「男性自身 木槿の花」-山口瞳-

直木賞をとった時から飛行機事故で亡くなるまでの向田邦子の想い出をつづった「木槿の花」を中心に編纂された本。

向田邦子が亡くなったのは1981年のことで、まだ小学生だった私の記憶に残っているのは向田邦子の本を当時読んでいたからではもちろんなく、飛行機事故がかなりニュースになっていたせいと母親が向田邦子が好きだったせい。
あれから23年経った今でもテレビのドラマは見るけれど本を読んだことはなくて、これから読むかと言われてもよくわからない。多分読まないんだろうな、と思うけれど未来のことはわからない。そもそも自分が山口瞳の本を読むなんて3、4年前には考えられなかったのだから。

向田邦子のファンだったらもっと見方は違うのだろうけれど、本を読んでいなくてもこの「木槿の花」は、山口瞳の向田邦子への思いがかなりストレートに伝わってきておもしろい。

「SAM AND THE FIREFLY」-P.D.Eastman-

アメリカの絵本のシリーズといえばGolden Books(Little Golden Books)がすぐに思いつきますが、このDr. Seussのシリーズもポピュラーなシリーズの一つ。最近ではこのシリーズのキャラクターにもなっている「はっとしてキャット」が、マイク・マイヤーによって映画化されてて(しかも実写!?)見たいような見たくないような・・・・。いや見たい。

会社で隣の席の人が、2月いっぱいで辞めるので、本を買いに行くという理由をつけて午後から外出。駅前の急いで必要な本を買ってしろたえでお茶をする。
午後3時、通りのカフェ・デ・クリエなどの喫茶店には営業途中らしいサラリーマンでいっぱいだが、さすがにしろたえは空いている。初めてあがっていった2階は私たちのほかにはおばさん3人組のみ。「あの人は三役だから・・・・」なんて子供の学校のPTAの話を大きな声でしていた。
小さめのモンブランとコーヒーを食べて会社に戻った。こういうことをしていると、普段、一日中会社の中にいてパソコンに向かっているのでたまには外に出たいなぁという気分になります。

「ユーモアスケッチ傑作展」-浅倉久志 編-

この間東急の古本市で見つけて思わず買ってしまい、久しぶりにこういう翻訳もの読んでみました。この手のユーモアスケッチ夢中になってたのは(って夢中で読むほどの内容でもないけど・・・・)ほんの3、4年前のことだったのに、今では日本の作家ばっかり読んでるなんて、何がきっかけで好みが変わるかわかりません。(ほんとになにがきっかけだったのだろう?)
でも久しぶりに読んでみると、ちょっとくだらない部分もあるけれどそういう部分も含めて結構おもしろい。今度どこかでまた見つけたら買って読んでみようと思ってます。

ついでに、この手のエッセイとも短編とも区別できないような文章を書いている日本の作家といえば誰なんだろう、と考えてみました。で、一番に思いつくのはやっぱり星新一なんですけど、そう考えるとちょっとなぁ、という感じ。
で、強引に雑誌の連載ということや気の弱い旦那と強い奥さんがよく出てくるところなどから、日本のジェームス・サーバーは山口瞳だとひとり納得してみたり。日本のユーモアスケッチはシビアだなぁ。きっと私の知らない日本のユーモアスケッチがどこかにあるはず。いつまで経っても系統立てて読むことを知らず、本屋で単にひかれただけという理由で本を雑読している私ですが、いつかそんな小説に出会う日が来るのかな。

「東京 古本とコーヒー巡り」

こんな本を読んでいると古本屋に行きたくなるなぁ。って、前回も書いてますね。

古本屋(あるいはレコード屋)に行くというのは、単に本やレコードが欲しい、ということもあるけれど、単に時間を気にしないで街をうろうろしていたい、という気持ちもあって、そういうときに歩いていてちょうどいい間隔で古本屋や中古レコード屋があったり、歩き疲れてきたころに落ち着ける喫茶店が見つかったりするとうれしい。

私の場合、一日歩いたって、結局買うものといったら、その週に電車の中で読む本を1、2冊、家でテレビとか見ながら軽くページをめくるような本を1冊くらい、レコードも3枚くらい買えば満足なので、そう何軒もお店をまわる必要はないのだけれど、つい足が疲れてしまうくらい歩き回ってしまうのは、単に古本屋で本を眺めるのが好きだから。
新刊の本を売っている本屋というのは、どの店もそれほど売っているものがあまり変わらないのでそう何軒も行く必要はなくて、それに比べて一軒、一軒の規模は小さいけれどそれぞれのお店で全然違うものが置いてある古本屋のほうがいろいろ発見もあっておもしろいと思うのだ。それはレコード屋も同じですね。

というわけで、昨日の夜、吉祥寺のDropに遊びに行って、飲み過ぎて家で吐いたりしたにもかかわらず、今日は昼前から東西線に乗って早稲田へ行って来ました。いやー二日酔いでうろつきまわるのはつらいですね。「なんでこんなに気持ちが悪いのに歩き回ってるんだろう」と歩きながらずっと思ってました。

「日本の名随筆12 古書」-紀田順一郎-

こんな本を読んでいると古本屋に行きたくなるなぁ。って毎週のように行ってますね。この「日本の名随筆」は、気になるテーマの文章を手軽に読めるのがうれしい。かといって端から読んでいこうという感じでもなくて、それはたとえ収録されている曲がいいとわかっていても、シリーズもののコンピCDばっかり買うわけにはいかない、買っていてもあまりおもしろくない、というのと同じ(?)ですね。
基本的に気になるテーマがあるときに、とりあえずこの本を読んでみて、その中で気に入った文章を書いている作家の本を探すようにしてます。

今日は久しぶりに代官山→渋谷へ行って来ました。ユトレヒトでやっている「花森安治のしごとへや」を見てきました。FLOギャラリーは名前のとおり風呂場なんで狭いのですが、直筆の原稿やイラストが見られたり、愛用の文房具などで再現した“しごとば”などなかなかおもしろかったです。もっと広いところでゆっくりとたっぷり見てみたいというのが本音ですけど。
ユトレヒトは、あいかわらず人がいっぱいで、加えて新しいレイアウトになってから動き回ったり、立ち止まったりしにくくなった気がして本をゆっくりと見れなくなったけれど、「こんな本なるのね的」な発見があって楽しいです。

「秋 その他」-永井龍男-

中学の頃から20代までずっと翻訳文学ばっかり読んでいたのが、30代になって永井龍男や吉田健一、庄野潤三、小沼丹、井伏鱒二・・・・といった日本文学ばかり読むようになったせいで、最近本棚が箱ものばっかりになってきたような気がする。「ばかり」というと言い過ぎかな。
でも岡崎武志ほどではないけれど、本棚が茶色になっていくような気がする。そういえばその岡崎武志は箱ものの本をたとえば100円均一の棚で見つけると、内容にかかわらずとりあえず買っておいて大きさの合うお気に入りの本を入れておく、と書いていたっけ。いいアイデアのような気もするし、それもなんかなぁという気もする話だ。

昨日、朝起きてレコードをつけてから、コーヒーを入れたりパンを用意していたりしていたのだが、いつまで経ってもレコードの音がぐにゃぐにゃで、「これはもうだめだろう」と、午後から友達が来て鍋をやる予定にもかかわらず、部屋の片づけもそこそこに渋谷のさくらやにレコードプレーヤーを買いに行ってきました。どうせ棚も狭いし、ミニコンポにつなぐだけだしDENONのベルト式のものを購入。でも新しいプレーヤーはいいね。もう本屋なんかよりレコード屋に行きたい気分でいっぱいです。
そういえば最近ユニオンのえさ箱とか渋谷のレコファンのイージーリスニング・コーナーとか漁ってないなぁ。ハイファイレコードとかムーズビルとかノアルイズ・レコードとかダックスープとか行ってないなぁ。

「黒いハンカチ」-小沼丹-

小沼丹の本は以前ランカウイ島に行ったときに、「小さな手袋」や「懐中時計」など講談社文芸文庫から出ているものを集めて持っていって、空港や飛行機の中、ホテルの部屋やプールサイドで読み続けたのだけれど、小沼丹の本は手に入りにくいだけにいっぺんに読んでしまうのはもったいなかったな、という気もするし、あれは贅沢な時間だったという気もする。
で、最近になって新刊として出ていることを知ったこの作品はなんと推理小説。といってもそれほど深刻でないところがこの人らしい。推理よりも登場人物の性格や行動に重点が置かれています。

話は変わって、うちの会社は禁煙なので3階のテラスでたばこをすっていて、私はたいてい午前中は10時半くらい、午後は3時くらいと5時前くらいに、たばこをすいに外にでます。ついこの間までは5時になると外は真っ暗だったものですが、最近は明るくなってきましたね。まぁ寒いことは寒い。コートを着ていくわけにもいかないので、ほんとたばこ一本分くらいしか外にはいられない感じです。
小学生の頃、夏至は6月なのに暑いのは8月で、冬至は12月なのに寒いのは2月なのはなぜなんだろうと思ったことなどを思い出しながらたばこを吸ってます。今考えると「日照時間が長い」=「暑い」とならないことは明らかなんですけどね。そうじゃないとフォンランドの夏は猛暑になってしまうわけで・・・・。

「いつか王子駅で」-堀江敏幸-

週末はなんかだらだら過ごしてしまったなぁ、という感じなのだけれど、相変わらず歩き回ったのでなんとなく筋肉痛気味で今週もスタート。

2月にはいると春を待つ季節という気分を盛り上げようと週末は久しぶりにソフトロックのレコードを買ってみたりしたのだけど、やはり寒い。そして久しぶりにレコードをのせられたプレーヤーは機嫌が悪いのか回転が一定してなくて音がゆがんでしまって気持ち悪い。そろそろ新しいレコードプレーヤーが欲しいなぁと思い始めてもう一年くらいたっているのだけれどまだ買っていないのは、少しのあいだ回しておくと回転が安定してきて普通に使えるのと、電気屋をちょっとのぞいてみただけだが、どうも私が思う手ごろなレコードプレーヤーが売っていないせい。テクニクスとかのDJ仕様か1万円くらいの安っぽい感じのものしかないのはどうしたものだろう。別にDJ仕様のがっちりとしたプレーヤーなんていらないし、(というかうちの棚には大きすぎる)かといっておもちゃみたいのはすぐ壊れるような気がして買う気になりません。2~3万くらいで、いや値段よりもコンパクトでしかもきちんとした作りのレコードプレーヤーってないものだろうか。そういう需要はないのだろうか。

「流れ藻」-庄野潤三-

金曜日は会社が終わってから大森で新年会。8時待ち合わせ。残業はしない予定なので6時過ぎに会社を出れば大森近辺で1時間くらいのんびりできるかな、駅前に古本屋とかないかな、お茶する時間はないだろうけどいい感じの喫茶店とかあるかな、事前にネットでいろいろ調べなくちゃね、などと思いつつ週の真ん中を過ごしてきたのだが、こういう日に限ってめずらしく6時から来客、打ち合わせ。結局、遅刻。
場所は、その日のメンバーのひとりの奥さんの実家がやっている南九州というお店。日本酒や焼酎が充実している居酒屋なのだが、私は隣の人の頼んだものをちょっと飲むだけでいつものようにビールを飲んでました。

その後はみんなそのまま友達の行っていたけれど、私はおとなしく帰宅。スーツで友達のうちに行くのはねぇ。なんだか落ち着かないような気が・・・・するんだよねぇ。

「どこ吹く風」-山口瞳-

「どこ吹く風」というのは、ここに出てくる女の人たちをさしているのではないか、という高橋呉郎の解説での言葉が本を読み進めるうちに胸に重くのしかかってくるような短編集。

登場してくる男たちはたいてい会社の部長だったり、近いうちに役員になるような状況の人だったり、若いのに実力(ってなんだ?)で係長になっていたりするのだけれど、会議で説得力のある話し方を学ぶためにテレビの解説番組を欠かさず見たり、宴会の時のために日本舞踊を習ったり、学生時代にやっていた競歩の練習と称して1時間かけて愛人の家に通ったり、だれもがどこか哀しく、滑稽で、しかも最終的にはそうした努力はあまり報われず、左遷されたり、会社を辞めることになったりする(それで「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」というわけだ)。それに比べて女たちは堂々としていて、しかもしたたかだ。
所詮、男たちは女たちを養うために、せこせこと働かされているということなのだろうか。

この本が出てからもう30年経っているわけだが、現在でも男たちはこうした傍目から冷静にみると滑稽な世界で、本気になって生きているのかな。私自分では気がつかないままにもそんな中のひとりになっているだろうかね。