ドイツ文学なんていままで興味を持ったことがなく、思い浮かぶ作家といえばトーマス・マンとかヘッセ、カフカなどの学校で代表作を覚えさせられそうな作家ばかり。現代の作家なんてほとんど知らない。あっケストナーは大好きですね。
かといって、フランス文学やイギリス文学に詳しいわけでもないんですけど、同じ知らない国の本だったらドイツよりもイタリアやスペイン、ポルトガルといった国のほうがおもしろいような気がしてしまう。それは多分私が思索とか哲学といった深く物事を考えるということに無縁だからか。
そんな私がドイツ文学者であり翻訳家、文筆家の高橋義孝の本を読んでいるのは、単に高橋義孝が山口瞳の師匠だから。この本の表紙を柳原良平が描いているのもそんなつながりからだろう。ちなみに高橋義孝の師匠は内田百閒、その師匠は夏目漱石なわけですが、高橋義孝としては、夏目漱石よりも森鴎外のほうを高く評価してるのがおもしろい。やはりイギリスよりもドイツなのですね。
そんなつながりは別として、高橋義孝のエッセイはおもしろい。靴はドイツの何処の靴しか履かない(日本で売ってないのでドイツに行ったとき買ってくる)、ネクタイはあれ、ボタンはこれ、下着はそれ、と洋服から食べ物、文房具、そして朝起きたとき顔を洗う順番まで決まっていて、それを絶対に守る頑固さ、自分がいいと思えるものは徹底的にほめ、ダメだと思うのはスパッと切り落とす潔さ、そしてドイツ文だけではない知識の豊富さなど、どの文章を読んでいても何かしら得るところがあるような気がする。
私などは、ときどきその頑固さや徹底ぶりに閉口することもありますけど・・・・。はっきり言って、こんな人の下で勉強するなんてことは私にはできません。