架空のインタビューで、どんなところで本を読むか、最近おすすめの本はなにか・・・・といった質問に片岡義男が答えるという形式で書かれているのだが、質問の内容があまりにも次の話題にうまく持っていくための導線になっているので、読んでいるとちょっと自己完結的な、白々しいような印象を受けてしまいます。前に読んだような気がするのは、この形式のせいなのか、それとも違う本に採録されているのを読んだのだろうか。調べてないのでわかりません。
年代的にいうとビートルズよりもプレスリーに一番影響を受けた世代ということと、子供の頃からアメリカの文化に直接触れてきたということからか、60年代のカルチャーに対して冷静に理論的に分析できるところが、私が思う片岡義男のよいところなのだけれど、インタビューという形式のために、その論理の流れがとぎれてしまっている気がします。本人は気楽に書けて楽しかったのかもしれませんが。あとやはり本をそのまま写真に撮るっていうのはねぇ、難しいですね。
そういえば先週、買い取りを始めることにしました。ページの方はトップページからリンクしていないのでわかりにくいですが、こちらになります。扱っている本のジャンルが限られているので、本をまとめて処分なんて時には買い取れないものが出てしまってあんまり役に立たないかもしれませんが、もし「これはもう読まないだろうなぁ」なんて本が何冊か本棚で眠っていましたら、ご連絡いただければと思います。
「礼儀作法入門」「居酒屋兆治」「血族」「家族」「人殺し」、そのほか競馬、将棋関連・・・・これらは、山口瞳の本で後回しにしようと思っているもので、前者はそのタイトルや映画のイメージが悪いのでちょっとさけているという感じで、後者はタイミングをみて(なんのタイミング?)ちゃんと気合い入れて読もうと思っているんだけれど、なかなか読むことができない状態。
稲垣達郎は1901年福井県生まれの。大学時代には同人誌に参加したり演劇活動を行っていたが、後に母校の早稲田大学にて教職に就き森鴎外を軸に日本近代文学についての研究を主に行った人。「作家の肖像」「夏目漱石」「森鴎外の歴史小説」などの著作、「森鴎外」「斉藤緑雨集」「近代文学評論大系」などの編著があります。
去年、発売されたときは「絶対に買わないぞ」と思っていた本。特集がいいといって雑誌やムック本を簡単に買っていると、いつのまにかそういう本がたまってしまって置き場に困ってしまうのが目に見えてるから。そうは思いつつも本屋で久しぶりに見かけたので、また立ち読みしていたら、山口瞳と木山捷平の対談が載っているではないですか。
庄野潤三の本は好きだけれどどうも読んでいると個人的につらい気分になるので、読まないようにしているのだが、帯に永井龍男の推薦文が書かれていたのを見てつい買ってしまった。
台風が近づいているせいで今週も週末は雨が降ったり止んだり、という天気。2日続けて近所から出ませんでした。
先日、特に目的もなく「吉田健一」や「永井龍男」「稲垣達郎」「小沼丹」といった作家の名前で検索しては、本の好きそうな人のホームページを眺めていたら、小西康陽が吉田健一について書いた文章が紹介されていて、それが「これは恋ではない」にも収録されていると書かれていた。「これは恋ではない」が出た頃は吉田健一の本なんて読もうとも思っていなかったから読み飛ばしていたんだろう。そして今となっては小西康陽の本なんて読み返すこともないので全然気がつかなかった。
台風が近づいてきているため、今週はどうやら雨降りの週末になりそうだったので、土曜日は、雨が降り出す午前中から自転車で荻窪に出て電車で高円寺へ。
ドイツ文学なんていままで興味を持ったことがなく、思い浮かぶ作家といえばトーマス・マンとかヘッセ、カフカなどの学校で代表作を覚えさせられそうな作家ばかり。現代の作家なんてほとんど知らない。あっケストナーは大好きですね。
ブローディガンの小説は短い文章の集まりからその隙間から浮かび上がってくるさまざまな解釈や想像が、人それぞれそして読むたびに違ってくるところが好き。この本もまたいつか読み返すときが来るだろう。何冊かあるブローディガンの本をいまだに手放せないのは、手に入りにくいせいもあるけれどそれが大きい。一度読んで読む直す本って実はそれほど多くなかったりするし・・・・。