前から気にはなっているのだけれど、なかなか作品を読むきっかけを作れずにいるのは、単に私が演劇や歌舞伎に詳しくないからという理由で、かといって「ちょっといい話」のシリーズから読み始めるのもちょっと・・・・と思ってしまう。結局、どれから読んでいいのかわからない。しかし、どれを読んでいいのかわからないのに、気になる作家というのも、なんだか変な感じがする。そもそも何がきっかけで戸板康二と知ったのかも忘れてしまった。「銀座百点」だったろうか。池田弥三郎の本だったのだろうか(池田弥三郎は戸板康二の慶応大学の一年先輩)。
久保田万太郎が急逝したのは、1963年5月、この本に収録されている文章は、1966年2月号から1967年4月号にかけて雑誌「文学界」に連載されたものなので、死後直後というわけではないが、それほど時間も経っておらず、また久保田万太郎は戸板康二の恩師でということもあり、戦後、さまざまな役職に就いたり、文化勲章を贈られたせいで、名誉欲や権力欲、ボス的体質について語られることが多い久保田万太郎の人生を、かなりひいき目に、温かく語っている。そういう意味でも、文中でも多く引用されている、慶応での後輩、小島政二郎が書いた「久保田万太郎」も読んでみたいところ。いや、それよりも久保田万太郎自身の作品を読むべきなのだが・・・・。
基本的に私は、その作品とその作家の私生活、生活は別のものと思っていて、どんなに性格が悪かろうと、私生活がどんなにめちゃくちゃだろうとその人が書いた本がおもしろければいい。そもそも性格がいい、悪い、なんて簡単に判断できるものでもないし、ある人から見たらいい人だけれど、違う人から見たらいやな人だった、なんてことは珍しいことではなく、ましてやすでに亡くなっている人であれば、その人についてどういう風に評価されようとも確かめる方法はないわけで、どうしようもない。人はいつかは亡くなり忘れ去られてしまうけれど、作品は残る、ということだろうか。
と、いいながらも、こういう本を読んでしまうのは、きっと明治の東京・浅草に生まれ、大正・昭和を生きた久保田万太郎という、ある意味架空の人物の物語として、この本を読んでいるから、かもしれない。