「動きの中の思索―カール・ゲルストナー」展@ギンザ・グラフィック・ギャラリー

928-a12月に獅子文六展に行く前にギンザ・グラフィック・ギャラリーでやっている「動きの中の思索―カール・ゲルストナー」展に行ってきたので備忘録として。
カール・ゲルストナーは、スイス航空のCIやフォルクスワーゲン、シェル石油のロゴタイプなどを手掛けたことで知られるスイスを代表するグラフィックデザイナー。医薬品メーカーのガイギー社のデザインチームで、同社の広告を多数手がけた後、1959年にコピーライター兼編集者のマルクス・クッターと広告代理店「ゲルストナー+クッター」を設立、1970年からは同社を離れてからはよりアートな活動をしています。基礎理論を近代的なグラフィックデザインの手法に展開し、27歳で「冷たい芸術? Kalte Kunst?」、30歳で「デザイ二ング・プログラム」、その後も「色の形―視覚的要素の相互作用」といった著作を出している理論家でもあるそう。

928-b今回の展覧会では、ガイギー社に在籍していた頃のものからデザインと並行して取り組んだアート作品まで、広告デザイン25点、傑作ポスター9点などを展示しています。広告やポスターはマルクス・クッターのコピーと写真をうまく配置し、一見するとすごく洗練されたデザインだけれど、コピーの翻訳と合わせてみるとどこかユーモアもあって、広告デザインの見本のような作品ばかりでした。地下に展示されているアート作品のほうは、広告などでのタイポグラフィーの構成をより進めたもので、なんとなく北園克衛のコンクリート・ポエトリーを思い浮かべてしまったけど、たぶん、両者の関連性はないと思います。
こういうのを見ると、ついアイデアを拝借してショップカードとか作ってみちゃおうかななどと思ってしまうのは渋谷系育ちだからでしょうかね。まぁ実際にはデザインセンスがないので「なんかぜんぜん違う!」ってものにしかならないのが哀しい‥‥

928-cそんなわけで、久しぶりに「構成的ポスターの研究―バウハウスからスイス派の巨匠へ」を眺めてみたりしてます。この本は多摩美術大学ポスター共同研究会によるもので、デザインの研究に主眼をおいているので、デザインの理論的なところは読んでも理解できないんですけど、作家の紹介部分を読みつつ、ポスターの写真を見ているだけでも楽しい。この本を買ったくらいに、「Karl Gerstner: Review of 5 X 10 Years of Graphic Design Etc.」というカール・ゲルストナーの作品集も出ていて、よくリブロや青山ブックセンターでいつか買おうと思いながら立ち読みしてたことを思い出したりしました。
結局、その本は買ってはないんですが、そういう風に本を手に取れる場所があるってことは大事だと思う。アマゾンとかで欲しいものリストに入れておいても、買おうって気持ちが盛り上がらなくて、放置状態になっちゃうんですよね。なので、復活した渋谷のパルコにパルコブックセンター/ロゴスが入らなかったのは寂しい。今では渋谷なんてそんなに行かないけどね!
そういう意味では、子どもが生まれた後の本の情報源として、立川のオリオン・パピルスの存在は大きかった。武蔵小金井に引っ越してきてしばらく経って、吉祥寺より立川に行くことが多くなった頃、よく夫婦で順番に子どもたちに絵本の読み聞かせをしつつ、空いたほうが、自分の興味のある本を探したりしてました。子どもたちが大きくなって、本屋行くと2時間くらい児童書コーナーを行ったり来たりしているのを見ていると、今、オリオン・パピルスがあったら‥‥と思ってしまいます。実際には、売り場面積も広いし児童書も多いので、「オリオン・パピルスよりジュンク堂に行きたい!」って言われそうだけれど‥‥

「没後50年 獅子文六展」@県立神奈川近代文学館

926-a12月になってちょっと自由な時間ができたので、小雨の降る中、横浜まで「没後50年 獅子文六展」を見に行ってきました。初日ということもあり、獅子文六は根強いファンも多そうだし、会場が混みあってたらどうしよう、などと、10年以上ぶりに元町を歩きながら思っていたのですが、まぁそんなこともなく、ゆっくり見れました。

展示内容としては、直筆の原稿や当時の写真、書簡、作品の説明などを中心に、実際のものを展示しつつ、獅子文六の足跡をたどりなおすという作家の展覧会としてはシンプルな構成。奇をてらったような展示の仕方などもなく、全体としては今まで随筆などで読んだ内容をじっくり確認するという感じ。
個人的には、獅子文六が演劇を見た時やアイデアを残したメモが興味深かったです。思い込みもあるけれど、獅子文六のパリ時代ってのんびりとしたモラトリアム的な雰囲気で、それほどお金にも困ってないし、パリのさまざまな文化にふれて楽しんでいただけと思っていましたが、連日のように演劇を見て、それを事細かにメモしたり絵に描いたりしていて、日本に帰ったらこれをもとに新しい演劇をやりたいという気概にあふれていてちょっとびっくりしました。
このほかにも小説や演劇のアイデアなどのメモがたくさんあり、こういうものをあとから見るのは、ちょっとのぞき見趣味もあるのかもしれないけど、楽しい。
獅子文六展は来年の3月8日(日)まで。2月29日には曾我部恵一のトークショウ&ライブもあります。

926-b展覧会を見に行ったあとに聞いたラジオで、細野晴臣が「メモ魔なので今まではきちんとメモを残していたけど、パソコンを使うようになってメモを全部パソコンに残すようになった。だからパソコンに全部入ってるんだけど、以前ハードディスクが壊れてしまって、全部消えちゃった」というようなことを言ってて、紙で残すのって大事だなと。今活躍している作家でどのくらいの人が、手書きでメモを残しているんだろうか?手書き原稿なんてもう0に近いのかな?ついでにいいうと、今だと、写真もデジタルだから、こういう展覧会で作家の写真が展示されたとしても、昔の色あせた写真じゃなくて、プリントされたばかりのきれいな写真になるのか。なんか不思議。
そういえば、片岡義男はモレスキンのノートにアイデアなどをメモしてて、だいたい半年くらいで一冊使ってしまうってどこかで書いていた気がする。片岡義男の展覧会があったらそういうメモを展示してほしい。あと、自身が撮ったオリジナルの写真も。

926-c神奈川近代文学館のあとは、こちらも20年ぶりくらいに中華街に出て関内~桜木町まで歩いて疲れた。中華街は、なんかイメージとしての中国のテーマパーク化がすごい進んでた。そういう意味で、子どもたちと来ても楽しいかも?なんて思う。小さな女の子がお母さんに「中国に行ったらどこの町もこんな風に赤ばっかなの?なんで赤なの?」って言ってて、お母さんが返答に困ってた。
わたしの中では中華街というと高校から大学のころ、関内から石川町まで歩く間で、喫茶ブラジルで休憩するというイメージしかない。しかも火事で焼失して立て直す前の喫茶ブラジル。火事で焼けたのって90年代半ばくらいだろうか?昔ながらの喫茶店で、入口に古いレジスターが置いてあったり、お客さんもおじいさん、おばあさんばかりで、中にいると窓の外が中華街とは思えない不思議な空間だった。実家を探せばそのころに撮った写真がどこかにあるはず。年始に帰ったら探してみようかな。