「BEAMS EYE on OKlNAWA-ビームスの沖縄。」

◆漣くん3歳を前に飛行機に乗って沖縄に行く。
4月になると漣くんが3歳になるのでその前にもう一度飛行機に乗っておこう!という勢いで3月22日から二泊三日で沖縄に行ってきました。まあ小さい子ども二人連れなのでいろいろなところに動き回れるわけでもないし、おいしい食事をのんびり食べる、なんてこともできそうにないので、ガイドブックなどは買わずに、行きたいところを2、3押さえておいて、のんびりできればいいかなと思っていたのですが、前日の昼休みに本屋さんに行ってみたら、この本が平積みになっていたので気分を盛り上げるという意味で購入。

まぁいわゆる大人ののためのガイドブックなので、行けるようなところはほとんどないんですが、写真はきれいだし、一つ一つのお店をわりと丁寧に紹介しているので、読んでいるだけでもかなり楽しい。沖縄に何回か行くうちに少しずつここに載っているようなところに行けたらいいなと思ってます。いや、子どもがいなくても「開店前に行列ができてるお店」とか「一日限定180個しか作ってないので、予約しておいたほうがよさそうだ」なんてお店には行かないですけどね。
あ、でも沖縄第一ホテルはいつか泊まりたいかも!?前に日本のホテルを紹介する番組で紹介されてたのを見ていいなあって思ってたんですよ。

そんなわけで、基本、今回の旅行の目的は、沖縄美ら海水族館とフテンマアンティークモールのみ、という感じで、こんなガイドブックを買ったわりには、わざわざここに書いて残しておくようなところにはほとんど行ってないです。食事もおいしい沖縄料理を堪能したというわけでもなく、ほとんどホテルか道の駅みたいなところでとってましたし‥‥。
しかし車で移動していると「旅行中だし昼間からビール飲むぞ!」というわけにはいかないのが難点(笑)。といっても、今回、外で食べたもので一番ビールが似合いそうなものといえば、メキシコというお店で食べたタコス<らい。しかもこのお店のメニューはタコスのみ、飲み物はペプシとウーロン茶しかないという‥‥。でもタコスはほんとおいしかったです。おすすめ。ごはんというよりちょっと小腹がすいたときに行くという感じだといいと思います。

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フテンマアンティークモールは、沖縄美ら海水族館に行った帰りに寄ったので、閉店間際になってしまったのですが、定番のキャラクターグッズから、ファイヤーキングやグラスをはじめとした食器類、米軍の住宅を取り壊したときに集めてきたと思われるドアノブやフック、窓枠などまで、さまざまなものが置いてあって見てるだけでも楽しかったです。値段もまあまあそれなりだったので何も買わずに出てきてしまいましたけど。
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「暮らしの手帖・花森安治展図録」

◆4月1日、はけのおいしい朝市に出店させていただきます!
2006年に世田谷文学館で行われた「暮らしの手帖・花森安治展」の図録。去年、生誕100年を記念して「花森安治のデザイン」や「花森安治戯文集1~3」が刊行されたりしたので、そっちを買えばいいかな、という気もしないでもないですけど、これはこれでいいんですよ。と書きつつ展覧会を見に行った時の雑記を見てみたらかなり冷めたことがが書いてあって、自分で書いたことながらびっくり。今も続いている雑誌に対してあまりにも懐古的な視点、かつ今に都合のよい解釈をされているのが気に入らなかったらしい。ははは。(あえてリンクはつけません)
そしてこの時点では、松浦弥太郎はまだ「暮しの手帖」の編集長ではなくて、「traveling cow books」として、寒い中、世田谷文学館の前で本を売っていたんだなあ、と思うとなんか不思議です。「暮しの手帖」は、松浦弥太郎が編集長になってほんと素敵になっよねぇ。毎号買っているわけではないですけどね。

ちなみに今、世田谷文学館では、1930年代に世田谷で活動した文学、絵画、写真、映画、音楽などさまざまな分野の作家の作品、資料を展示した「都市から郊外へー1930年代の東京」という展覧会が開催されてて、タイミング・機会が合えば見に行きたいと思ってるんですが、どうなることやら。4月8日までなんで。あと3週間くらいか‥‥。

-さて、トップページではすでに告知をしていますが、4月1日に行われるはけのおいしい朝市にカヌー犬ブックスも古本屋さんとして出店させていただきます。
はけのおいしい朝市は、武蔵小金井にあるdogdeco HOME、中村文具店を会場に、はけ(国分寺崖線)の周りのお店が毎月第一日曜日に行っている朝市。お店の中や外にパンやお菓子、器、お花、文房具‥‥といったお店が並び、店先ではコーヒーを飲めたりするとともに、毎回いろいろなお店がゲストとして参加したり、ワークショップなども開かれたりしています。

わたしがはけのおいしい朝市に初めて行ったのは、今の家に引っ越してきてから少し経った頃のことで、駅から歩いて帰ってくる途中にあったPetal.で多肉植物を買ったときにちらしをもらったのがきっかけでした。行く前はお店の前に出ていた出茶屋さんのところで、コーヒーを飲んだりしてゆつくりごはんが食べれればと思っていたのですが、冬の寒くて風が強い日だったので、さすがに0歳児を連れて外でのんびりというわけにもいかず、ベーグルサンドとおやつ、コーヒーを買っただけで、すぐに家に帰って来てしまったんですよね。

あれから2年くらい経ちますが、開催するごとににぎやかになっていって、わたし自身は2、3か月に一回ちょっと寄ってちょ二つとパンとかお菓子とかを買う程度なんですけど、国立のニチニチ日曜市とともに毎月、楽しみなイベントとなってます。

そんなわけで、まだ持っていく本もぜんぜん選んでないし、どんな風なお店にしようかとかなんにも考えてないんですけど、今からワクワク。はけ市は、ニチニチ日曜市と違って、小さな子どもがたくさん来てお店のまわりで遊んでいたりするので、気持ち的には漣くんをはじめ子どもでも楽しめるような本屋にしたいと思ってるんですがどうなるかな?
今年は寒いので、まださくらは咲いてないだろうけれど、暖かくなって、朝市に来たついでに野川沿いを散歩したりできるような感じになるといいな、と。

はけのおいしい朝市に来ていただける方で、もしサイトの方を見ていただき欲しい本がありましたら、事前にサイトからご注文いただければ、当日、本をお持ちいたします。その場合、サイトに記載している価格から2割引、もちろん送料は無料とさせていただきます。仮に来ることができなくなったり、その場で本を見てみたうえで、キャンセルしていただいてもぜんぜん構いませんので、気軽にご注文いただければと思います。
なおご注文の際はコメント欄に「はけのおいしい朝市での受け渡し希望」と記載してください。よろしくおねがいしますー

第32回のはけのおいしい朝市
【第一会場】dogdecoHOME
開催時間: 9:00~13:00
出店:dog deco HOME、出茶屋、PETAL.、YUZURIHA、spoonful、季節のおやつ ミズタマ、北川ベーカリー
【第二会場】中村文具店
開催時間: 10:00~14:00(朝市は10時から14時までですが、夕方くらいまで営業している予定です)
出店:中村文具店、やまさき薫、古本 カヌー犬ブックス

 →詳細ははけのおいしい朝市ブログで!

「Martin Munkacsi」-Klaus Honnef-

◆ムンカッチ展とデパートの美術館についての雑感
「写真術」のインタビューで、ブレッソンをはじめとした何人かの写真家が、ムンカッチのファッション写真に衝撃を受けたと話しているのを読んで、あらためてムンカッチの写真集が欲しくなった次第。いつかちゃんとした写真集を買おうと思いつつも手に入れるきっかけがなくて、1994年に小田急美術館でやっていた「マーティン・ムンカッチ展」の図録だけしか持ってなかったのです。

そういえば、デパートの美術館って一時期たくさんあったけれど、今はほとんどなくなってしまって、今、東京で残ってるのってパルコミュージアムとラフォーレミュージアム、Bunkamuraザ・ミュージアム、サントリー美術館くらいになってしまってるみたい。昔はデパート美術館でいろいろな企画展をやっていて、あまり美術などに詳しくないわたしみたいな人にとってはいい入り口だったんですけどね。
今、普通の美術館でもいい企画展をやっているのは、ある意味、昔デパート美術館がやっていた企画展の役割と引き継いでより深く・より拡大したものなんだと思ったりします。まぁデパート美術館の役割を普通の美術館が引き継ぐという言い方ものどうかと思いますが。でも、先日まで府中市美術館でやっていた石子順造の展覧会や、金沢21世紀美術館で始まった雑誌「オリーブ」の展覧会などは20年前ならデパート美術館でやっていたような企画だと思うんですよ。
そして、きちんとした確証もないし調べてもいないのですが、その辺の分岐点ってなんとなく2001年、グルーヴィジョンズがディレクションを担当した東京都美術館での「イームズ・デザイン展」だったのではないでしょうか。イームズ展は、当時の東京都美術館としては企画自体も展示方法も宣伝の仕方もかなりポップな感じでしたし、見に来る人も多くて入場制限ができるほどでしたよね。で、一方でデパート美術館のほうは、その前後、1999年に西武・セゾン美術館、新宿・三越美術館、2001年に小田急美術館、2002年に伊勢丹美術館が相次いで閉館してるという‥‥。

あと、デパート美術館についてちょっと調べていて驚いたのは、横浜のそごう美術館がまだやっていたこと。今年に入って八王子店が閉店したりしてるそごうだけれど、横浜の別格ぶりはすごい。ちなみにそごう美術館では、3月20日まで「京都細見美術館展Part1・都の遊び・王朝の美」、3月29日からは「宮沢賢治・詩と絵の宇宙・雨ニモマケズの心」という展覧会をやってます。

さて、話を戻してマーティン・ムンカッチについて一応書いておくと、ムンカッチは、1896年、ハンガリー(現在はルーマニア領だそう)生まれで、1930年代~1940年代にかけて雑誌「八一パース・バザー」の専属カメラマンとして活躍した写真家です。
一時期はアメリカで最も高額のギャラを得る写真家といわれるくらいだったのですが、戦後は、体を壊して療養したり、ファッション写真のトレンドやモノクロからカラーという写真技術の変化に対応した写真を撮ることができす、晩年はその財産を使い果たし、失意のまま亡くなったようです。

もともとヨーロッパにいた頃に撮っていたスポーツ写真や報道写真の手法を取り入れ、それまでスタジオ撮影が主だったファッション写真を野外で撮影したり、単にポーズをとるのではなく、動きのある躍動感あふれる写真が特徴。ただ今見ると、スタジオでありがちなモデルを引き立たせるための過剰な演出があるわけではないし、動きと言ってもモデル(と服)という素材を最大に活かすために動きを加えているだけで、ある意味シンプルと言えるかもしれません。モノクロですしね。

「明るい部屋―写真についての覚書」-ロラン・バルト-

◆iPhoneで撮ったデジタルの写真は“写真”って言っていいんでしょうか?
こういう本を読むと普段自分がどれだけぬるま湯に浸かっているような本の読み方しているか痛感します。雑な本の読み方に慣れてしまっているので、文章の理解度のスピードに合わせて文字を追う目の動きを合わせられないんですよ。いつもの本を読むようなスピードで読んでいくと、頭の中にきちんと文章の意味が収まらないまま次に進んでいってしまうため、同じ行を何回も読んだり、一行の中でも行ったり来たりしてやっと頭の中に落ち着く感じ。ようやく半分くらいまで来たところで目の動きがゆっくりになってきて、読むスピードと理解度が(まあ実際にどのくらい理解しているという話は別として)合ってくるという状態でした。まったくもってなさけない。

そんな千鳥足のような歩き方で読んだのですが、有名な写真家の写真をとりあげながらも個人的な視点を投影させたどちらかというと総体的な写真論を考察する前半から、母親の死と生前の写真を中心に、より個人的な事象を軸にして写真の本質にたどろうとする後半へと、次第に深くなる内省の過程が、短めの文章を重ねることで重くならずに展開されていてどんどん引き込まれてしまいました。とはいうものの、ロラン・バルトが模索している内容をすべて理解できたわけでは当然ないので、また何回か読み返したい。その度に読み返してもその度に新しい発見があるような気がします。

ちょっと気になったのは、さまぎまな視点から写真についての模索がつづられている中で、「写真が“かつて、それは、あった”というノエマをもっていること」という主張(前提?)が一貫としてなされていること。、デジタル技術、CGが発達した現在においてその前提は今でもいきているのかな?

というのも、先日、渋谷のパルコに行ったときついでにP.M.Kenという写真家の「crosspoint」という写真展を見たことを思い出したから。
この写真展では、一見すると普通の風景写真のなんですが、よく見ると日本の風景と海外の風景が合成されていて、一回それに気づくと見れば見るほど、不思議な違和感が浮かび上がってくるという作品が展示されていたました。おそらくそれぞれの風景に関しては「“かつて、それは、あった”というノエマをもっている」と思うのですが、全体としては存在としてあり得ない風景なわけで、そういう表現をする写真の作品ってこれからもどんどん増えて行くと思うんですよね。
もちろんフィルムの時代からそういった合成はあったわけですが、それに比べてあまりにも完成度を高いものができてしまうのだなぁとその時も写真をみながら改めて思ったわけです。

こういうことを含めて、このところ写真に関する本を続けて読んでいて、フィルムからデジタルに移行したことによって、写真というものの存在意義や意味が大きく変わったのかもしれないということを考えたりしてます。わたし自身はいまだにフィルムを使い続けているせいで、そういうことをあんまり気にしてなかったんですよね。

そう考えると、会社の新年会で写真の話になったときに「写真と撮ったら加工したくなりません?」って言われて、こちらはトリミングさえしちゃだめなんじゃないかと思ってるのに、今の人は加工を前提にして写真を撮ってるんだなと思ったり、わたし自身iPhoneを使い始めて普段撮るデジタルの写真が携帯の時に比べて格段によくなって、「フィルムがメイン、デジタルがサブ」と言いきれなくなったりなど、自分の周りでも、写真ってなんだろうと思うような出来事もいくつか思い当たったりします。

大げさに言ってしまうと、10何年前にデジタルカメラという名前のものが出てきて、なんとなくフィルム写真から地続きのような感じでデジタル写真に移行したけれど、本質的には全然違うものだったのではないかなんて考えもあるような気がするわけです。
そうやって考え出すと、

・そもそもフィルム写真とデジタル写真では表現されるアウトプットが違うわけですよね。アウトプットが違うものを同じ写真としてくくっていいのかな?

・本の表紙をカメラで撮ったものとスキャンしたものはどう違うんだろう?カメラで撮ったら写真でスキャナーでとったら画像なの?

・どこまでも修正や変更ができてしまうデータにとってデジタル写真の時代のオリジナルプリントってなんなんだろう?

・単純にiPhoneで写真を撮ってiPhoneで見てると写真を撮って見てる気がしない、ってのはわたしが古い人間だからなのかな?

など、どんどん疑問が浮かび上がってきます。

そんなわけで、前回は今読もうと持っている写真についての本は、写真の評論家のものはリストから外していると書きましたが、その辺を含めたデジタル以後の写真のあり方みたいな評論も読んでみたくなってきました。