「前途」-庄野潤三-

一言でいうと“戦時下の青春日記”。
でも悲壮感や苦しみが描かれているわけではない。20代はじめのどの世代にも共通した無為の日々やいらだちみたいなものが、毎日、友達と自分の好きな作家などについて語り、本を貸し合い、同人誌の計画を立て、ビール園に飲みに行き、小旅行に行き・・・・といったどこか淡々とした日記から浮かび上がってくる。もちろん戦争との関わりはある。でもそれがどこか主人公の中で現実としてとらえられていないようなのだ。最後のほうで次々と周りの友達が戦争に行くのだけれど、それもそれほど切実さはなく、短い別れといった感じだ。

そんな風に書いてしまうと、太平洋戦争時に家を出てひとり暮らしをしながら大学で文学を勉強し、作家を目指したり、同人誌をつくったり、満州を旅行したりといった生活をしている人は、やはりある程度お金持ちで余裕があったのか、なんて勘ぐりたくなってしまうが、そうではなく、作者がそういうことを敢えてはずして、自分が作家になる前に感じたことを描こうとしているだけなのだろう。
それを文学としてどう評価するかはまた別の話。私は庄野潤三のそういうところが好きですけどね。最近すっかり使われなくなったような気がするモラトリアムという言葉を思い出したりしました。

「リリパット ヴァルター・トリーアの世界」-ヴァルター・トリーア-

ケストナーの「エミールと探偵たち」などの挿絵でおなじみのヴァルター・トリーア(ついくせでワルター・トリアーと言ってしまう)が、1937年から12年間約100冊、描き続けたイギリスの雑誌「Lilliput Magazine」の表紙を中心に、イラストや古い絵本を紹介した本。厚さはサイズ的には割と小さな本なのは、「Lilliput Magazine」自体もポケット・マガジンということなのでこのくらいのサイズだったのだろうか。個人的には「Lilliput Magazine」以外のイラストももっと掲載して、彼の仕事の全体がわかるような本が欲しいなぁと思う。ちゃんと洋書などを調べれば出ているのかもしれないけど。

20代の中頃、風呂なしの部屋でひとり暮らしをしていた頃、名前は忘れてしまったけれど、今で言うブックオフみたいな、でもそれほど大きくない古本屋が銭湯の近くにあって、よくお風呂に入った後とか寄っていたのですが、そこに岩波少年文庫が100円から300円くらいで並べてあって、懐かしさ半分にケストナーの本、ナルニア国ものがたりやドリトル先生のシリーズとか、E.L.カニグズバーグ、リンドグレーン、サン=テグジュペリ、ジュール・ヴェルヌ・・・・といった本をよく買ってました。なぜか外国の作家のものばかりなのは当時の私の趣味ですね。
ついでにいうと、トリーア(トリアー)についていろいろ調べてフリーペーパーに書いたりしたのも多分その頃のことで、何回かに分けて好きな挿絵家についてや日本の大正期の挿絵家について書いた。具体的にはなにを書いたかはすっかり忘れてしまったし、資料もまったく残ってないけれど、武井武雄のことなんかについて書いたんじゃないかな。なくなっていなければ押入の箱の中に今でも入っているはずです。でももう読み返すこともないでしょう。いろいろな意味で今だったら絶対書けないような文章だったりするような気もするし・・・・。いや若気の至りですね。

「井伏鱒二対談集」-井伏鱒二-

対談相手は、開高健、永井龍男、丸谷才一、河盛好蔵、尾崎一雄・・・・名前を眺めるだけでこの二人がどんな話をするのだろう、わくわくしてしまう人選は偶然と言うより必然か。でも井伏鱒二が開高健と対談して、一方で木山捷平が山口瞳と対談してる、だからどうということはないけれど、私としてはそこに何かを見つけたくなってしまうわけです。
なんて、期待をふくらませて読んでみても、対談の中で誰か「オレが品川の話をしてりゃ、おまえは日本橋の話をしやがる」と言っているように(誰だか忘れた)、お互いにかみ合っているのか合っていないのかよく分からない不思議な対談になっていって、よく言えば対談する二人の素が出ていると言えるのだが、とりとめがないといえばとりとめがない。一応テーマはあるんですけどね。
でも私たちが友達と話すときだってひとつのことを系統立てて、順番に、話しているわけではなく、相手が言ったことに対してなんとなく頭の中で思いついたこと言って、それに対してまた相手が頭に浮かんだことを言っているわけで、まぁそこまではひどくないけれど、雰囲気はそんな感じ。対談だからってなにも文学などについて改まって議論することもない。昔は酒を飲みながらとかすごかったんだろうけど。

「東京のうまいもの-散歩のとき何か食べたくなって」-池波正太郎-

こんな本を読んだせいで週末は浅草とかのんびり歩いてみたいなぁなんて思っていたら、熱を出して寝込んでしまいました。土曜の夜に雨の中、家に帰る途中、寒気がして歯がカタカタするのでおかしいと思っていたら、39度もあって、そのまま日曜、月曜と寝込むはめに。ちょっと目が覚めても寒気はとれないし、頭はガンガン痛いしで、横になっているとふと眠っているという状態。いつ取ろうか心待ちにしていた代休を無駄にとってしまいました。しかもあとでニュースを見たら日曜はものすごく晴れていて夏日だったとか。
そしてこういうときに限ってミオ犬が長崎に帰省していたりするので、月曜の夜には、台所は洗い物でいっぱい、洗濯物はたまってる、部屋はなんだか汚い、とまさにひとり暮らし。せめてもの救いは土曜日になぜかそばとヨーグルト、フルーツセリーを買っておいたことで、それがなかったらチョコレートとクッキーしか食べるものなかったですよ。ひとり暮らしをしていたときに喘息の発作が出たときをちょっと思い出しました。

というわけで、浅草散歩はちょっとおあずけ。年が明ける前に機会を作ってちょっとふらふらしたいと思ってます。それまでにちゃんと散歩コースを考えておきます。それで満足してしまってけっきょく行けなかったりすることもあるんですけどね。

「山椒魚」-井伏鱒二-

この作品の題名を初めて目にしたのは、おそらく中学くらいの国語の授業だったような気がする。でもまさか自分が読むなんてことは想像もしてなかったね。この作品に限らず井伏鱒二の作品は、10代の頃に読む本ではないような気がするな。

名作とか名著とか呼ばれている本は、当然、それ一冊だけ読んでもおもしろくて、感動したり、考えさせられたりするのだろうけれど、結局はそれは“点”でしかなくて、“線”にはならなくて、その本を起点とした縦の線(作者がどのような作家に影響を受けてきてどのような作品の変遷をたどってその作品を書き、その後の人にどのような影響を与えたのか・・・・など)と、横の線(同時代の作家にどのような人がいて、どのような考え方があって・・・・など)が繋がっていくことで、そのおもしろさが広がっていくわけで、「ロング・バケーション」だけ聴いても大滝詠一のすごさは分からないのと同じ、なんてすぐに自分の興味のあるほうに持って行きつつ、実際は音楽でも映画でも美術でも文学でもそれは変わらなくて、こんなことを書いていると、読まなくちゃいけない本がたくさんあるのに、そんな作者をたどっていって、その作者の駄作まで読まなくちゃいけないのか、なんて思われそうだけれど、それは文学がただの楽しみや趣味ではなく、教養みたいなものと結びついてしまっているから、名作と呼ばれる本を読まされることを強要されてしまうのがいけなくて、別に趣味と考えれば自分にとってつまらない本は読まなければいいだけの話であって、なんで明治以降の作家の小説が教養みたいなものになってしまったのか、それはいつからなのかよくわからないけれど、確かに言葉を覚えるという意味では「まずは本を読もう」という考えは分かるけれど、少なくともその時代ではその作品はただの新刊であって、そういった教養とは結びついていなかったはずで、よく分からないけれど、その作品が名作をしてピックアップされる段階において、意図的ななにかがあったのではないか、なんてことを考えてしまうのは私だけなのだろうか、実際、毎日のように酒を飲んでけんかをしたり、酒に溺れたり、薬に走ったり、愛人を自殺したり・・・・といった人たちの文章を普通に教養として受け入れて、それを読んでいない人はダメみたいな感じにいる世の中がなんとなくおかしくて、変な感じがするわけで・・・・

・・・・なんてことをこの「山椒魚」を読みながらぼんやりと考えていたのだけれど、考えがまとまらなかったのでそのままだらだらと書いてみた。

「ku:nel」(Vol.11/2005.1.1)

まず昨日書き忘れたことから。以前、この日記で山口瞳と永井龍男の2二人に接点はなかったのだろうかということを書いた。2人は同時期に鎌倉に住んでいたようだし、お互いの文章を読んでいると川端康成など同じ人物と交流があったことが書いている。加えて山口瞳は戦後の鎌倉アカデミア出身だし、永井龍男も鎌倉アカデミアには関わっていた、といった理由からそういうことを思ったのだが、その日記を書いた後にそれを見た人からメールが来て、永井龍男の全集に添えられた冊子に山口瞳が寄稿していて、永井龍男と2度会ったことや怖い・厳しいイメージがあったといったことが書いてあるとのこと。
どちらも仕事上だったようで、個人的なつながりはなかったようだけれど、山口瞳が永井龍男について書いていたというだけで、ちょっとワクワクしたりして、全集に添えられた冊子なんて、単行本などに収録されないだろうし、手に入れることはないだろうとあきらめていました。ところが「新装版 諸君!この人生、大変なんだ」に収録されていたのです。内容はほとんどメールで教えてもらっていたので驚くようなことは書いていないけれど、やっぱりうれしい。つい何度も読み返したりしてます。

さて、「ku:nel」。先週からタワーレコードでダブルポイントキャンペーンをやっているので、せっかくなのでわざわざ渋谷のタワレコまで行って、「ku:nel」とCDを入れるビニールのケースを買って、ついでにいろいろ試聴してみました。ここずっと打ち込みものに興味があるのだけれど、ブレイクビーツとかハウスとか、エレクトロニカとかなんだかぜんぜん分からず。かといって、雑誌など調べる気もないので、ジャケ買いや店員の説明書きを読んで買ってみても、どうも「これ!」というものに出会う確率が低いので、最近はこまめにタワレコとかHMVに行って試聴したり、中古で買うときも試聴できるお店でちゃんと調べてから買うようにしているのです。
そんなわけで2階をうろうろしながらCDを眺めつつ、目に入った「日本人初のニンジャチューンからのリリース」なんて言葉にひかれてRainstick Orchestraを聴いてみる。よく分からないけど、生楽器の響きとエレクトロニクス(コンピュータ)がうまく絡んだ静かで暖かい感じの音楽。「正直言うとこういう音楽っていいんだけど、部屋の掃除しながら聴くわけにもいかないしなんとなくいつ聴いていいのかわからないんだよなぁ」なんて思いながら帯の説明と読んでみたら、「角田縛と田中直道によるユニット」って。前の会社のマックルームにいた角田君じゃないですか!びっくりです。

「新装版 諸君!この人生、大変なんだ」-山口瞳-

この本も山口瞳の中ではちょっと敬遠してました。それなのにちょっと読み始めたら止まらなくなってしまった。いちいちうなずきながら読んでしまうのは、多分、これまで山口瞳の本を読んできて、彼がどんな葛藤を抱えていたのか、どんな風に自分の仕事を行ってきたのか、どんなに自分の周りの人たちを大切にしてつきあってきたのか・・・・など断片的、表面的かもしれないけれど分かってきたからで、これをはじめの頃に読んでいたらこんなに素直に受け入れられなかったのではないかと思う。単に私が歳をとって少しでも「この人生、大変なんだ」と思えるようになってきただけかもしれないけど。確かにこれを20代はじめに読んでも全然実感わかなかっただろうしね。
特にはじめに掲載されているサントリーの広告の文章は、押しつけがましくなく、嫌みでもない適度な含蓄を含んだ内容と自分の経験、そしてユーモアの味付けが絶妙で、読む人はつい納得し、うなずいてしまうのではないか。なんて思うのも・・・・。

で、話が変わりますが、週末、国立に住んでいる友達の結婚パーティがありました。その友達は、多分10年以上国立に住んでいて、週末には近くの飲み屋でDJをやったり、多分DJをやらないときもそこで酒を飲んだり、フリーの人なので昼間は街を歩いたり・・・しているのだろう。パーティもその飲み屋で行われて、その飲み屋の常連の人や奥さんが働いているTSUTAYAの仲間が出席したりしていてほんとに国立に根をおろしてるんだなぁ、という感じ。別の意味で「それでいいですか」とつっこむところ満載の人ではあるんですけどね。

いや、この人生、大変なんだよ。きっと。

「かきつばた・無心状」-井伏鱒二-

「無心状」については、ちょっと前に単行本で読んだのでここにも書きましたが、ここに収録されている作品とそれほど重なっているわけではない。解説を小沼丹が書いているというだけで私にとってはうれしい。積極的に探しているわけではなかったせいもあり、なかなか手に入れない「清水町先生」を早く読みたくなりました。

その解説で言及されているように、太宰治の死について書かれた「おんなごころ」が出色。これを読んでいると、気の弱い優しい青年という太宰治像が浮かび上がってきます。30代になって太宰を読むってのもどうかと思うので、実際に作品を読むことはないと思うけど。私は高校の時に学校で「人間失格」の感想文を書かされて以来、どうも太宰治を好きになれないのだ。ほかの作品は、井伏鱒二らしく飄々とした雰囲気の随筆なのかフィクションなのかよくつかめない作品が並んでます。戦争時の、しかも従軍の話でさえ、どこかユーモアが漂っているところがこの人のすごいところ、というか持って生まれた人柄なのか。わかりませんが・・・・。

「阿佐ヶ谷日記」-外村繁-

昭和32年末に上顎腫瘍が発見され癌と診断され、昭和35年には妻てい子が乳癌の手術を受けるという夫婦そろって癌におかされてしまう状況で、庭の自然の移ろいや、前妻との五人の子供達のこと、老いた母のことなどを綴った日記。昭和35年9月から昭和36年7月まで週一回、「化学時評」に連載された。
外村繁は昭和36年7月28日永眠なので、死の直前まで執筆が続き、しかも日記の最後の日付である昭和36年7月6日には、その回分だけは末尾に(つづく)とカッコ書きされているのがなんだか痛ましい。この号の後、「暫く休みたい」という連絡があったとのこと。またてい子は、夫を追うようにしてその4ヵ月後の11月26日に亡くなっている。

外村繁が「阿佐ヶ谷日記」という本を出していることを知ったときは、こんな本だとはぜんぜん思っていなくて、井伏鱒二の「荻窪風土記」のような、阿佐ヶ谷文士の交友録、回想録みたいなものが中心に描かれていると思ってました。これはこれで興味深いけれど、先の「ペンの散歩」と同じく、さすがにこういう心境に共感するという気持ちには、まだまだなっていない。20年後、30年後に読んだらまた違う気持ちになれるのかもしれない。その頃までこの本を持ち続けているかどうかは不明ですけどね・・・・。

まだまだ勉強不足で著作を1冊も読んでいない人ももちろんたくさんいるけれど、なんとなく出てくる作家が分かるようになってきたせいで、最近、少しずつ作家の回想録を読むのが楽しくなってきた。交友録に出てくる人というのは、基本的には大きく分けて師弟関係の人、同人誌仲間、同じ学校に通っていた人の3つになると思う。そしてなにかある度に酒を飲んだり、議論を戦わせたり、愚痴を言ったりしている。
そうした行き来や交流に関しては、良い面も悪い面もあるだろうけれど、同人誌仲間の作品を直接読んで同じ誌面に載せるというや、師匠の作家のそばにいてその人を直接見ることで、それぞれが切磋琢磨されていったのだろう。仲間であると同時にライバルでもあっただろうし。

「ペンの散歩」-尾崎一雄-

昭和50年から52年にかけて書かれた下曽我での身辺雑記。
私は小学校から大学まで二宮に住んでいたので、ここで書かれている土地とは近いのだけれど、行ったことはない。曽我といえば梅林が有名だけれど、若いときはそんなものには興味ないし(今でもないけど)、作家にまつわる場所を巡るような趣味もない。でも高校の時、図書委員だったのだが、平塚-大磯-二宮-小田原に関係の深い文学者の旧家や記念碑、お墓などを取材して、神奈川新聞に連載したことがあったっけ。ぜんぜん興味がなくてほとんど書かなかったし、どこに行ったのかも忘れたけど・・・・。

話をちょっと戻すと、私が小学校に入ったのは昭和51年なので、二宮に行ったばかりの頃にこれが書かれていたと思うと、ちょっと感慨深い。今もそれほど発展しているというわけではないけど、その頃の二宮はほんと田舎で、道も近くのトンネルも舗装されていなくて、家もまだそんなになくて、古い農家が散在していたり、道からちょっと入ったところには普通に牛が飼育されていたり、田圃が広がっていたりしていて、横に小さな川が流れているような砂利道を歩いて学校へ行ってました。さすがに普通の教室としては使われていなかったけれど、木造の校舎がまだありましたね。いや、横浜から引っ越してきた私としては、ホント「なんて田舎に来ちゃったんだ」と思ったものです。
そんな風景が思い浮かんできたりしつつ、そういえば、箱根、曽我と偶然にも神奈川の西のほうが続いたな、なんて気がついたり。書くと長くなってしまうので書きませんが、神奈川も狭いのにそれぞれの土地の文化圏が違うし、ある意味政治的な思わくがあったりするので、なかなか難しいわけです。