「旅のカケラ-パリ・コラージュ」もうそうですが、パリってフォトジェニックな街なのだなぁ、と思う。「旅のカケラ」では、看板や標識、マンホールなど、ミニマムな視点で撮り集めた写真がおもしろかったし、こちらは通りや建物を大きく捕らえたパノラマ写真が楽しい。このほかにもちょっと視点を変えれば、もっといろいろな写真を撮ることができるかもしれない。私は特にフランスかぶれというわけでもないし、パリに行ったこともないし、近いうちにパリに行くという予定もないので、観光案内というよりも写真集として楽しめるかどうかが、買うかどうかの基準となるのだけれど、そういう基準で選んでもパリのガイドブック(?)はおもしろいものが多いような気がします。意外と写真がおもしろいアメリカの本ってないような気がします。やはり街の写真といえば、ヨーロッパなのだろうか。よくわかりませんが。別に街にこだわっているわけでもないんですけど・・・・。
ところでいつの間にかパノラマ写真ってなくなってしまいましたが、パノラマ写真が流行っていたのはいつ頃だろう?私は、昔から古いカメラばっかり使っていたので、パノラマの撮れるカメラを持っていなかったけれど、、写真屋さんにフィルムを持っていくと必ず「パノラマ写真は入っていますか?」って聞かれたし、小型のカメラにはたいていパノラマと普通の大きさとの切り替えがついていたような気がする。あれって結局フィルムの上下を切って写したものを大きなサイズで現像するから、現像代が高いんですよね。当時バイト先の仲間、10何人でバーベキューをしたときに、友達がパノラマで写真を撮りまくっていて、後で焼き増ししたら、ものすごい値段になってしまっていたのを思い出します。
この本に載っているパノラマ写真は、それとは違い、普通の写真をつぎはぎした形で、ところどころずれたりしていて、好みもあるだろうけれど、私は雰囲気が出ていていいと思う。ただちょっと素人っぽい。でもそれはこの本に限ったことではなく、最近の本――特にこういう旅行関係の本――は、「プロが撮った写真」というのが少なくなってきたよう思います。実際このくらいの写真なら、私でも何回か、あるいは何日かパリで過ごしたら、撮れるんじゃないだろうかという気がしてしまいます。それを“味”と取るか単なる手抜きと取るかは、それぞれなんでしょうけど、それならば、プロがちゃんと撮ったスナップ風の写真を載せるべきで、これが許されるのは、DTPが普及したせいなのか、それとも単なる不景気で予算が取れないだけなのか。イラストなどと違って、写真はカメラさえあれば誰でも撮れるものだからこそこだわって欲しいです。
ただそういうことを抜きにして、久々に切りあわせのパノラマ写真を見て、今度自分でもやってみようかな、と思ってます。
いつか大正・昭和初期の文壇における学閥(というのかな)について――具体的に書くとまずは早稲田、慶応から、――きちんと調べてみたいと思っている。思いつくままに簡単に書くと、早稲田は、横光利一、正宗白鳥、井伏鱒二、尾崎一雄、広津和郎、小沼丹・・・・あと個人的には、稲垣達郎とか岩本素白も入れたいところ。それから慶応では、小島政二郎、久保田万太郎、池田弥三郎、戸板康二、そしてこの水上瀧太郎などがあげられると思う。早稲田、慶応のほかに、東大仏文というのも気にはなっている。といっても、太宰治とか芥川龍之介、山田稔、澁澤龍彦、大江健三郎くらいしか思い浮かばないが。しかもあまり脈絡がない。
講談社文芸文庫のいいところは、巻末に年表と作品の一覧が載っていることで、この本でも、生涯に20以上の長編、300以上の短編、そして随筆や紀行文など、膨大な作品を残したという里見弴の作品がリストアップされていて、それを眺めるだけでもなんとなく楽しい。といっても手に入れられるのはその中のほんの少しだけですけど。ついでにアマゾンで里見弴の作品を検索してみたら「極楽とんぼ」「道元禅師の話」「多情仏心」「善心悪心―他三編」「文章の話」「安城家の兄弟」「今年竹」「里見弴随筆集」「桐畑」「雑記帖」「秋日和・彼岸花」と、この「初舞台・彼岸花」が表示されました。12冊、これを多い見るか、少ないと見るか。
切手収集というのは、子どもの頃誰もが一度は夢中になるものなのでしょうか。私は集めたことのがないので分かりません。子どもの頃、集めていたものといえば、キーホルダーと切符くらいかな。キーホルダーは遠足や旅行に行ったときに必ず買ってましたね。特になにかに付ける、といったことをしていなかったので、ただ厚紙の箱に入れっぱなしで、たまってくると金属なのでその箱が重くなってしまって、持ち上げたら底が抜けたのを覚えてます。
荻窪にあるあるアパートの主人が死んで、小学生の男の子がひとり取り残された。主人と親しかった主人公は。部屋代を踏み倒して逃げた人たちから勘定を取り立てるため、昔の恋人に慰謝料を請求する年増美人と一緒に、岩国、下関、福岡、尾道、福山と集金旅行に出る・・・・という話。
雑誌「あまカラ」のせいで、なんとなく小島政二郎というと食べ物に詳しい、食通というイメージがあるけれど、久米正雄に「小島なんか、鼻ッつまりじゃないか。鼻ッつまりに、物のうまいまずいが分かってたまるものか」なんて言われていたとは。とはいうものの、日本のあちらこちら出かけていっておいしいものを求めるさまを読んでいると、ほんとうにたべることがすきなのだなぁ、と思う。もちろん“好き”なだけではないのだろうけれど・・・・。今の世の中なんて小島政二郎に言わせれば、まずい食材に過度に人工的な手を加えたどうしようもないものばかり、ということになるのだろうか。いや、食べ物だけでなく、空気までまずいと言われそう。
3月になっても寒い日が続いていて、なかなか春らしい暖かい日は来ない。しかも今日の夜から明日にかけては雪が降るらしい。まだ外は薄日が差しているという感じだけれど、どうなのだろう。
うちにある2つのカフェオレボウルは、ほとんどカフェオレを飲むときに使われることはなくて、おもにはスープやごはん、あるいはちょっとしたお総菜などをよそうのに使われているのだけれど、そういった用途としても機会が、出会いがあれば、いい感じのボウルがあるといいな、なんて思っていたところ、先日、吉祥寺のギャラリー・フェブでこの本の出版記念イベント「フランスのボウルと小さな物産展」が開かれていたので、それほど期待もせずに行って、模様や形に工夫を凝らしたいくつものカフェオレボウルが、棚や階段に並べられているのを見ていたら、なんだか新しいボウルが欲しい気分になってしまい、とりあえず本を購入。実際は、どこにでも置いてあるものでもないので、ゆっくり探せばいいなぁ、と思ってます。
小島政二郎がまだ作家として独り立ちする前、“眼中の人”である菊池寛、芥川龍之介との交流をとおして、自己を見つめ作家をして目覚めてゆく過程を描き、また菊池、芥川だけでなくさまざまな作家が登場し、大正の文壇を知るうえでも興味深い作品。
2月9日に「ちょっと厚い単行本を読んでいるので・・・・」と書いた本。「随筆 てんわやんわ」「随筆 山の手の子」「へなへな随筆」「あちら話こちら話」「遊べ遊べ」「東京の悪口」「その辺まで」といった獅子文六の随筆が7冊分収録されています。これで500円は安すぎる!