「ku:nel」(Vol.6/2004.3.1)

「ku:nel」は、号を追うごとに「都会を離れて田舎でのんびり暮らそう」みたいな雑誌になっていくような気がします。確かに東京で自分のペースで暮らしてる人ってそんなにいないのだろう。ここに出てくる人もたいていがフリーで、しかも雑誌の性格上女の人がほとんどだ。
この雑誌と山口瞳のサラリーマン小説を交互に読んでいるとなんだか変な気分になる。片方は久保田万次郎の「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」に対して「なにがイロハニホヘトだよ、俺たちのイロハニホヘトは、どうもすこし、どぎつすぎるようだな」とつぶやく物語だもの(これだけじゃ全然わからない?)。
会社員でありながら自分のペースで暮らしてくなってことは所詮不可能なのかな、と通勤途中に半分眠りかけた状態で思ってみたりして・・・・。

ところで私はたいてい金曜日になると古本屋とかレコード屋など寄り道して会社から帰ってくるのだけれど、今週は金曜日に飲む予定だし今日はミオ犬が飲みに行っているので、ちょっと吉祥寺に出てみて久しぶりにアナログ盤を買ってみたりした。ついでにずっと気になっていたタオルかけを直そうと思って金具を買ってサクッと帰る。

うちにあるタオルかけは、2、3年前にマーガレットハウエルのお店で見かけたものをまねて作ったのだが、強度が弱くてガタガタしていたのです。金具を使わずにほぞを組むべきところを釘でごまかしたのがいけない。一応、穴は埋めたんだけどね。でもあまりにもゆらゆらしてしまうので背に腹はかえられずL字でおさえてしまいました。みかけはあまり良くないけど、タオルをかけてもきっちりとしているので満足です。

「雑文集 ネクタイの幅」-永井龍男-

表題の「ネクタイの幅」は、普段スーツを着る機会のない永井龍男が、たまに背広を着て出かけると「そのネクタイいいですね」とほめられる。でもそのネクタイはもう20年も前から使っているもの。それをあまりにもそれをほめられるので、ちょっと恥ずかしい気分になってしまう。
だから次に背広を着るときのために、新しいネクタイを買おうとするのだけれど、どのネクタイもどうも幅が太いような気がするし、長さも長いような気がする。友人の末息子にこれでいいのか聞いてみてもどうもすっきりしない、といった内容。

私も30をなかばにして初めてスーツを着て会社に通うようになって、毎朝ネクタイを締めるたびに「長いんじゃないかなぁ」と思ってしまう。
とりあえずスーツの下からネクタイが出てしまうのはOKなのでしょうか?ほかの人を観察しているわけではないのでよく分からないけれど、私のばあいほとんどの場合出てます。中にはどんなに細い方と長さを合わせてもズボンのチャックの真ん中ぐらいまで届きそうなものもあったりする。私の身長は168cmなので、特に背が低いってわけでもないと思うし、世の中168cmくらいの人って結構いますよね。
ネクタイを買うときってつい柄で選んでしまうものだけれど、長さもどこかに書いてあるのかな。まぁ書いてあってもどのくらいの長さが自分に合っているのかさえ分からないですけどね・・・・。

「河野鷹思」

先週はちょこちょこと本を買ったので、ここの更新ができるなと思っていた割には、金、土と飲みに行ってしまったこともありなかなか更新できず。
金曜日は去年の8月から10月頃に関わっていたイベントの新年会だったのだけれど、朝、延期になったとのメールが来ていた。で、しょうがないねぇなどと言いつつ、一緒に行こうと思っていた友達3人で渋谷のアプレミディの入っているビルの3階のカフェで飲む。といっても3人中1人はひとりは飲めないし、もうひとりは「最近酒を飲むと疲れる」ということで、まぁ夕ご飯ですね。

土曜のほうは大学の時の友達と池袋で。平均年齢34歳の男4人。昔の知り合いの消息やお互いの近況を交換。その頃の仲間で去年3人も離婚していたのにちょっとびっくり。以外と離婚ってあるのね。3人とも女の子というのはどういうことなのか。
結局、「バブルの時に年上の男とつきあっていい思いをした同年代の女の子はダメだね」という結論になる。ちなみに今回集まった4人の中で結婚してるのは私だけです。

「絵空ごと」-吉田健一-

吉田健一の小説は全部絵空ごとである、なんて言いつつ、でも吉田健一の小説のおもしろさはただそういうストーリーを追うところ以外にあり、また小説というのは結局のところどれも絵空ごとに過ぎないという吉田健一のメッセージもこめられているんだ、といったことはきっとどこかで誰かがもっと説得力のある文章で書いているだろうから、私が書いてもしょうがないわけなのだけれど、それとは関係ないことかもしれないが、とりあえずある本を読んでいるとその本を読んでいるその合間はなぜかその作者の文体で考えてしまうということで、ついこんな長い文章を書いてしまうわけです。

でもいくら吉田健一のスタイルで考え事をしていたとしても考えている“脳”は私のいつものさえない脳なわけで、いくら考えてもすばらしい答えが出てくることはないのだけれど、ふと片岡義男のエッセイを読んでいたときに出てきた「英語でものを話すことは、英語で考えることであり、強いては英語(圏)の考え方や論理の組み立ての学ぶことだ」という文を思い出して、吉田健一の本じゃなくてもいいんだけれど、ある作家の本を読み続けるということは、その内容だけからでなく自分の考え方さえもその作家に似てくるのかもしれない、なんてあたりまえのような結論に辿り着く冬の帰り道なのでした。

「胡椒息子」-獅子文六-

獅子文六の小説はどれもテレビのホームドラマの小説版といった感じなのだが、これが昭和12年に書かれたもの打と思うと許せてしまいます。続けて読もうとは思いませんが・・・・。

さて、私は昨日今日と大掃除に追われ、夕方ちょっと自転車で吉祥寺に出るという年末の日々。映画を見たり散歩したりと思っていたのだけれど、昨日の朝、「ちゃんと9時に起きて時間もあるし、ちょっと気になったところもあるし」なんて思い、片づけはじめたらもうダメ。5時過ぎても終わらず。とりあえず寝るところだけ確保して寝るはめに。
今日も10時くらいから始めて終了したのが4時半。っうか、いろいろもの動かしてみるも結局うまく収まらず元に戻したり、と無駄が多いのですよ。もうさ大晦日の昼間にひとり散らかった部屋の中でカップラーメンを食べてる30代男。隣もおじさん一人暮らしなので多分同じ風景が繰り広げらているものと思われる。その隣は一人暮らしのおばあさんなので・・・・もう少しちゃんとしたもの食べてるだろうけれど、部屋の前を通ったら掃除機の音がしてた。

よく考えてみると土曜日も台所のガスまわりの掃除をほとんど一日中していたので、合計3日も掃除に冬休みを費やしているよオレ。しかも日曜は3時間だけだけど会社に行って仕事してるよオレ。結果、年末のんびりしたのって一日だけかよ。と落ち込む大晦日でした。でも掃除した分、部屋がさっぱりして気持ちいいです。自己満足ですけどね。

わたしはそんな風ですが、みなさん良いお年を。

「deja-vu N12 特集:安井仲治と一九三〇年代」
「deja-vu N19 特集:バウハウスの写真」

今日からミオ犬が長崎に帰省中。というわけではないけど、昼は中央線沿いを歩き回り夜は会社の友達と「バー部(イクラじゃないよ)」で浅草のフラミンゴバーへ。
会社の友達といっても今では4人とも違う会社に勤めてます。半年前は4人とも同じ会社だったのに。世の中何が起こるかわかりません。うちの会社だけか!?

フラミンゴバーはもともとジャズバーだったらしく、ガラス越しにジャズのレコードが収められた棚があって3000枚くらいレコードが置いてあった(適当)。ケニー・バレル、バーニー・ケッセル、ジョニー・スミス、ガボール・ザボといったアーティストのジャケットが表向きにされていてマスター(って言うのかな)がギター好きなのが分かります。
いつもは安い居酒屋で同じことを何度も繰り返し言い騒ぎながら飲んでいる私たちですが、たまにはこういう雰囲気もいいかな。

そこで1、2時間でさっと飲んでどこかでちょっと食べて帰る予定だったのだが(バーにはつまみしかないので・・・・)、結局、浅草を出たのは11時前。で、銀座線に乗るのが面倒になり、荻窪に住んでいる人と一緒に中央線で西荻へ。
しつこくも昼間行けなかったスコブル社に寄りこれらの本を購入。いや寄って良かった。前から欲しかったんだよね。しかも両方とも1000円。「deja-vu」って普通1800円くらいするよ。スコブル社はときどき写真関係の本が安く売られているので侮れません。
そういえば新宿駅のホームでジーパンを下げたままパンツを見せて(ジーパンが下がっているので)小股で歩いている女の人がいました。年末はいろんな人がいるなぁ・・・・。

「青梅雨」-永井龍男-

永井龍男について前からいつかまとめて読みたいと思ってますが、それほど値段は高くはないけど、どこにでもあるというわけはないのでなかなかね。
ここに収録されている短編はどれも「穏やか」で読んでいて心地よいものばかり。ギスギスしたところもドタバタしたところもありません。ありがちに言えば水彩画のような作品。でも淡いだけではなくて深みもある。

今日から冬休み。でも昨日まであんなに暖かかったのに、昼頃起きだして窓を開けると隣の家の屋根には雪が!そういえば昨日の夜は雨が降ってる音がした。
毎年大晦日に大掃除をして結局終わらないままに年が明けてしまうので、今年は早めにということで台所の周りを掃除しているともう夜で、外は風が吹いてるし、ご飯を食べに行くのも面倒でピザなんか頼んでみたりして。この部屋に引越してきて3年半、いままで一度もピザなんてとったことなかったのに、なぜか二週続けてピザ。先週は友達が来て11時まで結婚パーティの準備してました。あれから一週間しか経ってないなんだか結構前のことのように思えるのはなんででしょうか。

「Lnascape Townscape」-Henri Cartier Bresson-

昼休みに東京ランダムウォークのワゴンセールでブレッソンの写真集を発見。3000円。もともとは15000円のシールが貼ってあった。大判の写真集で厚さもかなりあるのでなかなか持って帰ることができず最終日に。

最終日は4時から30分くらい納会をやって解散という予定だったのだが、午後になって納会が5時半からということに。役員から物言いが入ったらしい。最終日ぐらい気持ちよく早く帰れるようにしてもいいのにさ。なんて思いながら仕事が終わらず結局会社を出たのは7時15分。
そのまま帰ればいいものをこの本を持って新宿の伊勢丹で開催されている古本市に直行。15分の間に4冊ほど購入。ついでにユニオン、タワレコと周り、西荻に出て何冊か本を買って11時過ぎに帰宅。さすがに疲れました。
でも明日から冬休みだしね。

「THE MAN FORM U.N.C.L.E -THE DOOMSDAY AFFAIR-」

スピタルフィールズのマーケットでいくつかあったものの中から一番表紙がかっこいいものを購入。同じ店でこのほかにも「M★A★S★H」や「MAD」をミオ犬が買いました。
けっして高い本ではないのに2人とも一冊ずつしか買わないということろに、コレクター気質のなさというかせこさを感じるんですが、でもペーパーバックなんて読めないしね。片岡義男みたいにペーパーバックを普通に読んでいる人が「半分は表紙が目的だった」というのが良いんであって、「表紙だけが目的だった」というのはね・・・・。

Pickwickのほうにも書いたけれど毎年行こうと思いつつ行く機会のなかったKuuKuuの原マスミライヴに行ってきました。通常営業がすでに終わっているのでKuuKuuに行くのもこれで最後。
初めて行ったのはまだ私が実家にいた頃だったから10年以上前になるのか、なんて思ったりしてます。関町に住んでいる友達の家から友達3人で自転車で出てきたのを思い出します。その後、あんまり行かない時期があってここ4、5年くらいは日曜日にお昼ご飯を食べにとか、友達と飲みにとか結構行ってました。料理もおいしかったし居心地も良かったしいいお店だったのにね。でもまた近いうちにどこかで始めると言っていたのでそれを信じて待ちましょうか。

「古本で散歩」-岡崎武志-

ロンドンに持っていって結局読めなかった本。古本好きの作者が古本屋さんについて古本との出会いについて書いています。中央線古本屋紹介もあるので参考になります。単に「安いから」「新刊の書店で売ってないから」という理由で古本屋に行っている私としては、ここまでなるのはたいへんだろうなぁ、なんて思ってみたりもします。

ところで最近結婚した友達がいまして、11月のはじめに八ヶ岳で籍入れて家族と食事して式は挙げないというカップルだったのですが、「それで済まさせてたまるか」と、日曜日に忘年会を名目に誘い出し、サプライズパーティをしてみました。当初の予定では「おめでとう」と言ってみんなからプレゼントを贈ればいいかな、なんて思っていたのですが、いろいろ話しているうちに「2人の衣装は?」「ブーケはどうする?」「指輪はどうする?」「会場の飾り付けは?」などと気がつけば宣誓書まで作成。お店の3階を借り切ってさながら結婚式?というところまでエスカレートしてしまいました。
いろいろアクシデントもありつつ段取りも悪くなってしまったけど、結局本人たちに気づかれずに決行できてまずまずの成功といったところで良かったです。

一段落して「さてここからは忘年会です」と声をかけた途端、準備した全員が「やっと終わったね」と気が抜けてしまったのは笑えました。