「山の手の子町ッ子」-獅子文六-

今度の日曜日に写真美術館で行われるモノクロネガをご自分の手でプリントするというワークショップに参加するので、ひさしぶりにモノクロのフィルムなんて買ってきて張り切っていたのだけれど、OM1には入れたばかりのカラーフィルムが入っていたり、それさえも撮りきる機会もなく、バーベキューの時もなぜか火をつけたり焼いてばかりいたのでぜんぜん写真を撮れず・・・・。残された時間は会社の昼休みだけなのだが、河川敷でバーベキューをしたせいではないだろうが、何年かぶりに熱を出したりして、昼休みに歩き回る元気もなし。しょうがないので昔に撮ったフィルムを探して持っていくことにする。でも暗室の作業とかまったくしたことないのでかなり楽しみ。

さて、熱はすぐに下がったのだけど咳は止まらず。それほどひどくないので、喉が痛いなぁと思いながらたばこを吸ったりしている。これが続くとぜんそくになったりしそうなので気をつけなくては。今年は秋と言えるような時期があまりなくて、なかなか夏が終わらないな、と思っていたら続けて台風が来て、気がついたら寒くなっていた。こういうときが一番危ない。
まずくしゃみと止まらなくなって、そのうち咳き込むようになって、暖かい日の気持ちのまま、あまり布団を掛けずに寝たりすると、明け方の気温が一番下がった頃、咳で息ができなくなってしまうのだ。昔はひとり暮らしだったし、友達が「クレイジーキャッツの人って喘息で死んでるんだよ」なんて言ってたことが頭をよぎったりして、このまま死んじゃうじゃないかと思ったものです。ここ何年かは出ていないのでちょっと気を抜いていたけれど、しばらく気をつけて生活しなくては、と思う。

「井伏鱒二文集2 旅の出会い」-井伏鱒二-

もう10月も終わりに近くなってきましたが、多摩川の河川敷でバーベキューをした。13名、前はみんな同じ会社に勤めていたので、日程などもすぐに決められたのだけれど、バラバラになってしまうとなかなか難しい。加えて千葉の稲毛海岸に住んでいる人から神奈川の辻堂に住んでいる人まで、住んでいる場所が離れていたりするので、結局新丸子の多摩川沿いということになってしまう。まぁそれはそれでいいんだけれど。次回は違うところがいいかな。
天気のほうもものすごく寒いというわけではなかったけれど、晴れそうで晴れない曇り空。つい火の近くに寄ってしまったり、3時くらいになると「もう撤収しますか」という雰囲気になってしまう。でも10月の週末の天気を考えるといいほうといえるのでは、なんて言い合ったりして。

「井伏鱒二文集」の2巻目は、旅での出来事を綴った文章を集めたもの。戦後間もない頃の話だったりすることもあるけれど、ものすごい山の奥地の小さな宿屋に飛び込みで泊まったり、歩いて山を越えるような旅があったりで、なんだかのんびりした感じがいい。書いていないだけかもしれないけれど、旅先で「作家の井伏鱒二さんですか」なんて言われて歓待を受けるなんてこともないしね。
解説に「僕が小学生のころには、『風呂に入ってくるぞ』と石けんとタオルを持って出掛け、一週間帰ってこなかったこともあった」という井伏鱒二の長男の言葉が引用されているのを読んで、檀一雄も「飯食ってくる」って大阪まで行ってそのまま何週間も帰ってこなかったりしたってどこかに書いてあったのを思い出したりした。同じ放浪癖でもぜんぜんタイプは違う感じだけれど、どちらにせよなんだかうらやましい。

「行きつけの店」-山口瞳-

「行きつけの店」というタイトルではあるけれど、料理のことはあまり書いていない。お店の主人や一緒に行った人とのとのやりとりが多い。だから文字どおり行きつけのお店を紹介するのではなく「私はこうやってお店の主人とつきあい、そこから学んできた」ということを伝えていると思う。だからこの本を読んで掲載されているお店に行くのではなく、そういうお店を自分の活動範囲で自分の足でさがせよ、ってことか。
そもそも最後に書いてあるとおりここに載っているお店の主人や内儀たちはほとんどなくなっているそうだし、お店自体もなくなっていたり改装されて山口瞳が通っていた頃とは(ある意味)まったく違う店になっているわけで。
そういう風に考えると私にとっての行きつけの店ってないなぁ。行きつけの古本屋とかレコード屋はあるかもしれないけど・・・・。

「駅前旅館」-井伏鱒二-

ついに新潮社文庫の井伏鱒二に手を伸ばした私です。上野の駅前旅館の番頭が、昔の番頭のしきたりや気質などを含め、自分たちについてのことを語るスタイルの作品。がさつさと繊細さが同居した番頭たちの生き方がストレートに描かれていてます。繊細さが後ろに見え隠れするのではなくストレートに表現されているところが、登場する番頭たちの性格と合っている感じがしていい味を出していると思う。森繁久彌主演で映画化もされているので、今度ビデオでも借りて見てみたいですね。

毎月第三水曜日に渋谷にあるエッジエンドという小さなクラブで、遊びに行くとたいてい同じ人たちが何人か集まって話してる、といった感じの小さなイベントのようなもの(といったら失礼か!?)を友達がやっていて、私も何カ月おきとかに遊びに行ったりしてるのですが、今月はちょこっとだけレコード持っていって回させてもらう予定で、それが明日なんですけど・・・・。いや、マスターひとりでやっているようなお店なのでやるのかなぁ?今年は何回「台風のせいで・・・・」ってここに書くのだろうか?このためにひさしぶりにレコード買いあさったのに、というのはウソで10月に買ったレコード、CDなんて2枚位なんですけど、やるにしても雨の中レコード(といっても15枚くらいだけど)持って会社に行くのもイヤだしね。どうなることやら。
今回は平日ということもあってか、「明日休みにしてもらうために社長と話してくる」なんて社内で誰かが言っていたけれど、明日休んでも納品日は延期されないしね。いつもなら台風が来るといって騒いでも、意外と東京近辺には近づかなくて、ちょっと雨が激しいかなっていったくらいで平穏なのだけれど、今年は先々週の例もあるし。
ちなみに明日のイベントのメンバーのひとりは、先々週の金曜も台風が近づいている中でDJをやっていたという人なのですよ。

「私の食べ歩き」-獅子文六-

続けてこんな本を読んだから、というわけではないけれど、金曜日の夜は早めに会社を抜け出して家の近所の牛角で焼き肉を食べた。メニューの切り替えにあわせて半額になっていたいくつかのメニューを中心に注文したので、お腹いっぱい食べて二人で2800円。まぁ基本的に少食な夫婦ではあるんですけどね。

それにしても獅子文六にしろ吉田健一にしろほんとによく食べ、よく飲む。(石井好子の父親もかなりの大食だったらしい)だからこそ食べ物についての文章を書いてもおもしろいのだろうし、二人ともまず第一に“食べる”という欲求がストレートに出ているのがいい。“食べるからにはおいしいもの”というはその後でな感じがします。だから本にはおいしかったものが中心に書いているけれど、本には書かれないまずかったものもものすごくたくさん食べてるのだと思う。
それから、食べ物好き、飲み好きの人はたいてい歳をとると、当然なのかもしれませんが、肝臓や胃腸を壊したり、歯が悪くなったり、糖尿病になったりして、文中で「昔は~だったのに比べて今では~」と誰もがぼやくので、どこかで読んだような気がする病状にしばしばぶつかります。作家の晩年の病気一覧とか死因一覧とか作ってみるのもいいかも。なんて、趣味悪いですね&読んでいて暗い気分になりそう・・・・。

「東京の空の下オムレツのにおいは流れる」-石井好子-

最近、夕ご飯をサンドウィッチやそばですませてしまっているせいか、なにかおいしいものが食べたい気分。そんなこというとまわりからいろいろと言われそうだけれど、“おいしいもの”というより“しっかりしたもの”に変更しておきます。
そんなことを思いつつ会社帰りの電車の中で「東京の空の下オムレツのにおいは流れる」を読んでいると、ほんとにお腹がすいてきてしまいます。
この本のポイントは、単にフランスやスペイン、東京などのどこどこで何を食べておいしかった、とか友達を呼んでなになにを作って食べた、というだけではなく、簡単ではあるけれどちゃんと作り方が書かれていること。材料をスーパーで仕入れてそれを鍋で何時間も煮たり、フライパンでさっと焼いたり、最後にチーズなどをふりかけたり・・・・なんてことが書かれていると、カタカナのなんだか分からないような外国の料理も、(それが正しいかどうかは別として)具体的に頭に浮かんできます。

ところでこの本には、「●●●さんへ」と添えられた石井好子のサインが入っていて、そのせいか状態はきれいなのにブックオフで100円で売られていました。先日も表参道から渋谷に歩いてくる道筋にある古本屋さんに「▲▲▲さんへ」と書かれた山口瞳の「行きつけの店」の単行本が置いてあって、こちらは達筆な毛筆ではんこも押してあった。ちなみに3500円。
私は本にしろレコードにしろ作者のサインをもらうということに興味はないけれど、ミオ犬はけっこうサイン好きでときどきサイン会に並んだりしている。ロジャー・ニコルスのサインの入ったCDとかもうちにあるしね。
で、話がそれてしまいましたが、そういうのが好きであろうとなかろうとサインが入っている本やレコードを中古屋さんに売ってしまうのはどうなんでしょうか。ましてや「●●●さんへ」とかわざわざ書いてもらったものを売るなんて。まぁそういう本好きのお爺さんが亡くなって、そのときに遺族が「うちのおじいさんの本を売りたいんですけど」なんて古本屋を呼んで二束三文で売り払ってしまう、なんてことはよくあるのかもしれない。骨董品なんかでも「こんなガラクタ」なんて言われそう。そうやって出てきた本がいろいろなところを回って渋谷の古本屋にたどり着いたと思うとそれはそれで感慨深い。

そしてつい山下達郎や小西康陽が死んだらそのレコードはどうなるのだろう、と思ってしまったりもする。植草甚一のレコードをタモリが引き取ったように誰かが全部引き取るのだろうか。きちんと系統立って揃っているだけに(特に達郎)もし中古屋さんにまわったり、捨てられたり、というのはあまりにももったいないような気がするのだけれど、それはそれ、ということなのだろうか。

「コレクタブル絵本ストア」

いろいろ調べたり足を棒にして本屋を巡ったり、外国にしょっちゅう行ったりして、欲しい絵本を一冊ずつほどお金もスペースもないし、ついレコードとか小説とかいろいろなものに手を出しつつそのどれに対しても中途半端、小学校の頃から飛び抜けて成績の良い科目もなく、共通一次の点が良くて大学に入った私は、どうせ手に入らないのだしこういう本を見てるだけでそれだけで満足、なんて気分になったり、やっぱりこの作家の本だけは手に入れよう、なんて、右に行ったり左に行ったりと気持ちを揺らしつつこの本を眺めてます。
言い換えるなら「どうせレアなレコードなんて買わないんだからと思って、コンピで間に合わせたのに、逆にレコード屋に行く度に収録されているアーティストのレコードをチェックしてしまう」っていたところ、か。って、そのままなんだからわざわざ言い換える必要もないんですけどね。
ついでに言うならば、ミオ犬が最近「olive特別編集 雑貨少女の楽しい毎日」を買ってきまして、ここでも同じように絵本を特集があったりして、なんだか私の中でまた絵本ブームが来るんですか?来ないんですか?・・・・明日の天気予報は晴れだったけど、ほんとに晴れるの?また雨なんじゃないの?という当てにならない感じの今日この頃。でもいちおう気になる絵本作家の名前を手帖にメモってみました。

ここ何年か年の初めにダイアリーを買っても、5月頃にはすっかり持ち歩くこともなく、スケジュールも真っ白で、「平日会社に行ってるんだから書き込むことなんてほとんどないよ」なんて開き直っていたのですが、これではいかん、と最近メモ帳を持ち歩いてます。といっても欲しい本のリストとか古本屋の地図、この日記のネタ(そんなものがあるのか)、とりあえずその月の予定などを昼休みとか書いておいてるだけなんですけど。
基本的に予定があるのは、土日と平日であったとしても1日か2日だけなのだから、カレンダーに書き込む必要もなくて、普通のちいさなノートにリストにしておけば充分なんですよね。ということに今ごろ気づいたわけで、いつまで続くか分かりませんが、古本屋マップと永井龍男、山口瞳著作リストだけは、意外と役立ってます。

「埋れ木」-吉田健一-

気がつけば今年最後の3連休もおしまい。雨ばっかりで何もしなかったような、ちょこちょこと動き回ったような・・・・。いや土曜日はほんとに風と雨がひどくて、髪を切ったほかはほとんど家にいたし、台風一過で28度まで気温が上がるといわれていた日曜、月曜もときおりポツポツと雨が降り出したりやんだりといった感じでどうにもやる気が出ず・・・・。

それでもとりあえず吉祥寺のfeveでやっていた「高橋みどりが考える暮らしはじめ」展を見に行ったり、ソックスで買い物して20%オフチケットをもらったり、近くの友達の家で近くの友達と集まってしゃべったり、原宿、表参道へ出てアンノン・クックでお茶したり、青山ブックセンターで立ち読みしたり・・・・してみた。でもそれはわざわざ3連休中にするべきことなのか?とどうしてもそういう気持ちになってしまうのはなぜ?気のせいか休み明けなのに体もだるい気がしてきたりする週のはじめ。
話は戻ってfeveは、ダンディゾンに行くたびにちょっとだけ気になっていたギャラリーで、今回初めて行ってみたのですが、壁の一面や階段の向こうが大きなガラスだったりするので、陽の光とても気持ちよい空間。晴れた日はどんな感じなのだろう。今度行ってみたい。展覧会の方は、というか展覧会というよりまさに「暮らしはじめ」の女の子の部屋に入ったみたいといったら、こんな部屋に住み始める女の子なんてそういないだろうからウソになりますが、私の妄想の中ではそういう感じ。高橋みどり本人も居て「昨日の初日は台風で大変だった」なんてことを誰かと話してました。

「井伏鱒二文集1 思い出の人々」-井伏鱒二-

今日読む本がないというときか、好きな作家の新刊以外は、ふだんほとん新刊を買わない私ですが(画集とかは別にして)、珍しく12月までの間、井伏鱒二のこのシリーズをきちんと買ってみようと思っている。1カ月に一度の楽しみ。第2巻の「旅の出会い」ももうそろそろ出るはず。
旅の話というと木山捷平の本を思い出してしまうけれど、木山捷平が書けなくて悩んでいるときに「旅にたくさん行きなさい。そしたら書けるよ」みたいな助言をしたのは井伏鱒二だったか?違うひとだったか?忘れました。「エッセイコレクション」とかではなくて「文集」というところがいい。なんとなくだけど。

井伏鱒二は95歳まで生きていただけあって、戦前、戦中、戦後初期の同時代の作家たちをみんな見送ってから亡くなったという感じなので、この「思い出の人々」もそういう追悼文が必然的に多い。知っている作家のエピソードは興味深く読めるのは当然であるとして、知らない作家についての文章もおもしろくて、登場してくる作家の本を読みたくなってしまいます。

もちろん大きな理由も予定もないけれど、この4冊の本をとりあえず買っておいて読まないでおいて、今度旅行に行くときに持って行ったらいいのではないか、なんてことを考えたりもする。
飛行機や電車の中、ホテルのベッド、カフェでコーヒーを飲みながら、あるいはホテルのプールサイドで・・・・この本をのんびり読んでみたい。

「江分利満氏の華麗な生活」-山口瞳-

話の内容はずれますが、「ku:nel」を読んでいると「東京を離れて田舎で暮らすのもいいかもなぁ」なんて思ってしまう。「贅沢しなければなんとかやっていけるんじゃないかなぁ」なんて無理か。なんも技術も持ってないしね。いや、もうその地元の工場とかお店とかに就職しちゃうんでもいいよ。って雇ってくれないですね。

さて江分利満氏の2作目。1作目よりも江分利満氏の独白、という部分が大きいので、なんだか飲み屋のオヤジの愚痴みたいな気もしてしまう。そういったら山口瞳の作品はみんなそうなってしまうんですけどね。でも私としてはもう少し周りとの関わりや動きがあった方が私は好きだ。そして「オヤジ」と書いてしまったけれど、主人公と私とでは1歳しか歳が違わないんですよね。う~ん。「コマッタもんだ」。何がって言われると困るわけだが。