「随筆 冬の花」-網野菊-

-■身辺雑記的な随筆と師匠である志賀直哉、芥川龍之介、宮澤賢治といった作家について、そしてきものについてつづった随筆が収録されています。
真ん中に収録されているきものについての随筆がわりと続くので、読んでいてこのまま読み続けるか、この部分を飛ばしてしまおうか、どうしようかな?と思いながら読んでました。正直、きものに関するものの言葉の漢字が読めないし(もともと漢字に弱い)、もし読めたとしてもそれが着物のどの部分にあたるのかわからないので、読んでいてもあまり理解できてない。それで、なんかこの感じ前にもあったな、もしかして再読かな?とも思ったけれど、同じ三月書房から出ている辻井喬の「幻花」だ、ということに途中で気づきました。これも中盤に花についての文章が続いたんですよねぇ。

■帯に森茉莉が推薦文(?)を書いているのがちょっと気になります。生前に交流があったのだろうか?それほど網野菊や森茉莉の随筆を読んでいるわけではないけれど、今のところどちらの随筆にもお互いのことが出てきてない、と思う。いつか森茉莉が出てくる網野菊随筆や網野菊が出てくる森茉莉の随筆に出会えるんでしょうかねぇ。ちなみに網野菊は1900年生まれで森茉莉は1903年生まれなので年は近い。ただし森茉莉は1957年、54歳で初めての本「父の帽子」を出しているのに対して、網野菊は戦前の1920年代から小説を書いているので、作家のとしての活動が重なっている期間はそれほど長くない。と言っても、網野菊が亡くなったのは、1978年なので20年くらいは重なってるのだけれども(森茉莉は1987年に亡くなっている)。

-■土曜日、DDCFに行く前に阿佐ヶ谷のVOIDというギャラリーでやっている朝倉世界一の個展「東と京子 2018」へ行ってきました。朝倉世界一というと地獄のサラミちゃんとかポップでかわいいけどちょっと毒のあるイメージなのですが、今回の展覧会では東京で暮らす中年の男女の日常を水彩画で描いた絵が展示されています。なんとなく知っているような風景の中に二人がいて、というかどの絵も二人しかいなくて、その二人の関係もよくわからなくて、仲はよさそうなんだけど、どこか淡々とした雰囲気が二人の間にあるという感じの絵で、特にストーリーはないらしいのだけれど、絵を眺めていると、ほんわかする一方でちょっと寂しい気分になったりしました。
その日は、中央線沿いの駅を八王子から途中下車して、いろんなところに寄り道したりしていたので、その日に歩いた町並みがちょっとだけ思い浮べたりしながら、ジンジャーエールを片手にぼんやりと絵を眺めたり、ガラスドアの向こうの暮れていく通りの様子を眺めたりしていました。

-■DDFCはカトウさんプロデュースのソフトロックナイト。DDFCは毎月いろいろなテーマで、それぞれのDJが曲をかけるんだけれど、今回は、その前にインスタグラムに書かれたカトウさんの熱いソフトロックへの思いに動かされたのか、それぞれアプローチは違うけれど、これぞソフトロック!という曲ばかりかかって盛り上がりました。ソフトロックって曲自体は一定の雰囲気はあるけれど、ジャンルとしてはわりとあいまいなので、どんな音楽を聴いてきても、だいたいどこかでソフトロック的なところをかすめたりしてるんじゃないでしょうか。適当。まぁ10代からパンク~ハードロックしか聴いてないっていう人はどうなのかわかりませんが。
あ、でも、この間の3days Bookstoreで、パンク~ハードコア好きという人と話していたら、普段あんまり言わないけど、渋谷系はわりと好きだったんだよね、という話になり、2時間くらい音楽の話をしてたなw。

「呑めば都―居酒屋の東京」-マイク・モラスキー-

-■著者のマイク・モラスキーは、アメリカのセントルイス市生まれで、大学を卒業後、日本に留学しそのまま日本で暮らし、一橋大学で社会学の教鞭をとったり、ジャズ・ピアニストとしてライブハウスで演奏したりしているとのこと。そんなアメリカ人の著者が、普段飲み歩いている東京の赤提灯について書いた本。登場するのは溝口や府中、立川、洲崎、赤羽、立石、西荻‥‥といった東京の周辺の路地にある居酒屋で、そのお店や周辺の地域の成り立ちや店主や常連客とのやり取りがつづられている。銀座とか六本木、新宿といったところは出てこないところがおもしろい。
社会学の教授らしく、戦後から今にいたるまでの町の変遷などを、古くから住む人からヒアリングしたり、図書館などの文献を調べたりしているし、文章もかなりしっかりしているので、読んでいると、これを書いたのがアメリカ人であるということを忘れてしまう。日本酒についての知識も深いし、居酒屋に対する基準も厳しい。本屋さんでこの本を初めてみたときは、居酒屋についてアメリカ人が書いているのはめずらしいし、どういう印象を持っているのだろうか?アメリカとどう違うのだろうか?などと思って手にとってみたのですが、そういう意味では、こういう居酒屋について語っている本を出している日本人と感覚的にはそれほど変わらないかもしれない。ただ日本人が書くとどうしても子どもの頃の町の記憶などと結びついて、どこかノスタルジックな感情が出てきてしまったりするけれど、この本では、開発によって自分の好きな居酒屋や町の横丁が消えていくことに対する焦燥感はあるにせよ、そういうノスタルジックなところは希薄なところがいい。

-■個人的には、ここに取り上げられているような飲み屋は好きだけど、わざわざ行くのもなんだよなぁと思ってる。自分の生活圏の中で、チェーンではなくて個人でやっているところで、そこそこおいしくて、一人で居ても居心地が悪くなければ、わたしはいいです。それほどたくさん飲めるわけでもないので、どこかにいって飲み屋をはしごするということもできないしね。
あと、たいてい一人で飲みに行くときは、平日休日かかわらず、古本屋やレコード屋に行った後が多いので、立ち飲みはきつい。まぁいろんなところに行って飲んで楽しそうなので、ときどきどこかに行ってみたくはなりますが。