テレビの音楽番組を見ていると、“featuring‥‥”という曲がやたらと多くて、なんだかなぁと思う。私のまったくの偏見なのですが、共演と言うには、曲自体にお互いの個性とか持ち味が活かされているようにも思えないし、どうも“featuring”するほうも、される方も、その後ろにいろいろな打算とか計算が隠れているような気がしてしまいます。
共演している方はいかにも「友だちのりでやってます」みたいな、親しげな感じを演出しているけど、実際はどうなのか。どっかのバンドみたいに、バンド結成のきっかけは“事務所での衝撃的な出会い”みたいな感じなのではないのだろうか。
ついでに書いちゃうと、“事務所での衝撃的な出会い”と言われると、単に事務所に組まされただけでは、なんて思ってしまうくせに、「マイク・オールウェイによって紹介され、エヴリシング・バット・ザ・ガールを組むことになったトレイシー・ソーンとベン・ワット」と書いてあるのを読んだりすると、いい話のように感じてしまうのも、私の偏見ですね。
ところで、“featuring‥‥”というパターンが定着したのはいつからなんだろう~と書きながら思い出したけれど、「今夜はブギー・バック」は、小沢健二featuringスチャダラパー(あるいは、スチャダラパーfeaturing小沢健二)という表記だったな。1994年、遠い昔ですね。あのときはソニーと東芝EMIの折り合いがつかなくて(?)2バージョン出てたけど、今はそういう会社のしがらみがあまりないのだろうか?
なんていう前振りは、今年ボサノヴァを聴くにあたって、ルイス・ボンファ&マリア・トレードの「ブラジリアーナ」というCDを一番はじめに買おうと思っていたのだけれど、これを含めてボサノヴァのレコードは、やたら共演盤が多いってことが書きたかっただけだったりします。
「イパネマの娘」で有名な「ゲッツ/ジルベルト」は、アメリカ人とブラジル人が演ってます的なアピールをするためだと思うのですが、ほかにもちょっと考えてみるだけでも「ドミンゴ」(カエターノ・ヴェローゾ&ガル・コスタ)や「ザ・サウンド・オブ・イパネマ」(ポール・ウィンター&カルロス・リラ)、「アフロ・サンバ」(ヴィニシウス・ヂ・モラレス&バーデン・パウエル)、「エドゥ・ロボ&マリア・ベターニア」「ブラジルの水彩画」(エリス・レジーナ&トゥーツ・シールマンス)‥‥など、すぐに浮かぶ。
その辺のノリがボサノヴァの中産階級のサークル的な性格をあらわしているような気がするし、逆にそれぞれの個性が強いので、きちんとしたグループを組むにはいたらない、という理由もあるのかもしれない。いや適当。さて、どうでもいい話が長くなってしまったので、今週買ったボサノヴァCDは次回に持ちこし‥‥。