「3ガ日の、雪の降るような冷え込む夜には、随分遠くから横須賀線の踏切の警鐘が聞こえてくる。ああ、あそこの踏切だろうと思うと、闇の中に真っ直ぐ線路が見えてくる。どこかへ出かけるつもりになれば、まだどこへだって行けるのだなと思ったりすることもある」
という表題の中に出てくる文章がいい。
永井龍男、77歳の随筆集。77歳の言葉だけに実感が伝わってきます。内容としては、ほかの雑文集と同じように、鎌倉で暮らす自身の身辺や昔からの交友関係を綴ったものや、菊池寛についてなどについて書かれた文章が収録されています。なかでも東京の魚河岸に関する歴史について書かれた「魚河岸春夏秋冬」は、ページ数も多くまとまっていて読み応えがあります。でも個人的にはやはり「吉田健一君のこと」が引っかかってしまうわけなんですが・・・・。(目次にこのタイトルを発見して思わず購入してしまった)
永井龍男は、作家として独立したのが遅かったせいなのか、若いときに代表作というものを出さなかったせいなのか、昔の友人たちやよく通った飲み屋などが書かれている雑文集でも、それほど隠居生活という感じが強くないと思う。これが尾崎一雄とかだったら曽我の隠居生活雑記だったりするし、里見弴だったら鎌倉、あるいは軽井沢の隠居生活雑記のように感じられてしまう。というのは、単に私の認識や印象などの問題なのだろうか。
雑文として読みやすい、ある種軽やか文章で書かれているにもかかわらず、書くことに対する真剣さ、妥協のなさが伝わってくるからなのではないかと勝手に考えたりして、そして、この辺のストイックさが山口瞳に恐れられていたところではなかったか、なんてまた妄想だけが一人歩きをし始めてしまったりして・・・・。
一言でいうと“戦時下の青春日記”。
ケストナーの「エミールと探偵たち」などの挿絵でおなじみのヴァルター・トリーア(ついくせでワルター・トリアーと言ってしまう)が、1937年から12年間約100冊、描き続けたイギリスの雑誌「Lilliput Magazine」の表紙を中心に、イラストや古い絵本を紹介した本。厚さはサイズ的には割と小さな本なのは、「Lilliput Magazine」自体もポケット・マガジンということなのでこのくらいのサイズだったのだろうか。個人的には「Lilliput Magazine」以外のイラストももっと掲載して、彼の仕事の全体がわかるような本が欲しいなぁと思う。ちゃんと洋書などを調べれば出ているのかもしれないけど。
対談相手は、開高健、永井龍男、丸谷才一、河盛好蔵、尾崎一雄・・・・名前を眺めるだけでこの二人がどんな話をするのだろう、わくわくしてしまう人選は偶然と言うより必然か。でも井伏鱒二が開高健と対談して、一方で木山捷平が山口瞳と対談してる、だからどうということはないけれど、私としてはそこに何かを見つけたくなってしまうわけです。
こんな本を読んだせいで週末は浅草とかのんびり歩いてみたいなぁなんて思っていたら、熱を出して寝込んでしまいました。土曜の夜に雨の中、家に帰る途中、寒気がして歯がカタカタするのでおかしいと思っていたら、39度もあって、そのまま日曜、月曜と寝込むはめに。ちょっと目が覚めても寒気はとれないし、頭はガンガン痛いしで、横になっているとふと眠っているという状態。いつ取ろうか心待ちにしていた代休を無駄にとってしまいました。しかもあとでニュースを見たら日曜はものすごく晴れていて夏日だったとか。
この作品の題名を初めて目にしたのは、おそらく中学くらいの国語の授業だったような気がする。でもまさか自分が読むなんてことは想像もしてなかったね。この作品に限らず井伏鱒二の作品は、10代の頃に読む本ではないような気がするな。
まず昨日書き忘れたことから。以前、この日記で山口瞳と永井龍男の2二人に接点はなかったのだろうかということを書いた。2人は同時期に鎌倉に住んでいたようだし、お互いの文章を読んでいると川端康成など同じ人物と交流があったことが書いている。加えて山口瞳は戦後の鎌倉アカデミア出身だし、永井龍男も鎌倉アカデミアには関わっていた、といった理由からそういうことを思ったのだが、その日記を書いた後にそれを見た人からメールが来て、永井龍男の全集に添えられた冊子に山口瞳が寄稿していて、永井龍男と2度会ったことや怖い・厳しいイメージがあったといったことが書いてあるとのこと。
この本も山口瞳の中ではちょっと敬遠してました。それなのにちょっと読み始めたら止まらなくなってしまった。いちいちうなずきながら読んでしまうのは、多分、これまで山口瞳の本を読んできて、彼がどんな葛藤を抱えていたのか、どんな風に自分の仕事を行ってきたのか、どんなに自分の周りの人たちを大切にしてつきあってきたのか・・・・など断片的、表面的かもしれないけれど分かってきたからで、これをはじめの頃に読んでいたらこんなに素直に受け入れられなかったのではないかと思う。単に私が歳をとって少しでも「この人生、大変なんだ」と思えるようになってきただけかもしれないけど。確かにこれを20代はじめに読んでも全然実感わかなかっただろうしね。
「無心状」については、ちょっと前に単行本で読んだのでここにも書きましたが、ここに収録されている作品とそれほど重なっているわけではない。解説を小沼丹が書いているというだけで私にとってはうれしい。積極的に探しているわけではなかったせいもあり、なかなか手に入れない「清水町先生」を早く読みたくなりました。
昭和32年末に上顎腫瘍が発見され癌と診断され、昭和35年には妻てい子が乳癌の手術を受けるという夫婦そろって癌におかされてしまう状況で、庭の自然の移ろいや、前妻との五人の子供達のこと、老いた母のことなどを綴った日記。昭和35年9月から昭和36年7月まで週一回、「化学時評」に連載された。