「あまカラ(抄)3」-高田宏編-

今年最後の雑記です。数えてみたら今年は84でした。去年は124、一昨年は159だったので、あんまり書いてない。一応買った本、読んだ本については、残らず書いているので、単に読んだ本の量が少なくなったということか。本を読む時間がなくなっていることは、自分でも分かっていたけれど、一昨年の約1/2になっているとは思ってませんでした。まぁ171冊の中には雑誌とか写真集とかも含まれてるしね‥‥。でも来年は100冊くらいは、本を読みたい(買いたい)、かな。
さて、今年読んだ主な作家としては、獅子文六が8冊、安藤鶴夫と小島政二郎、庄野潤三が5冊といったところで、一時期かなり読んでいた山口瞳は3冊しか読んでないし、永井龍男にいたっては1冊も読んでないという有様。両者とも手に入りやすい本がなくなってきたとはいえ、永井龍男の本を一年以上読んでないなんて、ちょっとショックだ。来年は、古本屋を回るときにもう少し気をつけて、ちょっと値段が高くても手に入れておくようにしたい。

本屋のほうは、年の初めにロバロバカフェの古本市に参加したことと、11月にようやくトランクルームを借りたことくらいしかトピックはないですね。相変わらずです(売上げを含めて)。古本市は、多分、ロバロバの店主を始めいろいろな人に甘えてしまって、店番するわけでもないのに、週末になると一日、うろうろして来てくれた人としゃべったりしてただ楽しんでしまった、という感じでした。でも時期が時期だったせいもあり、雪や雨が降ったりしてかなり寒かった‥‥。来年の予定はぜんぜん決まってないけれど、トランクルームも借りたし、もう少し在庫を増やして、見に来てくれた人が欲しいと思うような本がそろっているような本屋にしていきたいと思っていますのでよろしくお願いします。

「まぼろしの記」-尾崎一雄-

去年の年末は、ロバロバカフェの古本市準備でてんやわんやだったのですが、今年はわりとのんびり。昨日は寒い中、高円寺や阿佐ヶ谷を散歩して、夜はテレビを見ながら年賀状を書いて、今日はちょっと部屋の掃除をしたりしたあと、吉祥寺に行って‥‥という。掃除も床とかはミオ犬がやってくれてたし、クローゼットの中などは、1カ月前くらいに片づけておいたので、やることといえば、窓と飾ってあるおもちゃやスノードームを拭くくらいなのだ。昼間は、風は強いけれど日差しはあったので、ベランダに出て窓を拭いていると、背中が暑くなってきたりして、あらためて今年の冬は暖かいと思う。それにしても拭くたびにスノードームの中の水が減っていってしまっているのが悲しい。苦労して手に入れたペプシのおまけのスヌーピーのスノードームなんて、もう水の上に頭の先が出ちゃってます。やはり年中エアコンのきかせた、乾燥した部屋の中に置いたらいけないのだろうか。
スノードームついでに書くと、木村カエラの新曲は「Snowdome」というタイトルですね。作曲はビークルだしちょっと気になります。年明けくらいにサクサクに出ないかな。あと、先週、NHKの「ゆるナビ」という番組のいちコーナーで、スノードームコレクターの知人がスノードームを紹介していたり、冬ということもあって、自分の中では、ミニスノードームブームが再来の予感。

「大東京繁盛記 下町編」-芥川龍之介、泉鏡花ほか-

「大東京繁盛記 山の手編」を読んだのは、今年の2月頃だったか?ほんとうは新書の大きさの平凡社ライブラリーを買ってパリに持っていこう、なんて思っていたのだけれど、ネットで調べてみたら「山の手編」の単行本だけ安く売っているのを発見して、ついを買ってしまったのだった。それから10カ月、ようやく両方そろったという感じです。それにしても年末のこの時期になってみると、パリに行ったのなんて、かなり昔のことのような‥‥。
今年の冬も、大正の終わりから昭和の初めに書かれた、東京についての本を読んでみようと思っているのですが、なかなか古本屋さんで見つけることができなくて、まだこの本しか手に入れてません。去年いろいろ調べてピックアップしたリストも、手帳がかわってしまったせいで、あんまりチェックしてないので、忘れてしまっている書名もかなりありますね。とりあえず、休みになったら吉祥寺のリブロに行って、ちくま文庫から出ている幸田文の「ふるさと隅田川」を買ってみようか、と思っているところ。そういえば「作家の娘」というテーマも、最近で言えば津島祐子くらいしか進んでない。
本当はその頃の地図を片手に、文章に出てくる地名を確認しながら読んだらおもしろいのだろうと思う。20代の頃は、よく銀座の本屋さんの前で売っている古地図に群がっている人たちを見て、そんな地図のどこがおもしろいのだろう、と思っていたものだったけれど、だんだんとそういう方面に興味がわいてくる自分がいて、歳を取ったのだなぁ、と感じたりしますね。もっとも時代劇や時代小説には、いまだにまったく興味はないので、江戸時代の地図にはまだ用はないわけですが。

12月は珍しく2本も映画を観ました。「麦の穂をゆらす風」と「イカとクジラ」。ケン・ローチの映画は、たいていは銀座のシネ・ラ・セットで2週間くらいくらいしかかかっていなくて、気がついたら終わっている、ということになりがちなので、ここは絶対に観に行かなくては、と思っていたら、渋谷でもやっていたりして、しかも私が観たときは満席。カンヌのパルムドールを受賞したことをあとで知ったりして、ファンとしてはかなりまぬけ。でも、もともとケン・ローチの「大地と自由」とか歴史物って個人的にあんまり興味がひかれなかったりします。「ケス」は別格としても、「リフ・ラフ」や「レイニング・ストーンズ」「マイ・ネーム・イズ・ジョー」のようにイギリスの労働者階級、普通の人たちを主人公にした映画がやはり好きだな。ところで、「麦の穂をゆらす風」は、1920年代のアイルランドを舞台に、独立戦争から内戦にいたる課程が2人の兄弟をとおして描かれた映画。上映が始まってすぐに、なんとなく終わりはこんな風になるんだろうなぁ、と予想できるのですが、やっぱりその
とおりで、いつもにもまして救いのないエンディングで、席を立つ腰が重くなってしまいました。もう1作上映されていた、アッバス・キアロスタミ、エルマンノ・オルミとのオムニバス映画、「明日へのチケット」は見損ねました。
「イカとクジラ」は、「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」「ライフ・アクアティック」のウェス・アンダーソン監督が製作をつとめた作品。両親の離婚によって混乱する子どもたちを描いているのだけれど、雰囲気的に「サム・サッカー」に似ているような気がしました(「サム・サッカー」の両親は離婚しないけどね)。
あと、父親がポスト・モダン的な小説を書く元売れっ子作家という設定の割には、話の中にカフカ、フィッツジェラルドとかしか作家の名前が出ないのは納得がいかない。少なくともピンチョンとかバーセルミ、自分と同時代の作家を認めたくないのなら、シャーウッド・アンダーソンとかフラナリー・オコナー、ハックスリー‥‥う~ん、あと思い出せないけど、そういうのが出てきてもいいのではないか。字幕で訳してないだけ?

「平凡パンチ 大橋歩表紙集」-大橋歩-

クリスマスプレゼント。
1964年から1971年まで、大橋歩が描いた平凡パンチ表紙をすべて収録した本。4分割とかせずに1ページごとに掲載されているのがうれしい。前にも書いたけれど、はじめの頃のアイビールックの男の子を描いたものが、やっぱり好き。描かれている題材や作風もあるけれど、それに加えてこの頃のイラストは、絵自体に勢いがあると思うし、1970年代から1980年代のイラストみたいに画面を塗りつぶしていないということではなく、どことなく隙間ががあるような気がします。なにげに「THE MAGAZINE FOR MEN」のサブタイトルや特集の文字の配置も工夫がしてあったり、特集自体も「カリフォルニア州知事になった俳優の評判=共和党の大統領候補ロナルド・リーガンという男」「クローズアップされた防衛問題=保守・革新の考え方」といった硬派なものから、「熱狂!ザ・ビートルズ帰る」「モッズ(おしゃれ)対ロッカーズ(かっぱ頭)“血の決闘騒ぎ”の真相=全英警察に非常警戒を布かせたイギリス」といったカルチャー、はたまた「20代未婚女性の“生活”レポート」「日本にもあったフリーセックスパーティ」など、「平凡パンチ」ならではというものが多くて見ても飽きません。「特集号・スカンジナビアのすべて」の一番目にくるのが「スウェーデンのポルノ編集部潜入ルポ」だったりするしね。
で、こういう本を読んで育った世代が今、セカンドライフとか言っちゃてるんだろうか、なんて思うと今の50歳以上をターゲットにしたファッション雑誌とぜんぜん変わっていないようで、なんだかなぁ、と思ったりもしますが‥‥。

「アイクラー・ホームズ―理想の住まいを探して」-J.ディットー、L.スターン、旦敬介-

モダンな外観と構造をもつ家族向け住宅を大量生産して、戦後のアメリカを一世風靡したアイクラー・ホームのモデルを100点以上収録した写真集。奥付を見るとこの日本語版が出たのは1999年だから、もう7年も経ってるんですね。この頃はまだ「Casa BRUTUS」とか買ってましたねぇ。いまさら買ってどうするの?という気持ちがないわけではないし、そもそもミッドセンチュリーの家具って、日本の賃貸住宅で暮らしているあいだは、場所をとりすぎるし、まわりとの調和も乱すし、実際には使えないものだと思っていて、そう思ったらなんだか興味が薄れてしまったのだけれど、やっぱりこういう写真を見ているのは楽しい。
こういう家に住んで、大きなステレオセットで、イノック・ライトやレス・ポールのレコードを聴くのはどうだろう。いや、ちょっと違うかな、もう少しヨーロッパよりの音楽の方が似合うかもしれない、なんてことをあれこれ考えていたら、MPSコンピ「SNOWFLAKES」を思い出した。
ジャズとイージーリスニングの中間、適度にメリハリのついたリズムと洗練されたサウンドが冬の始まりに心地よいコンピレーションで、前は1曲目のフランク・プレイヤー・オーケストラの「ノー・プロブレムズ・エニモア」のイントロを聞くだけでウキウキしたものです。ついでに今年の冬は、MPSを聴くことにしようと思って、MPSのCDをちょっと調べてみたら、アプレミディとかジャイルズ・ピーターソンなどのコンピくらいしかCDが出ていなくて、単独では、シタール人気のデイヴ・パイク・セット、ウォルフガング・ダウナー、ジャズコーラスの定番、シンガーズ・アンリミテッド、ノヴィ・シンガーズ、あとモンティ・アレキサンダー、オスカー・ピーターソン、ジム・ホール‥‥といったところ。もちろんイージーリスニング系のビッグ・バンドなんてのは出てません。やっぱりこういう音楽は、アナログ盤を買わなくちゃいけないわけだな、と。ふ~。

「アンデルさんの記」-獅子文六-

12月も半ばを過ぎて、今年ももうおしまい、という時期ですね。忘年会やらなんやらで飲みに行く機会が多かったりもするし、年末年始のお休みがひかえていたりするし、12月は短いなぁ、なんてつい思ったりもするけれど、よく考えたら、うちの会社のお休みは29日からなので、23日が土曜ということを考えると、12月のお休みは29日、一日しかなくて普通の月とぜんぜん変わりがない。いや11月よりも働いている日数は長い。う~ん。そういえば、秋の暖かい日に、中央線を八王子から下る古本屋ツアーとか早稲田の古本屋巡りをしようと思っていたのだけれど、秋どころか、今年中はもう無理そう。

そんなことを思いながら、土曜日の夜、友達のピンチヒッターでFLOWERSというバーでレコードをまわすために国立へ。駅を出たらいつもの駅舎がなくて、中央線のどこにでもあるような普通の駅になっていてちょっとびっくり。特にあの駅舎や国立という街に思い入れがあるわけでも、思い出があるわけでもないけれど、なんだか国立に来たという気がしない。後で話を聞いたら2、3日前に囲いがはずされて今の駅が出てきたとのこと。その何カ月前に旧駅舎の取り壊しがあってそのときはカメラを持った人たちがたくさん集まっていたらしいです。
イベントの方は、どんな曲がかかるのかはもちろん、ほかのDJの人たちもぜんぜん知らなくて、かなり不安ではあったのだけれど、みんないい人でよかった。3時閉店なのに近所の人たちがたくさん来ていて、こういう雰囲気の中でお酒を飲んだりレコードをまわしたりしていると、国立っていい街だなぁ、と思う。ちょっと遠いけど今度は普通に遊びに来ようかな、という気になりますね。ちなみにわたしはあいかわらず、ソフトロックとイージーリスニングばかりで持ち時間1時間押してしまいました。はっきり言って前回、下北のリボルバーでまわしていたときと曲順が変わっただけでほとんど選曲は変わらず。ちょっと申し訳ない。

「夜のティーパーティ」-津島祐子-

Heavenに遊びに行くのは何年ぶりか、2or3年ぶりくらいか。前回行ったときが思い出せないくらいなのだけれど、レギュラー最後と聴けば行くしかない。昼間ずっと降り続いていた雨も夜になってやんできたし、今日はたくさん人が来てるんだろうなぁ、なんて、年甲斐もなくちょっとわくわくしながら、毛糸の帽子に手袋をして寒さ対策ばっちりのかっこうで井の頭通りを自転車走らせて、久しぶりにDropの扉を開けたらメガネが曇って周りがまったく見えなくなってしまった。暑い‥‥店内に入ったときのことをまったく考えておらず‥‥。
で、よく考えてみたら、Heavenに毎月のように遊びに行っていたのは、1997年あたりのたった1年間くらいだけで、その頃はまだUKロックの新しいレコードを普通に追いかけていた頃だったし、20代後半だったし、ある意味最後の力を振り絞りつつ遊んでいたという感じの1年だったのかもしれない。「Heavenが青春でした」なんて言うほど若くはなかったけれど、Heavenで初めて聴いた曲も数知れないし、今でも聴いている曲もたくさんあります。でも、実を言うと曲なんてどうでもよくって、すみっこの椅子に座ってビールを飲みながら盛り上がっているフロアを眺めたり、ときどき混じってみたり、そこで知り合った友達としゃべったり‥‥そんなイベントの雰囲気が好きだったのだと思う。Uくんに「裏切りもの」と言われようとも、わたしはスペアミントの「A Week Away」よりも、その元ネタのフォー・トップスの「I Just Can’t Get You Out of My Mind」のほうが好きなのですよ。
それにしても先月はパレードが最後だったし、いつでも気が向いたときに気軽に遊びに行けるイベントがなくなってしまって寂しい。この歳になるともう新しいイベントに行く気力もないので、思いついたときに遊びに行くと、好きな音楽がかかっていて、誰かしら知っている人がいて‥‥というイベントはかなり貴重。なので、DJの皆さん長い間お疲れさまでした、と思う反面、またやってね、という気持ちも強いです。でも冬は寒いので春頃に‥‥。

「天下一品」-小島政二郎-

だんだん寒くなってきて、布団から出るのも、外に出るのも億劫になってきて、そんなことを思いつつ、一日を過ごしていると、まだなんにもしていないのにもう外は暗くなり始めて‥‥なんて季節になってしまってます。冬は空気がきれいなので、写真を撮るには絶好の季節と言うけれど、すぐに暗くなってしまうのでなんとなくカメラを持って出歩く気にもなれなくて、北海道に行ったときに取ったフィルムの残りがカメラに入ったまま、1カ月が過ぎてしまってます。実を言うと、北海道で撮った写真も現像が楽しみという感じでもなかったりして、昔だったらシャッターを押したときに「これはよく撮れただろう」という感触があったのものだけれど、そういうのが最近はまったくない。むしろ“なんか失敗したな”という気分ばかりが残ってしまってる感じです。困ったものだなぁ。
土曜日、映画を観るついでに寄った渋谷のデルフォニックスでは、「Camera People」の発売を記念した展覧会が開かれていて、そういえば、夏頃、写真を募集していてちょっと応募してみようかな、なんて思ったことを思い出しました。こうやってプロではない普通の人が撮った写真を見ていると、少しだけカメラ熱が再燃するのだけれど、写真とともにポラロイドカメラやオートハーフ、LOMOなど、今人気のあるカメラが売られていたりしているのをみたりすると、ちょっとどうなのかなぁ、とも思う。オートハーフ高すぎだし‥‥。
ついでにパルコミュージアムでやっていた「サンダーバード イン ジャパン」展も見て来ました。サンダーバードは、世代的にはわたしよりもう少し上の世代なので、わたしはリアルタイムで見たことはなくて、お兄さんがある友達の家に行くとおもちゃが置いてあって、それで遊んだ記憶があるくらい。あとは小松崎茂が書いたプラモデルの箱といったところ。サンダーバードに限らず1970年代くらいまでの子どもにとって、小松崎茂の絵の印象というか影響は大きい。先日まで逓信総合博物館ていぱーくでやっていた「ぼくらの小松崎茂展」も行きたかった‥‥。
ところで、この本の表紙を見たときに、「食いしん坊の記録」という副題とあってるし、文字とのバランスもいいし、いいなぁ、と思って、軽い気持ちで装丁を手がけた田代光という人を調べてみたら、“昭和の出版美術界、挿絵の世界において巨星と称される洋画家”とか小松崎茂が師事していたということなどが書かれていたりして、違う意味で驚いた。安藤鶴夫の「巷談本牧亭」の挿絵も手がけているらしい。本は中の文章だけ読んでいてもダメで、隅から隅までチェックすることで新しい発見に出会うのだな、とあらためて思います。