる作家の本を読みたくなってしまいます。

もちろん大きな理由も予定もないけれど、この4冊の本をとりあえず買っておいて読まないでおいて、今度旅行に行くときに持って行ったらいいのではないか、なんてことを考えたりもする。
飛行機や電車の中、ホテルのベッド、カフェでコーヒーを飲みながら、あるいはホテルのプールサイドで・・・・この本をのんびり読んでみたい。

「江分利満氏の華麗な生活」-山口瞳-

話の内容はずれますが、「ku:nel」を読んでいると「東京を離れて田舎で暮らすのもいいかもなぁ」なんて思ってしまう。「贅沢しなければなんとかやっていけるんじゃないかなぁ」なんて無理か。なんも技術も持ってないしね。いや、もうその地元の工場とかお店とかに就職しちゃうんでもいいよ。って雇ってくれないですね。

さて江分利満氏の2作目。1作目よりも江分利満氏の独白、という部分が大きいので、なんだか飲み屋のオヤジの愚痴みたいな気もしてしまう。そういったら山口瞳の作品はみんなそうなってしまうんですけどね。でも私としてはもう少し周りとの関わりや動きがあった方が私は好きだ。そして「オヤジ」と書いてしまったけれど、主人公と私とでは1歳しか歳が違わないんですよね。う~ん。「コマッタもんだ」。何がって言われると困るわけだが。

「ku:nel」(Vol.10/2004.11.1)

金曜日遅くまで遊んだせいで(水曜から木曜にかけて始発まで会社にいたせいもあるかな)土曜日はなかなか起きれず、ちゃんと目が覚めたのは12時過ぎ。
日曜日が一日中雨が降って何もできなかったのを考えると、せっかく晴れたのになんてもったいないことをしたんだろうと思う。

それでも土曜日は渋谷に出てさくらやでテレビを買ったり、オ・タン・ジャディスでクレープ食べたり、パルコでシャツを買ったり、タワーレコードで本を買ったり試聴しまくったり(もうすぐ発売されるYour Song Is Good!のファーストアルバムが楽しみ!)、宇田川町のお店でモツ煮込みを食べたりと、割と盛りにだくさんに動き回る。そして4時までヨーグルトとバナナしか食べてなかったのに短時間で食べ過ぎ気味。
テレビは今まで私が一人暮らしの時に買ったビデオ一体型のものを今でも使っていたので、そろそろ買い換えたいと思っていたのです。それほど真剣にテレビを見たりビデオを借りたりするわけではないので、プラズマでも液晶でもない普通のもの。いちおうちょっと大きめの25型。
プラズマや液晶は次回だね、っていつのことになるのやら。ちなみにビデオ一体型のテレビは10年くらい使ってるはず。あと安かったので再生だけのDVDプレーヤーも購入。貯まっていたポイントを使ったので両方で15000円もかからず。

土曜日の午前中に届きます。それまでにちょっと部屋を片づけて、TSUTAYAの会員になってなにか借りておかなくちゃね。今うちにあるDVDといえばビークルくらいなので。ついでに小津安二郎のボックスとか買ってしまおうか。そもそもビデオとかDVDの売り場とかじっくり見たことがないのでどんなものが発売されているのか分からん。

「けっぱり先生」-山口瞳-

山口瞳の本にしてはストレートな作風で、ひとりの校長先生を軸にその学校で働く先生たち、新聞記者の照れのないストーリーと「教育とはなにか」という主張を熱く語っていってます。主人公≒山口瞳ではない分、物語自体の膨らみが出ているかな、という気もします。

8月に1カ月間、ロシア、キルギス、ウズベキスタンを旅行していた友達が、そのときに撮ってきた写真の写真展を白金台のProspect Hair Designという美容室でやっていて、そのオープンニングパーティとして行われたスライドショウを見に行く。フリーで建築の設計をやっている人なので、ロシアの有名らしい建物や市場の様子、食事の内容など、かなりの枚数の写真を見せてもらった。
彼の友人を中心に20名くらいの人が集まったのだが、ロシアに行ったことがある人、ロシアの建築に詳しい人が多いらしく一枚表示されるごとに、「ここは●●●だ」とか「これは有名な●●●だね」など声があがって、写真だけでなくその話も含めておもしろかった。
久しぶりに会う友達も多く、それほどたくさん話はできなかったけれど懐かしい気分。中にはもう8年くらい会っていなかった人とかも来ていて、しかも私はスライドショウの途中までその人に気がつかず、全然話もできなかったりね。いや、何を話したらいいのか?もし話してたら何を話してたのか?というより向こうが私に気づいていたのか?ちょっとだけ20代の頃の出来事が頭に浮かんだりしたスライドショウでした。

10時半頃スライドショウが終わり、周りがまだ話したりないという感じで盛り上がっている中抜け出して、下北のリヴォルバーのエイベックスCCCD弾力化(事実上撤退)&SME CCCD全面撤退を記念したイベント「やるっきゃ☆ナイト」に移動。リヴォルバーの店長さんに会うのも久しぶり。会社帰り、フルに遊んだ感じの金曜の夜、結局寝たのは午前4時。そして当然のように今日は寝坊して、起きたら嵐のテレビが始まってるという・・・・。嗚呼。

「巻頭随筆III」-文藝春秋 編-

この本とは全然関係ありませんが、ちくま文庫から井伏鱒二の随筆を集めた本が出てます。全4巻。「忘れ得ぬ人々の面影」とサブタイトルがついた第1巻はもう出ていて、10月に第2巻「旅の出会い」が出るみたい。
それにしてもちくま文庫も講談社文芸文庫も普通に1000円以上するなぁ。しかも気がつくとすぐに本屋からなくなってるし。井伏鱒二ほどの作家の本を、安い値段でいつでも手軽に読むことができないという状況はどうなのか。ついでに前回の「無心状」を国立の古本屋で300円で買ったことを考えると「・・・・」な気持ちになりますね(といっても函とかにかなりシミがありますが・・・・)。

気がつけばもう9月も終わりで週末からは10月。今日は台風のせいで雨降ってますが、気温も下がってきてすっかり秋という感じになってきました。
芸術の秋というわけではないけれど、10月は「安井仲治 写真のすべて」(松濤美術館)や「ラリー・クラーク展」(ワタリウム美術館)、「バックミンスター・フラー」(ギャラリー360°)、「高橋みどり が考える 暮しはじめ」(feve)、など、行きたい展覧会がいっぱいあって今からちょっと楽しみ。8月にロシア旅行に行った友達のスライドショウなんていうもある。
どれだけ行けるかわかりませんが、散歩がてらにのんびりと回ってみようと思ってます。

「無心状」-井伏鱒二-

無心状というのは、地方から出てきた学生などが、月の生活費が足りなくなったため、お金を送ってもらうために実家に出す手紙のこと。
ここではお金が足りなくなった井伏鱒二が、普通に書いたら怒られるだけなので、もっともらしい理由や状況を作り上げて実家の兄にあてに手紙を書くのですが、その手紙を課題と間違えて大学の教授に送ってしまいます。そんな手紙を教授に見られたら・・・・と思うといてもたってもいられなくなり、大学の事務室でその教授の住所を聞き、教授の家まで封筒を取りに行く、という話。
前にも井伏鱒二の随筆について「これは随筆なのか?創作ではないのか?」と書いたけれど、この本に収録されている作品も戦争の時の話もあるけれど、ほとんどは日常的な出来ごとをユーモアたっぷりに描いてます。この辺は部分的に小沼丹、庄野潤三に繋がっていくところですね。

「やまない雨がないように」「明けない夜がないように」どれだけ暑くても夏は終わって秋になるわけで、週末くらいから急に涼しくなって、おまけに天気もあんまりよくない。週末は長袖のシャツをタンスの奥から出してアイロンをかけたりしてました。そろそろ掛け布団も出さなくちゃいけない頃ですね。
そんなわけで一日のうちで雨が降ったりやんだりするのでなかなか出かける気にもなれないけれど、空の様子と相談しつつ3時頃から上野→根津→日暮里と歩いてみた。目的は国際子ども図書館とカヤバ珈琲、谷中商店街、いせ辰、オヨヨ書林、駄菓子屋横丁、谷中芸工・・・・など。時間がなくて全然まわれなかったけどね。

国際子ども図書館は国立の児童書専門図書館。明治39年に創建されたという洋風建築を増築・改築した建物は、大きなシャンデリア、吹き抜けになっている鉄の大階段、そしてガラス張りの外観など、古さと新しさがうまく合わさっていて、建物を眺めて、それからカフェでコーヒーを飲むだけでも満足するのではないかと思ってしまう。設計は安藤忠雄建築研究所とのこと。
朝ご飯を食べたきりでおなかがすいていたので、入ってすぐにカフェテリア モアでクリームたっぷりのホットケーキを食べたりして、ざっと置いてある絵本や児童書などを眺めて出てきたのだけれど、ホントは半日くらいのんびり本を広げてみたりしていたい場所です。
その後、根津方面へ。もう一つの目的だったカヤバ珈琲は5時閉店だったため入れず。やはりもう一度来なくてはと思いつつ、谷中銀座の商店街を通って日暮里に着く頃にはすでにまわりは真っ暗で、日暮里駅の近くにある羽二重団子でお団子を食べて帰ってきました。なんだか甘いものばかり食べてた週末の一日。

「御代の稲妻」-庄野潤三-

学問や研究のためではない読書なんてけっきょくの話、単なる現実逃避にすぎないわけで、10代20代の私にとって読書、あるいは本というのは「ここではないどこか」に連れて行ってくれる最適な道具だったような気がします(ある意味音楽を聴くとか、映画を見るというのも同じような行為ですね)。
その頃の私がアメリカ文学ばかり読んでいたのも、自分の知らない場所の自分と違う考え方をした人々の話を読むことが「ここではないどこか」への近道だっかから、なんてことをこのごろ思ったりもしてます。

そういった視点からいうと庄野潤三の本は、「ここではないどこか」というよりも庄野潤三の日常を、その毎日をつづったようなものばかり。特にこの本は随筆なので、家族とのやりとりや家の周り、近所での出来ごとなど、それが直に出ているように思えます。ただ「ような」と書いたのは、もちろんそのまま庄野潤三の毎日を工夫もなく書いているだけではないだろうからで、でもどちらにしろ全体を覆うのは「ここではないどこか」にはほど遠い(という書き方はなんか変だな)、淡々としたものだ。
そんな毎日を過ごしている、ものすごく身近でありふれた繰り返しの中にある何かにおもしろさを楽しめるようになったのは、単に「ここではないどこか」に自分を連れて行くだけの体力(想像力?)がなくなってしまっただけなのだろうか。よくわかりません。

久我山に住んでいたときは吉祥寺・西荻だった私の活動範囲が、富士見ヶ丘に引っ越してから、だんだん西荻・荻窪になってきてます。単に古本屋に行ってるだけなんですけど、吉祥寺はちょっと一人で休もうかなというときに入る店がない、というのも大きな理由。でも西荻・荻窪にはレコード屋があまりないのが欠点ですね。なんでないのかなぁ。荻窪にあったRAREもいつのまにかなくなってるし(吉祥寺に移動ってこと?)。
というわけで、昨日はレコード目当てに吉祥寺まで自転車で行ったのですが、吉祥寺に着く前の末広通りにBALLROOM RECORDというレコード屋さんができてました。とてもきれいな、おしゃれなレコード屋さんで、並べられているレコードもソウルからソフトロック、イージーリスニング、ラテンラウンジ、もちろんブラジル、そしてカリプソ、スティール・パンなど、なんだか見ているこちらが恥ずかしくなってしまうくらいのラインナップ(すみません)。昔だったら絶対に入らない種類のお店なんだけれど、床の餌箱を端から端まで漁って、聴きたかったレコードやジャケットがいい感じのレコードを探し出したりする体力もないし、たくさんのレコードを毎日のように買っているわけではないので、少々値段が高くてもこういうレコード屋で、しかも試聴して買うことができるのはラクだなぁ、なんて思ってしまう。

で、「始めていったお店では必ずなにか買え」という言葉もあるとおり、ドイツのラウンジピアノとちょっとソウルフルなストリングスのレコードを買ってきました。ちなみにバナナレコードではカンバック・マイ・ドーターズを購入。
この通りは井の頭公園への通り道でもないし、繁華街からもちょっと遠いし、いろいろなお店が出来ては、気がつくとなくなってしまっているので、このお店にはちょっとがんばってもらいたい。