「箱根山」-獅子文六-

箱根の山を巡って道路や鉄道、バスなどの交通手段、旅館など観光客を目あてにした勢力争いを描いた、朝日新聞に連載され、後に川島雄三監督によって映画化された小説。はじめのシーンから大臣による反目しあう2つの会社の公聴会など、どこか緊張感を与えつつ、でもそういった争いの愚かさ、おかしさが随所に出てます。獅子文六のいかにも新聞小説、いかにも映画の原作(実際は小説があって映画化という順だけれど)といった感じがわりと好きだったりする。

さて、私の中では古本祭りが終わった11月に、代休を取って平日の神保町を散歩する、というのが定番になりつつあって、今年も先週の金曜日に代休を取ったので、さっそく神保町へ、と思ったのだけれど、あいにくの雨ふり。しかたがないので一日延期して土曜日に神保町を歩いてみました。
とはいうものの相変わらず古本屋ばかりで特に変わったことをしているわけでもなくて、たまにはスヰートポーツで水餃子でも、なんて思いつつも店の前の行列を見てあきらめて、適当な喫茶店でサンドウィッチを食べたりして。でもたまに神保町の古本屋に行くと、買えるかどうかは別として、普段見かけないような本が並んでいたりして楽しい。

帰りは渋谷に出て、こちらも久しぶりにハイファイレコードなんかに行ってみたりして、イージーリスニングものを試聴しまくり、Mike Melvoinの「between the two」を買う。この人のレコードはすでに一枚持っていて、こちらはドラムがハル・ブレインでした。ブラスが入った適度に軽快でダイナミックなピアノのイージーリスニングで、Mike Melvoinはピアノとオルガンを弾き分けています(といってもA面はピアノ、B面はオルガンなんだけど)。「98.6」や「Ruby Tuesday」などのカバーが収録されてます。

「交遊録」-吉田健一-

交友録というと、たとえば早稲田や東大仏文といった出身校、あるいは阿佐ヶ谷、鎌倉といった居住地、同人誌仲間・・・・など、ある特定のサークル内での交友が主なものになってきたりするものだけれど、吉田健一についてはそういうサークルがどうも思い浮かばない。友人は多そうだけれど、どうも“どこにも交わらない”といったイメージがあるのは、単なる私の知識不足に過ぎないのだろう。
ただこの本を読んでみても、そういうサークルと通じて知り合うというよりも、まずその人の著作を読んでいて、しかもそれに感銘を受けているという土台があって、その後、何かきっかけがあって個人的に酒を飲むようになったり、どこかに旅行に行ったりするようになった・・・・というつきあいが多いように思う。

そんな中でちょっと気になるのは、戦前~戦後にかけて英文学を学ぶ、研究するというのはどういうことだったのか、ということで、当時の作家・批評かといえば、今日出海、小林秀雄、三好達治、中島健蔵なども東大仏文卒とはじめとして、フランス文学を学ぶ、あるいは研究する人が圧倒的に多っかたのではないだろうか。なんて、すみません、単なるイメージだけです。
で、ほんとうは明治維新とイギリスのつながりや、鉄道のこと、日露戦争など歴史的な事項と照らし合わせながら英文学について書いてみようと思ったのだけれど、うまくまとまりそうもなく、かつ適当なことを書きそうなので割愛、そして今日はこれでおしまい。

「ヴォルフガング・ティルマンス写真集」

Taschen刊行の「Wolfgang Tillmans(1995)」と「Burg(1998)」の2冊を合本にしたお買い得な写真集。しかも2900円。先週、見に行った展覧会で見つけて、せっかくだからタワーブックスで買おうと思ったいたのだ。お得だけれど、表紙もそれほど厚くないし読んでいるうちにぼろぼろになりそうな気もする。

先週末に山口瞳の本を読んでネガティブなことを書いてしまったので、早く次の雑記を書こうと思っていたのだけれど、こういうときに限って今読んでいる本が吉田健一だったりして、なかなか読み終わらない。それから週末はわりと本の更新準備とかしてたりして雑記まで手が回らない、ということもある。冬を前にまたいろいろ部屋の片づけ(=レコード・本・雑誌の処分)もしなきゃけないしね。

そんなわけで土曜日は昼過ぎまで家で、ホコリにまみれてくしゃみを連発しながら部屋の片づけ、のあと、自転車で荻窪に行くというご近所散歩の定番コース。POMATOでひとりお茶してみたりする。ここはなにがいいというわけでもない普通の喫茶店なのだけれど、ひとりのときはなんとなくここに入ってしまう。まぁいつもならそのまま西荻や吉祥寺に出てしまうので、あんまり荻窪でお茶することもないのですが。
ついでに南口の通りにあるル・ジャルダン・ゴロワでカスタードケーキを購入。これまで店の前に人が並んでいるのと値段が高い(キッシュが一切れ500円前後、プリンでも250円)ので敬遠していたのですが、先日初めてキッシュとプリンを買ってみたらものすごくおいしかったので、人が並んでいなくて、そのまま家に帰るというときは、買っておこうと思ってる(そんなときはほとんどないのだけど)。クリームが山のようになったシュークリームを一度食べてみたい。でも自転車だと、途中でぜったい倒れそうなので怖くて買えません・・・・。

「湖沼学入門」-山口瞳-

東北に向かう電車の窓から一瞬見えた沼の風景にひかれて、あんなところでゆっくりと絵を描けたらいいな、と思ったことから実現した企画で、山口瞳とドスト氏こと関保寿が全国の沼、湖などを巡りつつ絵を描く様子を綴られていく。
といっても緑や水辺がきれいな場所でのんびりとカンバスに向かっている、なんて光景はまったくなく。目当ての場所は記憶と違ってコンクリートで固められていたり、前情報で得た風景とまったく違っていたり、雨が降り続いていたり、はたまたほかのメンバーも含め出発の何時間前まで飲み続けていて二日酔いのままだったり、38度の熱を出して朦朧としていたり、親友が亡くなったすぐ後だったり・・・・あげていくときりがないほどアクシデントに見舞われつつ、旅が過ぎてしまいます。それは同じような趣向の「迷惑旅行」や「酔いどれ紀行」などと同じですが・・・・
そして文中で何度も繰り返されるのは「どうしようもないこと」と「とりかえしのつかないこと」の2つ。自分ではこうしたいと思っているのに、人に気を遣うばかりに、そのときに状況に無理に応対してしまうために、結局、自分のことがめちゃくちゃになってしまう、そんな自分では「どうしようもないこと」に悩まされる様はこの本だけでなく、山口瞳の本全体をおおう灰色の雲のようでもあります。
そして、最後のほうでは、山口瞳は、同し年と分かった旅館のお内儀さんに酔っぱらいながらこう言います。「ねぇ、お内儀さん、こう思いませんか、私たちの齢になって何か失敗すると、それはもう取り返しのつかないことなんだって。それで、失敗は骨身にこたえるね」と。それを聞いたお内儀は「ほんとうに、そうです」と答えて、二人で笑って、その後泣くのです。

   重いね・・・・

30を過ぎた頃はこういう気持ちが分からなかった。でもだんだんと自分のまわりは「どうしようもないこと」ばかりになっていって、それを無理に何とかしようとすると「とりかえしのつかないこと」になってしまうのが実感として分かるような気がする。
もう失敗のやり直しもきかないし、すべてをなしにして新しく始めることなんてできない、と思う。誰も失敗を忘れてくれないし、新しいことは認めてくれない。けっして悲観しているわけではないけれど(してるのかな)、これからの人生そういうものに囲まれてどんどん自分の居場所が狭くなっていくのだろうな。なんてことを思いつつ通勤電車に揺られていたら駅に貼っている雑誌のポスターに「女は35から」と書かれてありました。そうなんですか?

「五代の民」-里見弴-

里見弴の随筆の言い放つような書き方が気に入っている。でも「極楽とんぼ」も「多情仏心」も「安城家の兄弟」も「善心悪心」も「今年竹」も「道元禅師の話」も読んでない私ですが・・・・。いったい私は里見弴のなにを読んでるのやら。結局なにをやるにも寄り道・回り道ばかりで・・・・

キープレフトからファイヤーキングのマグカップが送られてきた。10月に渋谷のパルコがリニューアルしたときに、行っていた雑貨プレゼントに当選したのです。プレゼントキャンペーンに当選するなんてほんとひさしぶり。最初にパルコから当選のお知らせが来たのだけれど、実際に商品が来るまで、ファイヤーキングのどのマグカップが当たったのか分からなかったので、箱を開けるまでちょっとドキドキしてしまった。で、中に入っていたのは緑色のKimberly Mug。持ってない形だったのでうれしい。さっそくそのマグにコーヒーをいれて飲んでみました。気がつけば我が家にファイヤーキングのマグが増えてきましたね。

「ジョン・クレアの詩集」-上林暁-

自分で言うのもなんだけれど、渋い本ばかり読んでるなぁ。というより執筆時の平均年齢が高すぎ!この本もあとがきで書かれているように上林暁の25冊目の本で60代後半、70歳目前の作品集です。いや単に若いときの本が見つからなかったり、見つかっても高かったりして手に入らないだけなんですけど。これらの本を読んでその作家の作風などが分かるかということについてはちょっと疑問。でもこの現役ではないリタイヤして肩の力が抜けた感じの文章が、今の私にとっては魅力的でもある。そういう意味では山口瞳は最後まで現役だったのですね。

今日は、初台のオペラシティで10月16日から行われているヴォルフガング・ティルマンス展に行って来ました。初日は本人によるトークショウが行われたこともあって、会場はかなり混み合っていたらしい。私の場合、この展覧会を知ったときには、すでに終わってました。残念、トークの内容(テキスト)は近日公開予定らしいので、ホームページを時々チェックするつもり。まぁテキスト読むんだったら雑誌のインタビュー読んでるのと変わらないわけだが・・・・。
額に入っているプリントももちろんあるし、プリントがそのままテープで貼られているものもあるし、プリンターでプリントアウトされたものあったり、壁の上の方に張られている写真があったりと、それぞれ一つ一つの写真をじっくりと見ていくというよりも会場全体で一つの雰囲気(というとちょっと安易な気もしますが・・・・)を作り出してる感じの展覧会だったので、今日も割と見に来ている人が多かったけれど、それほど気にならずにゆっくり見れました。

「歳月-安藤鶴夫随筆集」-安藤鶴夫-

安藤鶴夫は、芸能記者として都新聞、東京新聞などに文楽、落語、演劇評を執筆しながら、贔屓にしていた芸人についての芸談物を発表した作家で、講談師、桃川燕雄を主人公にした「巷談本牧亭」は、第50回の直木賞を受賞しています。私は落語などの下町の芸能についてぜんぜん詳しくないのだけれど、下町を中心とした東京についてのエッセイなどもいくつか出しているとのことだったので、いつか読んでみようと思ってました。まぁ一冊目としてはこんな文庫がいいんじゃないか、と。

この本ではテーマを「I.東京っ子として」「II.芸の人たち」「III.人との出会い」と3つに分けて幅広く安藤鶴夫の文章にふれられるようになっています。芸人や役者などについてのエッセイも、その書かれている人自身がおもしろいということもあって、知らなくてもおもしろいし、これをきっかけに調べてみたり、できることならCDやテープもちょっと聞いてみたいと思う(図書館とかにありそう?)。
ただしいろいろなテーマの中にそれに関するものが入っているという構成のせいで、いきなり「寄席紳士録」なんて読んだらつらいかもしれないけど。

「秋日和」-里見弴-

タイトルですぐに分かるように小津安二郎によって映画化された物語の原作。といっても、小津安二郎と里見弴が一緒にストーリーを考えた後、それぞれで小説化、映画化を行ったという話をどこかで読んだことがあります。
「秋日和」のほかに死んでしまった昔の親友の隠し子と実の息子が恋に落ちるのを止めようとする映画監督を描いた「ひと昔」や「藝者にでる」などの作品が収録されているのですが、どれも人情話というかちょっとした小話みたいなストーリーにもかかわらず、バタバタした感じがあまりなく穏やかな雰囲気の作品ばかりで、文字通り秋の晴れた日に喫茶店の窓際の席に座ってページをめくるにのにぴったりの本かもしれません。

さて、昨日は久しぶりに気持ちのよいお休みの日で、でも特に何をする、どこに行くというわけでもなかったのですが、午前中から窓を開けて、掃除をしたり、布団を干したり、洗濯したり、レコード聴いたり、ソファーで寝ころんだり、本を読んだり・・・・そんなことでもなんだか心地いい気分。そして秋のこういう日には、なぜかPLECTRUMの「THE ADVENTURE OF PONY RIDER」を聴きたくなってしまう。
PLECTRUMは、私にとってストレートな青春ギターバンド。このアルバムが出たときには私はもう20代後半だったせいもあり、ある意味ちょっと振り返るという意味で、そして自分がこういう音楽をよく聴いていた頃にはなかったまっすぐさや素直さを、そのまま奏でているような感じに惹かれてるのかもしれません。多分、10代の終わりとか20代のはじめだったらいいとは思えなかったと思う。同じような意味でArchの「In The Crosstown」やGomes The Hitmanの「weekend」もときどき続けて聴きたくなります。

「遥拝隊長・本日休診」-井伏鱒二-

初めての暗室作業。前に書いたように新しい写真を撮れなかったので、朝起きて古いモノクロ写真を探してみたのだが、ない。アルバムに入っているのはカラーばかり。結局10年近い前の写真を持っていく。
横浜の梅香亭や喫茶ブラジル、中華街の小さな店・・・・などが写っていて、梅香亭で食べたハヤシライスはおいしかったなとか、レジの前に座ってテレビを見ていたあのおばあさんはもう亡くなってるのかな、とかこの写真に写ってる幼稚園くらいの男の子も今では中学生か高校生くらいになっているのか・・・・なんて考えるとちょっと感慨深い。C35で撮ったらしく、ちゃんとピントが合ってないような気がするけれど、まぁよしとしよう。・・・・と軽い気持ちで写真美術館のアトリエへ行ったら、ほかの人は外国の写真とか飼っている猫の写真とかまさにお気に入りの写真を引き伸ばしたい!という感じでまいる。

まぁ引き延ばし自体は、2時間半という限られた時間ではあったけれど、楽しかった。モノクロだと色の濃さを変えることぐらいしかできませんが(ホントはもっといろいろできるのだろうけどね)、それでも上半分だけ明るめにして下半分暗めにしたりといろいろやってみることができました。今度はカラーで色合いとか微妙に変えてみたいですね。「フォトショップでやったらすぐじゃん」とも言えますけどね。

「灰皿妙」-永井龍男-

今日から11月3日まで、神保町で「神田古本まつり」。今日なんていい天気だったし比較的暖かかったし、神保町を歩いたらいい気分だっただろうなぁ、なんて思う。でも会社休んでまで行くほどでもないわけで・・・・。去年は曇り空の中、夕方から行ったにもかかわらずかなりの人混みだったので、今日あたりは平日でも初日だし人でいっぱいなのだろうか。行くとしたら土曜か水曜しかないのだけれど行けるかどうかは不明。ヴォルフガング・ティルマンスの写真展にも行きたいと思ってるし、部屋のプチ模様替えもしなくちゃいけないし(冬支度ともいう)・・・・。
ついでに3日からですが、横浜でも古書まつりをやっているみたいですね。でもこちらは有隣堂の地下一階のみです。伊勢佐木町といえば、以前雨の中歩いたときに、かなり寂しい感じの通りになっていたのにはびっくりしました。まぁもともとオデオンビル(だっけ?)なんて廃墟みたいな階があったりしてたけど、歩いていて欲しい本は見つからないし、雨は強くなってくるし、でも歩き始めたら桜木町まで歩かなくちゃいけないし(関内から伊勢佐木町通りを歩いて黄金町の近くに出て、桜木町で東横線に乗って帰ってきた)、いやな気分になりながら歩いた記憶があります。

前は「とりあえず永井龍男の本を買っておいて、読む本がなくなったときにでも読むことにしよう」と思っていた永井龍男の本もある程度本棚に増えてきたせいで最近はなかなか読んでいない本を見つけられなくなってきたような気がする。
これは山口瞳の本についても同じことが言えるのだが、二人とも、手頃な値段で売られていて、割合簡単に見つけられて、しかも著作が多いという読む方としては(言い方は悪いけど)便利でお得な作家だったので、こういう状態になるとちょっと寂しい。この二人ならもう一回読み直してもいいかもね。