交友録というと、たとえば早稲田や東大仏文といった出身校、あるいは阿佐ヶ谷、鎌倉といった居住地、同人誌仲間・・・・など、ある特定のサークル内での交友が主なものになってきたりするものだけれど、吉田健一についてはそういうサークルがどうも思い浮かばない。友人は多そうだけれど、どうも“どこにも交わらない”といったイメージがあるのは、単なる私の知識不足に過ぎないのだろう。
ただこの本を読んでみても、そういうサークルと通じて知り合うというよりも、まずその人の著作を読んでいて、しかもそれに感銘を受けているという土台があって、その後、何かきっかけがあって個人的に酒を飲むようになったり、どこかに旅行に行ったりするようになった・・・・というつきあいが多いように思う。
そんな中でちょっと気になるのは、戦前~戦後にかけて英文学を学ぶ、研究するというのはどういうことだったのか、ということで、当時の作家・批評かといえば、今日出海、小林秀雄、三好達治、中島健蔵なども東大仏文卒とはじめとして、フランス文学を学ぶ、あるいは研究する人が圧倒的に多っかたのではないだろうか。なんて、すみません、単なるイメージだけです。
で、ほんとうは明治維新とイギリスのつながりや、鉄道のこと、日露戦争など歴史的な事項と照らし合わせながら英文学について書いてみようと思ったのだけれど、うまくまとまりそうもなく、かつ適当なことを書きそうなので割愛、そして今日はこれでおしまい。