「巻頭随筆III」-文藝春秋 編-

この本とは全然関係ありませんが、ちくま文庫から井伏鱒二の随筆を集めた本が出てます。全4巻。「忘れ得ぬ人々の面影」とサブタイトルがついた第1巻はもう出ていて、10月に第2巻「旅の出会い」が出るみたい。
それにしてもちくま文庫も講談社文芸文庫も普通に1000円以上するなぁ。しかも気がつくとすぐに本屋からなくなってるし。井伏鱒二ほどの作家の本を、安い値段でいつでも手軽に読むことができないという状況はどうなのか。ついでに前回の「無心状」を国立の古本屋で300円で買ったことを考えると「・・・・」な気持ちになりますね(といっても函とかにかなりシミがありますが・・・・)。

気がつけばもう9月も終わりで週末からは10月。今日は台風のせいで雨降ってますが、気温も下がってきてすっかり秋という感じになってきました。
芸術の秋というわけではないけれど、10月は「安井仲治 写真のすべて」(松濤美術館)や「ラリー・クラーク展」(ワタリウム美術館)、「バックミンスター・フラー」(ギャラリー360°)、「高橋みどり が考える 暮しはじめ」(feve)、など、行きたい展覧会がいっぱいあって今からちょっと楽しみ。8月にロシア旅行に行った友達のスライドショウなんていうもある。
どれだけ行けるかわかりませんが、散歩がてらにのんびりと回ってみようと思ってます。

「無心状」-井伏鱒二-

無心状というのは、地方から出てきた学生などが、月の生活費が足りなくなったため、お金を送ってもらうために実家に出す手紙のこと。
ここではお金が足りなくなった井伏鱒二が、普通に書いたら怒られるだけなので、もっともらしい理由や状況を作り上げて実家の兄にあてに手紙を書くのですが、その手紙を課題と間違えて大学の教授に送ってしまいます。そんな手紙を教授に見られたら・・・・と思うといてもたってもいられなくなり、大学の事務室でその教授の住所を聞き、教授の家まで封筒を取りに行く、という話。
前にも井伏鱒二の随筆について「これは随筆なのか?創作ではないのか?」と書いたけれど、この本に収録されている作品も戦争の時の話もあるけれど、ほとんどは日常的な出来ごとをユーモアたっぷりに描いてます。この辺は部分的に小沼丹、庄野潤三に繋がっていくところですね。

「やまない雨がないように」「明けない夜がないように」どれだけ暑くても夏は終わって秋になるわけで、週末くらいから急に涼しくなって、おまけに天気もあんまりよくない。週末は長袖のシャツをタンスの奥から出してアイロンをかけたりしてました。そろそろ掛け布団も出さなくちゃいけない頃ですね。
そんなわけで一日のうちで雨が降ったりやんだりするのでなかなか出かける気にもなれないけれど、空の様子と相談しつつ3時頃から上野→根津→日暮里と歩いてみた。目的は国際子ども図書館とカヤバ珈琲、谷中商店街、いせ辰、オヨヨ書林、駄菓子屋横丁、谷中芸工・・・・など。時間がなくて全然まわれなかったけどね。

国際子ども図書館は国立の児童書専門図書館。明治39年に創建されたという洋風建築を増築・改築した建物は、大きなシャンデリア、吹き抜けになっている鉄の大階段、そしてガラス張りの外観など、古さと新しさがうまく合わさっていて、建物を眺めて、それからカフェでコーヒーを飲むだけでも満足するのではないかと思ってしまう。設計は安藤忠雄建築研究所とのこと。
朝ご飯を食べたきりでおなかがすいていたので、入ってすぐにカフェテリア モアでクリームたっぷりのホットケーキを食べたりして、ざっと置いてある絵本や児童書などを眺めて出てきたのだけれど、ホントは半日くらいのんびり本を広げてみたりしていたい場所です。
その後、根津方面へ。もう一つの目的だったカヤバ珈琲は5時閉店だったため入れず。やはりもう一度来なくてはと思いつつ、谷中銀座の商店街を通って日暮里に着く頃にはすでにまわりは真っ暗で、日暮里駅の近くにある羽二重団子でお団子を食べて帰ってきました。なんだか甘いものばかり食べてた週末の一日。

「御代の稲妻」-庄野潤三-

学問や研究のためではない読書なんてけっきょくの話、単なる現実逃避にすぎないわけで、10代20代の私にとって読書、あるいは本というのは「ここではないどこか」に連れて行ってくれる最適な道具だったような気がします(ある意味音楽を聴くとか、映画を見るというのも同じような行為ですね)。
その頃の私がアメリカ文学ばかり読んでいたのも、自分の知らない場所の自分と違う考え方をした人々の話を読むことが「ここではないどこか」への近道だっかから、なんてことをこのごろ思ったりもしてます。

そういった視点からいうと庄野潤三の本は、「ここではないどこか」というよりも庄野潤三の日常を、その毎日をつづったようなものばかり。特にこの本は随筆なので、家族とのやりとりや家の周り、近所での出来ごとなど、それが直に出ているように思えます。ただ「ような」と書いたのは、もちろんそのまま庄野潤三の毎日を工夫もなく書いているだけではないだろうからで、でもどちらにしろ全体を覆うのは「ここではないどこか」にはほど遠い(という書き方はなんか変だな)、淡々としたものだ。
そんな毎日を過ごしている、ものすごく身近でありふれた繰り返しの中にある何かにおもしろさを楽しめるようになったのは、単に「ここではないどこか」に自分を連れて行くだけの体力(想像力?)がなくなってしまっただけなのだろうか。よくわかりません。

久我山に住んでいたときは吉祥寺・西荻だった私の活動範囲が、富士見ヶ丘に引っ越してから、だんだん西荻・荻窪になってきてます。単に古本屋に行ってるだけなんですけど、吉祥寺はちょっと一人で休もうかなというときに入る店がない、というのも大きな理由。でも西荻・荻窪にはレコード屋があまりないのが欠点ですね。なんでないのかなぁ。荻窪にあったRAREもいつのまにかなくなってるし(吉祥寺に移動ってこと?)。
というわけで、昨日はレコード目当てに吉祥寺まで自転車で行ったのですが、吉祥寺に着く前の末広通りにBALLROOM RECORDというレコード屋さんができてました。とてもきれいな、おしゃれなレコード屋さんで、並べられているレコードもソウルからソフトロック、イージーリスニング、ラテンラウンジ、もちろんブラジル、そしてカリプソ、スティール・パンなど、なんだか見ているこちらが恥ずかしくなってしまうくらいのラインナップ(すみません)。昔だったら絶対に入らない種類のお店なんだけれど、床の餌箱を端から端まで漁って、聴きたかったレコードやジャケットがいい感じのレコードを探し出したりする体力もないし、たくさんのレコードを毎日のように買っているわけではないので、少々値段が高くてもこういうレコード屋で、しかも試聴して買うことができるのはラクだなぁ、なんて思ってしまう。

で、「始めていったお店では必ずなにか買え」という言葉もあるとおり、ドイツのラウンジピアノとちょっとソウルフルなストリングスのレコードを買ってきました。ちなみにバナナレコードではカンバック・マイ・ドーターズを購入。
この通りは井の頭公園への通り道でもないし、繁華街からもちょっと遠いし、いろいろなお店が出来ては、気がつくとなくなってしまっているので、このお店にはちょっとがんばってもらいたい。

「Peep Paper Vol.2」-トリトンカフェ・パブリッシング-

トリトンカフェは神戸にあるカフェで、2年くらい前に一度だけ行ったことがあります。開店と同時に入ったせいもあってお客さんもほとんどいなくて、比較的広い店内にアンティークっぽい木のテーブルと椅子がゆったりと置かれていて、居心地の良いカフェだったという記憶があります。
このときは京都に行ったついでに一日神戸まで足をのばしてみたのだけれど、カフェアンティークゴヤ(閉店してしまったみたいですね)やFabulous OLD BOOK・・・・などにも駆け足で回りましたね。すぐに名前は思いだせないけれど、また行きたいところがたくさんあります。
この「Peep Paper」はそのトリトンカフェなどの人たちが出している本で、毎回テーマを決めて、それに合った自分たちの好きなものを並べていったという感じの雑誌のようなムックのような(という言い方はあまり好きではないが)本。この号のテーマは「時間」。ちなみにVol.1は「旅」でした。Vol.3も最近2年ぶりに出たようですが、まだ私は本屋で見てません。というか、これが出てから2年も経ってしまってるんだ、という気持ち。Vol.1は発売されてすぐに中目黒のブックオフで見つけて手に入れたのですが、こちらに関してはなかなかそういう出会いもないし、出版元だったギャップ出版が破産申告をしたというニュースを聞いたりしていたのであきらめてたのです。

夏の前までに買おうと思っていたbonobosの「Hover Hover」をやっと手に入れた。夜、コンポのスイッチを入れると、ゆったりしていて心地よいリズムと暖かなメロディが流れ出してすぐにやっぱり夏前に買えば良かった、と思った。予定のない夏の休日にぴったりの音楽。そしてこれはあくまでもbonobos独自のグルーヴであり、bonobosの音楽だ。もうフィッシュマンズにどうのこうのというのはやめよう。
今年の夏の終わり、というか秋の日々のマイ・サウンドトラック・オブ・リヴィング。それにしてもまだ真夏日の日が続いている。いつになったら秋になるのだろうか。

「巻頭随筆II」-文藝春秋 編-

先日、中央線巡りをしたときにIIとIIIを手に入れたので、これで巻頭随筆も4冊そろったことになる。実際は6まで出ているのだが、5と6は1980年代も後半になってくるので今は読む気はなし。もしかしたら何年かして読みたくなるときがきて、そのときになったら全然手に入らなくなってしまう、なんてことになるかもしれない。でもそのときはそのときということで。先のことは分かりません。
作家はもちろん大学教授から大企業の社長、医者、省庁の役人まで、各分野でかなり大きな功績を残したと思われる人が自身の思い出や知り合った人について語っているので、どれも読んでいて興味深い。でもまったく興味のない、あるいは難しい分野だったりすると、読んでいて文字の意味が全然頭に入ってこなかったりする。これが「おしまいのページで」だったら何人かの作家が交代で書いている分、日常の雑記みたいな回があったり、つまらない話題でも文章のおもしろさで読ませてしまうが、「巻頭随筆」の場合は本職ではないだけに分からない人にもおもしろく読ませるという文章ではないので、私などはつい退屈してしまうわけです。どちらがいいということもないですけどね。

土曜日に先週からパルコギャラリーで始まった「ブラニフ エアライン エキスポ」を見てきました。
ブラニフ・エアラインはアメリカの航空会社で、1960年代から~70年代にかけて、ハーマン・ミラー社のテキスタイル部門長だったアレキサンダー・ジラルドを筆頭にエミリオ・プッチ、アレキサンダー・カルダーといったデザイナー、クリエイターを迎い入れ、最新トレンドを乗せた飛行機と言われた伝説の航空会社。展示品を見ているとその徹底ぶりになんだか実在の航空会社のものというより、雑誌の特集で、デザイナーたちを集めて「自分ならこうする」というテーマのもと、架空の航空会社を作ってみました、といった感じでした。

ここまでやるとなんだか自由すぎておもしろみがちょっとなくなってしまうような気がする。というのは企業のロゴやノベルティに関するデザインのおもしろさって、やはり会社としてのイメージとかデザインにかける予算とかとユーザーにとっての使いやすさ、機能面、そしてデザイナーのやりたいことなどがせめぎ合った結果、「おぉ!」と思うようなおもしろいものができたり、ときには「なんだこりゃ!?」というものになってしまったりするのがおもしろいのではないかと。
特にエアラインもののおもしろさって、飛行機という先端の工業製品ということと、ロゴ、機内食やスチュワーデスの制服、チケットなど幅広いノベルティがあるということ、海外旅行というある意味“夢”売る会社なのでデザインを含めイメージをある程度重要視していること、世界各国の会社が同じようなものを作っているのでそれぞれ比較できること・・・・なのではないかと思うのですが、ブラニフの場合飛び抜けすぎててほかの航空会社と比較できません。まぁそこがブラニフのブラニフたる所以でもあるわけなんですけどね。

「Summer Store -Last Summer Holiday-」

「Summer Store」はディモンシュに行くたびに買っていて最初の号から持っているし、夏のイベントにも初めのときから行っていたのだけれど、去年の夏の最後の時には行けなくてこの最終号も手に入れそびれてました。その後も鎌倉に行く機会がなかったので、1年以上ぶりに行ったディモンシュにまだこの本が残っているのを見て嬉しくなって即買いです。
「Summer Store」に関しては、割と同世代的なシンパシーを感じつつ、いまだに好きなレコードの紹介でロジャー・ニコルスやオレンジ・ジュース、ジャムなどをストレートに載せたりするところがいいなぁと思っているのです。皮肉じゃないですよ。ほんとはねもっと今ではいろいろ違う音楽をたくさん聴いてると思うんですよ。でもあえてその今の自分の元となったそれらの音楽をそのまま愛してるってことを恥ずかしがらずに素直に出せるというのはすごいことだと思う。そしてそういう仲間がいるってことも素敵なことです。
「Summer Store」の冊子やイベントがなくなってしまって少し寂しいけれど、またいつか違う形で何かをしてくれるんじゃないかと期待してます。

去年、鎌倉に来たときにドイスで一目惚れしたコーノのコーヒーサーバーが割れてしまったので、「また買おうかな、でも高いの買ってまた一年くらいで割れたらもったいないしなぁ」なんて思いながら、いつものようにディモンシュでオムライスを食べて、線路を渡ってはちみつ屋さんを横目で見ながらドイスへいくと、ドロップも透明ではなくてちょっと厚めの黄色のプラスティック、そしてサーバーのほうは取っ手が黄色のコーヒーセットが!知らなかったんですがお店の人が言うには限定で発売されていたらしい。あぁなんてタイミングなんだろう!ある意味見透かれますね。
さて、ドイスのある道をもう少し歩いていくといがらしろみさんのジャムお店、Romi-Unie Confitureがあってまた鎌倉の楽しみが一つ増えたという感じ。おいしいフランスパンや食パンを買ってお休みの日にゆっくりと食べたいです。

「田中一光」

このギンザ・グラフィック・ギャラリーのシリーズも気がつけばもう10冊くらいになってます。気持ち的にはもう少し大きな判でページ数もあって3000円くらいだといいのにな、と思う。でもこういうデザイン関係の本で3000円くらいの本って以外となくて、たいてい1000~2000円くらいの小さな薄い形で(小冊子を含む)そのデザイナーの主な仕事をさらりとまとめたものか、5000円以上の詳しいもののどちらかな気がします。コスト的に3000円くらいのデザイン本って難しいのだろう。
ところでこのシリーズはギンザ・グラフィック・ギャラリーで行われた展覧会の図版みたいな形で出版されていて、展覧会の方も行ってみたいものがときどき開催されるのだけれど、実はまだ一度も行ったことがない。たいてい1カ月くらい開催されているのだが、日曜・祭日がお休み、平日は7時に閉館になってしまうので、実質土曜日の4日しか行く機会がないのだ。
ちなみに今開催されているのは「Graphic Wave 2004 工藤青石×GRAPH×生意気」で、10月は「疾風迅雷―杉浦康平の雑誌デザイン半世紀展」です。両方とも私は知らない人です。

明日から3連休ですね。さすがに今週は晴れていてもそれほど暑いという感じでもなくなってきて、風が吹いたりするとちょっと涼しかったりして、まさにお出かけ日和。たまには本のこともレコードもことも忘れてどこかに遊びに行くのもいいのではないかと・・・・。

「片岡義男 本読み術・私生活の充実」-片岡義男-

架空のインタビューで、どんなところで本を読むか、最近おすすめの本はなにか・・・・といった質問に片岡義男が答えるという形式で書かれているのだが、質問の内容があまりにも次の話題にうまく持っていくための導線になっているので、読んでいるとちょっと自己完結的な、白々しいような印象を受けてしまいます。前に読んだような気がするのは、この形式のせいなのか、それとも違う本に採録されているのを読んだのだろうか。調べてないのでわかりません。

年代的にいうとビートルズよりもプレスリーに一番影響を受けた世代ということと、子供の頃からアメリカの文化に直接触れてきたということからか、60年代のカルチャーに対して冷静に理論的に分析できるところが、私が思う片岡義男のよいところなのだけれど、インタビューという形式のために、その論理の流れがとぎれてしまっている気がします。本人は気楽に書けて楽しかったのかもしれませんが。あとやはり本をそのまま写真に撮るっていうのはねぇ、難しいですね。

そういえば先週、買い取りを始めることにしました。ページの方はトップページからリンクしていないのでわかりにくいですが、こちらになります。扱っている本のジャンルが限られているので、本をまとめて処分なんて時には買い取れないものが出てしまってあんまり役に立たないかもしれませんが、もし「これはもう読まないだろうなぁ」なんて本が何冊か本棚で眠っていましたら、ご連絡いただければと思います。

「居酒屋兆治」-山口瞳-

「礼儀作法入門」「居酒屋兆治」「血族」「家族」「人殺し」、そのほか競馬、将棋関連・・・・これらは、山口瞳の本で後回しにしようと思っているもので、前者はそのタイトルや映画のイメージが悪いのでちょっとさけているという感じで、後者はタイミングをみて(なんのタイミング?)ちゃんと気合い入れて読もうと思っているんだけれど、なかなか読むことができない状態。
でも先日ムックを読んでいるうちに、高倉軒健や函館という映画のイメージよりも、「わが町」のような国立の街の片隅を描いた本として「居酒屋兆治」に興味がわいてきました。

日曜日、たまには足をのばしてみようと思い立ち、荻窪から中央線に乗って八王子へ。去年八王子→国立→国分寺と歩いたのは9月14日だったのでちょうど一年ぶり。今回も結局、古本屋をを中心に回って、立川、国立といったところで暗くなってしまったので、国分寺はパス。

レコード屋といえば大通りを歩いていたらRAREの看板が目に入ったのでつい横道に入っていったら、隣にはロージナ茶房が。「居酒屋兆治」の文庫本を持ってロージナ茶房でコーヒーを飲むなんてちょっと趣味悪いなぁ、でも次回いつ国立に来るかも分からないしなぁ、なんて思いつつ中に入ってみました。さすがに「居酒屋兆治」はなんなので買ったばかりの井伏鱒二の本を読んでましたけどね。
お店の中は想像していたよりも広くゆったりとしていて、大学生と思われる7、8人の団体がいたり、老夫婦が静かにコーヒーを飲んでいたり、おじさんがスポーツ新聞広げていたりする。隣のカップルはアジアの留学生みたいでかたことの日本語で村上春樹の話をしてました。
山口瞳に関係する場所を歩いてみる、なんて趣味は私にはないけれど、近いうちにレコード屋とか雑貨屋なども事前にちゃんと調べてまた国立、国分寺だけでいろいろ歩いてみたい。

「角鹿の蟹」-稲垣達郎-

稲垣達郎は1901年福井県生まれの。大学時代には同人誌に参加したり演劇活動を行っていたが、後に母校の早稲田大学にて教職に就き森鴎外を軸に日本近代文学についての研究を主に行った人。「作家の肖像」「夏目漱石」「森鴎外の歴史小説」などの著作、「森鴎外」「斉藤緑雨集」「近代文学評論大系」などの編著があります。
この本は、家族やその身辺のこと、坪内逍遥、岩本素白、會津八一、尾崎一雄、外村繁、山口剛といった早稲田ゆかりの文学者や作家の思い出が綴られたエッセイ集で、その後、編集者や専門家の間で評判になり、筑摩書房から編成を変えて1980年に刊行された本。
私は作家に対してどこの大学出身か、ましては早稲田出身なんてことは気にしたことありませんでしたが、ここに出てくる尾崎一雄や岩本素白、あついは小沼丹や井伏鱒二、横光利一なども含めて、ちょっと気になってきてます。どうでもいいけれど村上春樹も早稲田出身ですね。

このところ、土曜日はなんだか目が覚めると昼前で、つい嵐の番組なんかだらだらみて、気がつけば3時近くなっていて、お腹も減ってきたしちょっと出ますか、なんて感じで吉祥寺や西荻に出る、なんて感じで一日が過ぎてしまう。
今日も結局、西荻に出てそれいゆでシフォンケーキを食べて、古本屋や雑貨屋を回って帰ってきました。もちろんがちまいやでクッキーも買ってきましたよ。閉店まであと1カ月とちょっとなので西荻に行ったときは絶対に寄っておかなくてはね。店の中の棚や椅子も売りに出していたみたいで、端に「売約済み」のシールが張ってある。中には店で使っていたものではなくて、家で使っていたらしい家具もあって、ほんとに東京でのいらないものを捨てて田舎(たしか奄美大島)に帰るんだなぁと思う。
そういう店がどんどんなくなって、気がつけば西荻も大きなマンションばかりになってしまうんだろう。

家に帰ってテレビを見てたらアド街で錦糸町特集とやってた。先週「残しておきたい東京の風景」なんて言って、昔の面影が残る街角を「やっぱりいいねぇ。こういう風景がなくなるのは寂しいねぇ」なんて散々言い合っていたのに、今週は今度錦糸町にできる六本木ヒルズみたいなビルに大歓声をあげている。テレビのこととはいえ「なんだかなぁ」と思う。