「東京の横町」-永井龍男-

正直言って永井龍男について知っていることはほとんどありません。この間、小津安二郎展を鎌倉文学館に見に行ったときにちょっと展示を見たくらい。奥付を見て鎌倉文学館の初代館長だったということもはじめて知りました。
この本は1980年代に日経新聞に連載した「私の履歴書」を中心にまとめたもの。幼少期から前後文藝春秋を退社して作家としてやっていくまでの経歴が書かれています。

ここでは文藝春秋の社長である菊池寛はもちろんのこと、さすがにいろいろな人が登場してきます。なかでも川端康成や小林秀雄、里見惇など鎌倉に住む人々が出てくるとなんだかわくわくしてきます。先日読んだ山口瞳は隣に川端康成が住んでいたという話を書いていたし、井伏鱒二の本には小林秀雄が出てきたり、小沼丹の随筆には井伏鱒二が出てきて・・・・そうやっていろいろな本を読みながら戦前から戦後にかけての作家たちの交友関係が自分の頭の中でできあがって、そして動いていく感じがとても楽しい。

これ一冊読んでどうこういう筋合いではないので次回はちゃんとした小説を読んでみたいです。

「僕が書いたあの島」-片岡義男-

PickwickWebのどこかに、いつか書いたような気がするけれど、私にとって片岡義男のイメージは角川映画の原作であり本屋でずらりと赤い背表紙で、中学、高校の頃は、本棚に赤い表紙が並んでいるような人とは絶対に友達になりたくないと思ったものです。
それがちょっと変わったのはちくま文庫から出ていた「エルヴィスから始まった」という初期のエッセイを読んでからで、それから気が向くと彼のエッセイを読むようになりました。さすがに「コミックを文章化した」という小説読みませんけどね。

片岡義男のエッセイのおもしろさというのは簡単にいうと、[1]豊富な知識を背景に持っている、[2]そこから自分なりの結論をきちんと出している、[3]その結論にたどり着くまでの道筋が論理的である、[4]題材によってさまざまな表現形式を用いている、ということでしょうか。適当ですが。
サーフィンとハワイについて書かれたこの本について、そのどちらにも興味のない私としてはそれほど読んでみたいとは思っていなかったのですが、やはり読んでみるとおもしろくて、一気に読み終えてしまったという感じです。

「太陽 特集:金子光晴 アジア漂流」(1997年4月号)

あっ、というまに今日から9月。「September Song」じゃないけれど、9月になったと思うとすぐにクリスマスになってしまう、のかな。

先週の終わりくらいからいろいろやることがあって3時、4時くらいまでパソコンの前に座ってたのですが、歳をとったせいかやっぱりだるい。会社に泊まって仕事して明け方明るくなってくるころにそのままいすを並べて寝たり、終電まで働いて朝まで飲んでそのまま会社に行く、なんてもうできないなぁとしみじみ思ってしまいます。というか、できればそういう生活はしたくないです。

といいつつも先週金曜日から渋谷の東急でやっている古本市に会社帰りに寄ってみたりして。金子光晴については私は全然知らないし、たぶんこれからも詩なんて読むことはないだろうけれど、本屋でたまたま「どくろ杯」「ねむれ巴里」という本を見つけて以来、この2冊は私の「いつかちかいうちに読む本のリスト」に加わっています。でもこの雑誌を古本市で見つけて「次に読みたい本のリスト」に加わることになりました。

「旦那の意見」-山口瞳-

それほど多くの本を読んでいるわけではないけれど、今まで読んだ山口瞳の本の中で一番読みごたえがあった。それは本人があとがきにも書いているように川端康成と田中角栄に関する文章が“芯”となっているから。

はじめの方に収録されている随筆は「男性自身」などの作品とかわりはないけれど、本を読み進めていくうちに気がつくとどんどんシリアスな方向に話が進んでいきます。しかもその移行があまりにもスムーズなことと、シリアスな話を書いているときにも山口瞳特有のユーモアは失われていないので読者は本を読み終わった後に「いつのまにかそんなところにきてしまった」ということに気がつくのです。

山口瞳に関しては軽いものだけでいいかなと思っていたけれど、シリアスな作品といわれている「血族」も読みたくなりました。そしてこういう作品があるからこそ「男性自身」のような文章をまた違った気持ちで読むことができるのだと思います。

「たろうのともだち」-堀内誠一-、「喫茶店百科大図鑑」-沼田元氣-

昨日は福生の横田基地友好祭に行ったので今日は家でのんびり掃除や洗濯をして夕方から吉祥寺へ。いまだにアーケードのないサンロードになじめません。まずはKuu Kuuで遅い昼食(or早い夕食)をとった後、古本屋やレコード屋、カルディなど、8時くらいまで歩き回りました。夏の散歩は夕方~夜に限りますね。

さて、「たろうのともだち」は中央線の高架下にあるりぶろりべろで購入。ここはなにが特徴というわけではないけれど、たまに行くと「おっ」と思う本が見つかる本屋さん。なにげに絵本とか雑誌とかもたくさんあるし・・・・。

話かわってヌマゲンは喫茶店(カフェ)の本を出し過ぎたと思うのだけどどうでしょうか。いろいろな書くことがあったんだろうなぁともこういう切り口で一冊本を作ったら、なんて考えてるうちに何冊にもなってしまったのはよく分かります。でもいっぱい書くことがある中であえて一冊しか出さない、というのが粋なのではないか、なんて勝手に思うのは、単に私が「買おうかな」と迷っているうちにどんどん出てしまって追いかけられなくなってしまったせいです。すみません。

こちらは家でコーヒーを飲んだり、散歩するときに持っていったりしつつのんびり読むことにします。

「愛ってなに?」-山口瞳-

「愛ってなに?」なんて言われても出てくるのは定年間近の会社の部長や成功したデザイナー、ジャーナリストたちの浮気話(主に昔話)ばっかり、ということで読み終わる頃にはちょっと飽きてきてしまいました。

今週も曇り空ばっかりでなんだか気が重い気分のまま過ごしているんですけど、暑かったら暑いで「暑すぎてだるい」なんて言い出しそうなのでこれはこれでいいのかもしれません。雨さえ降らなければね。

そういえば夏休みの一日目にタワーレコードに行って、今年の夏のBGMを探してみたんですけど、どうも気持ちが盛り上がるようなCDがなくて、しょうがないのでノーナリーヴスの新しいアルバムを試聴してみたらいきなり「人生で最高の夏!」みたいな歌詞が飛び出してきて一気に気持ちがさめてしまいました。これまでも「夏だからはじけよう」みたいな夏は過ごしてこなかったけれど、30歳過ぎるとほんとにそんな気分から遠くなってしまって、もう「人生で最高の夏!」なんて思えるような夏を過ごすこともないんだろうなぁ、なんて思ってしまいます。別につまらない毎日を過ごしているわけではないけれど、かといって「今が最高!」なんて口が裂けても言えないわけですよ。

で、そうなると当然私の人生のうちで最高の夏はいつだったのだろうか、という疑問も湧いてくるわけなんですけど、いつだったんでしょうねぇ・・・・。

「relax for girls 2003/06」

コーヒーフィルターが切れたので会社帰りに下北沢のモルディブというコーヒー専門店に寄った。ここは前から気にはなっていたんだけれど、敷居が高いような気がしてなかなか入ることができなかったお店。
でも今家で使っているコーヒードロップがコーノ式といって下が平らになっている普通のフィルターではなく円錐形のものなので専門店以外では手に入りにくいのです。初めて入ったモルディブは店中にコーヒーの香りが充満してなんだかいい感じ。でもここでコーヒー豆を買うのはまだちょっと敷居が高いなぁという気もします。

で、下北に寄ったからにはとりあえずドラマに寄らなくてどうするというもの(ほんとはユニオンとレコファンにも寄りたいが・・・・)。時間もあまりないのでさらりと店内をみて「relax for girls」の最新号を買う。最新号といっても発売からもう3カ月くらい経ってしまってますが、最近は「relax」の中古が古本屋さんにあまり並ばないようなのでしょうがない。一時期は発売から1カ月くらいで古本屋に並んでいたのにね。

「relax」はそれほど好きというわけではないけれど、300円くらいで手にはいるのなら買ってもいいな、と思う雑誌で、でもどこがいいのかと言われると困ってしまいます。しいていうなら内容の薄いところかな。雑誌なんてテレビを見ながらとか、家にいて何にもする気が起きないときの暇つぶしなので、こんなものでいいと思う。もっというなら平綴じじゃなくて中綴じにしてもう少し薄くてもいいです。

「珍品堂主人」-井伏鱒二-

夏休みだというのに雨の日続きでこんな時期に長袖シャツを着るなんてなどと思いつつ夕方くらいからちょっと近くを歩いて回る日々。予定していた食器棚作りもできないしかなりフラストレーションたまってます。
来週は晴れの日が続くみたいだから一日くらいずる休みしちゃおうかな。フフフ。

このあいだ「荻窪風土記」を読んだついでに「本日休診」「多甚古村」といった井伏鱒二のユーモア小説と呼ばれているものをちょっと読んでみようかと思っていて、先日中央線古本屋巡りをしたときに高円寺の古着と古本を売っているお店でこの本を購入。ここは山口瞳の本なども何冊かあったのだけど、ちょっと高かったのとまだ読んでいないものが家にあるという理由から買うのをやめました。そのときもまだあるかどうかは分かりませんが、またいつか行きたいです。

ついでに言うならさすが地元だけあって荻窪の古本屋さんには井伏鱒二の古い単行本や全集がかなり並んでいました。あと吉田健一の本とか。吉田健一の読んでいない本の値段を見たら8000円とか10000万円もしたので、うちにある「瓦礫の中」「旅の時間」をチェックしてみたら、両方とも2000円でした。まぁそんなものです。ドキドキして損したよ。

さて、くどいようですがお休みもあと一日、明日は雨やんでくれるといいなぁ。

「目まいのする散歩」-武田泰淳-

今日から夏休み。土日合わせて5日という短いものですが、まぁのんびりさせていただきます。ちなみに今日は荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺を散策し、夜は新宿で映画を見ました。いろいろ買い込んで重くなったリュックをしょって歩き回りました。

武田泰淳といえば思いつくのは司馬遷について何か書いているということと、武田百合子の旦那ということだけで、しかも私は中国史については偏見を持ってるし(理系の男子は中国史、あるいは三国志が好き)、武田百合子に関しては昔「犬が星見た」と「富士日記」を読んで、その奔放さ(というのかな女の子っぽさ?)にちょっとついていけなくなって途中でやめてしまった過去があるので、全然読む気が起きなかったのだけれど、この本のタイトルと山口瞳が「この本は彼の遺言だ」みたいなことを書いていて気になってしまったという次第。

実際はこの「目まい」というのは、「目まいがするような」といった比喩ではなく、病気のために歩いていると目まいがするということなんですが・・・・。

今日も途中で休むたびに読んでいたのですが、現在の散歩と過去の記憶とが結びつきつつ全体を一つのテーマで結びつけていく本当に遺言のような穏やかさを持った散歩に関する散文。
これからも何か気が度に読み返してしまうような本です。

「男性自身 巨人ファン善人説」-山口瞳-

続けて山口瞳。「週刊新潮」で昭和38年から連載していたコラム「男性自身」をまとめた本。内容はここに書くほどではないけれど、電車の中で、喫茶店で、ちょっとした待ち時間に、寝る前にちょっと・・・・などいろいろなときにいろいろなところで気軽に読めて楽しい。

歳をとったせいなのか、夏の間は複雑なストーリーとか、深刻な物語が展開する本を読む気にはなれなくて、長居し過ぎると寒くなってしまう喫茶店でちょっと涼んでいるといったくらいの時間で、さらっと読める感じのものがいい。そういう意味でこの本は夏の読み物としてはぴったり。欲を言えば柳原良平のイラストがもっと大きく、数も多くあったらいいのに、と思います。

とりあえずこういうのを夏の間に読んでおいて、それがもの足りたくなった頃には、どこでも落ち着いて本が読める季節になっている・・・・といいですけど。